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第十話 バルガスの武器屋 ~前編~

 ある日の放課後。


「吾郎。今日『おもちゃ屋』寄って帰ろうぜ」

「おぉ、いいぞ。響子は部活か?」

「まぁね~。あたしも帰りに寄るよ」


"おもちゃ屋ってこの前の商店街の?"

"そうそう"

"あそこはいっぱい物が置いてあったよね~"

"まぁおもちゃ屋だしな"


 吾郎は孝介、響子と会話しながら、頭の中では希莉と会話をする、という器用なことがいつの間にか出来るようになっていた。

 初めは戸惑ってしまうことが多かったが、最近はずいぶんと慣れてきたようで、器用に2種類の会話を成立させている。


「んじゃ部活がんばれよ響子」


 吾郎がそう言って、ろくに教科書の入っていない鞄を手に取る。

 基本的に教科書類は机の中に入れっぱなしなのだ。

 孝介と並んでテニスコートへと走っていく響子を見送った吾郎は熱帯高校の校門から商店街の方へと歩いて行った。


「あっついなぁ」

「だなぁ」


"ですなぁ"


 歩くこと数分。

 吾郎行きつけの商店街の東端にその店はある。

 店の看板にはこう書かれていた。

 

 『バルガスの武器屋』


「……また店名変わったな~」


 しみじみと孝介が呟いた。


「まぁ武兄の趣味みたいなもんだし。てかバルガスって誰だよ……それに武器屋って……」


 全くもって意味が分からない。


 この店の店主はゲーム、漫画、アニメが大好きな所謂オタクというやつである。

 ちょくちょくゲームや漫画の影響を受け、自身が経営しているおもちゃ屋の名前をコロコロと変えるのだ。その度に店の紹介用ホームページも毎回差し替えているのであるから、マメである。


"武兄?"


 疑問を呈す希莉の声。


"この店の店主だよ。この前会っただろ?"

"この前??"

"ほら、なんかよくわかんないことを呟いてたあの人だよ。「タナトスの声が……」とかなんとか言ってた遠い目をした人"

"引ったくりを捕まえた日?"

"そうそう。河田武夫かわだたけおって名前で、俺達の7つ年上かな。昔から何かと世話になってるんだ"

"ふぅん"


 ぼんやりと相槌を打つ希莉。

 吾郎は一度顎に手を当て、心の中で思案した。


"そうだな……"

"? どうしたの、吾郎?"

"いやなに、ちょっとな……よし"


 結論はすぐに出た。


「……ちょっとすまん、孝介」

「え? あっ、どしたの吾郎!?」


 吾郎は突如、孝介に一言断りを入れると一目散に駆けだした。

 店とは反対方向へといきなり走り出した吾郎に孝介は困惑するばかりである。


"どうしたの吾郎!?"


「……まぁ、この辺ならいいか」


 誰もいない路地裏へとやってきた吾郎は小さく呟く。


"出て来ていいぞ、希莉"

"えっ?"

"学校じゃあ外に出られなくて暇してるだろう、お前?"


 最近は吾郎に気を遣ってか、最初に出会った時ほど希莉は喧しくなくなった。

 要するに気配りを覚えたのだ。


"……ぁ"


 周りに人の気配がないことを確認しながらも吾郎は優しく告げる。


"ほら。今誰もいないから出て来ていいぞ。孝介には適当に話を合わせるから"


 そう言って薄く微笑んだ吾郎の目の前に、音もなく現れたのは誰の目にも美しく映るであろう黒髪の美少女。


「あっ、あの……吾郎ありが……」


 もじもじと身を捩りながら希莉が何かを口にしようとするも、


「ほら早くいくぞ希莉! 孝介に怪しまれる」


 希莉の言葉を最後まで聞かずに吾郎は走り出してしまう。


「あっ……むぅ~」


 走り出した彼の右手には希莉の左手が握りしめられていた。




   ☆   ☆   ☆




「孝介、すまん!」

「お前急にどこ行って……って希莉ちゃんじゃん!」

「えへへっ。こんにちは、孝介」


 律儀に店の前で吾郎を待っていてくれた孝介は驚きと共に微笑んだ。

 何はともあれ希莉に会えたのは嬉しいらしい。

 そんな孝介に希莉も笑顔を返した。


 その時すでに吾郎の手は希莉の手から離れてはいたが、孝介は頭は傾げた。


「でもなんで希莉ちゃんが?」

「あぁ。さっき遠くで歩いてる希莉をたまたま見つけてな。暇そうだったんで呼んできたんだよ」

「へぇ、そっか。まぁ希莉ちゃんなら大歓迎!」


 特に疑問を抱くことなく孝介は頷いた。


「ありがとう、孝介」


 改めて。


 3人は並んで、ようやくバルガスの武器屋へと足を踏み入れ――、

 


