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第十二話 紳士達の宴

 

「諸君、試練の時だ」


 厳かな口調で語る木村典弘きむらのりひろ(通称:ノリ)の視線の先には隊列を組んだ男子生徒達が、まるで指揮官の指示を待つ歴戦の軍隊であるかのように、真摯な表情で沈黙していた。


「以前の聖戦では、我々はあまりにも無知であり、無力であった」


 ノリの言葉に何人かの男子生徒達が静かに頷く。


「状況を軽視し、情報収集および覚悟が足りなかったばかりに、不甲斐ない結果に終わってしまった前回の戦を私は忘れてはいない」


 居並ぶ生徒達は皆、名前の書かれた白いシャツに、黒いハーフパンツという出で立ちだった。

 有り体に言えば体操服。

 そう、今日の授業は体育であり、種目は男女共通の陸上だった。


 熱帯高校では基本的に夏休み明けの水泳授業は推奨されておらず、未だ残暑を通り越して猛暑を感じさせる気温であるにもかかわらず、灼熱の校庭を走り回されるという、マゾヒストならば垂涎必死の授業内容である。

 現在は休み明け最初の授業であるということで、軽くストレッチを終え、各自の50メートル走のタイムを計測している真っ最中だった。

 男女共通の陸上授業とは言っても、基本的に指導する教員は別であるし、男女で計測する場所は十分に離れている。


 だが。


「もうすぐだ」


 ノリの声が一段と低くなり、深みを増した。

 各々計測の順番を待ちながらも女子達の方へと目を向ける男子達。

 誰かがゴクリと喉を鳴らす音を聞きながら、少年達は来たるべき時を待った。


「次……か」

「あぁそうだ」


 吾郎の声に答えたのは隣で鋭い瞳を光らせている孝介だ。

 男子生徒達の目的はただ一人。


「来た……一之瀬瑠璃だ!」


 それはクラスどころか、全学年を含めても、正にナンバーワン美少女との誉れ高い、熱帯高校のマドンナ、一之瀬瑠璃だった。

 美人で優しく気立てが良く、成績優秀、唯一の欠点は運動神経が悪いことぐらいだが、彼女の愛らしさと相まってそれは、女性としての魅力を損ねるようなものではなかった。むしろ保護欲を掻きたてられて男子達の心を揺さぶっている。


 極めつけは。


「くっ! なんという……やはりデカイ……っ!」


 まるで魔王の魔力の多寡を感じ取った勇者のごとく、言葉を発したのはノリだ。


「け……けしからんっ!」


 吾郎の横では孝介も鼻息荒く唸っている。

 かくいう吾郎も似たようなものだが。


 一之瀬瑠璃は、顔の愛らしさだけには留まらない。

 その胸元には偉大なる神々が作り出した天使の双丘が高くそびえ立っているのだ!


"ねぇ吾郎? 皆どうしちゃったの?"


 頭の中に響き渡る純粋無垢な声。


"……"


 ……吾郎はちょっとだけ冷めた。


"なんか皆、瑠璃のことを見ているけど……皆は瑠璃のことが好きなの?"


 馬鹿な精霊め!

 巨乳美少女が嫌いな男子などいなぁい!


"いやそれはぁ、なんというか"


(ちくしょぉっ! 希莉のせいで……っ)


 皆と同じように、はしゃげないじゃないか!

 脳内で異性(?)から冷静な声を投げかけられてしまえば、それはもうなんというか、複雑な心境である。


「くっ、まずい!」


 クラスの一人が早くも、焦ったように腰を引き、やがてゆっくりと腰を下ろした。

 目を閉じ、スッと正座したその少年の顔はまるで悟りきった紳士の表情ではあったが、その下半身は欲情し切った雄のそれだ。

 どうやら彼は一之瀬瑠璃の放つ圧倒的な戦闘力に、ひれ伏したようだった。


「おい! まだ始まってもいないのだぞ!」


 ノリが叱咤するも少年は無視。そして薄く目を開き、女子の方へと目を向けた。


「くっ! このままでは……」


 しかしノリにも彼の気持ちはわかる。

 忘れもしない。

 なんせ2年生になって初めての体力測定時には、彼女の胸元が放つ重力に逆らいし女神の悪戯によって純情な少年達は強制的に正座することを余儀なくされた(あるいは体育座り)のだから。


 理由だって?


 紳士諸君には言わずともわかろう。

 女子達はその……察してもらえると非常に助かります、というか、あのあんまり引かないように、本能というか生理現象というかそんなんなんだってば本当に!

 とりわけ思春期なものだからその、ねっ?


 少しだけ頬を染めつつ、まるで股間を隠すかのように、次々と膝を付く男子達の姿は恥ずかしさを感じながらも、どこか満足げな表情をしていたことを吾郎は覚えている。

 体操服からはみ出さんばかりに自己主張する巨大な丘は、陸上競技という枠に当てはめられた時に驚異的な威力を発揮し、それは男子達の意思とは無関係に跪かせる能力があるのだ!


