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学校が終わり、初夏の陽射しなどものともせずに坂を駆け上がる。一学期は明日で終わり、明後日からは夏休みだ。英介は鞄を玄関に放り捨てた。やることは山のようにある。学校全員の家の場所を調べておくことや、山に入ってカブトムシが好みそうな木に目星をつけておくこと、漁港まで出て使えそうな釘を拾いに行くのだって重要だ。
一秒足りとも時間を無駄にはできなくて、英介は玄関に入るなり鞄を放り捨てる。
「ただいまー! 行ってきまーす!」
「英介ー、鞄は二階へ持って上がりなさいよー!」
台所から母親が声を張り上げていたが、構うことなく英介は踵を返す。向こう側からは制服姿の一番上の姉が坂を上ってくるところだった。
「どこ行くの?」
「いっくんち」
「あー、門真さんとこ。あそこはさ、おじいちゃんしかいないんだから、いっくんに来てもらった方がいいんじゃないのって母ちゃん言ってたよ」
「なんで?」
「あんたが行くとご迷惑になるから」
母親のそれは、英介のような小さな子供が祖父しかいない家へ行くのは面倒を見るのが大変だろうという意味だったが、英介はもちろん、姉もそうは捉えなかった。自分が行けば迷惑がかかる、そのまま文字通りに受け取り、英介はふて腐れた。
「べつに悪いこととかしてねーもん」
「いっくんて何年生だっけ?」
「六年」
「ふうん。あんた三年生に友達いないの?」
「いるに決まってんだろ。でもさあ、つとむがいなくなったから人数減ってるんだって!」
「あーまたいなくなったか」
姉は興味なさそうに言った。島から人が出て行くのは今に始まったことではない。島の人口は急速に減っている。若い世代――英介のような小学校低学年の子供を持つ親の世代は特に島から出て行ってしまう。そもそもが一時に島の人口は増えすぎていたのだ。元の島の姿に戻ろうとしているだけなのかもしれなかったが、それでも友人が一人二人と減っていくのは幼い英介には納得がいかなかった。
姉と別れ、逸郎の家に行くと逸郎の祖父がよく冷えた西瓜を切ってくれた。二人並んで縁側に座り、皿に盛られた西瓜に手を伸ばした。
「見ての通り、ここじゃあワシら二人しかおらんからのう。えーくん来てくれると賑やかで逸郎が寂しい思いをせんで助かるわい」
逸郎の祖父はそんなことを言い置いて部屋の中へ戻っていった。先ほど姉に言われた言葉を思い出して英介は得意気に西瓜の種を庭に飛ばした。ほら見ろ、邪魔なんかじゃない。
口から勢いよく黒い種が飛んでいく。それを逸郎が目を細めて眺める。眺めるばかりで彼はそういった「行儀の悪い」ことをするわけでもなく、そして咎めるでもなかった。
「えーくん、種ついてるよ」
不意に、横から逸郎の顔が近付く。驚いて動けない英介の口端を、逸郎の舌が舐めた。
「ひゃ……っ」
擽ったい感触に変声期前の高い声が漏れる。逸郎はそのまま何かのついでのように唇を押し当てて、それからゆっくりと離れた。
それが何かはわからない歳ではなかった。ただ、それがどういう時に、どういう関係の者同士がするものなのか、正確なところまでは知らなかった。口付けた当の本人であるはずの逸郎の方が黙り込んで俯くので、英介はこの行為には何か重大な秘密があるのだと察した。
「……俺ら、結婚すんの?」
英介の質問に、逸郎が顔を上げて目を丸くする。
好き同士で接吻は結婚、などと教室の女子が騒いでいるから知っているだけで、内容も意味もよく分からない。
逸郎は口に含んだ種をぴゅっと飛ばしてからおかしそうに笑い声を立てた。
「しないよ」
出来ない、とは言わなかった。
だから英介はその時、幼心にも傷付いたのだ。