「ミラクルクルクルるるりらら~♪」



 ――ようとしたけれどやっぱりドアを閉めた。


「…………」

「…………」

「あれ? なんで閉めたの?」


 なんで、って言われてもちょっと困っちゃうかな、あはは……。


「「…………」」


 吾郎と孝介は暗い表情で互いの顔を見合わせた。

 店の中の様子を確認していない希莉は不思議そうな顔で首を傾げている。


「なんて姿だ……武兄ぃ」

「泣くな、吾郎」


 瞳から零れ落ちる涙を止めることが吾郎は出来なかった。

 店内にいたのは大型モニターに日曜朝の子供向けアニメを映しながら、全身鏡の前でその少女向けアニメのヒロインのコスプレをしている23歳の男。


 その名も河田武夫だ。

 ちなみに一瞬しか見ていないので確信はしていないが、おそらく化粧もしていた。

 中途半端ではない、彼の本気具合が窺えるというものだ。


 武夫は吾郎達が幼い頃から何かと世話をしてくれた(おかしな遊びに付き合わせた)商店街おもちゃ屋の店主である。

 昔は武夫の父が経営をしていたが、不況の煽りに吹かれ、おもちゃ屋は経営不振、サラリーマンに戻った。

 そこで代わりにとばかりに息子である武夫が店を引き継ぎ、今ではすっかり武夫の趣味の店と化していた。


 そして。

 その武夫が甲高い声で少女向けアニメの主題歌を熱唱していた。

 悲しいかな、男子の限界、高音部分が擦れてしまっているが。

 無駄に防音性能が高いせいで扉を開けるまでまるで気付かなかったのだ。

 いや近所迷惑を防止するという意味合いでは非常に役に立っている防音性能であると言えるかもしれない。


 しばしの時間をおいて吾郎と孝介は無言で見つめ合う。


「……」

「……(こくり)」


 孝介のアイコンタクトに頷いた吾郎はゆっくりとバルガスの武器屋の扉を開く。


「ミラクルクルクルるるり……」


 唸れ俺の黄金の右……っ!!


「ごぱぁっ!?」

「なんでだよっ!!」


 店内のモニターからは大音量のアニソンが流れている。

 未だにノリノリで歌い続けていた武夫に吾郎は思わず手が出てしまった。


「目ぇ合ったじゃん! 時間を与えたじゃん! せっかく武兄の名誉挽回のチャンスを与えたのにぃ!」


 しばしの時間をおけば着替えてくれると信じていた吾郎と孝介は落胆の表情を隠せなかった。


「違うぞ吾郎……チャンスというのはな。与えられるもんじゃない。自分で掴むものなんだよ……っ!」

「うるさいよっ!」


 ふざけた格好で格好良いこと言わないで!


「なぁにがふざけた格好だ! ちゃんと見ろっ! 可愛いだろうが!」

「それは少女が着ていた場合の話だよっ!?」


 駄目だ……この人自分が20代の男であることを完全に失念している。

 確かに武夫は黙っていれば美男子なので似合っていると言えなくも……いや嘘ごめんやっぱ無理。


「え、マジで? 吾郎お前マジで言ってんの? ほらもっとよく見てみ? このリボンなんかもうマジで可愛くね? ほらほら?」

「誰か助けて!」


 しつこいよこの人もう!

