情報戦
物事を普段と別の角度で見ると、興味深いものを発見できる時があります。
※主人公の一人称は「私」ですが、男性です。文学に毒された感じの男性だと思って読んで下さい。
現代社会は情報戦だ。情報を制するものは世界をも制すとは良くいう。
情報、と言われて、皆さんが真っ先に思いつくのはなんだろうか。現代っ子の皆さんならば、真っ先にネット、テレビ、新聞にラジオが思い浮かぶのが一般的であろう。
だが、ネットの情報の信憑性はともかく、昨今ではテレビや新聞と言った情報源ですら信じるに危うい部分がある。情報操作、証拠隠蔽、捏造、印象操作などなど。深窓のお坊ちゃんなんかはもしかしたらそうしたマスコミからの情報の無謬性を信じて疑わないかもしれないが、少なくとも私の私見ではそのはずだ。
だからこそ、視界から得られる情報というのが限りなく重要となる。
どんな素っ頓狂な事でも、実際に目の当たりにしてしまえば、それを信じざるを得なくなる。百聞は一見にしかず。人間はそうやってウソとホントを見抜いていくのだ。
別に、その視界からの情報は、情報の真実の証左を得るためだけに使われるわけではない。
分かりやすくいうなら、スポーツだ。テニスは、返ってきた玉を目で見てどこに落ちるか判断し打ち返すし、剣道なら相手が面を打ってくるのか胴で攻めてくるかをほんのすこしの動作で判断し、体捌きで躱すのか、剣で受けるのかを判断する。
そう、つまり人間は、自身の行動の判断をすべて視界からの情報で決めているのだ。
高度な情報戦、と言われてもし一番最初に想像するのがFBIやらCIAならば、正直落胆せざるを得ない。
その高度な情報戦とは、つまり身近にあるのだ。
そう、例えばレジの並びとか。
「うわー、いっぱい混んでるねえ」
妹がお菓子の詰まった小さなカゴを片手に、感心するように言う。
現在時刻は正午前。母にお使いを頼まれ、スーパーで昼飯代わりのカップ麺十数個を予算以内の値段に収めてカゴに突っ込んだ。あまったお金で妹にお菓子を買ってあげる事にしたら、妹が想像以上の菓子を詰めてくれやがったので、貰った小遣いの額がオーバーしたため、あえなく自腹を決意して、さあレジ並ぼうと現在に至る。
わかっている。今は丁度近所の川沿いにある桜の木が満開で、お天気も良く、絶好の花見日和なのだ。堤防の歩道には所狭しと露店が並び、岸に降りれば宴会で騒いで何人も酔いつぶれ酩酊している人物を見かける季節なのだ。そんな日の日曜ときたなら、人は宴会の飯を買うため正午にはスーパーに殺到する。そんな事、とうの昔に分かっていたのだ。
――だからこその、情報戦だ。
「あ、お兄ちゃんあそこのレジちょっと人少ないよー」
ふらっと、歩き出した妹。まずい。
「ちょっと待ったぁぁあああっ!」
駆け出した妹の肩を片手でがっちりとホールドし、動作を停止させる。
「ど、どうしたのお兄ちゃん? すぐ行かないとまた人が……」
「いや、あそこはいいんだ」
私が即答すると、妹は首をかしげた。
「どうして? あっちのほうが他のレジよりも早く終わると思うけど」
「いいや、よく見てみろよ」
「?」
妹がレジの店員さんを見る。
「いや、そっちじゃなくて、並んでいる人々のカゴの中身を見ろ」
「え?」
妹が視線を移した。
「あ、あの人おっきなカゴ3つもいっぱいだ」
「そうだ。3つもカゴがあるということは、どうなる?」
「えーと、その人のカゴの分だけ遅くなる?」
「そう、つまりそういうことだ」
「分かった! 人数は少ないけど、かかる時間は他とそれほど変わらないんだね!」
「よくぞ理解した。さすがは我が妹」
鼻が高い。
結局一人でも買い物が多かったら数人分の時間は掛かる。例えば、一つのカゴをいっぱいにした人がレジ三人並んでいるとする。もう一つのレジにはカゴにガムと百円菓子を数個入れただけの人が5人並んでいる。よーいどんでレジ打ちをスタートすると、どちらが早く終わるかは明確だ。間違いなく5人並んでいる方が勝つ。そういうことだ。
しかし、それだけではない。
「妹よ、こっちも見てみろ」
今度は先ほどのレジより二つ右隣の位置にあるレジを指し示す。
「あ、こっちも人が並んでるけど、向こうの人たちほどカゴ持ってないねー。あそこ並ぶの?」
「いや、駄目だ」
妹が首をかしげる。
「なんで? さっきのお兄ちゃんの話なら、あそこが一番早いと思うんだけど」
「の割には、なかなか全然列が進んでないだろう」
「あっ、ほんとだ。どういうことー?」
「簡単だ。レジ打ちの店員が、ド素人だからだ」
