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第二話 契約

「契約?」


 しばらくの間、突然の出来事に対応するために、黙り込んで頭を働かせていた吾郎はようやく、それだけを口にした。


 嫌な予感が脳裏によぎる。

 よくある物語なんかでは悪魔や精霊と契約するために魂を捧げたり、寿命を提供したり、生贄を用意したり……大抵の場合は人間の側がなにかしらのリスクを負うものだ。 


"そう……私達精霊が現世に顕現し世界に干渉するためには、どうしてもその媒介となる人間が必要なのよ"


「……」


 吾郎が無言で険しい顔をしていると。


「ふふっ、そう身構えてなくてもいいよ」

「っ」


 今度はいきなり吾郎の目の前に少女が出現した。

 声は脳に直接響くものではなく、耳から音として聞こえてくる。


「急に出てくるな、心臓に悪いっ」

「あははっ、ごめんなさい」


 謝罪の言葉を口にしながらも、精霊少女は悪びれた様子もなく無邪気に微笑んでいた。


「……でっ! 要求はなんだ? そもそも契約することで俺にメリットはあるのか?」


 半ば自棄になって問う吾郎だったが、少女の態度は軽いものだった。


「うーん、特にこれと言ってあなたに要求することはないかな。君にとってのメリットは精霊の力を行使できること、かなぁ?」


 顎に指先を押しあてながら話す少女に吾郎は尋ねる。


「精霊の……力?」

「うーん、なんて言えばいいんだろう……魔法、みたいな?」


 そんな少女の回答に、


「うさんくせぇ」


 吾郎は正直に答えた。


「むぅ~」


 冷めた瞳を向ける吾郎を前に唸る精霊少女だったが、やがて説明を諦め、右手の人差し指を吾郎に突きつけて言った。


「とにかく!」

「人を指差すんじゃない」

「……ごめんなさい」


 こほん、と一度咳払いをした少女は仕切りなおすように口を開く。


「一つだけあなたにお願いしたいことがあるとしたら……ただ私の存在を認めて欲しいってことぐらい」

「……認める?」

「そう、つまりは私と契約してもいい、って思ってくれるだけでいいの」

「……たったそれだけ?」

「たったそれだけ」

「で」

「で?」

「契約すると俺はどうなるんだ?」

「別にどうにもならないよ?」


 真剣な表情で口を開く吾郎とは対照的に精霊少女は、まるで日常会話の延長であるかのように、話を続けた。


「……そうなのか?」

「私達精霊は悪魔とかとは違うし……ただ地上に存在するためには誰か宿主が必要になるだけで、本当に私からあなたに望むことはないんだよ。普段通りの生活をしてくれればいいよ」


 吾郎は彼女の言葉について考えてみる。


(う、うーん?)


 しかし考えても結局よく分からない。

 いや分かる訳がないだろ、この状況。


「ふむ……」


 唸っていると精霊少女がポツリと呟いた。


「ただ……」

「ただ、なんだ?」

「もしも断ったりしたら……大変なことになるかも? あははっ」


 良い笑顔である。


「こ、こいつ……」


 なるほど。脅迫ですね、わかります。


「……ぐ、具体的には?」


 一体何が起きてしまうの?

