神学校の入学式
ミコーヤの中心地、イセールの大神殿で神学校の入学式があります。
三年前の春、テーベは憧れの神学校に入学した。
神学校は将来の神官、つまり文官や武官を含むエリートを教育する学校で、ミコーヤ全土から優秀な学生が集まる。
テーベは、ミコーヤの中央神殿のあるイセールの町の初等科を首席で卒業し、当然のように神学校に進んだ。
新入生は男女併せて二十人。男子十五人、女子五人と、圧倒的に男子が多い。半数の十人がイセールの町の出身者で、その他、主だった町から数名ずつ来ていた。
この二十人が、この年のエリートだ。この中から、神官も教師も国防軍の司令官も執政官も出るのだ。
テーベは、幼い頃から神童の誉れ高く、難しい教義も一度教われば理解した。初等科では首席で、国中の秀才が集まる神学校の入学試験でもトップだったはずだ。それほど手応えがあったのだ。
だが、神学校の入学式で、テーベは人生において初めての挫折を味わった。
入学式では、毎年、入学試験で成績トップの学生が新入生を代表して宣誓する。
これは、ミコーヤ神に忠誠を誓う神聖な儀式で、テーベは、当然、自分がそれをするものと信じて疑わなかった。難しい論文試験だったが、完璧に書けた自信があったからだ。
それなのに、新入生代表はテーベではなかった。
カイという名の国境地帯から来た学生だったのだ。
新入生代表としてカイの名前が呼ばれた時、テーベは、一瞬、耳を疑った。
呆然として、頭が真っ白になり、正気に返る前に、田舎じみた学生の宣誓が終わっていた。
あんなヤツに負けたなんて。テーベのプライドはズタズタだった。
カイは、見るからに地域特別枠の学生だったのだ。
地域特別枠というのは、国境地帯や田園地帯の田舎町から特別枠として神学校に入学を許された生徒のことだ。
実際、成績だけで入学生を選ぶと中央神殿のあるイセールやイセールの次に大きいムーセツ、オリワー、マッサの生徒ばかりになって、田舎町の出身者が入学できなくなる。
だが、田舎町の執政官はその町の出身者であることが望ましいことから、数年に一度、地域特別枠として入学を許されるのだ。
カイが新入生代表になったのは、地域特別枠だから配慮したのだろうか。
そう考えるのは、負け惜しみのようで面白くなかった。
今年の新入生代表がテーベじゃなかったということは、厳然たる事実なのだから。
後に、新入生の間で、やっかみ半分の噂が蔓延した。
カイの故郷は田舎だから、初等科の相対評価が大きな町に比べて良かったのだろうというのだ。
神学校の入学試験では、論文試験の他に五年間の初等科の成績が勘案されるからだ。
だが、カイはそんな噂を気にも止めないようだった。
馬鹿の相手をするのは意味がない。馬鹿の相手をすると馬鹿になる。と、うそぶいていたという噂さえある。
噂が真実だとすれば、初等科の成績を加味すれば、テーベはカイに負けたことになる。
噂というのは、面白おかしく尾ひれがつくものだ。
テーベは新入生代表の件は、あくまでも地域特別枠への配慮だと考えることにした。が、これは後の話だ。
テーベにとって屈辱的な入学式が終わると、新入生たちはぞろぞろと大神殿を後にした。
神学校では入学式や卒業式はイセールの大神殿で行われる。新入生は、入学式で神官見習いの身分を付与され、誇りを持って神に仕える自覚を促されるのだ。
いずれ神官になって神に奉仕する。そう約束して、神への忠誠を誓う。だから、一口に入学式と言っても、厳粛な神事だ。
その儀式で新入生を代表して宣誓する栄誉は、見るからに田舎者にかっさらわれたのだ。
テーベは一刻も早く一人になりたかった。一人になって体勢を立て直さなければ、どうかしてしまいそうだった。
入学試験のトップは、僕だった、と叫びたかった。カイの論文の方が優れていたかもしれないという可能性に気付きもしなかった。
一般にイセールの中央神殿と呼ばれている建物群は、神官や信者が集まって神に祈りをささげる大神殿を中心に、広い敷地内にいくつもの建物がゆったりと建てられている。
大神殿の真裏に執政官たちが政務をとる政務庁があり、その左右に国防軍本部(親衛隊本部を含むので、一般に親衛隊詰所と呼ばれている)と社務所と呼ばれる神官の詰所がある。この三つの建物は、政治面、宗教面、そして軍事面でのミコーヤの中枢だ。大神殿から政務庁に向かって右が親衛隊詰所、左が神官詰所で、大神殿から政務庁へ続く道を右に折れると、巫女の居住する小さな建物がある。一般に『離れ』と呼ばれるこの建物は、政務庁にも親衛隊詰所にも近く、巫女の託宣を効率的に伝達できるようになっている。
それらの建物の向こうに大きな池があり、その先に、神官たちの居住する寮と神学生の寮それに親衛隊の寮が三棟並んで建っている。三つの寮の食堂は共通で、どの寮からもアクセス至便な位置にある。神学生の寮の向こうに神学校の校舎とミコーヤの誇る国立図書館があり、親衛隊の寮の向こうに親衛隊員の訓練場がある。
