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鳥達の咆哮

四部構成だったのですが、諸事情により五部にします。

残り一部ですが、ここまでお付き合い頂いた方には本当に感謝いたします。


 翌朝、目を覚ました頃には既に時計の短い針が真上を向いていた。

「が、学校!」

 寝ぼけ眼のままリビングへ降りると、既にシキと土御門、母さんが机に地図を広げ何やら話し合いをしていた。

「あぁ善治、おはよう。相当気持ちよさそうに寝てたみたいだから目覚まし時計切っちゃった」

 母さんが下を小さく突き出しながら自分の頭を小突いてみせる。……だからいい加減年齢を考えてほしいと何度も言っているんだけど……。そう落胆していると、母さん達は再び顔を突き合わせて話し合いを再開する。

「シキちゃんは……そうね、この市営住宅の屋上なんてどうかしら?」

「……無理、こちらに大きな建物がある……ビル風は読めないから嫌い。……それならこのポイントのほうが効果的」

「OK、じゃあシキちゃんはここから狙撃してかく乱をお願い。となると小夜子は必然的に裏門から侵入してもらわないと――あ、ちょっと待って、理事長から校内図が送られてきた。皆にも転送するわね」

 机に置かれた地図、あれは……この街の地図だ。

「皆何してるんだ?」

「敵の襲撃ですわ、善治くん。卑怯にも怨敵共、学校を乗っ取ってる現状ですのよ」

「が、学校を乗っ取り!? 今日は普通に授業がある日じゃ……」

 つまり白石やアーサーにも危険が及んでいる、ということか!?

「この手口……あの人が来たんでしょうね」

 母さんがポツリと呟く。あの人……きっと、オレが今もっとも許せない人物であり、今一番会いたい人。――父さん。

「さあ、行きましょう。後は道中説明するわ」

 真夏だというのに、母さんは肩に真っ白のコートを羽織った。

 ――オレはまた、足手まといになるから置いていく、と言われるのだろう。その通りだし否定もできない。でも、ただ助けたいんだ。友達のために――。直後、オレの持つ携帯電話にメールが届いた。開いてみると、校内の見取り図が添付されていた。

「何グズグズしてるの、早く行くわよ。友達が待ってるんでしょうが、アンタが助けないでどうするのよ」

 母さんが逡巡するオレを急かす。そしてシキも、土御門もこちらを見詰めている。

「……仲間、ゼンジも一緒に」

「世話が妬ける連中ですからね、私と善治くんが手をお貸しして差し上げなければ何もできませんもの」

「――ッ、ああ、絶対助けよう!」



「敵戦力はサー・ヒッチコック、エンリコ・ファニー・ロー、ザークロイツェフ・レイセン、他にもどこから湧いて出たのか、陸軍小隊規模が依然学校を占拠中、状況は最悪ね。理事長の報告によると何かしらの手段を用いて校内の人間全てが眠らされているらしいわ。ま、邪魔をされないのはいいけど、あまりに多すぎる人質ね」

 本当だ。たかが跡取り争いで、それもオレ一人を殺すためだけに……。言葉にできない怒りが体を伝う。

「対して私達の戦力は、私、マイ、小夜子ね」

「お、オレはカウントされないの?」

 一応聞いてみる、無駄だとは思うが。

「仮に、小夜子の戦闘力が一〇〇パーセントなら善治は〇.一パーセントね」

「一以下かよ!」

 母さんはさも当然、と言わんばかりに涼しい顔をしている。オレが来た意味がいよいよないような気がする……。

「昨日も言ったように、私の仲間が増援に来る可能性は皆無よ。今回のターゲットは善治だし、私は善治を助ける名目だからね。変な希望を持たないこと。それに善治にもしっかり役割があるんだから」

 母さんはウインクすると、その内容を教えてくれた。――なるほど、これなら……オレもできるかもしれない。いや、しなくちゃならない。

 そうこうしている間に学校が視界に飛び込んでくる。その外観は普段となんら変わりはなく、いつも通りの昼下がりの校舎を演出していた。おまけにチャイムまで聞こえてくる。

 母さんはその途端、眼光に鈍く光る輝きを灯し、あのヒッチコックと対峙した時のように口元を楽しそうに歪めた。土御門も同様、狂気に身を染めその挙動は獲物へと向かう猛獣のようである。シキも冷徹な瞳の中に凍てつくかのような眼光を煌かせている。

「皆よく聞いて、あくまで私達の作戦は敵戦力の排除、妥協は許されない! 言葉通り〝死に物狂い〟で狂ったように敵を倒しまくりなさい! Go!」

 すっ、とシキがオレの視界の端から消えた。振り返るも既にそこにはいない。続け様に土御門も大きく弧を描きながら跳躍した。

「善治、アンタも頑張りなさいねぇ!」

 母さんは白いコートを靡かせながら、正門へと更に加速した。その速さは凄まじく、駆け抜ける身によって生まれた風を切る音と爆風が後方にいるオレに押し寄せた。あまりの風の強さに思わず腕で顔を覆った。

「……閃光」

 オレは母さんの後ろ姿を見送りながら、見たままの光景を口にした。白いコートが雷光の如く輝き、避雷針を求める雷のように正門へと突き進んだ。

「オレも、行かなくちゃ!」

 オレの侵入経路は運動場横の金網を潜っての潜入。この金網は人一人通れるくらいに穴が開いていて、この学校の生徒なら知らない者はいなかった。なぜならコンビニエンスストアがすぐ近くにあるから大いに活用されているのだ。しかし、問題は潜入してからか……母さん曰く運動場にはヘリが二機、数名の兵士が往生しているらしい。

「最初っから無理難題じゃないか」

 オレには一切の戦闘力がない、即ち見付かるということは直接的に死を意味している。母さんや土御門、シキの援護を受けられるかも分からない状況下で生き残れる可能性なんてあるんだろうか? ……いや、やるしかないんだ。皆のためにも……。

――オレの役割は、レベッカ、捕えられたマイを至急解放し、こちらの戦力に加えること。

「素人に無茶言うなっての!」

 オレは竦む足を抑え踏み出した。校門の方からは早くも消音器でかき消した間の抜けた銃声が断続的に聞こえた。――始まったのだ。

 金網に到着した途端、オレは運動場を見回して心底驚いた。

「な、なんじゃこりゃ!」

 まるで映画のワンシーンを切り抜いてオレの通う学校に張り付けたかのような光景、砂埃が舞う中にヘリが二機、ニュースでしか見たことのない迷彩柄の兵士がその中で怒号を上げていた。もちろん手には小銃を構えている。

