乱痴気騒ぎ
全四部中、第二部になります。
第二章・乱痴気騒ぎ
朝はその日の始まり。希望に満ちていて、何が起こるか分からない。カーテンの隙間から漏れる朝日にそんな冒険心をくすぐられる。本来はとってもワクワクするものなのだが……。
オレはいつものようにベットから身を起こそうとし……普段はない違和感に襲われた。違和感は三つある。まず部屋中、いや、この分だと家中が火薬臭い。花火の火薬とかいうレベルじゃない、とにかく臭い。そして、部屋内や窓の外、いたる所に配線やカメラのような機材が設置されている。一体何の機械なんだ? あんまり邪魔にはならなさそうだけど……。昨日マイやレベッカが食事前にバタついてたのはこれのためか?
――いや、それどころじゃない! 違和感の残り一つが大問題だ!
「……ん」
あわわわわわわっわわ。あれれー? なんでなんで? なんでシキがオレのベットにいるの? しかもなんで浴衣? あ、そっかそっか、日本好きか! じゃなくて――。
ピッタリと密着され、オレの腰に巻き付けられた細腕が暖かく、浴衣の特性上『ハダける』というオプションは免れない。現に赤子のように綺麗な肌に浮き出した鎖骨がモロ見えでその下も……後ちょっと……もう少しで……もう一ヨイショで……――って! オレは子供相手に何言ってるんだ! ……るんだ。
しかしこのままではオレは確実に変態検定二級合格発表されてしまうのでシキを揺り起こすことにした。
「し、シキ! 起きてよ!」
「……んー」
数秒タイムラグがあったが、身じろぎ一つでいきなり動きを止めると、いきなりパチリと目が開かれた。寝ぼける素振りも見せずむくりと起き上がると、こちらをゆっくりと見据え、小さく「……おはよう」と挨拶をした。その当たり前のようにする一連の動作は、この部屋に数年前から住んでいるかのように居心地良さそうにも見える。
オレは一体何が何だか訳も分からず、いつの間に入ったのか、どうして隣で寝ているのか、どうしてそんなに平然としていられるのか、という思いが頭の中で交錯して何から聞けばいいのかで固まってしまった。結果……。
「お、おはよう」
あまりに普通過ぎたか……。でも挨拶されたんだからそう返すしかないよね……。
シキはそのまま浴衣を脱ごうとしたので猛烈に止めた。女の子にしてはあまりに無防備過ぎやしないだろうか?
「どうしてそんなに警戒心ってヤツがないんだ! オレは一応生物学上男に分類されてて、しっかりホモサピエンスやってるんですよ!?」
「……ゼンジ、いい人」
「ハァ? 昨日会ったばかりじゃないか。それにどうして隣で寝てたの?」
キョトンとした顔でオレの顔を覗き込むシキは、なぜ聞くんだ? とでも言わんばかりだ。その顔をしたいのはオレだ!
「……好意のある異性と体を密着させると体に良いって聞いたことあるから。だから今日はとても調子がいい」
さすがにこのオレも背筋が反り返るほどキョトンとしたね。全面的にもう一度言おう。
――この少女は変態だ――
結局シキは人目も憚らず着替える素振りをみせたので、慌ててオレが部屋から飛び出す。あまりに驚き過ぎて頭の中がゴチャゴチャしていたが……『好意』がどうとか、言っていたような……。そんなまさか? だって昨日会ったばかりだし……いや、好意にだっていろんな種類が……。
――ピン!
