第3章 「Prince」
「姫弥…ですか」
早乙怜悧の正面に立つ女・郡が口にしたその名に、怜悧は顔をしかめた。
「まあ怜悧は知らなくても無理がないだろうが、その手ではかなりの名手だ。そうだな…お嬢様がお気に召すくらいには」
「命思さまが?」
杜若命思。名家・杜若家の令嬢であり、怜悧や郡と同じく能力者である少女だ。しかし未だ未熟な上に戦闘スキルは皆無といって良いほどなく、誰かが護らないといけない程に子供ではある。
そんな彼女が憧れているものが、百鬼夜行と呼ばれるものだ。
百鬼夜行とは言葉古来の意味として妖怪のパレードのような意味合いではあるが、能力者の内々では、人間たちの願いを叶えて回る行為を指す。つまりは善意の塊だ。
彼女はそれに対して異常なまでの尊敬の念やら憧れを抱いている、俗に言う夢見る少女なのであった。
「最近、屋敷に妙な視線を感じることが多くてな。少し調べてみたら、昔私の宿敵であった…姫弥と珱花の情報と合致したんだよ。彼らの専門としては、主に百鬼夜行関連であったと記憶している。お嬢様が狙いかもしれないだろう」
「それはあり得ます。…近頃の命思さまは、外から入ってくる百鬼夜行のデータを、心待ちにされていらっしゃるご様子ですし…」
語尾が弱々しくなってゆくのも無理はないと思った。怜悧は友人であり同僚である神楽とともに、今に至るまで何度も百鬼夜行から遠ざかるように仕向けてきた。少し命思には悪いが、それほどに百鬼夜行が危険なものであるからだ。けれど彼女には何ひとつ効いていないのが、現在の状況として確かに存在する。最近ではもう傍観するしかなくなっているのも事実だった。そこを突かれると正直耳が痛いし、胸にどこか空虚感も芽生えてくる。命思を思うがゆえ、そのために強く言えないのは弱さでもある。と自覚はしていようとも。
そしてこんな状況下における今、百鬼夜行のスペシャリストたる2人が現れたなら、彼女は簡単に心を許し、それどころか、百鬼夜行を成してしまうかもしれない。そうなってしまわないように存在するSSであるというのに。
「つまりはだ、彼女を1人にする環境は無くさねばならないんだよ」
「プライバシー…は、この際優先すべき事項ではないようですね」
☆
「珱花、紅茶持ってきて」
「はーい」
ただっ広い洋館の一室。天井に掛かる、ダイヤのあしらわれたシャンデリア。真ん中にどすんと置かれた大理石のテーブルと、なにかフカフカな素材の使われたソファー。そこに腰かける少年は、顔立ちこそ幼いものの、纏う雰囲気にはどこか凛々しさがある。
「温かいうちに飲んで~」
そう言って大理石のテーブルに紅茶を置いた青年は、少年より若干歳上のようだった。何十歳と違うわけでは無さそうだが、こちらは大人っぽい顔つきをしているし、どことなく秀才のような雰囲気もする。だが言動は実にふざけた口調と言葉遣いをしているよう。それに言い咎める少年でもないらしい。
「元気かなあ、命思」
ぽろりと出たその言葉に、姫弥が即座に反応する。
「珱花、お前、郡じゃなかったのか?」
「もう~姫はっ。オレの推しメンはウィザードだけど、姫が異常なほど命思を推すじゃない?オレ妬けてきちゃうよ。ほーんと…」
今まで笑いながら細めていた目が一瞬、カッと開かれる。
「死ねばいいのにね」
☆
ひんやりとした床を裸足で歩く。
最初のころは冷たいなと感じていたが、今はもう何も思わない。ただ歩き続ければ何か光が見える。迷信じみた子供の思案だった。浅はかだ。今はそう思う。
時々水の滴る音が聴こえてきて、影響してか寒いように感じてくる。生憎上着も持っていないし、何よりこのまま止まったら凍死しそうだ。そこまで寒くないけど、止まったら動けないような予感がするから。
「…」
光は見えて来なかった。何kmほど歩いてきたんだろう。
無心で歩いていて記憶も何も有ったものじゃなく、こうなれば距離を語っているものは足の裏の凍傷ぐらいなものだろうか。そこすら曖昧と言うか、最早痛みがない。死んだように感覚がない。
「…」
ふと、頭上に星が見えたことに気が付き、足を止めて上を見た。今まで幾度となく見つめてきた洞窟の天井に少しだけ穴が開いていて、隙間から星が少し、見えている。
今まで僕は、何で生きてきたのだろう。
施設ではちゃんと食事も取ったし睡眠もじゅうぶんに取れていたけれど、ただひとつ、何という間でもなく、充実していなかった。能力のせいで虐めや差別を受けてきたことは愚か、ナイフで刺されて「手が滑った」なんて言い訳で軽く流されたことだってざらにあった。その言い訳というのは実に都合のいいもので、僕にだけ有効なのだ。
そんな場所を抜けるために、僕は必死で洞窟を歩いて出てきた。
この先何百年と続く人生の中を、こんな惰性に満ちた人間共に囲まれて生きるのはごめんだ。そう、言い聞かせて。
星空という小説があった。