 砂埃に紛れ、近くの木の陰に隠れる。もうこの時点で心臓ははち切れんばかりに鼓動を繰り返していて、キリキリと鈍い痛みを発した。上手く酸素を取り込めず、自然と息が荒くなる。外国人兵士が何事か叫ぶ度に、汗がリットル単位で噴き出すような感覚に神経はすり減らされた。

「ダメだ……怖い、怖い」

 その場に蹲りたくなる。しかしもしオレが今ここで手を地面に付ければ……きっともう、殺されるまで蹲ったままかもしれない。――手が自然に、何もない地面に伸びる。恐怖故の現実逃避なのか、ありもしない救いに手を伸ばそうとしていた。

『ゼンジ……だめ、私がついてる……立って、立って私達の未来を』

 シキ……? シキの声がイヤホンから聞こえ、オレの恐怖に塗り上げられた脳を更に上から塗り潰してゆく。

「シキ……」

『ゼンジ……私も、海に行きたい』

 オレは掴みかけた地面を見詰める。何もない、ただ乾燥しきった砂と、枯れ草があるだけだった、結局そこには何もありはしないんだ。

 オレは校舎を仰ぎ見る。きっとあそこにマイがいる。オレがマイを、レベッカを助ける。

 ――運動場を大きく迂回しながら校舎に向かう。時々銃弾が耳元を掠め、その音に男の大事な玉が縮み上がるようだ。後数十センチ先にオレがいたら、とか様々な負の感情がオレを押し殺しそうになるが、今更立ち止まるわけにはいかない。

「Hey! Hands、up! Put、your、hands、up!」

 オレのつたない英語能力でもこれくらいは分かる。〝手を上げろ!〟――つまり、見付かった!? 振り返らなくても二つの足音がこちらに迫っているのは明白だった。

「クソがッ!」

 少しだけ背後を見ると、サングラスを掛けた兵士二人が銃を構えながらこちらへ向かっていた。――きっとすぐに殺されるか、もしくは後で殺されるかだ。

 だが、オレのその心配を余所にその兵士二人は崩れ落ちるようにその場に倒れた。

『……早く……行って、後ろは私に任せて』

 シキだ! 狙撃したのか!? この砂埃の中を。

「善治くーん! お迎えに上がりましたわー!」

 オレが再度校舎を目指そうとした時、土御門が手を振りながらこちらに向かって走ってきた。……この銃弾飛び交う中、海岸沿いで彼氏を追い掛ける女の子のように、華麗なステップを踏みながらの再会だ。

「さ、小夜子! 危ないって!」

「大丈夫ですわ! ホラ、大丈夫でしょう!」

 土御門は手を大きく広げ、その場でくるりと一回転して見せる。その最中刀で銃弾を弾き飛ばしているのをオレは見逃さなかったが……。

「全然大丈夫じゃないし……」

「大丈夫ですわ! 今校舎裏の連中は大方片付けてきたところですの、アウア・レディも校舎内に先に行ってますわ、ここは私に任せて――」

 ――ぞくり。

不意に背筋に戦慄が走る。この死の意識を越えた恐怖、今まで何度か味わっている。

「善治くん、少し下がっていて下さいませ」

 土御門はあからさまに殺気を放つ。

 砂煙の先から現れたのは、俯きながらこちらに向かってくる――レベッカだった。

「テメーらヘリのエンジン消せ! 砂が邪魔なんだよ!」

「し、しかし……狙撃主が」

「シキには意味ねーよ。それよりアタシの戦いの邪魔だ。消せ、今殺すぞ」

 レベッカに二言目はなかった。その兵士は銃口を嫌というほど押し付けられ、他の兵士に合図する。エンジンは止まり、ほどなくして砂埃は消え、見通しの良い視界が生まれた。

「……レベッカ」

「ようゼンジ、なんだァ? その不抜けた顔は」

 レベッカはいつものように悪態を突きながら、銃をオレに向けた。

「あらあらあら? 可哀想なレベッカちゃんは組織を裏切る勇気もなく、悲劇のヒロインを演じたまま善治くんを殺すおつもり?」

 土御門がオレの前に立ちはだかる。

「どけよ、アタシは組織を裏切れねぇ。そこにいる男を殺すしか、アタシの居場所はねぇんだ」

「私の知るレベッカさんは、もっと自分に忠実な方かと思っていましたのに」

 土御門の口調が急に柔らかくなる。レベッカはそれを感じ取ったのか、余計に腹立たしそうに口元を歪めた。

「ウルセェよ、知ったような口を聞くな」

 二人共徐々に口調が激しくなってゆく。それは真の感情のぶつかり合いだった。皮肉も比喩も何もない、個々の感情と感情の正面衝突だった。

「この腰抜け! 後一歩で私達と一緒に、あなたの望む世界があるかもしれないのに、どうしてその一歩が踏み出せないのですか! 現にシキさんは自分の殻を破りましたよ!」

「アタシはシキみてぇに器用にはできてねーんだよ! それに残されたマイが死んだらアイツの魂は誰が慰めてやるんだ! 誰かが傍にいてやらねーと家族とは呼べねぇだろうが! アイツは今も苦しんで泣いてんだ。だからゼンジを殺して、アタシが行ってやらなくちゃならねぇ!」

 レベッカは銃の撃鉄を引き上げ、俯いたまま一発土御門の足元に撃った。そして、ナイフを抜き放つ。

「この――ッ! 分からず屋!」

 土御門は刀を構え、レベッカに向かって突進した。

「アナタを止める!」

「来いよォ! テメーとはケリ付けたかったんだよ!」

 オレは、自分の体が勝手に動く感覚に支配される。――止めたい。

「アタシは……! アタシは!」

 ――一閃、ぶつかり合おうとしていたレベッカのナイフと、土御門の刀の軌道が阻まれる。――その中心には、オレが立っていた。ただがむしゃらに、もう斬られてもいい、そう思いながら割り込んだ。

「ど、けよぉ」

 レベッカの瞳は、酷く赤く腫れていた。一晩中泣き続けていたかのように、泣き顔を腫らしていていた。

「泣いてるのはレベッカじゃないか。オレを殺すんだろ? どいちゃダメじゃないか」

「うぐっ、どけったら」

 ボロボロと涙が頬を伝い、銃とナイフを地面に落として両手の甲で涙を拭い始めた。その仕草はまるで子供で、迷子になったただの女の子だった。

「レベッカ、オレと来い」

「ダメだよぉ、アタシは分かんないんだ」

「大丈夫、大丈夫だから。もうそんなに、気負いしなくていい。誰かが傍にいてやることが家族なんだろ? ならオレだってレベッカの傍にいる、いつだっていてやる。だからレベッカ一人でマイのところに行ってやるんじゃなくて、オレ達全員で行こう」

