第六話 買い物
冷蔵庫の中身が寂しい。
「んー、外出るかー」
吾郎の呟きに精霊少女が反応した。
「お買い物?」
「ん、あぁ」
「じゃあ私も行く!」
「というかお前はどうあってもついてくるだろうが」
本来ならば契約者との距離に制約などはない筈、であるらしい。
希莉曰く、未だ契約してから日が浅いため、もっと世界に馴染まなければ、精霊単体で世界に存在を確立させることが難しい、ということだ。
吾郎にはいまいちよくわからなかったが、とりあえず希莉が自分から離れられない、ということだけは把握している。
家を出て二人並んで商店街の方まで歩いて行く。
その道中でもやはり賑やかな精霊少女は吾郎に話しかけてきた。
「何を買いに行くの? くるま?」
「んなもんが学生に買えるかっ! そろそろ冷蔵庫の中身が寂しくなってきたからな。ちょっと多めに買い出しに行く」
ただでさえ郷田家の食いぶちが一人増えたのだ。
今までと同じ見積もりでは危険である。
「にししっ」
歯を光らせて少女は笑った。
「? なんでそんな嬉しそうな顔してるんだ?」
どういうわけか希莉は笑顔満点だ。
そして突拍子もなく理解不可能な言葉を口にする。
「やっぱり人間はすごいねっ」
「……はぁ?」
吾郎には彼女が何を言っているのかがよくわからない。
というか唐突だ。
「何がだ? あ、買い物のことか?」
買い物、という概念があるのが人間だけだからだろうか?
「あははっ。そうじゃなくて……いやそれもだけどね?」
買い物を最初に考えた人はすごいよー、なんて言いながら彼女は続けた。
「未来を見据えていることだよ」
「……全然意味が分からんぞ?」
吾郎は余計に混乱してしまう。
自慢ではないが吾郎は将来の自分の姿を明確に思い描いたことなどはない。
漠然とした将来像すら掴めてはおらず、とりあえず学校に通っているのが現状だ。
「なんで未来?」
「吾郎は明日や明後日の食糧の心配をして買い物に行くのでしょう?」
「? 当たり前だろ」
事前に食糧を買うのは当然だ。
お腹が減った時に食糧がなくては困るではないか。
しかし希莉は頭を振った。
「多くの生物にとって、それは当たり前ではないんだよ。地球上に存在する生物の多くは、今、目の前にあるものを必要な栄養を補給するために捕食するの。そして十分だと感じたらそこで終わり。先のことなんて考えない。考えられない。次にお腹が空いたならばその時にまた餌を探せばいい……それが普通の生き方なんだよ。長期の保存だって出来ないしね」
吾郎にも希莉が何を言いたいのかが少しずつわかってきた。
「けど……食糧を貯めておく動物だっているだろう」
「そりゃあね。だけどそんなに明確に未来のことがわかっている訳じゃない。そこまで深く考えている訳じゃない。人間みたいに細かく自分の今後を予想し、計画を立てるなんてことはできないんだよ」
「……」
(だから人間はすごい……か)
「……そんなもんか」
希莉の言い分は理解できるも、早々実感できるものではない。
なぜなら――吾郎は人間だから。
「そんなもんだっ」
どういうわけか、希莉は偉そうに胸を張った。
少し背は低いが抜群のプロポーションを誇っている彼女がそんなポーズを取るとイケナイ気分が芽生えてきてしまう。
さらに言うならば彼女は吾郎の部屋に現れた時同様、白いワンピースを着ているだけだ。
いったいどこから調達してきたのかは知らないが麦わら帽子までかぶっている。
黒髪ロングの美少女が純白のワンピースを身にまとい麦わら帽子を頭に乗せて吾郎の隣で微笑んでいるのだ。
まさに吾郎の心のキャンパスに思い描ける最高の異性の姿。
傍にいるだけで心のボルテージはどんどんと増加していき、なんとなくエキサイティングな気持ちになってくるよね。
(っ!? お、おれは何を考えてる!?)
おかしな思考を振り払うようにして吾郎は頭を振った。
(おっおちつけぇえ俺っ! 相手はゴキブリだぞ!?)
希莉に悟られないように吾郎は深呼吸を繰り返す。
心臓はじゃじゃ馬のごとくはしゃいでいるが、理性という名の名騎手が上手い具合に手綱を握り、少しずつ吾郎の体温を冷ましていった。
そんな吾郎の心の葛藤など露知らず、希莉はのほほんと微笑んでいる。
(そもそも……だ)
実は吾郎はずぅぅっと気になっていた。
「なぁ希莉。お前ってなんでその姿なんだ?」
「ん?」
「いやだから……どうしてその服装で現れたのかなって」
ついでに言うと容姿についても問いたい吾郎だが、それはさすがに抑えた。
「あぁ。この前響子達が来たときにも言ったと思うけど。吾郎が好きだからだよ?」
吾郎が好きだからだよ?