夜になると空満天に広がって輝く星。そこに願い事をすると、女神様が叶えてくれる。彼女は本当に心からの言葉を、願ったその人に授けてくれる。
願い事をしてみようかと思った。
「…自由で、強くなりたい」
誰にも縛られない状態で、好きに生きていたい。強くなりたい。
今だって身体だけは無駄にしぶとくて、前述のナイフで刺されても10分もすれば傷が塞がっていた。これはきっと先天的な"能力"なんだ。その昔いた母親も確かそんな能力だった。
女々しいの。
与えられた傷は治せるのに、与えることは叶わない。およそ戦闘には不向きの人間ということなんだろう。人間ではないけれど。
女神様だなんて馬鹿馬鹿しい話、信じる日が来ると思わなかった。
女神様だなんて馬鹿馬鹿しい物、ほんとうに来ると思わなかった。
「…『生きろ』」
突然目の前に現れた"女神様"はそう言った。
「それは僕に授けてくれる言葉か」
「まあな。こじらせやがって、マセガキが」
吐き捨てるように罵詈雑言を並べる女神様。こんな怠惰の塊みたいなのが女神様か。自分と変わらないじゃないか。
「願われたらそうする他に無い。…お前は、能力者のようだしな」
役に立たない能力なんてゴミだ。そう言おうとして口をつぐむ。
女神様が、何かを言おうとしていたから。
「私と来るか」
まるで天使のようで、暖かくて…冷たかった。
…
きっと強くなれるぞ。
その言葉を信じてひたすら魔術を勉強した思春期。もしかしたら、あのとき僕は彼女に好意を抱いていたのかも知れないなと、今になって思い返す。
さて、いざこれだけの力を得て変わったかと言われれば、まあ何も変わっていないのかも知れない。けれどそれに至る行程では何かを得た。そして手放した。
願い事をすると、女神様は願った者に言葉を授ける。
しかし願い事を叶えてくれるのは女神様でなく、同胞である能力者そのものだった、ということが分かった。では何故僕の願い事を叶えてくれなかったか、はこの際どうでもいい。交わりを断ったから。それだけの事だ。
手先となる青年も手に入れた。戦闘力こそ僕に劣るが、頭がよくバランスのいい戦闘タイプ。正直、彼の存在は大きかった。そして。
年端もいかない少女に出会った。可愛らしい女の子だった。
別に好きになったとかそういうのでなく、ただ本当に可愛い、純粋無垢な少女だった、というだけで…幸せで、自由だったと思う。
叶えてもらったんじゃないそれは、僕にとって今までの——死んだような生きざまの——数百年の命のなかで、この先も一番大切なものになるはずの、願い事。
☆
「もう行くの?」
後ろでコートを羽織ろうとする姫弥に声を掛けると、ああ、と無機質な声が返ってきた。なにか考え事をしていたんだろう、全くといっていいほど減っていない紅茶をシンクに流し、珱花も青いコートを羽織った。
「行こうか」
辛い過去を持った状態で出会ったのはもう100年くらい前の話じゃないだろうか。懐かしいなとしみじみ語れるような話ではないので1人物思いに耽る。
いつか話せるようにと、静かに願いながら。
fin.
こんにちは、お読みいただいてありがとうございます!
今回も短編みたいな感じのお話になってしまいましたね、、もうちょっと長くしてもよかったんですが、あまりやり過ぎると後々大変と思ったので。
今書き上げたこの時点での状況としまして、目眩と頭痛が凄いです(笑)
風邪を引きまして少し前まで熱があったものですが、今はなくて。この目眩と頭痛は一体どうして起こっているんでしょうね?(笑)
というわけで(どういうわけで?)、次回もせっせと書き進めていきますので、ぜひよろしくお願いします…!!
↓お礼関係になります↓
キャラデザのもけおたん、お手伝い頂いた架子ちゃん、milkたん。頑張って急かしてくれる葉月さん。
そして今読んで下さっているあなたに!!
ありがとうございました。
碧梨まひる。
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はい、前回に引き続き無断であとがき書いてます。葉月です。
前回まで原稿は写真で送ってくれてたのですが、今回はテキストでした。
漢字の読み方分からない、っていうだけで、「ここなんて文字ですか~?」なんて聞いたからですかね…
次回からは写真で大丈夫です。じゃないと僕、仕事ないです(笑)
先日、"碧梨まひる"でググってみたら、Pixivとかアメブロとかいろいろなアカウント見つかりました。知らなかったです。
あと、この小説をブックマークしてる方のユーザーページも引っかかって、ありがたく思いました(本人じゃないのに)。
先生はお風邪を召されたみたいですが、皆さんもお気をつけ下さい。僕は毎日R-1飲んでます!
言っちゃっていいのか分からないですけど、新シリーズの企画が進行中です!僕もまだ詳しいことは分からないのですが、すごく楽しみです。近日公開!(多分)
これからも、「あばんちゅーる!!」応援よろしくお願いします!
葉月翼