第二十二話 命の灯火
「……」
「……」
普段は有り余る元気を周囲に振りまく二人の少年少女が、まるで別人のように虚ろな表情で座っていた。
中村孝介は時折、苛立ったように足踏みをしながら。
周防響子に至っては生気が抜けてしまったかのように青白い顔で佇んでいる。
そこに日頃の天真爛漫な面影はない。
手術室に吾郎が運び込まれてから一体どれくらいの時間が経ったのだろうか。
吾郎の怪我の知らせを受け、一目散に病院までやって来た二人だったが、吾郎の顔を見ることも叶わず、ただ手術室の前の通路で待つことしか出来なかった。
先ほど吾郎の父親がやって来ていたが、医者と共にどこかへと行ってしまった。
なにやら相談事があるらしい。
「くそっ!」
孝介が声を荒げながら壁に右拳を叩きつけた。
無論、その行為で吾郎の容態に影響が出るわけではない。
それはただの八つ当たりであり、癇癪だ。
しかし響子には孝介の気持ちが痛いほどにわかった。
『吾郎はっ!? どこにいるんですか!? 大丈夫なんですか!?』
『先生、あいつは無事ですよね!? 吾郎が……吾郎がそんな……っ』
『……一刻を争う事態です。今はそうとしか』
明確な状態を聞かされたわけではなかったが、医者の焦った表情と深刻な声音が吾郎の負傷の具合を響子と孝介に伝えた。
響子は廊下の一点を見つめたまま動かない。
しかし先ほどから小刻みに手が震えていた。
そんな沈鬱な空気に包まれた廊下に、
「吾郎は?」
河田武夫がやって来た。
いつだって困った時には吾郎達三人を助けてくれる頼れる兄貴分。
いつになく真剣な表情で尋ねる武夫に響子がゆっくりと答えた。
「まだ……」
涙で濡れる頬を隠そうともせずに、手術室を指差す響子。
手だけではなく……声も震えていた。
「そうか……」
深刻な表情で俯く武夫。
そんな彼の様子を見た孝介と響子は落ち着いていられなかった。
「武兄ぃ……吾郎は……吾郎は大丈夫だよね?」
響子の声に含まれているのは悲しみと不安。
隠しきれない動揺と縋る様な焦燥感が溢れている。
どれだけ男勝りな性格に育とうとも。
やはり彼女は女の子なのだ。
「吾郎がくたばるなんてそんな馬鹿なこと……っ!!」
孝介の声に含まれているのは、不安とそして怒りだった。
親友が自分の預かり知らぬところで大怪我を負い、今まさに生死の境をさまよっているという状況が、孝介に例えようのない焦りを与えていた。
可愛い弟分、妹分の必死の表情を見つめながら武夫は口を開く。
「……大丈夫だ。吾郎が死ぬわけないだろう? 俺が保証してやる」
……吐き気がした。
自身が吐いたなんの根拠もない言葉に。
こんな有り触れた言葉しか紡ぐことが出来ない自分自身に怒りすら湧いてくる。
「そ、そうよね、大丈夫よね」
「そうだ……大丈夫」
武夫の言葉を真に受けたわけではあるまい。
それほど二人は子供ではない。
本当は誰もがわかっている。
吾郎が死んでしまうかもしれないということ。
それは先ほど吾郎の父親と一緒に話を聞いていた武夫が一番よくわかっていた。
深く胸に突き刺さった流木。
それは吾郎の体を貫通し、内臓にも大きな損傷を残していた。
大量の出血。
また、水で冷えた状況、子猫を助けるために無茶な川泳ぎをしたことによる極度の体力低下。
体の中に細菌も多く入り込んでしまっているのは間違いがない。
吾郎が助かる可能性の低さを、目の前で説明されたのだ。
さすがの武夫も、今ばかりは普段のように振舞うことが出来なかった。
「……」
「……」
「……」
重々しい空気の中。
ついに口を開く者はいなくなった。
☆ ☆ ☆
死なせない。
絶対に。
私の持ちうる全ての力を使い果たしてでも吾郎の命は救ってみせる。
(……)
扉の向こう側からは声が聞こえてくる。
孝介の焦燥、響子の悲しみ、武兄の嘆き。
それら全てを杞憂で終わらせるために。
私は全力で吾郎の運命に抗うのだ。
今こそ見せてあげる。
私達ゴキブリが、現在地球上に存在する生物の中で他を圧倒している力を。
3億年という果てしない時を生きてきた私達の限りない生命力。
私は吾郎に生きる力を与えよう。
☆ ☆ ☆
手術が終わり、ベッドで眠る吾郎の傍に、希莉の姿がスッと音もなく現れた。
外を見やれば、大雨がコンクリートを打ち、豪風が木々を揺さぶっている。
今はおそらくちょうど台風が直撃しているところなのだろう。
この自然災害の影響でいったいどれだけの生物が死に絶えるのだろうか。
人間のように、予め災害に対する防備を固め、また、確かにその自然影響を減衰させる力を持っている生物などは、希莉の知る限りでは存在しない。
人間以外の生物達は、皆やって来た自然災害にただ怯え、逃げ惑う事しかできないのだ。
「……」
お腹が空いた。
こんな状況でも食事を求める自分自身に辟易してしまう。
やはり顕現している間はどうしても栄養の補給が必要であるらしかった。最後に食べたのは二日前のデパートで食べたオムライスだったが、あれも結局は二口ぐらいしか食べていない。
ベッドの脇に置かれたテーブルの上には果物の盛り合わせがあった。
それは気の早い吾郎の父親が入院のお見舞いとして持ってきたものだ。
いや、それも必ず手術が上手くいって、入院することになるはずだ、という父親の願望が込められているのかもしれない。
「……一個もらうね」
いたずらっ子のような笑みを零しながら希莉はリンゴを一つ手に取り、口元へ運ぶ。
齧ると、ほどよい甘味と酸味が口内に広がると同時に果汁が溢れ喉を潤していった。
だけど。
「私……贅沢な子になっちゃったのかなぁ」
あんまりおいしくない。
このリンゴが特別不味いわけではないだろう。
しかし今の希莉には、リンゴの味を楽しむ余裕などはなかったのだ。
契約したての頃は僅かな舌先の刺激にも一喜一憂していたはずなのに。
「……」
彼女は己の契約者たる少年に目を向ける。
「……吾郎」
彼女の瞳には雫が溢れ、声は微かに震えていた。
全力を尽くしてはみたが、吾郎が本当に助かるかどうかは希莉にもわからない。
それほどまでに吾郎の容態は悪かった。
もしかしたらこのまま一生目が覚めない、という可能性もあるのだ。
「……」
そして希莉は先ほどから吾郎との繋がりが、少しずつ弱くなっているのを感じ取っていた。
それは吾郎の命の灯火を表現しているのか。
(それとも私自身の……)
それでも。
それでも出来ることならば。
「……もう一度」
私に感動をくれる。
私に笑顔をくれる。
私に幸せをくれる。
「……」
目の前には笑顔の吾郎がいて。
「……」
二人一緒に――吾郎の作るオムライスが食べたかった。