「……ん?」
はい?
「私達精霊は契約者にとっての理想の異性の姿を取るんだよ。つまり今の私の体格と服装が吾郎の理想の女性像ってことだねっ! あ、人格は関係ないけどね?」
「………………」
な……なぁるほ……ど。
はっはなるほどね! 理解した把握したよなるほどねっ!
「……ふふふ」
そういうことかよどちくしょおおおおおおおおっ!!
「はははは……」
吾郎は乾いた笑い声を洩らす。
道理でストライクゾーンど真ん中の美少女が現れたわけだよ、納得だよぉっ!
つまり、最初に希莉が言っていた契約が強制云々とかいう話はそういうことだったのだ。
いきなり目の前に理想の異性の姿が現れてしまえば、そりゃあ心が揺れてしまいますよ。
よりにもよって目の前に現れた理想の女性はゴキブリの思念の集合体。
つまり人間ではない。
(はぁなんかもう……はぁ……)
あっ、べっ別に都合よく現れた美少女精霊に心を奪われそうだったとか、そういうことじゃないんだからねっ!
「契約時に契約者の心の内の願望を神様が読み取って私達精霊の器を作ってくれるの。その際に私達精霊にも契約者の願望が少しだけわかるんだ」
弄んでくれるよ、神様とやらも。
「……ジーザス」
つまりはうなじにときめいてしまう、という吾郎の他人には知られたくない性癖についても、その時に希莉は知ったのだろう。
そして更なる思考に及び吾郎は震えた。
「ま、待てよ……っ!」
吾郎は戦慄する。
他にも吾郎のムフフな秘密をいくつ知っているかわかったものではないのでは?
もしも吾郎の男子高校生之秘密が周囲の知人達の知るところになれば、吾郎がやれることと言ったら引きこもるか、整形手術の日取りを決めるかの2択となるだろう。
「まぁまぁ。私が知ってる吾郎の秘密なんてもうないからさ。大ジョブだよ?」
「……本当かよ」
「本当、本当」
「……油断ならねぇ」
「もう。確かに吾郎にとっては驚きかもしれないけれど、人間関係には見た目がとても大事でしょう?」
彼女は少し困った顔をしつつも言葉を続ける。
「現に吾郎は逃げたじゃない。私が本来の姿で会いに行った時。とはいっても、あの姿もイメージの集合体だから、実体を持っていたわけじゃないけどさ~」
「う……」
それを言われると吾郎には返す言葉がない。
希莉に初めて遭遇したあの時、吾郎は謎の地球外生命体(巨大なゴキブリ)から、己の命を守るべく、一目散にエスケープを敢行している。
そして彼女の言葉は人間関係においての真理であることも理解できた。
吾郎の思い描く理想の美少女。
吾郎が彼女の存在をこれほど早く受け入れられた理由の一つには確かにその要因があるのだ。
「いや……いきなりあんな巨大なゴキブリが目の前にいたらだな……」
誰だって逃げるだろう。
「やっぱりゴキブリは嫌い?」
残念ながら、好き、っていう人間には吾郎は会ったことがない。
だが彼女に向かって、はっきりと、嫌い、と言うことは憚られた。
「……だから俺は虫が全部嫌いだ」
「じゃあ私は?」
「お前は……」
彼女はゴキブリの精霊だ。
全世界のゴキブリ達の持つ微小な思念が集まって生まれた一つの人格。
確かにゴキブリのボスのような存在にも思えるが、そもそも思念というものは物理的な形を伴っているわけではない。
ならば彼女の存在はいったいなんなのだろう。
「……わからん」
吾郎は正直に答えた。
「そっかぁ……」
彼女は別段気にした様子もなく吾郎の隣を歩いて行く。
しばらく無言で歩き続けていると、二人の視界には商店街が見えてきていた。
賑やかな声が響いてくる。
吾郎は喧噪に紛れて、この話を打ち切った。
☆ ☆ ☆
「さてと」
一通りの買い物は済んだ。
吾郎は希莉と手分けをして一つずつ買い物袋を持っていた。
これだけの食糧を買っておけば来週いっぱいまでは大丈夫だろう。
「~~♪」
精霊少女はチュッ○チャッ○スのプリン味をおいしそうに舐めまわしている。
鼻歌交じりで隣を歩く希莉はご機嫌だ。
「……変な噂が立たないといいけど」
吾郎は面倒くさそうにぼやく。