 レベッカの頭にポンと手を置く。レベッカは一瞬とても安堵したかのような顔になり、すぐに大声を上げて泣いた。

 ――レベッカは、いつもシキとマイの犠牲を引き受けていた。姉御気質の性分だからなのかもしれない。彼女に必要だったのは、ほんの少しの心の安らぎだったんだ。形はなんでもいい、自分が押し潰されない程度に心に隙間があればいい。たったそれだけで、レベッカは自分の檻を壊せたのだ――。

「さあ、泣いてる暇はないぜ。マイを助けに行こう、皆で」

 依然オレの胸で泣き続けるレベッカと、優しくオレ達を見守る土御門を促した。もちろんシキにもだ。レベッカは大きく鼻を啜ると、頬を染め「誰にも、言うなよ」とそっぽを向いた。普段とのギャップもあってかめちゃくちゃ可愛かった。……とんでもなく可愛かった。

「そうですわね、皆で」

「っとその前に、ここにいる雑魚共を寝かし付けてやらねーとな」

 レベッカの瞳は、もう何の呪縛にも縛られていなかった。ただ……余計戦闘狂になっているような……。いつの間にかオレ達を取り囲んでいる兵士達に、その好戦的な瞳を向けた。

「加勢しますわ。というか、当り前ですわね」

「まさかアンタ――いや、サヨコと共闘するとはなァ、世も末だぜ」

「あら、さっきの光景をシキさんとマイさんに言ってしまおうかしら」

「て、テメッ!」

 ……せっかく仲間になったというのに早速喧嘩だ。――いや、こういうのも、悪くない。

「貴様、我々を裏切るのか!」

 先ほど、銃口を突き付けられた兵士がこちらに銃を向けていた。なんという死亡フラグ。

「裏切る? 馬鹿言ってんじゃねーぜ。家族のためなんだから当然だ」

「さてレベッカさん、この決着、倒した数で勝敗を決めませんこと?」

「悪くねぇな。おいテメーら、三秒後にファックって言わねー自信はあるか?」

 ――そこからはファックファックの大合唱、一方的なリンチだった。命までは奪わないものの……多分半死にくらいだろう。土御門など「峰打ち! 峰打ち!」と言いながらもちょっと斬ってる有様だ。シキも視界が晴れ、存分に狙撃に専念できるのか絶好調のようだ。

 ――いける、オレ達ならやれる! 皆の力が揃えば確実にマイを助けることができる。

 そう思った直後、制圧したはずの運動場に場違いな通りのいい爽やかな男の声が響いた。

「不快極まる」

 あれは……二枚目男、確かレイセンとかいう――。彼は校舎を背後に、悠然とこちらを見降ろしていた。その隣には人形を抱えたファニー・ローもいる。

「レベッカ、組織を裏切るということは、我々も貴様に対し刃を向けるということだ。それがどういう意味か、お分かりか?」

「つまりお前がぶっ殺される、そういうことだろ? ドS執事さんよぉ」

「一切の慈悲も与えん」

 凄まじい殺気と殺気がぶつかり合う。レイセンは細い体に合った燕尾服を整え、白い手袋を丁寧に、指の間を隙間なく埋めるようにはめた。

「私は人工天使、我が主シムド坊ちゃんにより選ばれた者。貴様ら下賤極まりない下等劣悪種を滅するため人工天使化(昇華)を成し遂げた。……私には理解できない。ヒッチコック含め、レベッカ達も昇華できる好機があったにも関わらずそれを拒む。その理由がどこにある? この力は素晴らしい、人間という種の枠組みから外れ、神をも射抜くのやもしれぬ力を拒む理由がどこにある? 必ずや我が同胞達はいずれこの力を制御なさる。なぜならマスター達は神そのものなのだから。故にシムド様も神、いずれ人工天使遺伝子も完成される。その栄光溢れる覇道を阻む者には一切の慈悲も許されない。そして今、貴様らは裏切った、それがどういう意味か分かっているのか? ――身のほどを弁えろ、殺すぞ人間」

「レイセン、長い! 前置きが長いー! とにかく逆らうのは全部殺すの!」

 ファニー・ローの持つ人形、コレットちゃんがボコボコと不気味に膨張し、縫われたお腹から触手が幾本も伸びた。

「サヨコ、腹括れ。アタシも人工天使の力はよく知らねぇ。ただ、馬鹿みてぇに強いってこった」

「ええ、私もあの力の片鱗には触れたことがありますが、未知の領域ですわ」

 二人共武器を構え、今戦いが始まろうと――。直後、レベッカが大きく仰け反りながら空中に弾け飛んだ。鮮血がその体の軌道に沿って舞い、どさりと地面に力なく横たわる。

「――え?」

 オレはもちろん、レベッカの隣に立つ土御門でさえ一瞬何が起こったか分らなかったようだ。

「裏切り者には死を」

 ――な、なんだ!? ファニー・ロー、レイセンは一歩も動いていない。いや、レイセンが両手に何か握っている? その拳の間からは小さな煙が上がっていた。

「私は人間だった頃、人を殺す時に相手に触れられる距離でしか殺せないほど臆病だった。なぜなら確実に相手を殺せる距離でなくては死に至らしめる確信が得られなかったからだ。しかし人間を辞めた今、私には貴様らが目の前にいるかのように容易く殺せる」

 レイセンは握り込んだ手を少し緩めた。しっかり握れる大きさで、形は円を成している。しかし、一つだけ穴の開いた突起があり、人差し指と中指でそれを挟むように持っていた。

『あれは……暗器銃』

 シキの声が頭の中に反響する。しかし……レイセンは銃をこちらに向けた素振りもなかったはずなのに……。

「ッテェえ! 肩抜かれちまった!」

 レベッカがぎゃーぎゃー喚きながら起き上がる。――よかった、あの口ぶりからすると大した傷ではないのだろう。土御門もそれを見て安堵の表情を浮かべたが、緊張の面持ちで再度ファニー・ローとレイセンを見据える。

「コレットちゃん、一緒に戦おうね!」

 ファニー・ローが人形に向かってそう言うと、二本の触手がまるで人の足のように己の力で立ち上がり、不気味な人形を引き千切ってその中身を現した。

「っな!?」

 皺だらけの死相漂う老人の顔、絶望に打ちひしがれる女性の顔、苦痛に顔を歪める子供の顔。ありとあらゆる負の顔が密集し、そこから触手がいくつも伸びている。見ただけで吐き気を覚える負の感情が、彼らの苦痛を嫌というほど沸き上がらせた。

