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 カチャリーン。


 中に入って、澤田君があたしをここに連れて来た訳が、判ったような気がする。


 左側にカウンター、右側には四人掛けのテーブルが五つ、静かで落ち着いてて、それでいて会話の邪魔にならない程度の優しい音楽が流れてる。これって、デートや待ち合せには最高の喫茶店だと思う。


 これが良晴とだったら……。


 澤田君、どうやらあたしとはデート気分のつもりじゃないみたい。だって澤田君、カウンターに着くんだもん。デートだったら、普通はテーブルに座るものね。それに澤田君、あたしが振られたなんて、知らない筈だし……。


 あたし、澤田君の横に座る。こうして二人っきりで会うなんて、初めてだね。いつも、必ず他に誰か居たものね。マキや河島かわしま君、それに良晴……。


「やあ、いらっしゃい。今日はデートかい。澤田君が彼女を連れて来てくれるなんて、嬉しいねぇ」


 マスターさんはそう言って、冬だと言うのに氷の入ったコップをあたし達の前に置いた。


 あたし、澤田君の恋人じゃないの。そりゃあ、あたし、澤田君のこと好きよ。でも、愛してるって言うんじゃないの。凄っく、とっても親しいお友達なだけ……。


「違いますよ。彼女は、僕の高校の時の同級生なんですよ。すぐそこで、バッタリ逢ってね。で、お茶でも飲もうってことになった訳」


「なんだ、そうなのかぁ。私はまた、てっきり澤田君の恋人かと思ったんだけど、そうかぁ、残念だなぁ」


「残念でした。カップルに来て欲しかったら、店の名前を変えるんですね」


 なんなの、この会話。あたしには、全く判らない。カップルに来て欲しかったらって、こんなに雰囲気のいいお店なのに、カップルが来ないって言うの? それに、お店の名前を変えなさいって、このお店、そんなに変な名前なの?


「で、広瀬君は、決った?」


「え?」


 決ったって、何が決ったの? 考え事してたから、何も聞いてなかった。


「まあ、ここには碌なメニューはないけど、まさか水だけって訳にもいかないだろ?」


「おいおい、澤田君。そりゃ、ちと言い過ぎだぞ」


「でも、本当のことだろ」


「あのなぁ。……よし、じゃあ、うちの特製ブレンドコーヒーを奢ってあげよう」


「あ、広瀬君。それはやめた方がいい。それは……」


「ストップ。じゃ何かい、澤田君が奢ってあげるとでも言うのかい?」


「いや、そういう意味じゃなくて」


「ほーう。お嬢さん、澤田君が奢ってくれるそうだから、なんでも言ってください。どんな物でもご注文、承りますから」


 くすっ。澤田君もマスターさんも、ホントにいい人ね。


「それじゃあ、特製ブレンドコーヒーを頂こうかしら」


 ふふ、『頂こうかしら』だなんて、ちょっと気取りすぎたかな。でも、こうでもしないと澤田君って、勘が鋭いから……。


「ふーう……」


 え?


 マスターさんがコーヒーを淹れるためにあたし達から離れると、澤田君、軽く小さな溜息をついた。どう言うこと? あたし、何か悪いこと言った?


 澤田君が止めたのに、あたしがブレンドコーヒーを注文したのが気に触ったの? でも、そんなことで気を悪くするような澤田君じゃないし、判んない。今のあたしには、筋道の通った考えなんて出来ない。もう頭ん中、ごちゃごちゃよ。


「広瀬君。この店の名前について、何か気付かなかった?」


 澤田君、そんなあたしを知ってか知らずか、変なこと聞いてきた。


 やっぱりこのお店の名前、そんなに変なのかしら。


 あたし、反射的に入口の方を見たけど、当然そこにはお店の名前が飾ってある訳でもなく、仕方なしに澤田君の方に振り返った。


「入口なんか見なくたって、ここにあるよ」


 そう言って、澤田君はあたしの前にメニューを置いた。


 これ、さっきあたしがボンヤリ見てたやつ。一番上に、確かにお店の名前が書いてある。


紫雨花あじさい


 別に、これと言って変な名前じゃないと思うんだけど。それに『あじさい』なんて名前、何処にでもあるし……。


「うーん、判んない」


 ホントに判らない。別に変なとこ、何処にもないんだもの。


「そうかなぁ。君なら、すぐに判ると思ったんだけど」


 そんなこと言われたって、判んないものは判んないわよ。


「それじゃあ、この店の名前、なんて読める?」


「あじさい、でしょ?」


 いくら落ち込んでたって、このくらいちゃんと読めるわよ。第一、漢字で『紫雨花』って書いてある上に、ふり仮名が振ってあるんだもん。小学生にだって読めるわよ。


「ふふーん。はずれ。それ、『あじさい』とは読めないんだよ。ま、ふり仮名が振ってあるからそう読んじゃうけど、当用漢字には、そんな風に書く『あじさい』はないんだよ」


「えっ、でも……」


 だって、『あじさい』でしょう。紫の雨の花。いいはず……。そっかぁ。


 あたし、やっと判った。『紫雨花』。これ、漢字が間違ってる。『あじさい』って、紫の陽の花って書くのよ。でも、なんでこんな簡単なことに気付かなかったんだろう。


「判ったかい」


 あたし、コクリと頷く。


「ま、広瀬君が気付かなかったのも、無理ないんだけどね。この店に来る九割以上の客は、気付かないんだから。そもそもマスターですら、一ヶ月以上も気付かなかったって言うんだからな」