"おっぱいが大きいから?"


 …………。


"いやその……"

"こんなに雄から狙われているなんて、瑠璃は生殖に困らないねぇ"

"…………"


 そういうこと言われるとなんかすごい冷めるんですけど。

 ていうか生々しいよ! 生殖とか言わないで、お願いだから!


"お前、ちょっと黙ってろって"


 ちょっとだけ強めに吾郎が言うと、希莉は明らかに気分を害したようだった。


"むぅ。なにさ、瑠璃のことをいやらしい目で見つめてさ!"

"べぇっ!? 別にそんなんじゃねぇし!? いやらしくなんてないし!"


 嘘じゃないよ、本当だよ。


"嘘だよっ! 皆の目とおんなじで吾郎も血走った目をしてるもの!"

"心外だな俺ほどの紳士がまさかクラスメイトをいやらしい目で見つめるなんてあるわけがないだろぬぉおおおおおおおおおおおおおっ!!"

 

 聖戦ジ・ハードの幕は上がった。


 世界ちちが……揺れる……っ!!

 

「ぐはぁっ!」

智彦ともひこっ!」


 倒れゆく友に声をかけながらもノリは一之瀬瑠璃から視線を外すようなことはしない。

 それは神が与えたもうたショータイムに対する冒涜だ。

 一之瀬瑠璃は運動神経がよろしくないため、一生懸命に肩を揺らして走るも、動きは遅い。


 つまりはご褒美タイムが長いのだ!

 重力に逆らいながら、風に跳ねる美しい双丘と、額に汗を浮かべながらも懸命に足を動かす美少女の淫靡かつ華麗な姿はもはや一種の芸術である。


 しかも彼女の走る時の表情のなんと妖艶なことか。

 うっすらと汗で透けて見える肌色の素肌の艶っぽさときたらもう言葉では表すこと適わない。

 白く眩しい生足が大地を蹴り、弾く汗すらも輝いているではないか!(紳士視点)


 はっきりと言ってしまえば、そんじょそこらのエッチなビデオよりも遥かにエロい。

 大事なことなのでもう一度。

 ここにあるのは至高のエロスなのだ!!


「くっ」

「孝介っ!?」


 次々と前屈みの姿勢からやがて、音もなく正座し出す紳士諸君の最中で、吾郎の親友もついに限界を迎えたようだった。


「俺はもうだめだ……後は頼むぜ吾郎」

「あぁ、任せろ」


 一瞬たりとも視線を交わすことなく、吾郎は力強く孝介の言葉に答える。


"……なにこれ?"


 希莉の疑問と混乱はおそらく思春期男子以外の全ての人間が抱くであろう類のものではあるが、この場にいた紳士諸君の心は一つなのだ。


「ぐぅっ!!」


 ついには現場指揮官であるノリも頬を赤く染めつつ膝をついた。

 そして彼の口からは信じられない言葉が発せられる。


「馬鹿な……」


 ノリの顔面は蒼白だった。

 

「バストがさらに……推定2センチ、成長している……っ!!」

「「「「っ!!」」」」


 なっ、なんだって――!!


 紳士諸君に電撃走る。

 吾郎としては、見ただけで女子のサイズが分かるとか、お前はどこのおもちゃ屋の店主だよ、とツッコミを入れたい所であったが、周囲の男子生徒達は皆、戦々恐々と震えていた。


「まさか……まだ半年も経っていないんだぞ」

「いくら成長期とはいえ」

「さらに大きく?」

「くっ、熱帯高校のマドンナは化け物かっ!?」


 内股気味に正座しながら紳士達は言葉を交わす。

 やがて一之瀬瑠璃による、50メートル走が終了し、気づけば立ち上がっている紳士は吾郎だけとなっていた。


「耐えたというのか……?」

「信じられない」


 何やら尊敬の眼差しを吾郎に向けるクラスメイト達。

 

 だが。


「まさかこいつ……っ」

「いち早く大人の階段を!?」


 最初こそ尊敬の眼差しで吾郎を見上げていた紳士達の表情が、次第に困惑が疑念へと昇華し、彼らの顔が険しくなっていく。

 残念ながら吾郎はまだ、そんな素敵体験をした記憶などはまるでない。

 誤解である。


「……」


(あれ……?)


 ただ吾郎自身少し不思議だった。

 4月の体力測定の時には、皆と同じように膝をつくことしか出来なかったというのに。

 希莉の言葉で冷静になってしまったから、だろうか。

 これは紳士としては深淵かつ深刻な問題である。


 はてどのように彼らに説明するべきか、と吾郎が頭を働かせていると。

 

「ねぇねぇ吾郎見て見て~」


 天使のごとく愛らしい声が背後から聞こえてきた。


 嫌な予感がする。


「……」


 吾郎が恐る恐る振り返るとそこには案の定、Gの精霊の姿があった。





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