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 翌朝、六月の不快な風を感じて目が覚めた。



 日は出ているがまだ薄暗い。時計の針は午前四時半を指している。はぁ…、とオレは小さくため息をついた。冷や汗がダラダラと流れていて、敷布団はぐっしょりと濡れている。汗と畳の匂いが混ざり合ってどこか安心する匂いがする。



 久しぶりにあの夢を見た。オレが小学生の時の夢である。といってもそこは小学校に似つかない、どこか別の場所なのだ。何か不安なことがあるとオレは決まってその夢を見るのだが、今回はなぜ見たのだろうか。



 今日は月曜日なので、普通に学校がある。学校に行くには、早かったが蒸し暑くて眠れる気もしないので、勉強をした。一応進学校なだけあってか、宿題が異様に多いのだ。



 ――――――――

 ――――――――



 次第に明るくなって、七時になった。オレの学校はアパートから自転車で10分の場所にあるので、七時くらいに眼を覚ますことができれば、十分遅刻ボーダーの8時に間に合う。オレは顔を洗って昨日アオツキ屋で買った菓子パンを食べ始めた。



 前述の通り、オレの学校は男子校なので、生徒は皆身なりにすぼらなのだ。(というよりは男子校であることを言い訳にして身だしなみを整えるのを面倒くさがっているだけかもしれないが。)オレも例外ではなく、どうせ自転車通学だから誰も顔なんて見ないだろうという推測(油断)のもと、寝坊した日なんかには、寝ぐせ直しはおろか、顔さえ洗わずに家を出ることが珍しくない。



 今日は早起きしたので、割と余裕で家を出ることができた。ドアを開けて、鍵を閉め振り返ると、風見雫がいた。



「あっ、、こ、こんにちは、じゃなくって、おはようございますっ。」



 彼女はそう言って彼女は僕に挨拶する暇を与えずに小走りで行ってしまった。



 驚いたことに、彼女は昨日とは大きく違い、全く落ち着いていなかった。昨日の落ち着き払った安定した態度は一体どこに行ってしまったのだろう。今日の彼女は背が低いことが相まって、というか当たり前のことであるように、とても子供っぽかった。



 そしてもう一つ気づいたことは、彼女が楠木クスノキ高校の生徒である、ということだ。



 楠木高校とはオレが通う金山かなやま高校の向かいに位置する女子校である。偏差値が高いので金山高校の教師たちは何かにつけて引き合いに出し、また、共学校でないことに親近感を抱いているからなのか、生徒は生徒で何かにつけて楠木高校を話題に出す。制服が特徴的で、やや濃いめのベージュのスカートが大正時代の上品な婦人のよう(ドラマとかでしか見たことないが)なので、制服を見るとすぐに楠木の生徒だとわかるのだ。



 風見雫は小さかったので高校生には見えなかった。そして、オレはペダルを漕ぐ足を速めた。


 

 結局その日は、運悪く踏切に捕まり遅刻した。遅刻のペナルティは放課後の窓拭きである。さらに運の悪いことに、今日は遅刻がオレしか居なかったので、教室と、廊下周りの窓を全部、オレだけで拭いた。5時ごろにヘトヘトになって家に帰り着いた。



 ――――――――――

 ――――――――――



 その日の6時ごろに、風見雫が訪ねてきた。



「こ、こんにちは、白石さん。あ、あの、実は頼みごとがあって、伺いました」

「はっ、はい。何でしょう。」



 朝と同じで風見さんは緊張しているが、オレも緊張している。オレは玄関じゃなんだからとりあえず、部屋の中にあげた。今朝早起きして良かった。時間に余裕があったので、少し片付けしていたのだ。



「け、今朝はすみません。び、びっくりしちゃって。あの、白石さんって、金山高校の方なんですよね。」



 制服でわかったのだろう。彼女は、そう言って話しはじめた。



「じ、実は私、楠木高校の生徒会長をしているんです。それで、ほ、他の高校の生徒会と交流する、地域生徒会連盟という団体があって、それで、そこで、他校の生徒会の人たちと共同作業があるんです。」



