砂時計の砂は落ちて
砂時計の砂は落ちていく。
時が経つにつれ音もなく、しん、しん、と積もるだけ。
「何か名言でも残したつもりかい?」
隣にいる彼が言った。
「そうよ、悪いかしら?」
それをツンと返す私。何と悪なのだろうか。
「君にとっては名言かもしれないが、この世は君だけじゃないんだ。他の人に認められて初めて名言は名言になるんだよ」
そう言って私を責める彼。
「なら、この言葉は名言に成れそうにないわね」
まず、名言とは何なのだろうか?
「だろうよ。意味がわからない」
私の心の中の疑問に答えてくれない彼が、少し疎ましく思う。
ところで、私と彼は世間から見ればカップルと呼ばれる存在なのだろうか?
そう、思われるのは不都合だ。
だって私は彼にこれといった感情を持ち合わせていないのだから。
「それは酷いな。僕は君が好きなのに」
「それくらいがちょうどいいわ。頼むから愛さないでね」
これはいつも私たちが話していること。
「愛は短い」
「その通りよ」
歌なんかで良く出てくる、『あんなに愛していたのに』って言葉。
私が思うに『愛してる』から続かないんだと思う。
好きでいるだけなら、ずっとその人の傍にいられたろうに。
“愛”は冷める
“好き”は冷めない
だから私は“好き”が“好き”。
そう思うのは私だけ?
「君は怖いの? 何かが変わる事を」
「その通りかもしれないわね」
誰だってそうじゃない?
「じゃあ今僕が、別れよう、って言ったら君は困るかい?」
「それは多分、困らないわ」
「何で?」
「中学生や高校生の交際なんかに本当の“愛”だの“好き”だのないもの」
これを聞いた只今青春真っ盛りの人々は、どう思うだろうか?
「それはショックだな。僕は君が“好き”なのに」
「それは『異性』としてかしら?それとも『友達』としてかしら?」
「……両方って答えは?」
彼は逃げるのが巧い。
でも、
「それでも良いわ。でも結婚しようとまでは思ってないでしょ?」
それなら私は捕まえるのが得意。
「…………」
「肯定の沈黙、ね」
つくづく良い言葉だ。
所詮、高校生。こんなものよ。
小説や漫画に出てくる恋は何処? 愛は何処?
近くにあるの? 遠くにあるの?
誰か答えて下さいな。
こんな事を話してる間にも砂時計の中の砂は落ちる。戻ってこないのに。
でも、まだ私には私達には多くの時間が残っている。
なんて事を言っていると何も進まない。
「良く分かってるね」
「試験前のあなたを見ていれば分かるわ」
時間はまだまだある
まだ大丈夫
その気休めは結局私たちには何も残してくれないもの。
気休めを辞めて行動したものがこの世界では勝つ。
それは掟。
でもほとんどの人々がそれを気付くのは大人になってから。
そして、悔いる。
悔いて、そして行動する者は何か動き始める。
悔いて、諦める人は何もしない。社会の歯車として生きる。
その一方で若いうちから行動できる人もいる。
そのような人々は大抵成功する。
最初は失敗しても2回目で成功する。
彼らは行動するのが早かった分、行動するチャンスが多いのだ。
成功した者は世の中を動かして、そして歴史に名を残し、死ぬ。
社会の歯車となった人は、成功した人に操られ、騙され、歳老いて死んでいく。
その人の歴史は無かったも同然にされる。
時代を動かしたのは彼らなのに手柄を成功した人に盗られる。
「行動して、でも失敗した人はどうなる?」
「敗者よ」
「厳しいね」
そうかしら?
「厳しいわ。でもその人たちの人生に悔いはなそうね」
そうかしら?
「失敗、という悔いが付くと思うんだが?」
「行動して、それでも駄目だったら諦めがつかない?」
そうかしら?
「でも、それは自己満足だよ」
「自分の為にやるんだもの、自分が満足したならそれでいいじゃない。人間、時には諦めも大切よ」
そうかしら?
自分と、その反対の意見を持つ自分が、私にはいる。
実現できるのに諦めるのは勿体無い。
確かにこの世の中、自分独りの力では出来ないことが多い。
例えばアナタがある会社の社長だとするとき、アナタは独りの力だけで会社を強くできるだろうか?
出来る筈がない。
どんなにワンマンな社長だろうが、独りで経理をし、独りで接待をし、独りで計画を立案し、独りでその計画を実行に移すことはできない。
だから社長は社員を雇い、社員と協力しながら会社を強くしていく。
人は他者と結びつくことによって多くの事が出来るようになる。
妻と協力して家族を守ったり、チームメイトと協力してゴールを奪ったり……。
この世は他人と結びつくことで成り立つ。
失敗しても全てを背負い込む必要は無い、と思う。
確かに失敗して他人にすべての責任を転嫁するのは間違っている。
でも、アナタが全て悪いの?
失敗して、反省して、少し気休めして、そしてまた行動を起こせればいい、筈だ。
行動を起こせるだけの力を、私たちは絶対持っている。間違いない。
受け身の人生は楽しいと思いますか?
言われることをするだけの人生は楽しいでしょうか?
そんな人生はストレスが溜まりませんか?
私はそんな人生真っ平よ。
砂時計は世の中。
その中の砂は私。
砂時計の砂の仕事は時間を計ること。
私の仕事を“人生”とする。
砂が仕事を始める。
それは終わりの始まりである。
そして、いつの日か砂の仕事は終わる。
それは始まりの終わりである。
その時、砂に気持ちがあるのなら、砂は自分の仕事に満足しているだろうか?
今はまだ、私は仕事を始めたばかり。
私の仕事も終わる日がくるだろうか?
いや、これは愚問である。くるに決まっているのだ。
そしてその時私が思うのは、ただ一つだろう。
私は自分の仕事に満足しているだろうか? 誇れるのだろうか?
未来は分からないが、これだけは言える。
その時に、全てがYES、と叫べる様に、そう思いながら私は今日も生きている。
とか書きつつ何にも行動を起こしていない駄目作者こと、やんぬかなるかなです。
なんか途中から話が変わってるような作品でした。作者の変人がよく分かる作品ですね。
ってか、テストの何日か前に小説書いてるってどうなんだろう・・・。