シキが着替えている部屋から飛び出し、少し廊下を進んだ瞬間だった。小さな金属と金属が触れ合ったかのような音が聞こえた。足にあの配線のような物を引っ掛けてしまったらしい。
「なんだコレ――」
――直後、鼓膜が破けるかと思うほどの爆発が寝起きの俺に襲い掛かった。続いて体中に鈍い痛みが連続的に走る。
「ぶへええええええ!」
「あ、ゼンジおはよう」
マイが階段下のリビングからひょっこり顔を出した。オレの姿を見た瞬間〝しまった〟と言わんばかりに目を一瞬見開いたのをオレは見逃さなかった。
「イテテ、オハヨーじゃねーよ! なんだよコレ! あー! 壁に穴開いてる……母さんに怒られる!」
「あ、ああー、ゴメンゴメン、アンタが夜中逃げ出さないようにトラップ仕掛けてたの。解除するの忘れてた。アハハ、でも火薬量少ないから安全よ、気にしないで」
「安全じゃねーし気にするし! しかも体中痛いと思ったらコレ何!? パチンコ玉みたいなのが飛んできて壁とオレに多大なダメージを負わせたんですけど!」
「そ、それは殺傷能力を高めるための――」
「殺しにきてんじゃねーか!」
――こんなにハチャメチャだが……まあ昨日の夜の状態のまま顔を合わせても気まずいし、少々体は痛いが普通に話せそうなのでよしとしよう。
「おい、朝っぱらからウルセーぞ。アタシの眠りを妨げんじゃねーよ」
レベッカが背後からオレを蹴り落とした。当然階段を転がり落ちることになる。朝から本当に大変だ……。どうやらレベッカは欲求が満たされなかったり阻害されると暴力的になるらしい。昨日の食事前もそんなだったし……一番動物的な人だな――。
「おいゼンジ、今何か良からぬこと思ったろ」
そして勘も鋭いときた。
*
軽い朝食を済ませると、早速ご機嫌になったレベッカが「マイ、見張り交代してやるから少し寝てきな」と勧めた。正直こんな野獣に見張られるよりもシキのほうが断然有り難いのだが、シキは物珍しそうにテレビを食い入るように見詰めていてそれどころではないようだ。
「じゃあそうさせてもらうわ、正直もう……限界」
マイはスイッチを切るかのように、ソファーに倒れ込んだ。すぐさま可愛らしい寝息が聞こえてくる。今まで疲れを見せる素振りさえ見せなかったが、やはり相当疲れていたのだろう。
マイが寝息を数回唱えた頃、レベッカがオレに向き直った。
「んで、今日もガッコーってやつに行くのか?」
「ん? 学校のこと? 今日は創立記念日でお休みだよ。だから外に出る用は買い物に行くくらいかな」
「えー! なんだよ、アタシあのガッコーっての見るの楽しみだったからマイと交代したのによー! まぁいいや、それより何買いに行くんだ?」
「食材の補充さ、昨日すき焼きで大方使いきってしまったからね」
〝すき焼き〟という単語を聞いた瞬間、シキがテレビからこちらに振り向いたのは気のせいだろう。
「でも……本当にお財布がピンチだ。だから今日はすき焼きみたいな豪華なものは作れないよ」
「ん? 〝お財布がピンチ〟ってのは……えーと、金がないって意味か?」
「うん、だから質素に済ませるつもりだけど、シキは何食べたい?」
シキは再びテレビからオレに向き直ると、スっとテレビに映る卵丼を指差した。それなら安価だし鶏肉を少々入れて親子丼にしてやれば文句の声も上がらないだろう。
「アタシ骨付き肉がいい! 血の気たっぷりのやつだ!」
無視だ無視。というか、そんなものが好きだからあんなに大きな胸ができ上がるのか? 横目で確認すると、薄いタンクトップから覗く艶やかな上乳。なるほど、身がギッシリ詰まっていそうだ。
「なんでシキには甘いんだよー」と文句を垂れていたが、シキと一緒にテレビを眺めると途端に「うまそうだなコレ!」とテレビをバンバン叩いていた。
「おっとそうだ、コレも使えよ! 少しくらい足しになんだろ?」
オレが出かける準備をしていると、レベッカが胸の谷間から何かを取り出した。
「うわっ! って……これは!」
二つ折りにされ輪ゴムで丸められた札束だった。軽く数十万円はあるだろうか、投げ寄越されたので受け取ると、人肌の温度がオレをドキリとさせた。そして今まで持ったことのない大金に嫌な汗をかく。
「これお金じゃないか! こんなに受け取れないぞ!」
「日本
ここ
の物価
レート
調べてねーんだ、それでスキヤキ分くらいにはならねーのか?」
「こ、こんな大金なら数ヵ月は毎日すき焼きできるよ!」
レベッカは目を丸くすると、ひったくるようにオレの手からむしり取った。そしてオレの顔と札束を見比べると、その中の数枚を手渡してきた。
「あー、なんだ、数日とはいえゼンジには一応世話になるからな。アタシらとアンタの食材分、それに家賃代だ、それで足りるか?」
なんともおかしな話だ。数日後には殺されるかもしれないのに、その相手からお金を受け取っている。――しかし食費は別だ! オレ一人だってピンチだったのに三人も押しかけて来たのだ。彼女達の食糧費くらい受け取っても何ら変ではない。むしろ称賛されてしかるべきだ! なんたって殺される相手に食事を提供してやるのだから! 言い訳じゃないよ! 家賃も支払うというのならこちらも全力で受け取ろう! ヒャッホー!