 少し間があった。気まずい間だ。ちょっとして、再び彼女は話しはじめた。



「も、もちろん他の学校は共学ばかりなんですが、あ、あの、実は私、長い間男の人と話していなくて、男の人とうまく話せないんです。」

「そ、そうなの?昨日この部屋に来た時はえらくしっかりしていたようだったけど。」

「あ、あの時は練習していたんです。ゆ、郵便受けに白石さんのフルネームがかいてありましたから、お、男の人とだとは分かりました。そ、それで練習していたんです。」



 なるほど、そういうことだったのか。そしてふと、昨日風見雫がオレの自己紹介を横取りしたことを思い出した。きっと口の中で何度も復唱していて、反射的に言ってしまったのだろう。



「そ、それで、あの、し、白石さんに男の人と話をする練習台になって欲しいんです。」



 練習台?オレだって女の人とうまく話せない。オレから得られることなんて何もないだろう。

 


「い、いや実はオレも、長い間女子と話してなくて、慣れてないし、それに男子校だし、あんまり役に立たないよ?」

「い、いえ、男子校だからこそ、あ、あなたにお願いしたいのです。あまりに女子と話し慣れてる人は、ハードルが高すぎます。はじめは白石さんぐらいが、ちょ、ちょうどいいと思ったのです。あ、いいえっ、違いますっ、白石さんぐらいじゃなくて、ええと、あの…」



 必死に弁解しようとしている。



「か、風見さんは、何で生徒会長になったの?」



 話すことが苦手な風見さんが、どうして生徒会長になれたのだろうか。生徒会長ってコミュ力が高くて、いかにもリア充って感じの人がなるものではないだろうか。



「私の学校では、他薦で、こ、候補者を集めて投票することになっているんです。わ、私、女子とは普通に話せますから、こう見えて友達や慕ってくれる後輩は、す、少しはいるんですよ。それで、会長に選ばれたのです。」



 感心した。本人は『少しは、』なんて言っているが、生徒会長に選ばれるというのは、相当人気者なんだろう。ますます練習相手になるのに気後れがする。だが…



「お、お願いします、白石さんっ。」



 ほぼ生まれて初めての妹と母以外の女性からの依頼にオレは断ることはできないようだった。



「オ、オレでよければ、できることはするよ。オレにとっても女子と話す練習になるしね。」

「あ、ありがとうございますっ。そ、それじゃああ、明日からも、よろしくお願いしますね。」



 彼女はそう言ってオレの部屋から出て行った。引き受けたものの一体何をするのだろうか。彼女は引き受けてもらえた嬉しさ安心で一番大事なことを話すのを忘れて帰ってしまった。



 ―――――――――― 

 ――――――――――



 翌日、オレは寝坊した。昨晩の夜更かしが祟って、七時半に目が覚めた。朝ごはんも身だしなみもそこそこに、オレは家を7時五十分に出た。



 ドアを開けると、風見雫が居た。



「しっ、白石さんっ!」



 なんか怒っている。



「昨日、お願いしたと思うんですが、」



 ???



「7時20分に一緒に家を出ましょうって。」

「うそ?聞いてない。」

「えっ……?」



 しばらくの沈黙があった後、彼女は急速に顔を赤らめた。



「いっ、言ってなかったです。思い出しました。私あの後、す、すぐに帰りました。ご、ごめんなさい。」

「いっ、いやいや、こちらこそ、風見さん、時間やばいけど遅刻しない?」

「わ、私の学校は8時半までに着けば大丈夫なんです。それより、白石さんこそ時間は大丈夫何ですか?」



 そうだ、やばいのはオレの方だった。だけどオレを30分も待ってくれた子を置いて先に行くのはないだろう。



「いやいや、大丈夫大丈夫。明日からは7時20分だでいいんだよね?」

「な、なんか、ごめんなさい。」



 そうしてオレたちは歩き出した。風見は自転車に乗れないらしく歩きなので、オレも自転車を押して行った。そして今さらになって、だらしのない身だしなみが恥ずかしくなって来た。



「し、白石さん?あ、あの、ね、寝ぐせひどいですよ。」



 案の定、気付かれた。



(明日からは6時台には起きておこう。)



 オレは心の中で誓った。



 かくして、オレは隣の部屋に住む風見雫の男子に慣れる計画を手伝うことになった。




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