カイとミコーヤの神話
学科が始まって、初等科の復習が終わる頃、テーベやニケたちは気が付いた。
地域特別枠のカイは、頭も良かったのだ。
少なくとも、自然科学や算術では、誰もかなわないことが判明した。
テーベたちは、国境地帯には自然科学に通じた学者や算術に長けた商人がいるから、大人用の専門書で勉強したのだろう、と噂しあった。
だが、地域特別枠の学生の例にもれず、『ミコーヤ神国建国記』と『ミコーヤ神話』は読んだことがなかったようだ。担当教官に両書を渡されている姿を見かけたという噂が流れた。
町で育った生徒たちは、それ見たことか、と、嘲笑ったが、それは、ぬか喜びに終わった。
驚いたことに、カイは他の勉強の合間に時間を見つけて、アッという間に両書を読み終えてしまったのだ。
担当教官に両書の感想文を提出する姿を目撃されたのが、入学後、わずか二週間のことだった。
「馬鹿じゃないらしい」
「だけど、生意気よ」
「顔は良いけど、鼻持ちのならない男だ」
学生たちは、囁きあった。
女子の興味深げな視線と男子の胡散臭げな視線の中にあって、カイはあくまでもマイペースだった。
カイが初めてその独特のスタンスを明らかにしたのは、ミコーヤの歴史の時間だった。
オリエンテーリングの自己紹介で、ミコーヤの教義や歴史なんかに付き合う気はないと言ったくせに、とんでもない質問をして、担当教師の度肝を抜いたのだ。
春と夏の境にある雨季のある日のことだった。窓から見える校庭の木々の緑は雨に濡れて鮮やかさを増していた。カイはいつものように、窓の外をぼんやり見ていた。想像の翼――あるいは妄想――で、中央山脈に近い国境地帯を飛んでいたのだろう。
そんなカイをミコーヤ神国建国直後の歴史を語っていた教師が叱責したのだ。
ミコーヤの歴史も知らない男が、国境警備隊の指揮官なんかに任命されない、と。
逆切れしたカイは、教師にミコーヤ神国建国以前のこの地域一帯がどのようなものだったかと質問したのだ。
そもそも、建国直後の歴史を語るなら、建国以前と対比して語られるべきだと言うのが、カイの理屈だった。
そのとおりだった。テーベだけでなく、他の学生たちも思わず納得した。
教師は答えられなかった。
代わりに、「何てことを質問するんだ」と食ってかかった。そして、取り繕うように、『ミコーヤ神話』で足りないようなら考古学の本を読むように、と勧めた。
神官身分の教師は、ミコーヤ神国建国以前のことなんか考えたこともなかったのだ。
教師だけじゃない。テーベたち大きな町で育った者は、ミコーヤ神国建国以前のこの地がどのようなものだったかなんて考えたこともない。
そもそも、この地域は、田園地帯だったのか、それとも荒地だったのか、それすらも分かっていない。
教科書や歴史書は、ミコーヤ神国建国の日から始まっているのだ。それ以前の記述は『ミコーヤ神話』の領域になるが、それは本当に神話そのもの(!)なのだ。
ある日、神が荒野を歩き、山から海に続く土地を寿いだ。そこに人が生まれ、動物が生まれた。それが、国の始まりとなった。人々は神を敬い、神は人を愛した。だが、神に愛された人々の多くはおごり、神を敬わなくなった。怒った神は、大地を水に沈め、神を敬う人々だけを船で救った。神に救われた人々は、新しい土地で、神を讃え国を作った。それがミコーヤ神国になった。
そう始まる『ミコーヤ神話』は、どこからどう見ても神話だ。
テーベたち大きな町に生まれ育った者には、それが常識で、その神話が古代の歴史を暗示しているかどうかなんて考えたこともない。
ミコーヤの学生にとって、教わらないことは存在しないことだ。それほど、記録に残っていることだけが、学んだことだけが、真実なのだ。
ところが、カイは教わっていないことを調べたいと言った。神話が暗示している真実に迫りたいと言った。
