プロローグ
胡蝶の夢でも見ているのだろうか。
気が付くと戦国時代だった。
と言っても気づくのには随分と時間が掛かった。
波の音を子守り歌に俺は悠久の時間を過ごす。
動きたくとも動けないので仕方ない。
かなり時が経って、少しずつ状況が判ってきた。
信長の弟らしい。
しかも信秀の十男だと言う。
十男がいるとは知らなかった。
ホント、びっくりだ。
慌てるより呆れた。
俺の母は熱田の商人である大喜嘉平の娘であった。熱田の楊貴妃と呼ばれ、信秀は楊貴妃を手に入れる為に今川氏豊を騙して那古野城を奪ったと噂された。〔天文7年 (1538年)〕
いつの時代もそういった物語めいたゴシップを大衆は喜ぶのだろう。
俺の母上はそれくらい美人だ。
お爺、大喜嘉平は熱田神宮神官の大喜五郎丸の縁者の商人であり、中々の豪商だった。
信秀は母に魅了されたのか。
ただの自慢だったのだろうか。
長年、熱田に通った信秀も天文15年 (1546年)に俺が生まれると、中根城の中根-忠良に母を下げ渡し、俺は中根城に預けられることになる。
天文15年と言えば、あの信長が元服する年だ。
信秀は最盛期であり、三河の安城や美濃の大垣を奪って影響力を拡大していた。
しかし、天文16年『加納口の戦い』を境に潮の流れが変わった。
信秀の勢いに陰りが出始めた。
中根城は熱田の東に位置して、鎌倉街道の中渡し場になる。
笠寺のある松炬島が潮で通れないときに使われ、あるいは、天白川の上流にある島田の渡河場を迂回する経路として栄えていた。
海も近く、潮風が気持ちいい、住むにはいい所だ。
母の実家が熱田商人だったこともあり、金に困ることもなかった。
だが、布団がなく、板の間で痛く、服の重ね着のみで冬は寒い。
震えながら、よく死ななかったと思った。
赤子らしく自重しようと思っていたが、凍死しては元も子もない。
後のことなど知るものか、今を生きての人生だ。
片言がしゃべられるようになると積極的に文字と言葉を覚えることにした。
「は・は・う・え、こ・れ・は・な・ん・と・よ・む・の・で・す・かぁ」
「流石、信秀様のお子だ。これほど聡明とは!」
「大事に育てましょう」
「すぐにお知らせせねば!」
「これはね」
養父(中根-忠良)は俺のことを溺愛してくれた。
母上に骨抜きにされただけかもしれない。
沢山の書物をお爺(大喜嘉平)から仕入れてくれた。
3歳になる頃には一通りの文字も何とか習得できていた。
母親似の見た目麗しい稚児が出歩くと神童とか言われた。
手当り次第、生活改善だ。
死んでは元も子もない、もう自重はなしだ。
どうとでもなれ!
生まれて1年、最初に作ったのは練炭と清浄器だ。
練炭というより炭団かな。
暖を取るのに便利なグッズだ。
次に石鹸とリンスを作らせた。
樽に大石、小石、砂利、炭などを何層にも重ねた大きな清浄器を造った。
水汲みが大変だと女中から悲鳴を上げられた。
少し可哀想だ。
ならば、竹細工で竹ポンプを作らせた。
すぐに壊れるおもちゃだが、材料は沢山ある。
竹細工が得意な庭師もいたので問題ない。
片言の俺に付き合ってくれる女中と庭師に感謝だ。
竹を燃やして竹酢液を作らねば、蚊よけは絶対に必要だ。
とにかく、衛生と環境を整えた。
お爺がそれを見て商品にすると飛ぶように売れた。
次に食事だ。
醤油・納豆・豆腐・麹などを造らせた。
銭はお爺が出してくれた。
山羊を買って貰ってバターも作った。
糸を調達して網を造らせ、網漁を推奨すると毎日魚がお膳に上がるようになった。
お爺が次は何かと急かしてくる。
銭をふんだんに使わせてくれてありがたいが、毎日通って来られるのは迷惑だよ。
中根城の周りには長根荘という農地が古くからあり、熱田社領になっている。
そこを治めているのは、土豪の村上一族だ。
人間関係が中々複雑だった。
熱田の大宮司の紀伊守千秋-季光が訪ねて来て、俺のことを熱田大明神の生まれ代わりとか拝んでくれた。
熱田に新しい商品を次々と送りだす俺が福の神なのだ。
信心深い村上一族は神の子と崇めて何かと協力してくれる。
紀伊守に感謝だ。
でも、紀伊守は加納口の戦いで亡くなって、子の千秋-季忠が大宮司を継いだ。
惜しい人を亡くした。
春から夏に掛けて米を作り、秋から春まで麦を植えている。
去年作った腐葉土肥料で少し収穫が増えたらしい。
本格的に肥料小屋を作ってくれた。
折角、小麦があるので水車を作ってうどんを作らせた。
卵が使えないので、山芋と豆腐で代用する。
残念ながら水田は手が掛かり過ぎるので農地改革はもう少し後にする。
河原者を雇って開拓を進め、猪や鹿の駆除を積極的にさせた。
ほどよく腐った木を小分けにして、椎茸などキノコの胞子を掛けておく。
苗床が巧く育つといいのだが?
狩った鹿や猪は血抜きをさせて、河で冷却してから捌いて貰った。
これでときどきだが肉も手に入るようになった。
河原者らは凄く素直で俺のいう事を聞いてくれる。
彼らに文字と計算を教えて人材育成だ。
ある日、新大宮司様がやってきた。
季忠は熱田明神の知恵を貸してほしいと頼まれた。
紀伊守には恩もあるから知恵は貸しますよ。
俺は承知した。
しかし、逆に色々と便宜を図っていただくことになる。
俺は熱田に出掛けることが多くなった。
目に付いたのがあれだった。
道端で餓死して死んでゆく子供を見捨てるほど俺は冷徹になれない。
幸いなことに俺は次期城主でそれなりに権限があった。
清酒と焼酎で儲けるか!
米と麦はいくらでも集まってくる。
倉と職人を借りてチャレンジだ。
一度で成功するとは思わないが、失敗するイメージもない。
人手は拾ってくるのでいくらでもある。
売り先もいくらでもある。
この時代、俺が作ったものは色々と拙いのだろうが気にしてもしかたない。
人間万事塞翁が馬だ。
さて、父上と言ってもピンとこない信秀だが、気に掛けて貰っているのだろう。
何かと新しいモノを作ると、必ず催促の使者がやってくる。
だが、本人はやってこない。
向こうは戦ばかりで忙しいのだろう。
こちらは『赤塚の戦い』〔天文21年 (1552年)4月17日〕が起こるまで割と平和に過ごすことができた。
このまま、のんびりと暮らせればよかったのに…………とほほほ!