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2.鎌風

 翌日、嘉門の姿は色町を出て城下にあった。

 安い昼酒を舐めながら、近頃の噂を集めていたのである。

 彼の予想の通り、堀田春元の名は挙がらなかった。

 (まつりごと)壟断(ろうだん)どころか、どのような人物かすらもまるで知れない。

 民衆の目は日々の暮らしばかりに向き、雲の上の天気など気にもしていないのだ。この暗殺を如何にも大事、秘事の(たぐい)めかしていた老爺を思い出し、嘉門は口の端で笑う。

 結局春元について聞き及べたのは、数年前の武勇伝ばかりだった。

 商家に立て篭った兇賊数名に対し正面から乗り込み、ただひとりで全員を討ち果たしてのけたのだそうである。身分のある侍の目覚しい働きは、未だに巷で語られているという話だった。

 無論そこに詳細な太刀筋の(でん)などはなく、嘉門としてはただ堀田春元侮り難しの念を強めただけに終わった。


 さして勇んだでもないが、敵情視察はすっかりの空振りである。

 このまま戻るも業腹(ごうはら)であったから、嘉門は足はふらりと城へ向かった。

 真逆本人に面談できると思ったではない。ただ気持ちの上の手土産として、敵の在り処を眺めに行った。それだけの事である。しかし、これが僥倖(ぎょうこう)だった。


「これは堀田様。お役目ご苦労様です」


 通りすがり、番士のそのような声がした。

 はっと見やったそこに、一人の侍がいた。

 名までを聞いたわけでも、確かめたでもない。だが見た瞬間、それが堀田春元であると確信ができた。

 背丈は中肉中背。さほど大きくはない。だが遠目にも、その五体が鍛え抜かれた代物であると知れた。足運びひとつからも相当の技量が窺える。供回りの一人とて連れぬのは、己の腕前への自負であろうか。

 (いわお)のような顔は眼光鋭く、周囲を払うその威を見ればまさしく一流の使い手だった。


 同時にもうひとつ、稲妻のように悟れた。


 ──あれは、俺と同種同類の仁だ。


 即ち、遅れてきた男である。

 色里の素浪人風情と、藩政の一角に座す気鋭。両者の有り様だけを見比べれば、隔たりは天と地ほどにもある。もし「我と彼は同一である」などと(うそぶ)けば、世人は声を上げて笑い嘲る事だろう。

 だが違う。

 あれは鏡写しである。角を()められ歪められた、もう一人の嘉門であるのだ。

 如何に巧妙に本性を隠し、文治の世に席を得ようとも誤魔化せはしない。ぴたりと端正に装った(かみしも)からほんのわずかに漏れ出す反骨を、同族の鼻は嗅ぎつけている。

 あの男の中にも、それ(・・)を認められる事でしか満足し得ぬものがあるのだ。

 揺るぎない風情に構えた胸の奥には、どうにもならぬ憤懣(ふんまん)が嵐の海めいて轟いているに違いなかった。


 思わず、強く拳を握っていた。嘉門の中にも辻風が起こり、唸りを上げたかのようだった。

 (たか)ぶりを察したように、ついと春元がこちらを見た。

 ひと刹那だけ、視線が濃密に絡み合う。

 だがすぐさまにそれを切り、誰何(すいか)を受けるその前に、嘉門は素早く(きびす)を返した。



 *



 嘉門はかつて、相州のとある道場に剣を学んだ。

 恵まれた体躯と生来の才があり、それはめきめきと伸びた。切紙(きりがみ)を許される頃には、立ち会えば師範代のうちの(たれ)よりも強いほどであった。

 だが、嘉門の心に無常の風が吹き出したのもこの頃からである。

 強くなってどうするのか。ただ強くなる事にどういう意味があるのか。

 わからなくなり、わからぬままに荒れた。

 そうして嘉門の恐れ知らずが、引いては彼の剣が完成する。

 体を翻し身を躱し、切っ先で引っ掻くにする竹刀芸を嘲笑うように、臍が触れそうな程に踏み込んで、打つ。それだけの剣であるが、門人にこれを破れる者はなかった。

 失うものなど何一つないと観じるからこそ可能な剣であり、結局として目録より先に進めなかったのは、そうした彼の技が道場の流儀より外れたものであったからに他ならない。


 腫れ物めいて扱われていた嘉門は、ある日道場の軒先で歯を弄っていた。

 述べた通り、嘉門のやり口は守りを顧みぬ死兵の攻めである。当然に稽古の最中(さなか)の打撲は多く、今、指でつついている奥歯も、横っ面にいいのを頂戴して以降ぐらつき始めたものだった。

