入学直後
テーベには妄想癖があるようです。
自分だけの世界に浸っていたテーベは、肩をたたかれて我に返った。
今のは、妄想だったのだろうか。白昼夢だったのだろうか。あれが現実ならどんなに良いだろう。
現実のニケは女子たちと談笑していて、目が合うと手を振ってくれただけだ。
これからの四年で何とかあの子を恋人にしたい。
だが、お付きになるためには恋に現を抜かしている暇はない。
相反する命題をどうやって、両立させれば良いのだろう。
そんなことより、肩をたたいたのは誰だろう。
振り返ると、ムーセツのマルコが笑っていた。
「なんだ。君か」
悩んだところで結論が出るわけでもない。今はやるべきことをやるだけだ、と無理やり割り切ることにした。
問題は、一つずつ片付けて行かなければならない。やるべきことをやって、与えられた課題をこなして行けば、自ずと道はお付きへと続いているはずだ。そう信じてやるしかない。
気を取り直したテーベにマルコがムーセツの友人を紹介してくれた。
「テーベ、僕の友達を紹介するよ。タマルとオドイとランドルだ。ムーセツの初等科の仲間だ。
みんな。こっちがイセールのテーベだ。そこら辺の女より綺麗だろ。でも、この見てくれに騙されるんじゃないぞ。すっごく頭が良いんだ。きっと、僕らの学年のトップになるだろう」
「そんなことはないさ。君だっているし、きっと首席を取るのは難しいと思う。そんなことより、イセールの友人を紹介するよ」
お返しに、スーホたちを呼んでマルコたちに紹介した。
ムーセツの連中はイセールの町は初めてのようで、今度、一緒に外出しようとか、そういう話で盛り上がった。
こうやってまめに付き合っていれば、後々、役に立つこともあるはずだ。誰もが、そう計算しているのだ。一種の社交だ。
神学生は、入学式当日から、すでに神官の素養として必要な社交を実践しているのだ。
ふと、気が付いた。
あっちでもこっちでも知った顔、若しくは初めて会った顔が挨拶し合っている中で、少し離れたところで、冷めた様子で周りを観察している学生がいる。
あいつだ。あの新入生代表だ。
テーベより背が高く、しまった身体をしていた。不要な肉をそぎ落としたような体型だ。
異常に目立っているのは、その顔立ちと髪型そして野暮ったい制服の着こなしのせいだ。
切れ長の目にやや大きめな鼻、そして薄い唇。野性的な魅力があり、ミーハーな女子に騒がれそうな顔だ。
だが、眼光が半端じゃない。鋭く斬りつけるような眼差しで、目が合った女子が思わず後ずさりしたほどだ。
癖のある髪はかなり長い。首の後ろで括っているが、とても神学生の髪型とは思えない。
神学生は、普通、テーベのように、項が見える程度で切りそろえるものなのだ。
極めつけは、制服の着こなしだ。
神学生は神官が着る僧服の色違いを着る。神官が白で、神学生は灰色だ。綿でできたゆったりした服で、通常、新入生は、入学前に、その服をどういう風に着たら恰好良く、所作が上品に見えるか、研究するものだ。
だが、こいつはそんなことはしなかったようだ。
同じ制服を着ているとは思えないほど着こなしが野暮ったく、一目で地域特別枠の学生だということが分かった。
テーベとしては恨み骨髄だ。
地域特別枠ってことで苦労すればいい。
そう思う自分が小さく思えて自己嫌悪になった。
グルグルと悩んで、ふと気がついた。
通常の生徒が四苦八苦する勉強に、地域特別枠で入学した生徒が付いて行くのは大変なことだ。だが、地域特別枠の学生が留年したとか、転校したとかいう話は聞かない。
地域特別枠だということで、出身地の期待を一身に背負っているから、必死になって勉強するのだろうか。
それとも、学校当局に配慮されているのだろうか。いや、配慮というより贔屓に近い。
地域特別枠の学生を贔屓したとしても、その学生が中央の執政官になるはずもなく、田舎の執政官として出身地に帰るだけだ。
あり得る話だ。
テーベは、青年らしい正義感から、地域特別枠という不公平な制度を憎み、地域特別枠の学生であるカイを憎んだ。
地域特別枠の学生が楽して(!)入学したせいで、イセールの町の友人は神学校に入りたかったのに、入ることができなかった。彼は、成績こそテーベに劣るが性格の良い生徒だったのに。
噂では、地域特別枠の学生の中には、神学校の入学生なら誰でも読んだことがある『ミコーヤ神国建国記』や『ミコーヤ神話』さえ読んだことがない者もいるという。田舎には図書館もなく、本がないからだ。
テーベには、信じられないことだった。
ミコーヤ教の根幹とも言うべき、『ミコーヤ神国建国記』や『ミコーヤ神話』を読まずして、どうやって勉強すると言うのだろう。
神学校で学ぶミコーヤ教の教義の授業は、両書を読んだことを前提として進められるのに。
もう一度、野暮ったい学生を観察した。
