第九話 市民プール
「おぉ~っ! これがプール!」
「馬鹿っ! こっちでチケットを買ってから!」
吾郎が手招きすると、思いばかりが先行していた希莉が戻ってきた。
「お? おぉ~」
今日吾郎は希莉、孝介、響子の3人と一緒に、近所の市民プールまでやってきていた。
早朝ベッド事件については、寝ぼけて希莉が沙耶の部屋から吾郎の部屋に来てしまうことがあるという苦しい言い訳で、なんとか凌いだ。
まぁ二人共若干白い目をしていた気がするけど、吾郎はなるべく気にしないようにした。
希莉はすでに空気で膨らんだ大きな浮輪を腰に装着していた。
笑顔で麦わら帽子に手を当てながら微笑んでいる。
小柄な体格と相まってなんだか小さな子供のように見えなくもない。
「あだっ!」
視線がきょろきょろと彷徨っているからだろう。
希莉は態勢を崩し、転んでしまった。
「おいおいだいじょう……」
吾郎は希莉の声がした方へと振り返る。
転んだ拍子にワンピースの裾が捲れあがっていた。
滑らかな素足の間に広がる桃源郷。
吾郎の視界には非常にエクスタシーな光景が広がっていた。
「いたた……」
「孝介!」
「吾郎!」
グッと親指を立てる馬鹿野郎が二人。
直後、ガッ!! という鈍い音が市民プールの入り口前受付に響き渡った。
「馬鹿二人っ! ほら、希莉も早く立ちなさいっ」
吾郎と孝介は彼女の白い太ももと足の付け根で大事な部分を覆い隠す純白の下着が見えたことに対する素直な感謝の気持ちを表現し、響子はそんな馬鹿二人の頭を思い切り叩いた。
この幼馴染二人は頑丈なので多少本気で叩いてもそんなに問題はない。
今も水筒が入っていた鞄で叩いてしまったけれど多分大丈夫だ。
「いってぇええええええええええっっ!!」
蹲り、のた打ち回る吾郎とマジ泣きしながら響子に抗議する孝介。
「響子てめぇっ! 今のは不可抗力じゃん! 水筒ってお前……水筒ってお前ぇ……あかん、涙が出てきた」
「不可抗力であんな仕草しないでしょ……目がやらしいのよっ!」
「その目が飛び出すかと思ったよ!?」
ぎゃあぎゃあと3人は騒ぎながらプールの入り口の方へと歩いて行く。
全くもって喧しい限りである。
「……仲いいなぁ」
小さく呟き、希莉はそんな3人の後ろ姿を眺めながらゆっくりと後を追った。
☆ ☆ ☆
10分後。
「おっ、なんだ同時だな」
孝介が更衣室から出て来た女子二人を見て、そう言った。
吾郎達がちょうど更衣室を出たタイミングで響子と希莉の二人に出くわしたのだ。
(そりゃあ……な)
希利は吾郎から15メートルくらいしか離れる事が出来ない。
この市民プールは女子と男子の更衣室の間に大きな壁を挟んだだけの構造になっているため、直線距離にすれば15メートル以上離れるという事態にはまずならない。
しかし吾郎が先に更衣室から出てしまえば、さすがに希莉は引っ張られてしまうだろう。
だから吾郎は希莉と心の中で会話をしながら出るタイミングを合わせたのだ。
どうやら希莉が吾郎の中に入ってこなくても音を介さない会話は可能らしい。
「ホントね。あんた達にしては遅かったじゃん」
「いやなんか吾郎がもたついてな」
「んなことねぇよ」
適当にごまかす吾郎。
「ここがプール……きゃっ、なに!?」
4人が歩いていると突如頭上からシャワーが降り注ぐ。
それはどこのプールでも入口付近にある消毒用のシャワーだ。
かなり冷たい。
突然降り注いだ水に希莉は目をぱちくりさせていた。
「冷たいっ!」
「そりゃあな」
「吾郎、これ飲んでもいいの?」
「いけません」
「そっかぁ」
少し残念そうな顔をする希莉。
しかし彼女の顔はすぐに太陽みたいに明るい笑顔へと変わっていった。
「おぉおおっ」
「今年2度目だなぁ、ここも」
「まぁ安いしな。響子があんま金持ってないし」
「あたしはあんた達と違って部活が忙しいのよ」
「だなぁ」
吾郎達の視界に広がっているのはどこにでもありそうな平凡な市民プールだ。
25メートルプールと敷地いっぱいをぐるりと囲むように水が流れるプール。
幼児用の小さな水深の浅いプールと温水仕様の温かいプール。
そしてウォータースライダーが2本あるのみ。
しいて言うならば普通の市民プールよりもウォータースライダーだけは大きく、目玉と言えば目玉だ。
「吾郎! 水がいっぱい!」
「そりゃプールだしなぁ」
ぼんやりと吾郎が相槌を打つと、希莉がぽつりと呟いた。
「ほへ~。人間は面白いことを考えるなぁ~」
あっ、こいつっ!?