 ぐらつきは日を追って程度を増してきており、面倒になった嘉門は、とうとうその歯を我が手で引き抜いた。己の体に弱い箇所は要らぬと思った。これもまた、胸の裡の強風が為さしめた業である。

 それを、見咎められた。

 よりにもよって師ににである。


「自らを(たっと)ばぬ者に教える剣はない」


 日頃から文武の両道を説く師は綺麗事めかして告げ、その場で破門状を(したた)めた。

 嘉門は黙ってそれを受けて下がり、後になって驚いた。

 書には破門の事のみならず、今宵道場に忍んで来るようにとも記されていたからである。

 (いぶか)しみながらも嘉門が訪うと、夜に包まれたそこに、真剣を帯びた師が待っていた。


「実のところ、わしにはお前の存念がわからなくはない。よって、ひとつだけくれてやれるものがある」

 

 そうして伝授されたのが、鎌風の秘剣だった。相州に伝わる、三位一体の(あやかし)にちなんだ剣名である。

 要諦(ようてい)は騙し、殺し、許しの三太刀だと師は説いた。

 崩しの太刀により気を奪い、殺しの太刀により(たい)を破る。()くして握った生殺与奪を許しにより取り計らう。この三太刀目こそが肝要であり、これを鍛錬すれば死中求活の剣に通ずると話は続いたが、嘉門は聞き流した。

 八相より降り落とす袈裟懸けを、(おの)が両肘を臍に引き付けるようにして我から外し、すかさず体当たるような突きに転じる騙しと殺し。この二太刀(ふたたち)のみで世は賄えると観じたからである。



 これを機に嘉門は国を出、諸国を流浪し始めた。

 口は、剣腕を売って糊した。当然ながら、嘉門の刀は人の血を覚えた。

 一人目には躊躇があった。二人目には懊悩(おうのう)があった。だが、三人から後は同じだった。


 生死の境において、鎌風は薄氷の剣である。

 特に、一太刀目が(あや)うい。

 自ら晒すとはいえ隙は隙に相違なく、もし己の攻め手が読まれれば、それは自らを死に追いやるばかりの小細工に堕す。

 だが鎌風を使うまでの仕掛けが苛烈であればあるほど、相対する者の意識は防ぎへと向く。実力伯仲の剣士ほど、()じぬ嘉門の剣に()されて受けに回り、そこから面白いように騙され、殺された。

 命を惜しむ者ほど、それが故に命を落とす。

 幾度とない矛盾めく体験を経て、鎌風は名を同じくする異質の剣に成り果てた。 

 そのようにして練り上げた鎌風の太刀を、嘉門はいたく気に入っている。これは爪牙とした。己が在った、生きたという証を時代に刻み込む為の(すべ)である。

 これを以て斬れぬ者なしとも信じていた。



 よってその夜、嘉門は老爺に(だく)を告げた。

 元より頷くより他にない話であるが、加えてあれを斬るならば己以外になかろうと思い定めたのだ。

 嘉門の返答を、老人は相好を崩して喜んで見せた。

 全額を前金で頂戴したいという無茶な言いにも渋らず応じ、「いずれ堀田めの隙をお伝えします」と言い置いて去った。向こうにしてみればこの程度は端金(はしたがね)に過ぎず、野良犬が餌に飛びついたとでも思ったのであろう。 

 大枚(たいまい)を得た嘉門はしばし思案顔でいたが、やがてひとつ頷くと筆を取った。

 知らぬ顔で通そうとした忘八を締め上げて、既にいくらかの裏を聞き出してもある。

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