少し遠慮してくれれば可愛げがあるのに、そいつは平然と頭を上げて周りを見渡している。入学式に感激する他の学生を珍しいものでも見るような顔で眺めているのだ。
お前な、お前と違って他の連中は必死に勉強してやっと入学できたんだ。感激して当然なんだ。
そう叫びたい衝動に駆られた。
だが、テーベは大人だった。少なくとも、理不尽なことを真正面から理不尽だと弾劾するほど子供じゃなかった。
だから、その場は無難にスルーした。渾身の力を振り絞って。
入学式の翌日、オリエンテーリングがあって、二十人の学生はそれぞれ自己紹介した。
神学校は全寮制だ。たとえ実家が近くにあっても、集団生活して神に仕えるのだ。そう、神学生は神官見習いとして、これからの四年間、ともに学びともに生活するのだ。
一緒に暮らす以上、人間関係が円滑に回らないととんでもないことになる。というか、欝になって引きこもりや不登校ってことになっても困るし、ましてや、精神を病んだあげく犯罪や自損行為に走るなんてもっての他だ。
二十人の学生は助けあって四年間を乗り越えなければならないのだ。
神学校では、勉強、剣や体術の練習の他、神事や政の手伝い等様々なことをしなければならない。親元を離れ、ホームシックと戦いながら、神に仕え、勉学に励まなければならないのだ。
互いに助け合うためにも、将来のお付きを決める競争に勝つためにも、互いのことを知る必要があった。
自己紹介は、イセールの出身者から始まった。中央神殿のあるイセールの町は、ミコーヤの首都と言って良く、ここの生徒は成績も良いし、物腰も洗練されている。
小さい頃からミコーヤの大神殿で祈りを捧げてきたおかげで、神殿での席の序列や作法にも詳しく、神学校では、他から来た学生を指導することも多い。
成績順でテーベから口を切った。
「僕は、イセールの町出身のテーベだ。
イセールの初等科での成績はトップだった。神学校では、とりわけミコーヤ教の教義を学び、将来、神官になりたいと思っている。
先生から級長に指名されているんだが、他にやりたい人がいないなら、僕がなっても良いだろうか」
テーベが『先生』というのは、神学校で教師として学生を指導する神官のことだ。テーベたちのクラスは、ノアという名の四十代の男性が担任となっていた。
テーベは、ノア先生に級長になるよう指名されたのだが、あくまでも学生の自主性を重んじる神学校では、担任の一存で級長を決めることはできない。それで、この場を利用して、クラスの面々の意向を訊いたのだ。
級長なんか、教師と学生の連絡要員というか雑用係だ。自ら進んでやってやろうという奇特な者もいない。
結局、やってくれ、という気のない声と、どうでも良さ気な拍手があって、テーベの級長就任は承認された。
テーベの次はニケだ。そう、ニケは成績も良い。イセールの初等科では二番だった。
「私は、イセール出身のニケ。テーベと同じく神官になりたくてこの学校に来たの。
同じく神官と言っても、テーベはどっちかと言うと祭事を司る神官を目指しているんでしょうけど、私は執政官になりたいの。ミコーヤの民を神の神託に基いて、正しい道に導く一助となりたいってとこね。
神学校の勉強は大変だって聞いてるわ。でも、勉強に付いて行けないようなら、執政官として人々の先頭に立つことなんてできないでしょ。だから、頑張るつもり。
皆さん、一緒に頑張りましょう」
一同を鼓舞するような微笑みに、居合わせた学生は、男も女も心を一つにした。ニケには、独特のカリスマ性があるのだ。
イセールの次は、ムーセツ、オリワー、マッサと続いた。
ムーセツが四人、オリワーが三人だが、マッサは二人しかいなかった。その代わり、国境地帯のタナアの町から一人来ていて、それが、あの野暮ったく目立つカイだった。
カイは、遠慮会釈のない男で、一同の神経を逆撫でした。
「国境地帯のタナアから来たカイだ。
最近の国境警備隊の弱腰のせいで、国境地帯はエドバルトに好き放題されている。俺は、国境警備隊の指揮官になるためこの学校へ来た。
そもそも、国境警備隊の指揮官になるのに、神学校を出なくちゃならないという制度自体、神官たちの馬鹿げたエリート意識の現れだと思うが、制度の改正は、おいおいやってもらうにしても、敗残兵の蛮行を可及的速やかに止めなければならない。
国境警備隊には、俺の友人たちも志願する予定で、俺は、そいつらとともにミコーヤの平和を守るつもりだ。
そのためにここに来たのであって、重箱の隅を突くような教義の解釈云々するために来たんじゃない。
だから、剣や体術の練習に付き合うのはやぶさかじゃないが、ミコーヤの教義や歴史なんかに付き合う気はない。そっちは、神官希望者諸君にお任せする。
特に、巫女やお付きのご機嫌取りに付き合う気はない。以上」
その高飛車な発言で、居合わせた一同の不興を買ったことは言うまでもない。
もう一人の主人公のカイは、傲岸不遜で生意気な男です。