例えば、神話はミコーヤ神国の建国にイセールの大神殿が関わったことを暗示しているんじゃないか、と、テーベたちが考えたこともない可能性を示唆した。
『ミコーヤ神国建国記』や『ミコーヤ神話』を幼少期に読了し、両書の記述が真実だと教えこまれたテーベたちの常識ではあり得ないことだった。
神学校では、神の定めた領域をはみ出すことは異端だ。そんな男がどうして神学校へ来たんだろう。
答えは簡単だ。
ミコーヤでは、国境警備隊の指揮官にも神官身分が必要なのだ。
カイは戦いの技と兵法を学ぶために神学校に来た。
だから、神官を目指す他の学生とは価値観が違って当然なのだ。
実際、兵法の授業では水を得た魚だった。兵法書を何冊も読破し予習も完璧で、時には教師さえ論破した。
カイによれば、教師も所詮机上の空論を展開しているだけだと言う。実戦では、もっとたくさんの事情を勘案して戦闘に臨まなければならないと言うのだ。
テーベたちには理解できない男だった。
カイは、テーベたち普通の学生が無条件で善とする事象を詳細に検討し、善悪を自分で判断しようとした。
特に、ミコーヤ教の教義の時間では、異星人だった。
ミコーヤ教の最大の特徴は、他に例のない選民思想と、その裏返しとして生じる神に対する絶対服従だ。
そもそも、ミコーヤ教は、神がミコーヤの民を愛し、救ったことに始まる。それがミコーヤ神話の始まりだ。
神は、自分を敬うミコーヤの人々を愛し、世界の終わりに彼らを救うための手立てを講じた。神の愛によって滅亡を免れたミコーヤの民は、世界が終わった後、新しい大地で再び神を讃えた。
その場所がイセールの大神殿になった。その時からイセールがミコーヤの中心となった。神を讃えるため、イセールの大神殿を模した神殿や社がミコーヤ各地に造られるようになった。
それが、ミコーヤ教の教えなのだ。そして、教えはこう続く。
世界の終わりに、神は、他の民族じゃなく、ミコーヤの人々を選んだ。ミコーヤの民はそれほど神に愛されている。だから、神の愛に応え、全力で神に奉仕しなければならない。神の愛はミコーヤにおける最大の救いだからだ。
カイは、これを否定したのだ。
「そもそも、偏った選民思想は他国との争いの原因となる。ミコーヤの神が、エドバルトやナーニワの神を否定するから、両国が我が国を狙うんだ。
それと、決定的なことがある。
神がミコーヤの民を愛するなら、どうしてエドバルトやナーニワの近くにこの国を造ったんだ?
もし、本当に神が我々を愛するなら、両国から離れたところに国を造ったはずだ。
しかも、見ろ。
エドバルトやナーニワの失政のお陰で、天変地異が続いている。地震はしょっちゅうだし、異常気象も統計的に見て三十年前の倍は増えている。
為政者の悪政が天変地異を引き起こし、異常気象を引き起こすという『ミコーヤ神話』の論によれば、神が我々を愛するなら、両国の影響を受けない平穏な地に国を造るはずだ」
せっかく読んだ『ミコーヤ神話』をそういう屁理屈に利用するって、どうよ。
こいつの頭の中はどうなってるんだ。
一同、唖然として、この異星人を見やった。今にも、神の逆鱗に触れて雷が落ちそうだ。
「そんな罰当たりなこと、言うんじゃない!
例え心で思っていても、口に出して言うべきじゃない。言葉にすると、口から出た言葉に言霊が宿って真実になるって言うじゃないか。
ミコーヤの民は、神に愛されているんだ。黙って信じろ!」
思わず、テーベは叫んでしまった。
居合わせた一同が絶句してテーベを見た。沈着冷静なテーベが授業中に叫ぶなんて信じられなかったのだろう。呆然として、テーベを見ている。
テーベがこんなに激高するのを初めて見たのだ。
一同の視線が、カイの席がある右端から、テーベの席がある左端にワープしたのが分かった。
無駄に目立ってしまったじゃないか。穴があったら入りたい。
テーベは、唇を噛み締めた。
カイとテーベは正反対です。