第十三話 精霊だって体操服!
振り返った視線の先には吾武希莉の姿があった。
しかも彼女は体操服。
背中を冷たい汗が伝い始めている吾郎だったが、希莉は笑顔でこちらを見つめていた。
「えへへ~、なんか吾郎が願った服装っていうのは自由自在みたい」
楽しそうに微笑む彼女。
あぁ~、なるほど。
この前被ってた麦わら帽子はそういうことね。
俺が麦わら帽子を願ったから、いつの間にか希莉は麦わら帽子を被っていたのね。
一之瀬瑠璃ほど背も高くなく、胸も彼女ほどの神域には達していないが、十分すぎるほど発育している瑞々しい体躯。
素肌のきめ細やかさ等にいたっては一之瀬瑠璃すら凌駕しているではないか。
いやめちゃくちゃよくお似合いで、非常に可愛いんですけれども。
今吾郎はとても困っていた。
「へ……へぇ?」
なんで出てきてんだよこいつっ!?
"おま……っ!"
「吾郎てめぇ……こちらの美しいお嬢さんと一体どういう関係だ?」
ノリの口から暗黒の奥深くから響き渡るドスの効いた声が紡ぎ出される。
「くっ! 速い!?」
いつの間にか芋虫のように地を這いながら、吾郎を取り囲む紳士達。
完全な包囲、というやつだ。
「いっ、いやこいつは」
というか、いきなり見ず知らずの人間が授業に乱入してきているというのに、まず始めに詰問されるのが吾郎、というのは一体どういうわけだろうか。
「説明次第では……」
ノリがパチンと指を鳴らすと、紳士達の目が光を帯びる。
どうやら男子達は紳士から戦士へとジョブチェンジを果たしたようだった。
しかし残念ながら、戦士に変貌してもなお、下半身事情が少々立て込んでいるため、内股気味でしゃがんだ姿勢から脱することは出来ていなかった。
「え~っと……」
「どうどう、似合ってる?」
吾郎の心の内など知ったこっちゃない、と言わんばかりに希莉は、その場で飛び跳ね始めた。
一之瀬瑠璃に劣るとはいえ、希莉も強大な戦闘力を保有していることには変わりがない。
だからそんな風に飛び跳ねると。
「「「「ぐぁあああああああああああっ!!」」」」
聖戦が終了したことで気が緩んでいた矢先に、出現した見知らぬ美少女による追激戦に成す術なく平伏すクラスメイト達。
どうやら落ち着きかけていた、息子たちが再びの活性化を開始したようだった。
「ぐぅっ!? なんという……」
唸るノリの隣で吾郎はというと。
「ぐぁあああああああああああああっ!!」
クラスメイトたち同様、凄まじいダメージを受けていた。
(ぐぅっ! 幾分耐性があるとはいえ……っ!)
これ以上続けられれば、吾郎とて耐え切れる自信がない。
「えへへ~、ってうわっ!」
校庭に落ちていた石ころに躓き、尻餅を付く希莉。
宙を舞う柔らかな双丘。
そして倒れゆく瞬間、ふわりと宙を浮いたハーフパンツの隙間からは確かに純白の……。
「「「「「ぐぁああああああああああああああああああああっっ!!」」」」」
これ以上は危険だっ!!
