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第一話 覚醒の時

 太陽の日も昇りきらぬ早朝。

 小鳥の囀りが聞こえてくる時間帯。


「……んぅ」


 吾郎は毎朝5時半に起床し、ランニングをするのが日課である。

 高校生にしては珍しく殊勝なことであるようにも思えるが、部活動を行っていない吾郎としては自主的にある程度のトレーニングをしなければ健康的であるとは言い難いのだ。

 それに早起きするのは苦手ではないし、早朝ランニングは昔からずっと続けていることであるため、今や走らなければ調子が維持できないほどであった。


 いつも通り目覚まし時計の音で目を覚まし、目を開いた吾郎の目の前には光沢のある黒い牙が何本もわしゃわしゃと並んでいた。

 何やらどす黒い色の液体が滴っており、気味の悪い事この上ない。


「……」


 なにかな、これは?

 

 筆舌し難いグロテスクな光景を朝一で拝んでしまった吾郎の身体はフリーズするも視線だけは無意識で動いていく。

 まるでベッドに覆いかぶさるようにして何本もの黒い足が吾郎の両脇を挟んで並んでいる。全身は黒いような茶色いような。

 頭には触角のようなものも生えていた。


 しゃわしゃわしゃわ、といきなり何本もの牙が吾郎の眼前で音を立てながら蠢く。 


 その音を合図にして吾郎はハッと我に返った。


「……ぅぉおおおおおおおあああああああああああああああああああああああっ!?」


 吾郎は忍者よりも素早く、敏腕社長秘書(妙齢の美女)よりも無駄のない動きでベッドをするりと抜けだし、窓を開け、ベランダへと出た後に窓を力の限りに閉めた。


「はぁっはぁっ」


 その時ちょうど新聞配達のお姉さんが新聞を届けに来てくれたところであり、奇声を上げながらものすごい形相でベランダへと躍り出た吾郎と目が合うと愛想笑いをしながら足早に郷田家を後にした。

 間違いなく、彼女は引いていた。

 以前から新聞配達のお姉さんは綺麗な人だなぁ、と密かに憧れていた吾郎としては、いずれこの誤解は解かねばなるまい、と心の中で誓うも今はそれどころではない。


「っ! そんなことよりなんだあれは……っ!?」


 部屋に振りかえるも、カーテンを開ける余裕がなかったから、ここからでは中の様子を確認することが出来ない。


(夢? 夢なの?)


 そうであって欲しい。

 もしくは寝ぼけていた故の幻覚であって欲しい。

 

 もしも夢でないのならば、あれは地球外生命体に間違いないだろう。

 体長は2メートル近くはあったし、あの形状は十中八九、昆虫のものだ。あんなに大きな昆虫などは見たこともなければ聞いたこともない。

 もしやあれこそが某漫画に出演しているキメ○アント?

 いやそんな馬鹿な。

 とにかく落ち着くんだ。

 

 というかなんで吾郎の家にいる? 

 どうやって入って来た? 

 いやそもそも……。


「……うむむ」


 考えていても、わかるわけがない。このまま屋根伝いに下に降りることは可能だが先ほどのモンスターがどうしても気になる。

 あんな化け物がいる部屋で一体これからどうやって過ごせばいいのか。

 いや無理だろう、どう考えても。


「…………よし」


 恐怖心はもちろんあるが、それでも好奇心の方が僅かに勝った。

 吾郎は手に汗握りながらも窓を少しだけそっと開く。

 もしもあの化け物が窓の方へと突進してこようものならば吾郎は一目散にベランダから飛び降りる覚悟だった。なに、ここは2階だ、死にはしない。


 だが。


「……?」


 おかしい。

 あれだけの巨体がいる部屋にしては静かすぎる。

 物音一つ聞こえないのはあまりにも妙な話だ。

 しばらくの間待ってみたが状況に変化はない。


「……ええい、ままよっ!」


 吾郎は意を決して窓を豪快に開け放った。

 風が部屋へと流れていき、ふわりとめくれ上がったカーテンの向こう側。


「……ぇ」


 そこには長い黒髪を靡かせた美しい少女が一人静かに座っていた。

 

 部屋の中を見渡してみても先ほどのモンスターはどこにもいない。

 それは安堵するべきことではあるが、吾郎の目の前には新たな問題が発生している。


「き、君は誰? ……というか! さっきここに化け物がいなかった!?」

「化け物?」


 綺麗な声だった。

 小首を傾げながら立ち上がった少女は不思議そうな顔をしている。


「……ぁ」


 思わず。

 少女の顔を正面から眺めた吾郎は小さく声を洩らした。


 その顔が本当に整っていたから。


 背はそれほど高くはないがスタイルも非常に良く、下世話な表現をするならば、吾郎のストライクゾーンど真ん中だ。

 彼女の着ている純白のワンピースは美しく長い黒髪に非常に良く似合っている。


「いっ、いやぁ~、さっきここにでっかい虫みたいなのがいた気がしたんだけど……あははっ、夢だったかも」


 なんだ、そうか、あれは夢か。

 そりゃそうだよ。

 あんなものが現実にいるはずがない。あれはどうやら寝ぼけて見た幻覚だったようだ。

 あぁ、なんだ、よかったよかった。


 吾郎がそう納得しかけた寸前、


「あぁ、そういう意味か」


 一つ頷いた少女は楽しそうに口を開いた。

 


「それは私よ」

「……」



 うん?