「ばっ……!」
「人間?」
希莉の言葉を聞いていた孝介が不思議そうな顔で首を傾げる。
吾郎は慌てて、孝介に呼びかけた。
「あっ! おぉ~、あれを見るんだ孝介! あんなところにグラマーなお姉さまが!」
「なにっ!?」
いとも容易く孝介は食い付いた。
咄嗟に遠くの方へと視界を巡らした吾郎の緊急回避は成功したようだ。
孝介も男子高校生。
水着姿の美女がいれば自然と視線を向けてしまうのが必然にして、悲しき男の性だった。
(というかあのお姉さんホントにすごいなっ!)
あんな大きな胸を揺らしてあんな大胆な水着で……実にけしからんな、まったく! もうあれだな、風紀の乱れがそのなんだあれだなっ!
「最高かよ、吾郎!」
「いやまったくだよ孝介!」
そんな二人に不満そうな声が掛けられた。
「あんたらねぇ~。こんな可愛い子が二人も隣にいるのに他の女に目がいくわけ~?」
そう言った響子は首筋にかかる髪を払いあげて吾郎と孝介の方を見やる。
彼女はビキニタイプの青い水着を着ていた。
響子は普段から運動もしているため、胸はあまりないが締まるところはきゅっと締まった体つきをしている。
肌も瑞々しい。微妙に日焼けしている若き素肌はしっかりと手入れをされているのだろう、それぐらいのことは疎い吾郎にもわかった。
客観的に見ても響子は美人だと断言してもいい。
だけど。
「いやなんか響子は……なぁ?」
「見慣れてるしなぁ」
孝介が吾郎に相槌を打つ。
昔からずっと一緒に過ごしてきたわけで。
二人はそりゃあもう昔から響子の水着姿なんぞ腐るほど見て来ているのだ。
「つまんない反応ねぇ。じゃあ希莉はどうなの?」
響子がそう言うと鼻息荒く孝介が口を開いた。
「そりゃあもう! いいねっ! 最高だねっ!」
「元気だな孝介……」
「うっ?」
響子に名前を呼ばれた希莉が、プールを眺めていた視線を吾郎達の方へと向けた。
「なに吾郎~?」
そう言いながら、ひょこひょこと吾郎の方へと歩いていくる。
希莉が着ているのも白いビキニタイプの水着だ。
それは沙耶が昔着ていた水着であり、沙耶の部屋のタンスから発掘したものである。
希莉は白いワンピースと一対の下着しか持ち合わせていなかったため、彼女には普段ワンピースを洗濯している間は沙耶の昔の服を着てもらっている。
「いや……」
吾郎は急に近づいてきた希莉に思わず鼓動が速くなるのを感じる。
いやもうなんと言いますか。
希莉の水着姿は吾郎には輝いているように見えた。
そりゃあ神様お墨付きの吾郎理想の美少女水着バージョンが目の前に顕現しているのであるから、そう感じてしまうのもしょうがない。
はっきり言って超似合っている。
小柄ながらも激しく自己主張するバストに加えて均整のとれた抜群のプロポーションが雄の本能を強く刺激した。
吾郎は、彼女は人間ではないんだ、違うんだ、僕は悪くない、と自分に必死に言い聞かせて己を自制する。
何を抑えているのかって?