「おいおい。もう、その辺にしといてくれよ」


 マスターさんは、澤田君の言葉を遮るように、あたし達の前にコーヒーを置いた。


「なんでぇ、いいじゃないかぁ。マスターは感性が豊かだって、誉めてるんだから」


「おいおい澤田君。いつから漢字を知らないって言うのが、誉め言葉になったんだい」


「うん。今日から」


 あは。澤田君とマスターさん、まるで掛け合い漫才。


「それじゃ、邪魔しちゃ悪いからな」


 マスターさん、ニコニコしながらカウンターの奥へ行った。なんだか、マスターさんに親しみ覚えちゃう。


「マスター、凄く機嫌がいいだろう」


 マスターさんが、カウンターの奥に座ってる女の子と話し始めると、澤田君はポツリと言った。


 そうなのかしら。何かマスターさんって、いつも機嫌がよさそうに見えるんだけど……。でも、あたしはとりあえず、『ええ』って答える。


「それって、みんな広瀬君のおかげなんだよ」


 え? あたし、何かマスターさんの喜ぶようこと、したっけ?


「なんで……、あたしのおかげなの」


「さっきの話に戻るけど、この店の名前、以前は平仮名で『あじさい』って書いてたらしいんだ。で、マスターが何を思ったのか、名前を漢字にしようと思って、看板屋に頼んだ訳。だけど何をトチ狂ったか、『陽』と『雨』を間違えて注文したらしいんだな。ま、無理ないんだけどね。あじさいと言ったら、太陽よりも、むしろ雨の方が似合ってるからな。あじさい、雨、カタツムリ。これって、小さい頃からのイメージで、パターンになってるだろ」


 うん、確かにそう。あたしのあじさいのイメージも、雨が降る中、鮮やかな紫色の花を咲かせてて、その緑の葉の上にはカタツムリが居るの。


「でね。この字面のせいかイメージのせいか、看板を替えた途端に、フリーのお客の大半が失恋した人になっちゃった訳」


 うっそぉ。


 あたし、思わず店内を見回す。で、納得してしまった。お客さんはあたしを含めて、えっと、七人。一番手前のテーブルに座ってる男の人二人に、テーブルをひとつ挟んで男の人が一人、更にテーブルをひとつ挟んで女の人が一人、そしてカウンターの一番奥で、マスターさんと話をしてる女の人、最初の二人以外、静か。と言うか暗い。マスターさんと話をしてる女の子なんか、涙ぐんでる。もしかして、マスターさんが泣かしたの? ううん、違う。あんな人のいいマスターさんが、女の子を泣かせるようなこと、する訳ない。じゃあ、その逆? マスターさんが、女の子を慰めてるの?


「で、広瀬君がフリーの客として来た訳だけど、そうじゃないだろ」


 あたし、限りなく罪悪感に駆られる。


 マスターさん、ごめんなさい。マスターさんの期待、裏切っちゃって。あたし、ホントは失恋して来たばかりなの。

 良晴に『さよなら』って言われてから、まだ半日も経ってない。ううん、もしかしたら一時間も経ってないかもしれない。なのに今のあたし、澤田君と一緒にコーヒーなんか飲んでる。あたしって、嫌な娘。

 でも、良晴もいけないのよ。そりゃ、以前から確かにアメリカに行けるかもしれないって言ってたわよ。でもそれって、可能性があるって話で、確定の話じゃなかった筈よ。それを今日になって、いきなり明日アメリカに発つだなんて、あまりにも突然過ぎるわよ。それにたった一言、『さよなら』って言うだけで、素っ気ないわよ。もっと他にも言い方があると思う。例えば、……例えばそう、『待っててくれ』って、『帰って来るまで、待っててくれ』って、なんで言ってくれなかったのよ。そうしたらあたし、いつまでも待っててあげるのに……。


 あたし、そんなことを思いながらも、なんとなく最近のことを澤田君に話してた。


 大学のこと、アルバイトのこと、この間和美に付き合って見たサザンのコンサートのこと、最近読んだ小説のこと、今住んでるアパートのこと、車の免許を取ろうと思ってること。今のあたしにとってはどうでもいいことを、あたしは澤田君に話してた。

 そして澤田君は、ただあたしの話に相槌を打つだけで、あたしの話を黙って聞いてくれていた。


「さてと。身体、温ったまった?」


 澤田君、煙草をくゆらしながら聞いた。


「え、ええ」


 どれくらいの時間、あたしは話してたんだろう。いつの間にか、お客はあたしと澤田君だけになってた。そして、あたしの話が途切れたところで、澤田君は伝票を取ると立ち上がった。


「それじゃ、遅くなるとマズイだろ。家まで送るよ。マスター……」


 澤田君、カウンターの方に視線を向けると、マスターさんに目で何か合図を送った。


「それじゃ、出ようか」


 澤田君、立ち上がってあたしを促すと、喫茶店を出た。


 なんなの、あたしの意志を全く無視して、どういうつもりよ。

 あたし、そう思いながら澤田君の背中を睨みつけてやったの。そしたら澤田君、いきなり振り向いて、


「いい顔してる。いつもの広瀬君に、戻ったようだね」


 そう言うと澤田君、前を向いて車の方へ歩いて行った。


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