「へ?」


 吾郎には彼女が何を言っているのかが理解できない。呆気にとられる吾郎を無視して彼女は嬉しそうに笑いながら話を続ける。


「そんな顔しないでよ」


 クスクスと笑う少女。


「だからさっきのここにいた大きな虫は私のことよ」


 えーっと……この子は何を言っているのかな?


「それは……えっと、どういう?」


 戸惑う吾郎に対してあっけらかんと彼女は言った。


「私って精霊なのよ」

「……は? …………せい……れい……?」


 ……おやおや?


「そうよ。知らない? 精霊」

「せいれい……精霊? それはあれか。ファンタジーの世界に登場するような神様的な?」

「そうそう。でも私達精霊は神様に器を用意された存在だから……神様と同格に扱うのは神様に失礼ね。言うなれば私達は神様の子供ってとこかな」


 おっとっと、こいつぁ……。


「へぇ……ほぉ」


 なるほどなるほど。

 どうやら彼女は外見はパーフェクトでも頭の中が非常に残念な娘さんのようだった。

 確かに吾郎は剣と魔法で戦うようなファンタジー世界の物語は好きだが、それとこれとは話が別だ。

 先ほどのモンスターは寝ぼけて見た幻覚だったに違いないのだから。


「あぁ……その……で、君の家はどこなの?」


 頭を抱えつつ、吾郎は紳士的に問いかけた。


「だって家出だろ?」

「は? だから私は精霊でっ」


 これだから電波ちゃんは。


「はいはいそうだねそうですね。全く……こんな朝早くに不法侵入してからに。わけわからんこと言う奴は武兄たけにいだけで間に合ってるっての」

「話を聞いてる!?」

「家出少女の戯言を聞いてる暇はないの」

「むぅ~っ!!」


 頬を膨らませ、両手を振り上げて地団駄を踏む少女は非常に可愛らしかったが、そんな外見に騙されてはいけない。

 そもそも彼女は不当に郷田家に侵入している立派な犯罪者なのだ。

 これが強面のおっさんだったりしたら即通報ものである。


「じゃあ証拠を見せてあげる!」


 そう言った少女はゆっくりと立ち上がると、吾郎には聞こえないような小さな声で何事かをぶつぶつと呟く。


「はぁ? 証拠?」


 怪訝な顔でそれを吾郎は眺めていたが、次の瞬間俄かには信じがたいことが起こった。


「なっ……消えた……っ!?」


 少女の姿が消えてしまったのだ。

 今の今まで吾郎の目の前に確かに存在していたのに。


「どっどこに」


 さすがに吾郎も焦った。瞬きをした一瞬の隙に彼女の残滓すらこの世から消えてしまったかのように部屋の中は静まり返っている。

 化け物の幻覚といい、自分は何か悪い夢でも見ているのか。


 しかしそれだけでは終わらなかった。


"あははっ。びっくりした?"


「っ!?」


 突如吾郎の頭の中に声が響いた。

 その美しい音色は間違いなく先ほどの少女のものだ。


「なっ、どこに……っ!?」


"どこって。あなたの中だよ、吾郎?"


 なんだその聞き様によってはちょっとエロい言葉は!

 興奮しちゃ……ってそんなふざけたことを考えている場合では無く!


「なにを……」


"まぁ突然のことだし動揺するのはわかるけど……ホントはわかってるでしょ? 感じてるでしょ? 私があなたの中に確かに存在しているのを……"


「……っ」


 二の句が継げない、とはこのことだ。


「…………これは……なんだ」


 吾郎の声は震えていた。

 未だに何が起こっているのかが正確に把握できなかったからだ。

 彼女の言葉を信じるならば彼女は精霊であり、そして今は吾郎の体内に入り込んでいるらしい。


「……」


 額を伝う汗を拭う余裕もなく、吾郎は大きく目を見開いていた。

 他人から聞かされたならば一笑に付す所ではあるが、吾郎は論理的思考を無視して感じ取ってしまっている。

 感覚的に、本能的に。


 今自分の体内が不可思議な存在で満ちていることが嫌でも理解できてしまった。


「本当にお前は……精霊……なのか?」


"だからそう言ってるでしょう?"


 言葉も思考も必要ない。

 生まれて初めて感じる人智を超えた感覚が吾郎に超常の存在を認識させる。


 それは体内に力が満ちる感覚だ。

 身体が熱い。しかしそれと同時に心地よいものでもある。異物が体内に侵入しているというのに不快感はなかった。


「なぜ……ここにいた?」


 吾郎は彼女に空気を振動させる音で問いかけ、彼女はその問いに吾郎の脳へと直接信号を送り答えた。


"ここにいた……というよりは会いに来たのよ、あなたに"


「なんのためにだ?」


"契約のためよ"


 彼女は美しい声でそう言った。






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