表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/4

4.山背

なかなかに世にも人をも恨むまじ

        時にあはぬを身の科にして


                  ──今川氏真

 妓楼の一室で、ひとりの女が化粧をしている。

 名を、山背といった。

 彼女は器に合わせて形を変える、水のような女だった。

 貧しい家に生まれ売られるまでも、色町の禿(かむろ)として育つ間も、太夫として名を上げてからも。

 周囲の期待に添ってあり方を変え、その都度で生き方を変えてきた。

 

 誰もが望む場所で、望むように生きられるではない。

 その事を彼女はよく知っている。

 妥協と言うならそれまで、大人と呼ぶならそれまで。

 だがそれは弱い者が逞しく身を守る知恵であるのだと、山背はそう考えている。

 そんな山背であればこそ、先日の客は強く記憶に残った。



 大きな男だった。予想に違わず、剣術使いであるのだと語った。

 そして不思議な男だった。

 値の張る女とはいえ、小藩の色町である。太夫の格も(たか)が知れるし、洒落た遊び人などいもしない。客の殆どは女を売り物買い物と見做して床急(とこいそ)ぎをする。

 だが彼は違った。

 山背と酒を()み交わしつつ訥々(とつとつ)と、己の半生を語っていった。

 酔漢の自分語りなど、平素ならば聞き流して然るべきものである。だが彼の真摯さに釣り込まれ、いつしか付き合いではなく耳を傾けていた。

 己の技量を誇り、同時に縋り、支えとするような彼の在り方を、鉄のようだと山背は思った。

 決して曲がらず、曲がれず、ごつごつと他所に角を打ち当てずにはおれない、金物めいた生き様。それは不器用で、いつまでも大人になりきれぬ子供に似ていた。

 風が吹けば流され形を変える雲のように生きてきた自分とは、まさしく対極であろう。


 結局話が現在に追いつく前に、男は酔い潰れた。ごろりと転げたかと見るや、忽ちに(いびき)をかいて正体を失ってしまった。

 客の粗相であるとして、山背は席を立ってもよかった。

 だがこの男がなんとなく愛らしく思われて、ただ寄り添って眠った。



 山背に身請け話が舞い込んできたのは、それから数日しての事だ。

 馴染みならば少なからぬ彼女であるが、話を持ち込んできたのは常連客の誰でもなかった。堀田某なる、藩のお偉方(えらがた)である。

 加えて口上までもが奇妙だった。


「別段(めかけ)として引き取るではない。国元に帰りたければ帰れ。七坂で商売がしたければ居着け。いずれにしろそれまでの面倒は見る」


 借金の肩代わりをして暮らしを立てさせて、そこから先は知らぬというのだ。

 破格と言えば破格の扱いではあるが、どうにも得体が知れない。問い(ただ)すと、亡友に託されたのだという答えだった。自らにもしもがあればという書状が、金子(きんす)と共に届けられたものであるらしい。

 友の名は明かしてもらえなかったが、どうしてかあの客の顔が浮かんだ。

 どうやら、忘れられぬ顔になりそうだった。


 ──でも。


 と、ため息めいて山背は思う。

 ここを出て、自分は何ができるだろうか。色町の中しか知らぬ己が、外で生きる事ができるのだろうか。

 これまでのように周囲に添えば、案外と上手くやれるのかもしれない。

 しかし今更生き方を変えるには、もうここの水に馴染みすぎてしまった嫌いがある。

 

 ──この話、受けるべきか。受けざるべきか。


 案じながら紅を差す女を、真昼の月が、ただ物憂く見下ろしている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