「まったく、そんな気利かさなくていいからゆっくりしていけよ」
「お、そうか?」
差し出した手からひょいひょいとお札が抜き取られていった……。残されたのは本当に彼女達の食材費にかかるお金しか残っていなかった。口は災いの元である。
*
オレが早速デパートに向かおうと靴を履いていると、後ろから張り手と共に盛大に突っ込まれた。
「ゼンジお前は超絶にマヌケ野郎だな。どこの人質が一人で買い物に行くんだよ、アタシらは家で大人しくお留守番か?」ともっともなことを言われたので、レベッカがオレと一緒に買い物に付き合うこととなった。シキはテレビに夢中で後から来るらしい。
レベッカの準備を待つこと数分、例のノースリーブとミリタリーパンツにブーツという、いかにも戦う女のような服装で「さあ、行こうぜ」と勇ましく宣言した。……服装としては一応許せるのだが、そのミリタリーパンツの内側の膨らみは一体何ですか?
――こんなところを誰かに見られたらなんて説明すればいいんだろうか? 『いやー、今人質に取られててさぁ、殺し屋達の食糧買いに行ってんだよ』……こんな高校生どこにいようか。……そんな不安に駆られている最中、レベッカは興味津々に街並みを見回している。
「スゲーなー、街がピカピカしてやがるぜ」
「そういえば日本に来たのは初めてって言ってたけど、日本語はどうして話せるの?」
「一応先進国の言葉は全部話せるぜ、アタシらはそういう教育を受けてきたんだ」
「ええ!? それってメチャクチャ頭いいんじゃ……」
「そうだなぁ、試験にクリアできなかったら即射殺だからな、そりゃもう必死よ」
――ぞくり、と血の気が引いた。炎天下の中アスファルトに暖気が全て吸い取られてしまったかのように悪寒が体中を覆う。
「ま、アタシは試験合格したらすぐに忘れちまうタイプだから実戦では苦労したけどなー」と隣でけらけら笑う女の子は、オレの予想以上に壮絶な経験をしてきたようにはまるで見えなかった。
「どうして……そんなに笑ってられるんだ?」
少し怒りが湧いた。きっと友人達が沢山死んでしまったに違いない、それでも平然と笑っていられる彼女が不思議で不思議で堪らなかった。
「笑っちゃおかしいか? 一応アタシは人間だからな、そりゃ笑うさ」
「やっぱりお前達はおかしいよ、オレだったらそんなに笑ってられない」
直後、胸倉を突き掴むように捻りあげられた。レベッカの瞳は髪が邪魔で見えない。
「アタシはクソ溜めみてーなスラム出身だ、生まれ落ちた瞬間から地獄だった。お前にアタシらの気持が分かるのか? 想像できるか? アタシの一番古い記憶が〝痛み〟だ。腹が減って減って死にそうな時に果物一つ盗んだだけで汚ねぇジジイに骨がバキバキに折れるまで殴られ続けた。……この話には続きがあってな、そのジジイのことがムカつき過ぎてアタシが組織に入ってからもう一度そのジジイに会いに行ったんだ。……野郎、ボケと糖尿病で廃人同然だったぜ。殺しに来たアタシの顔見た瞬間『おお、どうかこの哀れな老人にお恵みを』とか抜かしやがるもんだから一撃で楽にしてやったよ。……でもな、そのジジイのくたばった姿を見て、アタシは弱肉強食、表と裏、力のある者が弱者を虐げるっていう世界の不条理さって奴を理解したね。それと同時に、そういうのに心底反吐が出たぜ。身に染みた、とでも言えばいいのか? そんなアタシがこうして笑っていられる。こうして笑ってやることが死んだ奴らに対してできる唯一のことだ。そしてアタシを助けてくれたマスターに従うことやシキとマイっていう家族を護ることに〝命を賭ける〟ことだ。お前にこの言葉の意味が分かるか? 安全な国で安全な暮らしして、気に入らないことがあったらすぐに逃げ出せる。そんな平和ボケクソ野郎に何か言われる筋合いはないね、こちとら死ぬか生きるかの境でメシ拾ってんだ。同じ土俵に上がってから出直しな」