「こっちこい馬鹿っ!」
「うわわっ」
希莉の手を引き、吾郎はその場からの逃走を図る。
「ま……まてっ!」
ノリや孝介、クラスメイト達が叫ぶも吾郎は聞く耳を持たなかった。
幸いなことに希莉の攻撃によって、前屈みの姿勢を崩すことが出来ない紳士達から逃げるのは造作もない。
50メートル先。
ストップウォッチを手にした体育教師の怒声が響いた。
「おいっ、お前達いつまで騒いでいる! 次! 木村典弘! さっさと走れ!」
まるで生まれたての小鹿のごとくぷるぷると足を震わせながら、前屈みに立ち上がろうとするノリだったが、如何せん、どうにも走ることなど出来る状況では無かった。
「先生ぃっ! 脱走です! 吾郎が逃げ出しました!」
「あいつの計測はもう終わっている! さっさと準備しろ!」
「くぅっ! 収まれ俺のエクスタシー!!」
しかしノリの脳内には先ほどのエクスタシーな光景が刻み込まれてしまっている。
「さっさと立たないか!」
「うるさい! 立ちたいけど勃っているから立てないんだっ!!」
「訳のわからんことを言うんじゃない!」
「僕達のことをわかってくれない! 大人はいつだってそうだ!」
「お前……留年したいらしいな」
「5分だけ慈悲をくださいマイティーチャー!!」
栄光と絶望が同居した体育授業《紳士達の宴》の時間はこうして過ぎていった。
☆ ☆ ☆
割と本気で吾郎は怒っている。
「なんで出てきたんだよ! 学校じゃ出てくるな、ってあれほど言っていただろう!?」
とりあえずは人気の少ない体育館裏まで走ってきた吾郎は早速説教タイムに入っていた。
「だって……なんか吾郎達ばかり楽しそうだったし」
強く叱られてしまい、希莉は見るからに小さくなっている。
「んなことで……あいつらに説明する俺の身にもなってくれよ」
「……だって、吾郎が瑠璃ばっかり見てるから(ごにょごにょ)」
「ん? なんだって?」
声が小さすぎる。
よく聞こえなかった。
「なっ、なんでもないよっ!」
慌てて手を振る希莉を横目に吾郎は溜息を吐いた。
「……はぁ」
「あ、その……ごめんなさい……」
しゅんと落ち込む希莉。
悲しげに瞳を伏せ、両手の人差し指を突き合わせながら、肩を落としていた。
そんな彼女を見ていると。
「うっ……」
思わず吾郎は怯んでしまう。
くそ、ダメだ。
「ま、まぁ以後気をつけてくれればいいよ」
どうしても希莉が悲しそうな顔をしていると、甘やかしてしまう自分がいる。
最近になって実感するようになったことだが、希莉と接するというのは幼い子供と接することに似ているのだ。
事実として彼女は非常に幼い。
だから子供を叱っているような心境に陥ってしまい、怒ると罪悪感が芽生えてしまう……んだと思う。
それでなくても女の子の悲しい顔など見たくはないが。
それにしても。
(うぐ……似合ってる……よな)
この前のコスプレ同様、普段とは違う希莉の姿にときめいてしまっている自分自身を悩ましく思うも、瞳は正直だった。
「吾郎……なんか目が怖いけど」
「はっ!?」
(ぐぅっ!? 俺としたことがまたしても……っ!!)
希莉は人間ではないのだ。
人外の存在に目を奪われるなどあってはならないだろう、やっぱり。
落ち着くんだ、俺。
そんな吾郎の悩ましい葛藤などは露知らず。
「ふふふっ」
希莉は楽しそうに微笑んでいた。
「何笑ってんだよ?」
「吾郎は怒るかもしれないけど……皆と同じ服を着て学校に居たことはなかったから……嬉しかったんだぁ」
その笑顔はやっぱり無邪気で。
眩しくて。
「……そっか」
「うんっ」
「だったら、また……」
待て。
一体何を言おうとしている?
「また今度……機会があったら、な」
そう、吾郎は口にしていた。
「吾郎がそんな機会を作ってくれるの?」
「あ、いや気が向いたら、だ」
「そっかぁ」
吾郎の言葉に笑顔を浮かべた希莉の姿が視界から消えていく。
"楽しみにしてるねっ"
「あぁ」
自分でもおかしな約束をしてしまった、と思わなくもない。
けど。
(……悪くはない)
先ほどのような笑顔をもう一度見ることが出来るならば。
それは悪くないことだと吾郎は心の底から思った。