「これは……マズいですわね」

 土御門は笑ってはいるものの、額で大きな一粒の汗が流れ地に落ちる。

「終わりだ、神城善治。貴様もあの世で己の弱さを憎むがいい」

 レイセンは再度あの不可思議な攻撃を土御門に加えた。その弾丸は土御門の背後から現れ、間一髪で体を反らし致命傷を免れたものの、先日の古傷も開いたのかその場に蹲った。

 ――強すぎる、人間の理解を越えた存在、化け物。到底敵うはずもない、もう……レイセンの言うように、終わってしまうのか――。

「――……いいや、まだだ」

 そう、まだ諦めてはいけない。オレ達には救わなくちゃいけない仲間がいる。

「そんなんで――そんなんで諦められるかよ! 皆がオレを信じて付いてきてくれたんだ! それをお前らなんかに、非道な連中に踏み躙られてたまるかよ!」

「素晴らしい心意気だ、しかし残念ながらお前には力がなかったな。弱きは罪だ、神城善治」

 レイセンがオレを見据え拳を握り込もうとした瞬間、突如何かを避けるかのように後方に跳んだ。

「狙撃……! 射的距離外か」

 いつの間にか、シキが運動場の隅からこちらを狙っていた。続け様に弾丸をレイセンに浴びせる。全て避けられたが、シキがオレの傍らに辿り着くくらいの余裕はあった。

 シキが懐から、母さんから受け取った瓶を取り出した。

「これは……バーサーカルロイド。まさかシキ、飲むのか?」

 こくりと頷き、一錠取り出す。

「あ、危ないよ。イチかバチかでも……オレが飲む!」

 オレはシキから錠剤と瓶を取り上げる。――母さんは力が強くなる、と言っていたがどれほどの力と副作用が現れるのだろうか。でも躊躇っている場合じゃない、このままじゃ皆死んでしまう、飲まなきゃ……やられる。

 オレが意を決して飲もうとした瞬間、突如視界の端から手が伸びてきたかと思うと錠剤と瓶がむしり取られ、その奪い取った張本人、レベッカがバリバリと錠剤を噛み砕いた。

「あ!」

 レベッカはまるで、いたずらをした子供のようにはにかんだ。

「こ、これどんな恐ろしい副作用があるか分からないんだよ! 死ぬかもしれないんだ!」

 レベッカは「海、アタシも行きてーんだ」ともう一度にこりと微笑んだ。――直後体がバネが弾かれたかのように大きく脈打った。――また……レベッカは自分を犠牲にするつもりなのだろうか。……いや、違う、あのオレ達を見回す笑顔は慈愛に満ちていた。オレ達を純粋に守りたい、そう思ったのだ。

 オレは溢れ出そうになる涙を堪えながら、力いっぱい叫んだ。

「行け! レベッカ! 仲間のために、自分のために、戦え!」

 ――土御門、シキと共に固唾を飲んで見守る中、レベッカは身動き一つせず体をだらんと脱力気味に前のめりに俯き、時折体がピクリと動くだけだった。そのまま動かなくなるんじゃないか、と不安に思いレベッカの名を呼ぶも反応はない。

「よくもやってくれましたね」

「行けー! コレットちゃん!」

 レイセンとあの不気味な人形がこちらに照準を定めた。

幾重にも伸びる一つの触手がレベッカの足を掠めたかと思うと、空中に弧を描きながら振り上げられ、凄まじい速さで地面に叩き付けんと地面に振り下ろされた。レベッカは先ほどの薬を飲んでから一度も抵抗を見せず、なされるがままに地面へと向かう。――まさか薬を飲み過ぎた!? それが失敗を意味していてもおかしくない。でも……このままじゃ……あのスピードじゃレベッカは確実に死んでしまう。

 オレが思わずレベッカの名前を叫んだと同時に、地面に鈍い音が響き渡った。思わず目を背ける。……が、荒い呼吸が聞こえたので薄らと目を開いてみると、そこには衝撃のあまり運動場が陥没していた。その中心に何者かが膝をついている。肩を大きく上下させ、低く唸る女の子。レベッカだ……いや、しかしまさか、誰が見ても到底助からないのに……。それを着地したというのか。

「グゥルル……ルル」

 腹の底から捻りだすかのような唸り声、もう女の子の声帯で出せるような声じゃなかった。――まるであれは……。

「グガガ……ガ!」

 レベッカは足元に絡まる触手をぶちりと片腕で引き千切り、次々と襲い掛かる触手を素手や歯で引き千切りながら人形本体へ向かった。触手はレベッカの肌や骨を傷付け、その猛進を食い止めようとするもレベッカはただ無心に、ひたすら本体を目指した。先ほどのレイセンの傷もあってか、目も当てられないほど血をぶちまけながらの、人間の全てを忘れた猛攻だった。――あれはまるで……。

 その場にいる誰もがその地獄絵図に立ちすくみ、固唾を飲んだ。引き千切られる人形は更なる呪いの叫びを上げながらレベッカの猛攻を阻む。しかしレベッカにそれは通用しない。いくら血を流そうとも、骨が折れようとも彼女は少しも止まる気配さえなかった。――あれじゃまるで……。

 ――狂犬――。

 レベッカはついに本体へ辿り着くと、腰に携えたナイフを幾数個の呪われた顔へと存分に刺しまくった。いずれ動かなくなるも、一心不乱に刺し続ける姿はもはや誰も立ち入ることすらできない。

「悪魔、鬼、餓鬼、死神、魔なる者、その姿は堕落した人間の末路か」

 レイセンは誰よりも早くその場に順応した。丸い銃を握り込み、指の間から弾丸を発射しレベッカの背後から現れる。――が、レベッカはそれよりも速く、その弾丸を交わした。どこから現れるか分かるはずのない銃弾を、確かに目線を合わせ避けていた。

「ふん、一度見切られたくらいでは私の攻撃に死角はない」

 レイセンは自信たっぷりの様子で、レベッカを見下ろした。

 一度レベッカから外れたはずの弾丸は何かに反射するわけでもなく、まるで何もない空間に弾丸は飛び込んで行き、違う空間から出現するかのようにレベッカを取り囲んだ。その弾丸は数百にも及ぶ反復を繰り返しながら、避けるレベッカを徐々に追い詰めていく。あまりにレベッカの周囲を弾丸が飛び交うため、閃光が重なりレベッカの周りは丸い球体で覆われたようだった。――しかし、その閃光も〝ガリッ〟という音と共に、途絶える。