 吾郎の助けを求める声は大型モニターから流れる異様に甲高いロリータボイスにかき消されてしまうというひどい現実。


 そして頭に装着しているリボンをこれ見よがしに吾郎の眼前へと押し付ける武夫だったが……彼は希莉の発した言葉を聞き流さなかった。


「おぉ! シーナちゃんだ!」


 今まで訝しげに武夫を眺めていた希莉は、何かを思い出したように手をポンと打った。


「そこな少女! 君も見ているのかいこのアニメをっ!」

「この前初めてみたけど……日曜日の朝、吾郎と朝ごはん食べてる時にテレビで」

「なんだよ吾郎~! お前も好きなんじゃないかよこのこのぉ~、照れちゃってもう! この困ったさんめっ!」


 とはいっても希莉が見たがっただけなのだが。


「うぜぇ……」

「武兄……普通のお客さんが来てもその対応なの?」

「馬鹿だな孝介。普通の人間が『バルガスの武器屋』なんて摩訶不思議な看板を掲げた店に入るとでも思うのか?」

「うん……うん?」


 「お前は阿呆なの?」とでも言いたげな武夫の口調に孝介の方がたじろいでしまった。何事においても言えることだが、一線を超えてしまった人間というものは強いよね。


「そんなんでお店やっていけてるの?」


 吾郎は心底疑問に思った。しかし武夫は平然と吾郎に言葉を返す。


「なぁに大丈夫さ。俺の店にはコアな客がたくさんいてな。時には一度に数十万の金を落としていくような落とし神様も現れる。というか俺が経営方針を決めるようになってから売上は右肩上がりだからな。この辺りにはオタク向けのショップが少ないし。そういう人間にとってはここはまさにサンクチュアリなんだよ!」


 ドヤ顔で武夫は語る。


「この店に足を踏み入れた時点でそいつはコアな人間ってことだな……」


 苦笑しつつ吾郎が呟くと、すかさず孝介から突っ込みが入った。


「吾郎、それ俺達も」

「………………」


 無言になった吾郎であったが、希莉は楽しそうだった。


「あははっ。面白い人だね」

「まぁ……それは否定しないけどってか武兄イラッとくるからドヤ顔やめて」


 今現在罰ゲームのような格好で吾郎達の前で笑っている武夫であるが、この人は本来、神様から様々な才能を与えられた人間である。

 いつでも明るく快活な性格をしているだけでなく、実はこう見えて頭もめちゃくちゃ良い。

 容姿にも恵まれ、運動神経も抜群。

 まさに絵に描いたような秀才君なのであるが、ご覧の通り、ちょっと……いやかなり変態入っている青年であり、商店街ナンバーワンの残念なイケメンだった。


 狂気に侵される前の武夫はそれはもう街中の女の子を虜にしていたと言ってしまうのは少々大げさかもしれないが、それぐらいモテたものだった。

 近所に住んでいる人当たりの良い青年は吾郎達にとっても頼りになるお兄さん。

 おもちゃ屋の息子であるが故に、最新のオモチャをいつだって貸してくれたし、吾郎達3人はすぐに彼になつき、一緒に遊び始めた。


 しかしいつだって現実というのは突如歯車が狂い始めるもの。


 悪夢の幕が上がったのは武夫が高校2年生になった時だ。

 武夫は長期休暇の間になんとなく暇な時間を持て余していた。

 その際にふと、ネット上で無料配信されていた深夜アニメを視聴してしまう。


 武夫は高鳴る鼓動を抑えることが出来なかった。

 会心のシナリオ、渾身の作画、魅力的なキャラクター達が武夫の魂を揺さぶる。

 長期休暇の間に武夫は種々様々なアニメを見まくった。

 そしてそのアニメの原作となった漫画や小説を買いあさり、読みふけり、彼の狂気が研ぎ澄まされていく。


 最初に異変に気付いたのは吾郎の姉である郷田沙耶だった。

 沙耶は武夫と最も親しくしていた人間の一人だ。

 お互いに才能有り余る天才資質だったので惹かれあうものがあったのだろう。

 幼い頃は二人で『るろうに献身』の真似事で竹刀を振っていただけで、近所の道場の師範代を負かしてしまったこともあるほどだ。


 ……ここからの話は少し長くなるので割愛するが、まぁ何のかんのあって、武夫はオタク趣味に目覚めてしまったのだ。


 とにもかくにも高校2年の春休み。

 覚醒した武夫は町内最強の変態への道を着実に歩み始めて今に至る。

 しかしオタク趣味に目覚めたからといって武夫の性格や本質が急変するわけでもない。

 武夫は基本的に昔から変わらない吾郎達にとっては優しくも頼りになる兄貴分なのだ。


「で? お前達は何しに来たの? というかこっちの可愛い……ってなにこの美少女!?」


 吾郎達の無言の視線を受けた武夫は渋々、店内大型モニターの音量を下げた(あくまでも音量を下げるだけで消すことはしない)。


「いや久しぶりに武兄の店に遊びに行こうかなって。この前はろくに話も出来なかったし。ちなみに、この前武兄の店に来た時も希莉はいたからね?」


 前に希莉と一緒にこの店を訪れた時(その時の店名は『メイコお姉さんの秘密の購買部(仮)』)は、どういうわけか武夫は終始遠い目をしており、まったく吾郎達の声が耳に入っていないようだったのだ。