どん、と突き放され、オレは力が入らないまま尻もちをついた。そして、自分の軽率な発言に死にたくなった。昨夜マイにあんなことを言われたのにオレはまるで何も学習していない。そしてまた、レベッカの瞳を見ると何も言えなくなってしまった。なぜなら昨夜のマイと全く同じ目をしていたからだ。――でも何か言わなくちゃ……素直な気持ちで――。
「ごめん……オレ、まだガキで全然何も知らなかった。赦してほしい」
「……そういう素直なのは嫌いじゃないぜ、ホラ立ちな。ゼンジに機嫌悪くなられちゃアタシらの晩飯がマズくなっちまう」
微笑み、レベッカは手を差し出してくれた。
「赦してくれるの?」
「謝ったからいいさ」
オレはその言葉に甘え、レベッカの手を取った。女の子とは思えない力で引き上げられる。
「……でもやっぱムカつくから一発殴らせろ!」
「ええー!?」
けらけら笑いながら追い掛けてくるレベッカを見ると、やはりどこにでもいそうな女の子だった。というか、そうしていることが自然体に見える。
デパートの中はクーラーが効いているようで、いくら節電といっても涼しいものは涼しかった。
「ゼンジ! あれはなんだ!? これは!?」
いたるところでレベッカは店内に並ぶ商品に興味津々だったが、なんとか数日分の買い物を済ませた。その後でレベッカのわがままに付き合っている最中、おもちゃ売り場ではたと足を止めた。
「どうしたの?」
「ばん!」
レベッカはおもちゃの銃をオレに向かって撃つマネをした。片目を閉じ、とても可愛らしい仕草で思わずドキリとしてしまう。こうなってしまえばただのデート……みたいな感じなのか?
「しっかし、随分チャチなできだな。ハハッ、殺しの道具をおもちゃにするなんてイカレてるぜ」
「男の子は皆興味あるのさ」
「理解できねーな。ま、アタシも銃は好きだけどな。リボルバー(回転式拳銃)のシリンダー回転音はどんなヒーリングミュージックよりも心が安らかになる。それに引き換え今流れてる音楽クソだな、聖歌みてーにクソつまんねーよ」
レベッカは店内で流れている流行りのアイドル曲を耳障りそうにしかめっ面で批判した。
「――ん? ……おいゼンジ」
突如レベッカは辺りを鋭い目付きで見回した。そして声のトーンを落とし、ゆっくりと、囁くように何かを言い始めた。
「……アタシらは殺し屋だ。殺しのプロだ、戦争屋や傭兵とも違う、命を絶つことに長けたプロフェッショナルだ。莫大な予算と時間と生死をさ迷った挙句に作られたのがアタシらだ。そういう時間を過ごしているとな、自分が化け物のように思えてくる。弾が乱れ飛ぶ中でもアタシ達は拳銃で楽に敵を殺すことができる、そんな芸当通常じゃできない。でも、そういうことができる相手……同族とでも言うのか、イヤでも見分けることができちまうんだ」
急に何を言い出すのだろうか? 少し目付きが鋭く、神経を集中させているのか身動き一つしていない。
「……もう一度聞く、お前は一体何者なんだ?」
レベッカに睨まれるが本当に何も知らない。――ってあれ? いつの間にか周りに誰もいない? 流れていたはずの音楽も消えていた。空調から洩れる風の音と、ヒヤリと肌を刺激する寒さしかなかい。
レベッカの様子がおかしい。猛獣のような目付きに変わり、低く唸り声を上げているかのように呼吸を荒くさせていた。
「あらあら、一日遅かったかしら」
緊張感漂う中、それに反しフロア内をこだまする爽やかな声が辺りに響き渡った。とても美しく、透明感を感じさせる声だ。……待てよ、この声はどこかで聞いたことがあるような。
「基本的にアタシらの生業では武器
エモノ
が小さい奴はヤバい。なぜなら強さに自信があったり、何かしらの理由で好んで使うからだ。そしてアタシらも拳銃を使ってる時点で十分ヤバい部類に入る。……けどな、刃物しか持たないで戦いを挑む奴は経験上かなりヤベェ」