「……な!?」

 レベッカは歯で弾丸を喰らった。予測もしていなかったレイセンが動揺を見せた時にはもう遅い。レベッカは地面が陥没するほどの脚力で踏み込み跳躍すると、レイセンに回避する余地も与えずナイフを足に突き刺し地面まで貫通させ、レイセンの動きを封じた。

「ぐッ!」

 レイセンの苦痛に歪めた顔に、レベッカの粉砕機のような拳がめり込んだ。

「グウァ!」

「ぐはっ!」

 殴られたレイセンの頭部は地面に激突し、ボールのように大きく跳ね返った。そのままぐったりと横になったレイセンは、一切ピクリとも動かなくなる。

「ば、化け物……」

 誰がそう呟いたかは分からない、しかし誰も否定しなかった。――全身から噴き出させた血を自身で浴び、いびつに曲がった口からは獣のように喉を鳴らし、低く屈みレイセンを片足で踏む姿に人間の名残など一欠片も残っていなかった。

「レベッカ……もういい、もういいんだ!」

 オレは無意識の内にレベッカにそう叫んでいた。レベッカがレベッカでなくなってしまう、二度と戻ってこなくなってしまう、そう感じた。しかしレベッカにオレの声は届かない。次なる敵、ファニー・ローへ向けてノロノロと歩を進める。

「よくも、よくも私のコレットちゃんを……! 殺してやる! 殺してやる!」

 あの幼い女の子が、目をひん剥いてレベッカを罵倒した。その感情が露わになると同時に、ファニー・ローの周囲から青白い電流が迸る。レベッカは歩調を緩めず真っ直ぐに歩いていたが、直後、踏み出したつま先が地面に擦れたかと思うと、糸を全て切られた操り人形のように地面に崩れ落ちた。

「あ……アッハハハハア! コレットちゃんを殺した罰だ! とどめは私が刺したげる!」

 ――まずい、今のレベッカには立ち上がる力すら残っていない。いや、限界などとうに超えている。

「させるかよぉ!」

 オレはレベッカを守ろうと走るが、その横をオレよりも速くシキが駆け抜けた。ファニー・ローは周囲を電撃で覆うと、シキを迎え撃たんと手の平に眩い光の球体を練り上げる。

「邪魔しないでよ!」

 ファニー・ローはその光り輝く球体をシキに投げ付けた。シキは軽々と交わしたように見えたが、その球体は突如膨張したかと思うとシキを包み込み、辺りにシキのか細い絶叫がこだました。

「シキ!」

 オレの叫びも空しく、シキは天を仰ぎ見ながらくすぶる体を地面に落とした。

 ダメだ、皆やられてしまった。土御門も瞳に闘志を燃やしているが、足に力が入らないようで身を起こしているだけで精一杯のようだった。……オレが、なんとかしないと。――会話をするんだ。

「アハハ、後はお兄ちゃんだけになっちゃったね」

「……ファニー・ロー、どうしてキミは人を簡単に殺せたり、シムドの言いなりになってるんだ?」

 ファニー・ローは首を傾げ、オレの顔をまじまじと見詰めた。

「どうしてって……シムド様は恩人だから。だから一緒に行くの」

「人を殺すのは平気なのか? 不条理に、どうして殺すのか理由も知らないままただ命令通りに殺す、ということを疑問に思わないのか? 殺された相手がもしかするとキミにとても優しくしてくれたかもしれない、幸せをくれたかもしれない、その選択が自分の手にあるにも関わらずキミはその相手に恨まれながらも、殺すことに疑問を感じないのか?」

 ここでファニー・ローの顔が一瞬でも揺らげば、マイ達のように組織から抜け出す意思というものを与えてやれるかもしれない。そういう希望を持っていた。

「ないよー、人を殺しちゃうのは仕方ないもん。だって相手が私より弱いんだもん」

 ファニー・ローは純粋な瞳でにこりと笑ってみせた。オレはそのあまりの純粋さに戦慄を覚えた。――子供ならではの、無邪気な笑顔に。

「それに、シムド様は私に命をくれたの! それにこの新しい力も! おっきく見えた世界もちっちゃくなって、そしたら自分のことがどうでもよくなって、ああ、私はシムド様のために生きてるんだな、って思ったの。だから私はシムド様に『死ね』って言われたらね、死ねるよ」

 これが子供なのだろうか、オレは彼女よりも年齢は上のはずなのに、彼女の瞳を見詰めていると急に自分が幼く思えてくる。

「――そう、言葉も理屈も通用しない相手というものは存在してしまうのよね、悲しいことに」

 校舎の陰から母さんが姿を現した。コツコツと靴底を鳴らしながらオレとファニー・ローの間に割って入るように近付いてくる。

「母さん!」

「善治、そんな相手に論理なんて求めちゃダメよ。言葉でもなく、合理性を説くでもなく相手に分かってもらうというのは私も常々模索中なんだけど、今のところコレが一番効果あるのよねぇ――」

 母さんはゆっくりファニー・ローに近付く。

「く、来るな! 私達の敵、閃光のマリア!」

「来るなって言われたら余計に追い掛けたくなるじゃない」

 ファニー・ローはシキを倒した時のような光る球体を造り出す。――が、次の瞬間には母さんの拳がファニー・ローの顎先を掠めた。恐らくとんでもない速さだったのだろう、母さんが移動した軌道には、薄らと光る残像が見えた気がする。

「――殴るか黙らせるか、これが一番効果的なのよ」

 母さんは倒れるファニー・ローを抱え、ゆっくりと地面に寝かせた。

「ごめんね、遅くなって。一クラス一クラス周ってたら予想以上に時間が掛かっちゃって。だけど全校生徒の無事は確保したわ。……でも私達一杯喰わされたみたい、学校中くまなく探してみたけど、マイや魂売りの姿がないの――」

「それはそうだろう」

 突如、上空から辺りに声が轟いた。――どこか懐かしいような声。

「久しぶりだな、真理亜……と善治かぁ?」

 ヘリが降下し、着陸を待たず扉が開いた。シムドにヒッチコック、手足を拘束器具で固定されたマイ。そして……だらしなくスーツを着た男、無精髭を生やした父さんが運動場に降り立った。あの昔のおぼろげな記憶が彩りを加えたように鮮明に浮かび上がる。――あれが世界を揺るがす男、選ばれた者? どう見てもただの中年のオジサンだった。胸ポケットからよれた煙草を取り出し、面倒臭そうに特殊な紋章が刻まれたライターで火を点ける。……あの紋章が、白石が言っていた組織の印だろう。