そのレジ打ちの店員は、大体見るからに高校生で、慣れないレジ打ちに戸惑っているご様子だ。大方この時間帯は混む分稼ぎもいいので、バイトとしてシフトに入ったのだろうが、きっとスーパー側も忙しくて、教習が十分に行われず、結果ズブの素人がレジ打ちに邁進する事となったのだろう。
「レジ打ち係の動きがスローだと、一人ひとりに掛かる時間が大幅に増えて、結果的には他のレジと大差なくなってしまう。ヘタしたらさっきのレジよりも遅くなるかもな」
「へえーっ。じゃあ、早くどこかに並ぼうよ」
妹様は飽きたのか、そんな私の推察には目もくれなかった。そりゃあ、お菓子に目がくらむ世代なのだから、早く帰って菓子を貪り食いたいという食欲旺盛心は分かるが。
――だからこその、この推察である。
目の情報をフルに使い、状況を把握し、情報をまとめ、それらの情報を考察し、判断を下す。それは自身の時間の増減を駆けた戦いだ。まさに情報戦。これに勝つことが出来たなら、私はまた高貴かつ理知的な大人への階段をまたひとつ駆け上ることができるであろう。ついでに妹の好感度もあげられ、一石二鳥だ。
私は、端っこから端っこまで、一つも漏らさずに観察していく。
右から一番目のレジはかなりの人数が並んでいるが、並んでいる人々のカゴの中の積載量は少ない。レジ打ちの動きも比較的スムーズに思える。だが、私は見逃さなかった。列の中に、ド派手な虎柄のシャツを着て、毛髪を金髪に染め上げ、奇妙に厚化粧をしたおばはんを。そのおばはんは見るからに会ったこともなさそうな隣の女性客と楽しげに会話しており、言葉の端々には関西弁らしきものが混じっていた。あれは値切る。絶対に値切る。間違いはない、あそこの列はあのおばはんによって無意味に時間がかかるであろう。
「ねーねーお兄ちゃんまだー?」
右から二番目のレジは、先ほど紹介したレジ打ちの遅いレジだ。未だにレジ打ちに手間取っているのか、さっきからまだ一人しか列が進んでない。並んでいる方々もイライラが募っているのか、腹立たしげに足踏みをしていたサラリーマンが列を移っていった。あそこが一番時間が掛る。間違いない。
「あのーお兄ちゃーん?」
右から三番目。カゴの中の積載量はそこそこといったところだが、他よりも並ぶ人数が多い。レジ打ちのスピードはお隣の高校生のほどではないにせよ、なかなかに緩慢な素早さだ。あそこも進むのが遅かろう。次。
「お兄ちゃん……」
右から四番目。カゴの中の積載量とか列の並びとか何より問題なのは、今並んでいる人がアフリカ系の黒人男性だということだろう。彼はお財布からケニア初代大統領ジョモ・ケニヤッタの肖像が描かれたケニア・シリングの1,000sh(約千円)を数枚取り出してレジに放り込もうとしていた。店員が「ケニア・シリングは日本ではご利用になれません……」と頑なに拒否をしているが、外人のほうは「フ●ック!」とか「ゴートゥー●ル」とか言ったかどうか分からんが、とにかく喚いてレジにケニア・シリングを放り込もうとしていた。ちなみに外人の迫力に負けたのか、レジに人は並んでいない。
「…………」
最後。一番左端。これは一番最初に選んだ場所だった。私はそれをしかと見て、最後に推察を開始する。
「あーあーうー……」
そして、
「ここだ……!!」
私はついに決断した。
それは、一番左端だった。
何故ならば――そこ一番人が少なかったからである。
「よし。妹よ、征くぞっ!」
私はすっかり黙り込んだ妹(理由は分からない)を引っ張り、一番左端に並んだ。
――そこで気付いた。
どのレジも、それなりに空いていることを。
「なん……だと……」
おかしい。さっきはあんなに並んでいたはずなのに……!?
私は店員にカゴを渡して会計を済ませたあと、すぐに買い物袋にカップラーメンを突っ込み、帰る支度をする。
「……おかしい。あんなに空いているはずが……?」
私が未練がましく呟いていると、妹が腹の底から出すような声でぼそっと何か呟いた。
「――ん? 今なんて言った?」
「……一時間も待てば、人も流れるよね」
「は?」
訳がわからない私に、妹は拳を振り上げて怒鳴った。
「考えるのはいいけど、一時間も待ってるなバカぁあああああああっ!!」
――これが、我が妹との関係の亀裂の発端である。
あのあと家に帰れば腹をすかせた母に怒鳴られ、さらに昼食を抜きにされた。んな理不尽な。
また、あれで機嫌を損ねてしまった妹ととは、以来二年間まともに会話できた試しがない。きっと中学生に上がって、反抗期もいいぐあいに重なってしまった結果であろう。
――つまり、私は情報戦を敗したのである。
まあ、結論だけ言っておこう。
考えるくらいなら、とっと列に並べ。情報戦など無意味である。
まあ、個人で楽しむ余地はあるが。
まあ、こういう楽しみ方もあるという事で。
――並んだほうが手っ取り早いですがね。