それは色々である、色々。
もうなんというか色々としか言いようがない感じだよねははっ!
「でも希莉ちゃんは吾郎のなぁ~」
「だから違うって!」
やっぱりあの説明で納得させるのには無理があったか。
完全に誤解している。
「そろそろ行かない? なんか希莉もうずうずしているみたいだし」
「っとそうだな」
希莉はもう我慢ならない、といった様子で体を震わしている。
「いくぞ希莉」
「お……おぅ」
「?」
つい先ほどまで目を輝かせていた希莉だったが、いざ水に入る直前まで来ると不安そうな顔で吾郎を見上げた。
何を強張ったような顔を……あれ、というかこいつって。
「あっ……そういや希莉って泳げるのか?」
「わがんね」
「うん、なんでなまったの?」
どうやら彼女は緊張しているらしい。
「風呂とおんなじようなもんだって」
「足がつかない」
「だからこその浮輪だろ? つーかここはそんなに深くないってば」
「……ちゃんと浮く?」
「大丈夫だって」
失礼だとは思ったが、なんだかびくびくしている希莉が新鮮で少しだけ面白い。
吾郎がそんなことを思っていると希莉は意を決した様子で水に足を踏み入れた。
ゆっくり、ゆっくりと。
そして彼女の体はやがて浮輪による浮力を得て、流れるプールの一角でぷかぷかと浮き始める。
「おおおおっ! 浮いた!」
「だから言ったろ?」
希莉を追いかけるようにして吾郎、孝介、響子もプールの中に入っていく。
4人は特に何をするでもなく流れに身を任せた。
「はぁ~気持ちいいなぁ」
孝介がのんびりとそんなことを言う。
「私も!」
「確かになぁ。このクソ暑い中プールに入っているだけでも気持ちいいなぁ」
吾郎も目を細めて頷くと、響子が言った。
「んな親父くさいこと言ってないで何かしない?」
「何かって?」
「例えばそうねぇ……いくつテントを見つけられるか競争するとか」
「はぁ? テント?」
ここはプールだぞ?
全く相変わらずよくわかんないことを言い出す――。
「だからさぁ~。水中に潜ってさ。ちょっとくらい居るんじゃない? ほら、女子の水着姿に興奮してしまった男子の股間のテントを……」
あぁもう全然面白くないわぁ、そのゲーム全然面白くないわぁ!
発想が最低すぎる。
こいつ本当に女か。
「やめたげてよぉっ!」
「恐ろしいことを考える女だぜ……そうやってお前は思春期の男子を弄ぶんだな!」
「この悪女!」
というかそのゲーム、誘発させることが可能な響子が圧倒的に有利じゃねーか。
「? 吾郎、どういうこと?」
一人首をかしげる希莉。
「い、いや希莉はわかんなくていい!」
吾郎は恥ずかしさも相まって、こう言ったのだが……希莉はなんだか仲間外れにされてしまったように感じたようだ。
「なっ、なによぉ~……」
吾郎の声が少し大きかったらしい。
一人だけ話に入れてもらえない疎外感と、吾郎の大声が希莉の心を傷つける。
「あっ……いやその。後で教えてやるから!」
そんな泣きそうな顔をされると辛い。
慌てて吾郎が言うと、彼女は上目づかいで吾郎を見つめた。
「ホント?」
「ホントホント」
「おい吾郎、お前ぇっ! どうやって希莉ちゃんに教えるつもりだこらぁっ!」
「やっやかましい!」
いや別に私は紳士ですからね、そんな変なあれな感じのことはちっともこれっぽっちも考えてないですよ、ええ全く心外ですな!
「ぬふふ。男の子だねぇ~」
「? 響子、吾郎は男の子だよ?」
「う~ん、そういう意味じゃないんだけどね~。ピュアだねぇ希莉は。同姓のあたしから見ても本当に可愛い奴よ」
「そっそう?」
「ホントホント」
「ねぇねぇ吾郎。私って吾郎以外から見ても可愛いらしいよ?」
「変なこと言うなお前えぇっ!?」
そして4人は騒がしくも楽しい時間を過ごす。
吾郎達の今年最後のプールだった。