「敵戦力は極力減らしてから本命を確実に殺す。つーのは常套手段だろ」

「相変わらずね、昔からそういうところは何も変わらない」

 父さんと母さんの視線が交差する。

「……まぁいい」

 父さんは煙を吐き出すと言葉を続けた。

「善治、すまねぇとは思ってるんだが死んでくれ。シムドの馬鹿息子が俺の意思を継ぐことになった、血筋は二人といらない。座は一つだけだ」

 ――これがオレの父親、そう思った矢先の言葉だった。何も感動の再会を期待していたわけじゃない。……こうなるのは最初から分かってた……はずなのに。

「……父さん」

「俺を父親だと思うな、見た通り俺はクズでどうしようもない馬鹿だ。しかしこんな俺でも世界を牽引する役割というものがある、その支払うべき対価が善治達の命というのなら……いや、誰の命でも俺は奪うぜ」

 父さんの表情は感情を語らない。ただあるがままを、見たもの全てを受け入れるかのような純粋な眼差しを、オレに向けていた。

「どうして、どうしてこのタイミングで善治を狙ったの? シムドちゃんはまだ子供、正式な継承はまだまだ先のはずじゃない」

 母さんのポーカーフェイスは崩れない。対照的に、その場に小さくなっているシムドだけが〝まだ子供〟と言われた時に母さんを睨み付けた。

「シムドの野郎、どうしても今がいいらしいんでな。……コイツはまだまだ子供だ、自分の力量すら測れていない。まあ遅かれ早かれ善治は地上にいてはならない男だ、今死んでも大した問題じゃあねぇな」

 母さんが隠すことなく舌打ちをする。母さんが舌打ちをする理由も分かるが……オレは心境的になぜか父さんを憎めないでいた。この淡々と話す口調、一種の開き直りかとも思えるがそれも違う。……きっと彼は、そう言葉を発するに足る資格を持っているのかもしれない。――だからといってオレだって死ぬわけにはいかない。マイを助けて皆で笑い合わなくちゃ意味がないんだ。

「父様、僕が兄さんよりも優れているという証拠を必ずや見せてご覧に入れます」

 シムドは歯切れが悪そうにボソリと呟いた。

「当たり前だろ、そうじゃなきゃ俺が困る。……でもな、お前の手駒は全てあの有様だ。結局俺やヒッチコックがいなきゃお前はとうに死んでるんだよ。今お前は一人ぼっちだ、そんなお前に一体何ができるってんだ? ああ?」

 父さんはシムドに本当の息子のように叱った――いや、本当の息子なのか……あそこにいるのがオレだったら……。自分の姿とシムドの姿が重なり合い、そしてオレだけが取り残されてゆく。

 オレは自分の拳が震えていることにしばらく気付かなかった。オレはその手をきつく握り込み、覚悟を決めた。

「……オレは死ねない、死ぬもんか」

「ほぉ」

 父さんは意外そうな顔でオレの話に耳を傾ける。

「最初は、自分が死ぬのが怖かった、だから生きたかった。でも今は違う、もちろん自分の命が安くなったわけじゃない。でも……オレを信じてくれた皆はオレに命を預けてくれた、あんなにも必死に、倒れるまで戦ってくれた。だから……えー、何て言ったらいいのか……。シンプルに言うと〝返り討ち〟にしてやる、ってこと」

 ――オレだってマイ達と一緒にいたい。なら……オレも命を賭して戦わなくてはならない。

「さすが私の息子善治。どう? 良い男でしょ?」

 母さんはオレの頭をクシャクシャと撫でると、じっとオレを見詰めてくる父さんに自慢した。

「自分で選んだ道か、面白い。力がない分どうやって補うのか見物だな」

 父さんが数歩後ろに下がった。そうなると嫌でもあの重い威圧感を放った男が前に出てくる。大きな体を揺すり、三日月のように曲がった口からは荒い呼吸が漏れる。そしてあの凄まじい眼光がオレを捕えた。

「神城善治、貴様のような力なき者がそこまでの大口を叩いたのだ、覚悟というものはできているのか?」

 ヒッチコックがあの大きな剣を抜き放った。鋭利な刃がオレを切り裂く姿が容易に想像できる。もうこの時点で引き返して家に帰り布団に潜り込むのが、一般的な思考を持ち合せている者ならごく自然の行動だろう。……だが。

「死ぬ覚悟はないけどな!」

 ヒッチコックは黙ってオレの顔を見ていたが――直後、その場の誰もが驚く行動に出た。なんと、マイの拘束具を剣で断ち切り、自由を与えたのだ。

「おいおい、いくらなんでもそりゃマズいでしょ」

 父さんがヘリの扉にもたれながら呟く。

「マスター、私は己の正義を誓い、その正義を貴君に託した。しかし人質とは愚劣極まりない行為、それは私の正義が許すはずもなし。我が天秤は平等に、対等に下さねばならない。さあマイ、檻から飛び立とうというのなら、その障壁を乗り越えてみせろ」

 ヒッチコックは懐から、マイの装備一式を投げよこした。

「そ、そんな……先生」

 マイのか細い声は、ヒッチコックの強面を少し緩めた。

「お前達は自分の道を選んでもいいのやもしれぬ……あの小僧に託してみるのも一つの選択なのやもしれぬ。そうあれかしと信念が言うのであるならば、その小さな灯を業火の如く滾らせ、己の力で喰い破ってみせよ」

 父さんは一連の行為を黙って眺めていたが、溜め息を一つ吐くと黙って首を横に振った。

「ったく、お前はいつも合理性に欠けるな。人工天使移行計画の時もそうだ。下等生物如きに親心を抱いてしまったか……」

「……確かに、人工天使として、人という枠組みを外れ昇華するも一つの道。しかし、我々は人間だ、人間として昇華することこそが何よりも美しい。マイ、その美しき美貌と共に、己の魂もまた美しくあれ」