 恐る恐る尋ねる吾郎に対して精霊少女は満面の笑顔で言う。


「聞いて後悔しない?」

「……ちょ、ちょっと待ってくれ」


 吾郎には目の前の少女が悪い奴には見えない。

 いや詐欺師というのは皆騙すことに長けている訳だが、彼女の場合は違う気がする。


 先ほど彼女が吾郎の体内に入り込んできた時にも感じたが、理屈ではなく直感的にわかるのだ。

 恐らく……彼女は吾郎を害さない。


 そしてそんな彼女の言葉を信じるならば彼女と契約をしても吾郎にはデメリットはなく、むしろ断ったことによる報復の方が怖い。


「……質問をしてもいいか?」


 吾郎は躊躇いがちに口を開いた。

 彼女が超常の存在であることはなんとなくではあるが……本能的に理解できる。 

 しかしそれ以外にも疑問は山ほどあるのだ。


「さっき……私達精霊って言ったよな? ということは精霊っていうのは、君以外にもたくさんいるってことでいいのか?」

「うん。精霊というのは生命の思念の集合体。そして神様から器を与えられた存在」

「思念の集合……」

「生物には皆、思念がある。ライオンの思念が集まったならば、そこでライオンという思念の集合体として一つの精霊の存在が確立される。それは他の生物でも同様よ。カブトムシにしろイルカにしろ、地球上に生きている生物の思念が一定以上集まればそこには一つの人格と呼べるものが形成され、元の生物の在り方に則った精霊が生まれる。もちろん思念の数が少ない……つまりは地球上に存在する絶対数が少ない生物の精霊は思念不足で人格を形成することができないから、存在はしているのかもしれないけれど力は微弱だし、意志を持つことがない」

「……」


 あまりにも科学を蔑ろにした話であるため、俄かには信じがたい。

 さらに言うならば彼女の話にはひっかかるところがあった。


人格・・を形成……ね。その言い方だとまるで人間が高尚な生物のように聞こえるな」


 フィクションの世界でも度々、登場する神様や精霊といった存在。

 それらが意志を持っていると仮定する多くの場合、空想上の存在は人格を有している。

 何故、人格・・

 人間がベースとなっているのか?

 神が人と同じ思考構造を有しているというのは、あまりにも都合の良い解釈ではないのか。

 人間の傲慢であるとすら言える。


 しかし吾郎の問いに、さも当然のように精霊は答えた。


「実際その通りよ?」

「は……?」

「人間は地球上で最も賢く、最も尊い生物なのよ。まぁあくまでも現時点ではだけどね」

「……」


 なんでもないような様子でそんなことを語り出す彼女の顔を吾郎は茫然と見つめる。


「そもそも私達が神様と呼ぶ存在は人間の思念の集合体のことを指すんだよ? 人間の思念はとても大きくて強い。人間の思念には不可能がないんだから」


 さっきも聞いたけれど。


「はは……神様……神様かぁ」


 もはや乾いた笑い声しか出てこない。


「まぁいきなり多くのことを語っても把握しきれないよ。それにもうすぐ学校に行く時間じゃないの?」

「なんで知って……ってもうこんな時間かよ」


 時計を見た吾郎はげんなりする。

 いつの間にやらかなりの時間が経過していた。

 起きてからまだ何にもしていないぞ。


「……最後に一つだけ聞かせてくれ」

「なに?」

「どうして……俺が選ばれた?」


 当然の疑問。

 だが、どういうわけか吾郎がその質問をすると目の前の美少女は満面の笑顔で口を開いた。


「それはあなたが私という存在に最も近かったから」

「君という存在?」


 どういうことなのか。


「さっき言ったでしょう? 精霊は生物の思念の集合体であり、世界に干渉するためには人間と契約を結ぶ必要がある。その契約なんだけど……誰でもいいわけじゃないのね」


 ちょっと待て。

 思念の集合が精霊、ならば彼女は?


「そういえば……じゃあ君は何の生物の精霊なんだ?」


 吾郎が素朴な疑問を呈すと、少女は答えた。


「ゴキブリ」

「へぇゴキブ……なに?」

「ゴキブリ」


 ……。


「………………」


 おいおい、えーっと……こいつは一体どういうことだい?


「えっと……それは……?」

「人類が研究してきた生物学に照らし合わせて全世界に存在する約四千種のゴキブリの思念の集合体が私よ」

「……………………」


 冷や汗が背中を伝うのを吾郎は感じる。

 いやいや待ってくれよ。


 だって……だってさっき……。


「あなたは地球上に存在する人類の中で最も遺伝子学的に私達に近かった」

「………………………………………………」

「つまり世界一ゴキブリに近い人間ってことねっ」


 嘘……だろ……?


「えぇえええええええええええええええええええええええええええええっっっっ!?」


 なんだそれ知りたくなかったそんな事実っ!!

 ゴキブリ似の男ってこと? 

 なにそれ新しい……じゃなくてっ!


「いやいや……いやいやいや……」


 落ち着け落ち着けまずは深呼吸だ郷田吾郎。

 てかなんだよ……目の前の美少女がその、なんだ……そのぉゴキブリ?

 Gの思念の集合体?

