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 午前中にひとまず火葬を終えてしまうと、食事から骨上げまではまだ時間があった。お斎から続く会席の酒が足りずに買い足しに出かけた逸郎が、もう長いこと戻っていない。

 外は台風からの雨が降り続いていた。

 本来であれば酒屋に電話して運ばせるのを、台風で閉店していたために無理にお願いして逸郎が買いに出ていた。

「遅いわねえ、逸郎」

 初めて見た逸郎の母親は、この島に住む同じ年代の母親よりもずいぶん垢抜けた顔立ちをしていた。この場にいる全員が喪服なのだから身なりが派手だというわけではない。整った逸郎の顔立ちは母親譲りなのだろう、と思った。

「俺、見てきましょうか」

「あら危ないわよ」

「でもいっくんより俺の方が土地勘あるし」

 歳は逸郎と三つしか変わらない。逸郎に危なくなくて、英介には危ないということもないだろう。高校の制服姿だから子供扱いされているような気がした。

 逸郎の母親がまじまじと英介の方を見るので、思わず英介は動きを止めた。

「……なんですか」

「いっくん、って呼ばれてるんだなーって」

「……ええ、まあ」

「ふうん。仲が良いのね」

「普通です」

 何かまずいことを言ってしまったような気分になった。

 どうにか誤魔化してこの場を離れようとしたが、逸郎の母親の顔を見るとどうしても背を向けることができなかった。

 高校生の英介にも分かるほど彼女は寂しげな表情をしていた。

「あの子、全然そういうこと話してくれないから」

「……普通じゃないですか。俺だって母ちゃんとそんな話しないし」

「そうね、男の子は母離れしたらそんなものね」

 それで彼女の表情が晴れるわけではなかった。うっすらと笑みを浮かべた唇がやけに印象的だった。大きな目が伏せられて、長い睫が下の瞼に影を落とす。

 英介が物心ついた頃には門真の家には逸郎と彼の祖父しか住んでいなかった。長い長い別離の後、この母親の元に逸郎が戻った時には、もう彼は十二歳だった。父親に至ってはその時初めて会ったことになる。

 表向きは普通の親子のように見えていた。けれど、実の親子というには余所余所しい関係なのかもしれない、と英介は彼女の伏せられた瞼の裏側を想像した。それが、通夜の席で感じた違和感の正体だった。

 自分の親が死んでも、逸郎の父親は逸郎を詰らない。それは息子だからではなく、他人だからだ。自分の親の面倒を無償で看てくれた、赤の他人。

「いっくん探してきます」

 もう彼女は危ないからと英介を引き留めはしなかった。

 風はさほど強くなかった。台風は通り過ぎて、雨だけが残っているようだった。

 黒い傘を開いた時、ふいに夕立の山林で見た黄色い傘が脳裏をよぎった。小学生のころに果たせなかった約束、憧れの洞窟探検。

 あのとき逸郎が傘をさしたまま片腕で抱きしめた。雨に濡れて冷えきった体にあたたかかった逸郎の体温。西瓜の種を舐めとる口付け。何一つ忘れていない、――初恋。

 英介は酒屋とは別の方向へ足を向ける。帰宅部の意地で坂を駆け上がる。帰宅するのに何度この坂を駆け上がったことか、年季が違う。家の脇を通り過ぎ、山道へ入る。近頃は裏山で遊ぶ子供などいなくなった。子供自体が少なくなった。おまけに昨夜の台風で山道は以前にも増して獣道同然だ。

 洞窟は幼い頃よりも更に近くに感じられた。それはそうだろう、戦時中に作られた防空壕が、民家よりも遠く離れたところにあったのでは意味がない。駆け込めるだけの近さが必要なのだと今なら分かる。

「いっくん!」

 子供たちの遊ばなくなった洞穴は、辺りに雑草が茂りその口を閉じていた。英介と同じような黒い傘をさした逸郎がその前に佇んでいた。 

「いっくん!」

 もう一度英介は名前を呼ぶ。

 傘ごと逸郎が振り返る。

 彼がはにかむより先に傘を放り出し、英介は逸郎の体を抱きしめた。

 背は、わずかに英介の方が高かった。


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