 ヒッチコックは、それ以上語るまいと剣を地面に擦り合わせる。マイもそれを読みとったのか、自分の銃、ハンドガンを二つ両手に構えた。

「先生、今まで育てて下さってありがとうございます」

 そして、力を溜めるように双銃の構えを取ると、目にも止まらぬ速さで両腕を引いた。ガチャリという音と共に弾丸が薬室に送り込まれる音がする。

「シムド坊ちゃん」

 ヒッチコックに急に呼び掛けられ、シムドはビクリと肩を震わせた。

「貴方も私の弟子の一人、己の信念を貫くというのであれば、その采配を己が手で証明してみせよ」

 シムドはその言葉を聞いても黙ったまま、拳を強く握り肩を震わせた。

「行くぞ、我が一番弟子よ!」

「私は、私は! ゼンジと、皆との幸せのために! 負けない!」

 マイは一瞬こちらを見ると、力強く頷いた。

「善治、よく見てなさい。彼は偉大な男よ」

 母さんがオレの肩に手を乗せ、食い入るようにその戦いの行方を見守っていた。

 ――マイの双銃はまるで踊るように舞いながら銃口から火を噴いた。身の軽さと精密な射撃精度は見る者を虜にし、その舞台上で踊るマイとヒッチコックは何よりも美しかった。ヒッチコックは戦闘中にも関わらず、幸せそうにマイの猛攻を防ぎ、愛おしそうにその動きを目線で追っていた。――一番弟子とヒッチコックが言うだけあって、マイの動きは誰よりも滑らかで、無駄がなく、美しい。

 勝負は一瞬、剛腕のヒッチコックが突き出した剣の上にマイは飛び乗り、片腕で剣を、更にもう片腕でヒッチコックの胸を撃ち抜いた。ヒッチコックの巨漢を弾が背中から貫通し、鮮血が飛び散る。

「ぐ!」

 弧を描きながら折れた剣が、屈んだヒッチコックの傍らに突き刺さる。

「先生……わざと――」

「勝者に言葉はいらぬ! いつまでも子供と思っていたが……やるようになった……な」

 マイの言葉を遮り、ヒッチコックは豪快に笑うと巨漢を地面に落とした。

 ――土御門、シキがレベッカの両脇を抱えながらこちらに近付いてくる。ファニー・ロー、レイセンも傷だらけになりながら、ヒッチコックの横たわった体を不思議そうに眺めていた。

「私の弟子は、どこにいる?」

「ここにいます!」

 マイが我先にヒッチコックの手を握り、大粒の涙を流した。ヒッチコックの瞳は生気を徐々に失って行き、体が細かく痙攣していた。

「せ、先生?」

「光が、魂が……見える……。マイ、美しく……なったな、とても……とても美しい」

 ヒッチコックは大きな手を伸ばすと、マイの顔を優しく撫でた。そしてうわ言のように、遠くの誰かに語りかけるように掠れた声を出した。

「皆の顔が……ああ、笑っておる。これが私の、成すべきだった……正義……」

 ヒッチコックは、マイに伸ばした手を地面に落とす。それは彼の死を意味していた。

――オレは彼の生きてきた過程を知らない、でもきっと、今のオレ達のように、それ以上に凄まじい人生を駆け抜けてきたに違いない。彼の死ぬまで貫いた驚嘆すべき信念が、彼を知るはずのないオレの心に、尋常ではない感動を沸き起こらせた。――彼の正義は、間違いなく正義そのものだ。何の分け隔てもなく、平等に下す正義。

「ありがとう、さようなら」

 母さんが、小さく横で呟くのをオレは聞き逃さなかった。その声はか細く、囁くかのような優しい声だった。そして、切り替えるかのように今度は大きな声で、父さんに語り掛ける。

「さぁ! そちらの切り札は潰えた。こちらの条件を聞きなさい!」

「切り札……か、確かに我々は重要な手札を失ってしまったようだな。この状況を覆す手はいくらでもあるが……彼の命に免じてそちらの要求を聞こう」

 父さんはあれだけ無感情そうに見えたものの、ヒッチコックの死が余程意外だったらしく視線を落としたままだった。

「現時刻を以って、神城善治の暗殺命令撤廃、及びマイ、シキ、レベッカ三名の解放を要求します」

 母さんは淡々と単刀直入に言った。父さんはその言葉を聞き、マイ達を見回したがやがて溜め息を吐いた。

「ヒッチコックも死に、部下にまで裏切られるとは……。あながちシムドのことも否定できんな」

 父さんはヒッチコックの亡骸に視線を移し、あの巨漢に近付くと重そうに肩で担ぎ、ヘリまで運んだ。その行動がぼんやりと意外だった、父さんは血も涙もない冷徹な男だと思っていたけど。

「それがアナタの悪いところよ。合理性を追求し過ぎるが故に、何もかも置き去りにする。……家庭さえも」

 父さんは力なく振り返り、初めて口の端を引き上げてみせた。その笑顔は少し悲しそうで、瞳の奥には底知れない闇が広がっていた。

「それでも俺は、全てを犠牲にしなくちゃならねぇ」

 父さんはそう呟くと、ヘリに乗り込んだ。

「条件は呑もう、マイ……シキ、レベッカの引き渡しは受理した。だが、善治の命はいずれ必ず葬らなければならない。数日後、数年後、はたまた数十年後に訪れることになるだろう。血の繋がりという呪縛は消えることがないのだ。それが今回呑める条件だ。……たった一人の友人の命と引き換えの……条件だ」

 父さんはもうこちらを向いていない。操縦士に向けて何事か合図すると、エンジンが掛かり砂埃と共に大きな排気音が鳴り響いた。レイセン、ファニー・ローがお互いを支え合いながらヘリの前に立つシムドに向かってゆく。

「まだだ!」

 その排気音よりも大きく、シムドの絶叫がこだました。

「坊ちゃま、ここはお引きを……」

 またいつものわがままなのか……。レイセンが顔面を腫らしたままシムドを慰める。

「父様、お先にお帰り下さいませ。レイセンもファニー・ローもヘリに乗れ!」

 皆驚いた表情でシムドを見詰める。父さんでさえも、仁王立ちするシムドの後ろ姿を数秒見詰めていたが、やがて「そうか」と座席のベルトを締めた。

「僕は! 己の信念のために、兄さん! 今この場で決闘を申し込む!」

 オレは自分の口が半開きになっていることに気付いた。今決闘と言ったのか? あれだけ他人任せな上に自己中心的で、他人をゴミのように扱う子供が、そんな言葉を? ――確かめようとシムドと視線を合わせる。――彼は泣いていた。覚悟の色を瞳に秘め、前に突き出した拳は震えていた。

「僕は、僕には……やらなくちゃならないことがあるんだ! 僕にも信念があるんだ!」

 ――シムドは、成長したのだ。それがヒッチコックの死に直結するかは分からないが、確かに成長したのだ。

「さぁレイセン、ファニー・ロー、早く帰って傷を治せ! 後は僕が兄さんを倒す!」

 立ち尽くしていたレイセンはふっと笑った。

「坊ちゃん、アナタのような世間知らずがどうやってお家まで帰るというのですか? 私が付いていませんと何もできないというのに。我が主、我が道、我が光、どうか私をお傍に」