この商店街は昔から吾郎が利用している馴染みのある店ばかりだ。
当然のように小さい頃から吾郎のことを知っている店主たちは実にフレンドリーに話しかけてくれる。
「おい吾郎! 誰だよその嬢ちゃんは? 誘拐か?」
「おいおい吾郎誘拐は駄目だぞ?」
「吾郎ちゃん、溜まってるならおばちゃんが相手を……」
遠慮のない関係ってちょっと怖いよね。
「……」
見知らぬ美少女を連れて歩く吾郎が珍しかったのだろう。
冗談とはわかってはいるが、それでも3軒続けて同じようなことを言われるとは思わなかった。
魚屋、肉屋、八百屋の狂った3連コンボで吾郎は商店街に足を踏み入れてから五分後には不機嫌な顔になっていた。
特に最後の八百屋のおばちゃんの発言がかなり怖い。
とはいえ商店街入り口付近に位置する店の店主の頭がおかしいのは昔から同じなのであまり気にしては駄目なのだ。
そう思い、吾郎は気を取り直した。
「吾郎、おいおい彼女か?」
「まあっ! 今夜はお赤飯?」
「おいおい響子ちゃんはいいのかよ、吾郎!」
「タナトスの声が聞こえる……」
取り直した気が、ざるから零れ落ちる水のごとく消え去っていく。
どこにいってもあんまり反応が変わらないじゃないか。
商店街の人々は吾郎の隣を歩く見慣れない美少女を視界に入れるとニヤニヤとした目つきで吾郎の顔を窺ってくるのだ。
おいおい、こいつぅっ! と肘をつついてくる40過ぎのおっさんのテンションがもうホントなんというか、はっきり言ってうざい。
フレンドリーと思っていたが、もしかしたら嫌がらせなのかもしれない。
ちなみに最後に訪れた吾郎には感じ取れない何かを受信しているおもちゃ屋のお兄さんに至ってはどこに出しても恥ずかしい厨二病患者だ。
「私は希莉っ! よろしくねっ!」
希莉は希莉で吾郎の気も知らずにどこへ行っても元気いっぱいの挨拶。純粋無垢な美少女の屈託のない笑顔は商店街のおっさん共は言わずもがな、おばさん達のハートをも掴んで見せた。
彼女が舐めている飴は駄菓子屋のおばちゃんがサービスで譲ってくれたものだ。
「甘い! 美味い!」
「……そうかい」
一応は沙耶の知り合いということにしてあるが、それでも無駄に注目を浴びてしまったことは事実だ。
こんなことなら希莉は身体の中に入っておいてもらえばよかった。
少しだけ沈鬱な表情で吾郎がとぼとぼと歩いていると、突然背後から甲高い声が響いてきた。
「誰かっ! ひったくりよぉおおおおおおおおおおっ!」
えらく大きな声である。
視線を声の方へと向けると、悲鳴を上げたおばさんと、そのおばさんの持ち物であろう赤い鞄を手にした少年が商店街の店と店の隙間を抜け、路地裏の方へと走っていく姿があった。
「ちっ」
とくに思考を挟むことなく反射的に吾郎は少年を追いかけて走り出す。
ひったくりの現場に居合わせたのは初めてであったが、吾郎の体は自然と動き出していた。
吾郎の隣には同じように走りだした希莉の姿。
買い物袋を目の前で間抜けな顔をしていた魚屋のおっちゃんに投げるようにして預けた二人は路地裏へと入っていった。
「速いな……っ」
ひったくりの少年の足はかなり速い。
日頃からランニングを習慣付けている吾郎をしても中々距離を縮められなかった。
しかもどうやら少年はこの辺りの裏道を歩き慣れているらしく、ひょいひょいと障害物を交わしながら進んでいく。
未だに視認するのがやっとの距離。
「まずい!」
少しだけ開けた道に出たかと思えばそこには少年の仲間と思しき男がバイクに跨っており、少年を手招きしていた。
遠すぎてここからではナンバープレートに書いてある文字を読むことはできない。
このままでは逃げられる。
そう吾郎が思った時。
「えっ……」
すぅーっと、身体の中に不可思議な感覚が満ちていった。
これは今までにも何度か感じた感覚。
隣を走っていた希莉が吾郎の身体の中へと侵入していったのだ。
"希莉?"
"大丈夫だよ、絶対に逃がさない。私の力を貸してあげる"
"力?"
"契約の時に言ったでしょう?"
一度そこで言葉を区切った希莉は自信のある声音で言った。
"精霊の力を行使するのよ"