 そんな風には全然見えない……って待てよ目覚めた時に目の前にいた巨大なモンスターはもしかしなくても、でかいゴキブ……うぉおおおおおあああああああっ!!


 吾郎が懊悩している様を見ながら少女は追い打ちをかけるように言葉を続ける。


「まぁまぁ。それでも本当に極々微小なものだから……あなたは正真正銘の人間だし、気にしなくてもいいんじゃない?」

「そ、そうなのか?」

「まぁ……それでも有史以来、私と契約できる人間が生まれたのは初めてなんだけど」

「それ慰めてるのか……?」

「そうね、なんというか、あなたからは匂うのよ、私達と同じ匂いがする」

「なにそれ怖い!」


 ゴキブリの匂いって何!? そんなもん嗅いだことないし!


「ふふふ、体中から迸ってるのに」

「嘘だろ!?」


 精霊少女は妖艶に笑いながら恐ろしい言葉を口にする。


「ちくしょおおおおっ!!」


 そんな綺麗な顔で、嬉しそうに、なんてひどいことを言うんだ、この娘さんは!


「というか! 俺は虫が苦手なんだが!」


 昔は喜んでセミなんかを捕まえるために走り回ったものだが……果たしていつの頃からか、セミを見かけても嫌悪感しか抱かなくなったのは。

 あの死んでると思ってたセミがいきなり自分に向かって暴れ出したりするの、本当にやめて欲しい。マジで怖いんですけど。


 蜘蛛はもちろん、ムカデや蛾、もっと言えば蝶でさえ吾郎は苦手だ。

 なんなのあいつらが羽に付けてるあの粉は?


「なのにその……ボス的な存在であるGがなぜ」

「ふふふっ、運命を受け入れよ」


 どこぞのRPGのラスボスの如く少女は楽しそうに言う。


「やかましい! 契約を結ばなくても俺はいいんだぞ!?」


 それは脅しのつもりだった。


「そうなったら私の同胞たちが世界中からこの家へと集結するから。知ってる? 地球上には一兆を超える数のゴキブリが」


 脅されたのは吾郎だった。


「マジすんませんでしたぁ!」


 なんという強制イベント。

 退路などあろうはずもない。

 無数のゴキブリが吾郎を取り囲む光景を思わず想像してしまう。

 身体中を覆うようにして黒光りする奴らがたくさんの足をわしゃわしゃと動かしながらぬぉおおおおおおおっ!!


「で? 契約っていうのは……」

「あっ、もう契約は完了してるよ」


 あっけらかんと少女は言う。


「いつの間にだよっ!? 俺の了承とかはどうしたの!?」


 許可を出した覚えはない!


「まぁ強制みたいな所があるしね、あはは」

「えぇ~、な、なにそれ理不尽じゃね?」

「だって、さっき吾郎、私と一緒に居るのが悪くなさそうだなぁ~って思ったでしょ?」

「な……っ!?」


 思わず吾郎は言葉に詰まってしまう。


 精霊少女の言ったことはズバリその通りだったから。


 精霊とか言われてもよくわかんないけれど、目の前には吾郎好みの美少女が現れてしまったわけで。

 健康的な高校生男子としては気になる、っていうか、ワクワクしてしまう気持ちが膨れ上がってしまうのを止めることなど出来ないのです。


「まぁ、それが了承の合図みたいな感じ」


 しかしそんな簡単に言われてしまうと狼狽えてしまうわけで。


「ばばっ、馬鹿なことをっ!? お、俺がそんなワクワクしたり、ちょっと何かを期待しているとでも!?」

「そこまで言ってないけど……ほらほら学校遅刻するよ?」

「……というかなんで学校なんて知ってるんだ?」

「私がいつから生きていると思っているの?」


 ゴキブリというのは3億年前から地球上に存在している種であり、生きている化石と言われている。


「まぁ精霊として自我を確立したのは、わりと最近なんだけどね」

「そうかよ、ってマジで時間がやばいな」


 そろそろ準備を始めなければ本格的にまずい。

 あんまり遅くなると孝介と響子に朝から文句を言われるはめになってしまう。 

 いつも通り早起きしたはずなのに。


「……はぁ」


 断言してもいい。

 今朝はいつものランニングよりも遥かに疲労した。

 

 

 


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