建物と建物の間には広々とした庭が広がり、それぞれの庭には花々が植えられている。庭ごとに種類の違う木が工夫を凝らして植えられていて、緑陰にはベンチが配されている。池から流れ出る川が神学校の校舎の脇を通り、川に沿って桜並木が続いている。
これらの庭は、神官、参拝者、神学生、そして親衛隊員の憩いの場所となっていて、新入生たちは、ミコーヤで最も美しい場所で学び、暮らせる幸運を噛み締めていた。
緊張した儀式も終わって、みなホッとしたのだろう。校庭のあちこちで談笑する姿が見受けられた。
テーベは、式典でのダメージからようやく回復して、辺りを見渡した。
知り合いと話し込んでいる者、初めて会った者に挨拶している者、これからの毎日に思いを馳せて周りの建物なんかを見物している者など様々だ。
テーベは知り合いを探した。
イセールの初等科時代から友人だったスーホや、隣町ムーセツのマルコがいる。ここらは、以前から顔見知りの連中だ。マルコは目が合うと、さり気なく手を振って寄越した。相変わらずの如才のなさだ。
少し離れたところに女子が集まっていた。
女子の集団は、見ていて楽しい。華やかで独特の存在感があるのだ。
五人は会ってすぐ仲良くなったのだろう。コロコロと鈴を振るような笑い声が上がっていた。女子はお付きになれないから、必要以上の競争心も湧かないのだろう。
女子の集団の中にテーベと同じイセール出身のニケもいた。
ニケは美しい。五人の中ではダントツだった。
卵型の小さめな顔に、アーモンド型の目とすっきり通った鼻筋、少し厚めの唇がバランス良く配置されている。体つきはほっそりしているのに、胸はふくよかだ。見てくれだけを言っても、その辺のチャラい女子なんか足下にも寄れない。
しかも、頭が良く弁も立つ。初等科の頃は、彼女に憧れる男子も多かったが、煙たがる男子も同じくらい多かった。
テーベは、誰にも内緒でニケに恋をしていた。
今は、勉強が第一だ。恋に現を抜かしている場合じゃない。だから、こっそり心の中に留める恋だ。
でも、一体いつになったら、恋に現を抜かしても良くなるのだろう。
いや、考えるな。今はそんなことは考える時期じゃない。とりあえず、今は。そう、今は(!)ダメなのだ。
そのうち、チャンスが訪れるはずだ。そう、テーベとニケの運命の糸は結ばれている、はず(!)なのだ。そうあって欲しい。いや、そうあるべきだ。
考えてもみろ。ニケほど美しくて賢い女に釣り合う男は僕以外いるはずがないじゃないか。
彼女だって馬鹿と付き合う気はないだろうし、男の方も自分より賢い女と付き合うのは気詰まりなはずだ。
テーベは内心の焦りを隠し、友人としてニケと付き合った。初等科のグループ活動で行動を共にするときも、他の男子が必死にニケの機嫌をとるのを冷静に観察していた。
見え透いた手を使うんじゃない。そう叫びたいのを必死でこらえて。
ニケは、そんなテーベの大人じみた冷静さを好ましく思っていたようだ。他の男子より、テーベのことを評価してくれた。
神学校でニケと一緒に学べるのは、ラッキーだった。勉強は大変だが、大変なだけあって、同じ苦労をしている親近感で一気に接近することができる。いわゆるつり橋効果だ。
テーベが、イセールの町の初等科でそうだったのと同じように、神学校で首席になれば、ニケは一目置いてくれるはずだ。
ふと、ニケと目が合った。
彼女はテーベを見ると、心配そうに駆け寄って来た。
「テーベ。私、てっきり、宣誓するのは、あなただと思っていたわ。残念だったわね。
それにしても、あんな、ダサい田舎の子だなんて。神学校の校長は何を考えているのかしら。
学力から言っても、容姿から言っても、私たちの学年では、あなたが最高なのに。
気にしなくて良いわ。授業が始まれば、みんな、あなたの凄さが分かるでしょうし。あなた、初等科でも凄かったんだから」
そうだ。彼女なら、そう言ってくれる、と思ってた。
急がなくても良いんだ。在学中に恋に発展しなくても、お付きになれば、評価してくれるはずだ。
「やっぱり、あなたがお付きになったのね。きっと、あなたに決まるだろうって、思ってたわ。お付きって、兵役より大変だって話だけど、体に気を付けて頑張ってね」って。
もしかすると、お付きの仕事に精を出す僕を素敵だと思ってくれるかもしれない。
「お付きの仕事に一生懸命なテーベって、素敵。あなたに恋をしそうだわ」
テーベの思いは複雑です。
地名について追記(2018.4.26)
イセール→(伊勢です)、大きな神社がある宗教の中心地って感じです。
中核都市については、ムーセツ→(陸奥から。セが邪魔ですが、ゴロの関係で諦めました)、オリワー(尾張から)、マッサ(薩摩から)いただきました。まあ、強引に付けたわけですよ。汗。