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 よもや自分が女役になろうとは。英介はつゆ程も思っていなかったのだが、それが別に三つ離れた歳のせいではなく「慣れ」の問題であるからと自身を納得させることにした。歳は追いつけないが、慣れの問題であるならば自分だって慣れれば逸郎のことを抱く日も来るだろう。

 逸郎の親戚たちが帰り、そして彼の両親が帰っても、逸郎はまだ門真の家にいた。金目の物はさすがに大人たちが分け合ったが、残った「金目ではないもの」を整理する必要があった。その中には逸郎がここで暮らした十二年分の身の回り品も少なからず含まれていた。

「そもそも家庭教師の契約は八月末までだから」

 逸郎の祖父が死のうが生きていようが、逸郎は八月末まではこの島にいる。

 畳に敷いた布団の中から英介は、荷物の整理をする逸郎をぼんやりと眺めていた。蝉の声が聴こえる早朝、虫の声は今日の晴れを知らせてくれる。

 毎夜求めあい、気怠い朝を迎える。荷物の整理と勉強、食事、勉強、そんな一日を過ごしてまた夜になると朝方の怠さなど忘れて肌を合わせる。英介は家に帰らない。

 逸郎のところで泊まり込みで勉強していると言えば英介の親は手放しで歓迎した。よもや毎日セックスに明け暮れているなど思いもしないだろう。

「……もうすぐ、終わる」

 少し枯れた声で英介は呟いた。

 夏休みが、八月が終わろうとしていた。

 そうすれば逸郎はまたこの島を出て行ってしまう。

 逸郎が手を止めて振り返った。首を横に傾ける姿が妙に艶っぽく感じた。首筋も、そして男にしてはやや長めの髪がサラリと耳元を覆うのも、優しげに下げられた眦も、何もかもセックスを想起させて英介は顔を赤らめた。

「おいで」

 柔らかな声が英介を呼ぶ。いつだって逸郎は英介のことを大切に扱ったが、それでも朝は動くのがきつくて英介はのろのろと布団を這い出る。

 共に大人になった美幸もこんな思いをしたのだろうか、と不意に思った。初めて同士で、きっと逸郎ほども英介は彼女のことを大切には扱えなかったに違いない。もっと労わっていたら、美幸とは別れることにならなかったのだろうか。山元と一緒に、美幸のことを守ってやらなければと強く思う。

 縁側まで這っていくと逸郎が肩を抱き寄せるので、英介は外へ足を投げ出して座り直す。そして自分よりわずかに小さな彼の体に遠慮なく凭れかかった。

「眠ィ――……」

 生欠伸を一つ、押し出す。動きが緩慢なのは寝不足のせいだと逸郎に伝えたかった。

「えーくん」

「ん――……?」

 逸郎の手が英介の耳元を探る。耳朶を弄られるのが擽ったい。

 黙ったまま寄り添う。氷水の入った盥も、逸郎の祖父が運んでくる西瓜もなくて、どこかにぽっかりと見えない穴があいたようだった。

 蝉の声がだんだんと合唱のように増えていく。鳥たちが騒めく。生垣の向こう側で人の歩く気配がする。他愛ない挨拶はここまで聞こえてくるのに、なんだかここだけ隔離された違う世界のようだった。

 ――今日も暑くなりそうですねえ。

 ――そうですねえ。

 ジリジリジリジリ、シャワシャワシャワシャワ。

 夕方にはきっとツクツクボウシが鳴いて、宿題の終わらない子供たちを追い立てる。

 もうすぐ夏が終わる。

 夏が終われば逸郎とはまた離れ離れだ。

 小学生の頃のように、島を出て行った友人とは二度と会えなくなるとまでは思わないが、それにしても高校生の小遣いで頻繁に海を越えるのはそう容易いことではない。

「えーくん」

「……なに」

 逸郎は名を呼ぶだけだ。

 段々と日が高くなり、触れ合うところからじっとりと汗が滲む。そうして張り付いた互いの肌を名残惜しく引き剥がし、勉強に、片付けにのんびりと励む毎日。もうすぐ終わってしまうのかと思うたび、瞳に涙の膜が張った。

「えーくん」

「だから、なに」

「……大学、おいで」

 逸郎が言う。たったこの一言を口にするのに、随分と長い時間を掛けて。

 英介は身動ぎもせず蝉の声を聴く。父親が帰宅するのは蝉の鳴かない昼下がりだ。

 同じ生活をするのだと思っていた。跡を継ぎたいと明確に話したことはなく、ただ漠然と、高校を卒業したら父親と船に乗るのだと思っていた。

 島を出て行った兄や姉たちについて両親は恨み言のひとつも言わなかったし、英介に対して期待するようなそぶりもなかったが、かつて大勢で住んだ家から一人二人と家族が出て行く寂しさを一番感じていたのは他ならぬ英介自身であり、その寂しさを両親に味わわせるのは忍びなかった。

「でも、俺、馬鹿だから」

「そんなことないよ。えーくんは今まで勉強してなかっただけで、ちゃんとやればできるようになる。夏終わっても、時々なら僕が教えに来てもいい」

 逸郎の声は蝉の鳴き声よりもか細いのに、芯の通った少し高めの張りのあるそれが耳元で囁くと、英介の心はひどく揺れた。

 迷いを察してか、逸郎の腕が一層強く英介を引き寄せる。身を委ねてしまいたくなる体温の中で、逸郎がぽつりぽつりと話す。もう逸郎自身は両親の元を離れて一人暮らしをしていること、祖父の面倒を見るため訪れたこの島で家庭教師の仕事はとても割がよくて助かったこと、それから本当は夏が来るたび何度もこの島に帰ってきていたこと。徐々に成長していく英介から目が離せなくなっていったこと。――想いが募るに従い、悪い遊びも覚えたこと。

 蝉の鳴き声が洗い流していく。

「一緒に、暮らそう」

 心地よい逸郎の穏やかな声を聞きながら、英介は瞼を閉じた。


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