「…………」

「武兄?」


 武夫は急に黙り込んでしまう。


「……ふぅ。吾郎……お前は今俺の封じられた禁断の記憶への扉を開いてしまったぞ」

「ごめんそういうのいいから」


 厨二病が全開すぎる。


「聞いてくれよぉ! 予約していたゲームが延期しやがったんだよ~!」

「……あぁ」


 なるほど実に武夫らしい理由である。


「約束通りに発売出来ないなら期待させるなよなぁ! 俺はそのゲームのためにスケジュールの調整までしてたのに! いいかおい? 一般の中小企業だったら期日通りにノルマを達成出来なければそれだけでも信頼を失って大惨事だぞ!?」

「わかったよ武兄の悲しみはわかったから!」


 そういう危ない発言は慎んでいただきたい。


「いいやお前は何もわかってないな! ところで話は飛ぶけど君コスプレしないコスプレ!?」

「本当に飛んだな!」


 初対面の人間に対してまで、ここまで朗らかな顔でコスプレを勧めるとは……さすがは武夫と言ったところだろう。

 普通の人間ならばドン引かれることを恐れてここまでアグレッシブにはなれまい。


「え? 私?」


 問われた希莉は不思議そうな顔で首を傾げている。


"コスプレってのは、だな……"

"いや意味は知ってるけど……私、服とか持ってないよ?"


「あはは……興味はあるけど私はシーナちゃんの服とか持ってないし」


 興味はあるけど……、その素敵なワンフレーズのみを脳内で再生させた武夫は目を輝かせて口を開く。


「HAHAHA! 案ずることなかれコスプレ少女よ! 君の服は俺が今すぐに用意しよう! しょうがないから俺とおそろいでシーナちゃんでいこうか! というか今俺の中ではシーナちゃんが最高にブーム到来中なのでそれ以外は認めません!」


 手早く店内奥のコスプレ用装飾品売り場、そこで目当ての服を手に取った武夫は吾郎達に手招きをすると、そこに併設されている小さめのコスプレスペースへと案内した。


「これを着るといい!」

「武兄。サイズとかはいいの?」


 孝介の発した素朴な疑問。


「はっは! 俺を誰だと思っている? そんなものは彼女を一目見ればわかる!」

「「マジかよ……!?」」


 あきれ顔の孝介と吾郎を尻目に、武夫は自信満々で胸を張った。


「えっと」

「そこに更衣室があるからそこで着替えてくれたまえ。大の大人でも十分に着替えが出来るだけの広さがあるから大丈夫だ」

「わかったっ」


 存外興味があった様子の希莉。

 楽しそうな表情で更衣室へと足を運ぶ彼女を見送る3人の男性陣。


「いやいやこれよく考えてみれば……。希莉ちゃんのコスプレ……っ! くぅ~……まさか武兄の店に遊びに来ることでこんなチャンスに恵まれるとは……っ!」

「なんていい娘さんなんだ! 加えてあのルックス! え~っと? ん? ……ところであの子の名前はなんていうんだ?」

「一応言っておくけど、いろいろ順番がおかしいからね、武兄」


 そう言いながらも吾郎は希莉のことを簡単に紹介する。

 もちろん精霊云々のことは除いてだが。


「ははぁ~。沙耶の知り合いねぇ~。う~ん、あいつはよくわからん人間だからなぁ~。色々あるかもしれんが、頑張れよ吾郎」

「姉貴も武兄にだけはそんなこと言われたくないと思う」

「希莉ちゃんにはどんな服を渡したんだ、武兄?」

「ん? 俺が今着ているのと同じものだ。ほうら、可愛いだろう?」

「…………えぇ~……」

「嫌そうな顔だな孝介。大丈夫だよ。サイズはぴったりのはずだ。俺が着ているのは成人男子用のサイズだからな」


 小学生女子が着るべきはずの服の成人男子用とはこれ如何に。


「そういう問題じゃなくてそのぉ……」


 孝介がぶつくさと呟こうとしたその時、ようやく着替えが終わったのか、更衣室のカーテンの向こう側から希莉の声が聞こえてくる。


「あっあの~、これでいい?」


 そして天使が現れた。




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