 レイセンは重傷にも関わらず、恭しく片腕をお腹の前に掲げ、小さく頭を垂れる。ファニー・ローもそれを見ると、慌ててお辞儀してみせた。

「う……うぅ」

 シムドは瞳から大量の涙を流した。

「なら俺は行くぞぉ。…………シムド、早く帰って来い」

 父さんはそれだけ告げると、扉を閉めすぐにヘリは飛び立った。オレは何か言葉を掛けたかったが、もう今からじゃ声は届かないだろう。そのあっけない別れに鼻の奥がツンとする。その飛び立つヘリを視線で追っていると、不意にその窓に手が映った。

片手を上げている? それはオレへの別れの合図なのかは分からない。でも……少し嬉しい。

 ヘリの音が遠く離れた頃、オレはシムドに視線を向けた。もう彼は涙を拭い、ただこちらだけを見据えていた。

「兄さん、僕はアナタを踏み越える! 僕の正義を見せてやる!」 

 オレの弟……腹違いとはいえど立派な弟だ。ならオレがお兄さんっぽく教育してやらないとな!

「来いシムド! オレにも守らないといけないものがあるんだ!」

 そう言うや否や、シムドが地面を強く踏み込みこちらに駆けてくる。オレだって……!

 オレ達はお互い駆け寄ると、砂にまみれながら泥仕合のような殴り合いをした。シムドの拳は意外にも重かった。一応ヒッチコックの弟子らしいので納得だが、こんな年下にオレだって負ける訳にはいかない。

――周囲からは笑い声と、互いを応援する声が聞こえる。

「オラゼンジ! 腰入ってねーぞ!」

レベッカはなんとか意識は取り戻したのか、息も絶え絶えだが早くも元気そうに叫ぶ……がそんなこと分かってる、喧嘩なんてしたことないんだ……。ただがむしゃらに拳を突き出すしかない。

「拳下がった! 今、今! あーもう! センスの欠片もないわね」

「……がんばれー」

 マイとシキの温度差溢れる声援に力が抜けそうになる。

「善治くん! 相手は右ガードが甘いですわ! 最悪目を!」

 目をなんだ!

 ――ただ、どんなに強く殴られても痛くなかった。身体的ダメージはあるんだろうけど、その拳は心地良い。シムドも、今まで感じたことのないように顔を輝かせ、その拳の会話を楽しんでいるようだった。

「シムド様ー! 頑張ってー! そんなヘタレウンコやっつけちゃえー!」

「坊ちゃん! だからあれほどヒッチコックの授業をサボるなと何度も何度も……大体ご自分に甘過ぎるのです、そのような人間如きにフラフラではありませんか。ああ! また坊ちゃんの尊いお体に傷が……昔からいつもいつも――」

 レイセンは少し自分の私情が混じっている気がしないでもない。母さんなど胡坐をかきながら「青春ねー」なんて、呑気なもんだ。

 ――勝敗はいつの間にか付いていた。……といっても、お互いボロボロになってオレが立っていた、という理由だけだが。オレは勝ったんだ!

「どうだ! 兄ちゃんは強いだろ!」

「う……まだ、まだやれる」

 シムドは傷付いた体を無理矢理起こそうとするが、ついには地面に倒れた。レイセンとファニー・ローが慌てて駆け寄り体を抱き起こす。

「う……離せ……兄さんは足にキテる。後一発……後一発で」

 確かにシムドに言う通り後一発もらえば意識もぶっ飛びそうだ。だが……これだけは言わなくちゃ、兄として。

「オレは! 何度でもお前が来る度にぶっ倒してやる! 何遍だってお前を受け入れてやる!」

「……僕は……兄さんを殺す、いつか殺さなくちゃならない。……それでも、いいの?」

 シムドは片目を腫らしながら、見上げるように、挑戦的な目付きでこちらを見詰めた。

「ああ、なんせオレはお前の兄ちゃんだからな。兄弟なら喧嘩も付きものだろ?」

 シムドは一瞬目を満月のように見開き、一瞬瞳が揺らいだ……が、すぐさまそっぽを向いたのでその揺らぎが何を意味しているのかは分からない。

「僕達はもう行く。いずれまた、そう遠くない未来に兄さんの……善治兄さんの命を……」

 シムドはもうそれ以上喋ることはなかった。喧嘩に疲れ気を失っただけかもしれない。しかしすぐさまレイセンがシムドを抱えたまま立ち上がり、オレ達面々を見回すと深々と会釈した。ファニー・ローも不思議そうな顔をしながら頭を下げる。そしてお互い言葉を交わすこともなく、シムド達は運動場を飛び越えあっという間に姿は見えなくなってしまった。

「……彼ら、もう来ないんじゃないかしら」

 母さんがぼそっと呟く。それならそれに越したことはない、オレ達は普通の日常を送りたいだけなのだから。あっと……これも母さんに言っておかないと。

「母さん、前の組織に入らないかって話なんだけど」

「腹を括ったの?」

「いいや」

 オレは土御門、シキ、レベッカ、マイの四人を見回す。皆傷を負っててボロボロ、更に疲労が溜まりに溜まっていてその場に座ったまま眠りそうだ。しかしそれでも、オレの顔をニヤニヤと見ていた。そしてマイが口を開く。

「私達はゼンジについていくわよ。助けたんだから最後まで面倒見ないとね」

 彼女達の、幸せ……。

「オレは、オレ達は母さんの組織には入らない。オレ達の幸せは、オレ達で見付けていくものだと思ったんだ。これからも振り掛かる火の粉は多いかもしれない、でもそれはオレ達で解決して、オレ達で乗り越えてそれでやっと幸せって言えるんじゃないかって思ったんだ」

 皆疲れてはいるがとても幸せそうに、やり遂げることの喜びを実感していた。……オレは、この笑顔を見るために……。

 母さんは黙ってオレの話を最後まで聞くと、不意にくしゃくしゃとオレの頭を撫で回した。

「まったく、良い男になったわね。了解、善治の意思は確かに受け取ったわ。マイと小夜子、それにシキちゃんとレベッカちゃん、これからも善治をお願いね。……善治、困ったことがあったらいつでも私に相談しなさい、私の息子善治」

 母さんは手をパン、と叩くと「帰りましょう、私達の家に」と笑った。――帰ろう、家に、オレ達の家に、帰ろう。


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