レベッカはミリタリーパンツの下からくすんだ銀色のリボルバー拳銃を取り出した。かなり使いこんでいるようで、小さな傷がいくつもついている。
「き、急にどうしちゃったんだよ。それにさっきの声――」
「ご機嫌よう、神城くん」
通路の先にその女の子は立っていた。燈色の袴と合気道で使うような白い上着、襟からは大きな胸がチラリと顔を覗かせている。そして左手には……漆黒の鞘に納められた刀を携えていた。
「つ、土御門……!?」
そう、学校一可愛いと噂の女の子が、この異常な空間に彩りを添えていた。
「ああ、こうしてまともに話し合える日がついに、ついについに来たというのに、昨日もお電話に出て下さらない理由はやはりそこのメス犬達のせいなのですね」
そうだ! 昨日マイとの一件で電話が鳴っていたのに出られなかった。……それよりも土御門の様子がいつもよりおかしい。言動も変だしなんかこう、うっとりとオレを見詰めているような気がする……。
「ヘイ、メス豚。お前一体何モンだ? 見たところお前ら知り合い……そうか、お前ゼンジのクラスメイトだな?」
「まあ! 私ですらまだ名字でお呼びしたことないというのに、許せませんわね。数日間の不穏な気配はやはりあなた達だったのですね」
「今頃気付いたのか? おせーよ」
とてつもなく険悪な雰囲気になっている気がする。オレは彼女達の世界にこれ以上踏み込める気がしなかった、というよりも蚊帳の外だ。でも、どうして土御門がここにいるんだ?
「まあよろしいことよ。それよりもさっさとぜ、ぜ、善治くんを私に返しなさい。キャー言っちゃった」
「ハッ、生憎ゼンジはアタシらの人質でねぇ、大人しく返す気はねぇなあ」
レベッカはかちゃりとリボルバー拳銃の撃鉄を引き上げた。それに伴い、土御門も刀の鍔を親指で押し上げる。そして深く腰を落とし、抜刀の姿勢を取ると口の端を歪め不気味に笑った。
「存じておりますわ、だから私もこの場にはせ参じたまで。いざ尋常に、参る!」
「ぶち殺す」
直後、腹の底に響くような一発の発砲音が聞こえた。レベッカが真っ昼間のデパートでぶっ放したのだ。本当に撃ちやがった……嘘だろ、土御門が殺される!
――刹那、風を斬る音と小気味のいい金属がこすれる反響音が辺りにこだました。
オレの心配を余所に土御門は相変わらずニッコリと笑ったままで立っていた。それを見たレベッカは目をまん丸に見開き、それでも愉快そうに笑った。
「……オイオイオイ、弾ァ斬りやがった!? アホだな普通避けるだろ! ヒャッホー、最高の獲物だ」
「ホローポイントは斬り易いですわ」
土御門はいつの間にか抜刀していた。そして彼女の足元には真っ二つにされた銃弾が転がっている。――ほ、本当に斬ったのか!? あり得ないだろ普通、てか土御門って一体何者なんだ?
「善治くん! すぐコイツ殺しますから、すぐ始末しますから少々お待ち下さいませ!」
そこで「はーい」と言ってしまったら大問題だ。と、とにかく止めなくちゃ!
「やめろよ! 二人の女の子が殺し合うなんて変だし、それにロクに……話し合いも、しない、で……」
出かけた言葉が詰まるほどの闘いだった。レベッカは続け様に数発撃つが、金属を叩き斬る音と同時にことごとく弾は地面に力なく落ち、少しずつ間合いを詰められてゆく。あまりに容易く銃弾を斬る様は、さながら豆腐を斬っているかのようだ。
「ンのヤロ!」
レベッカは弾を込め直す。もちろんその速さもギリギリ目で追える速さだった。オレ自身もマグナム銃に似たおもちゃで遊んだことがあるが、一発一発ゆっくり入れなくちゃならなかったのに、彼女は指の間に挟んだ六発の弾丸を見事に入れ尽くしていた。この動作だけで一秒以内、きっと動画を撮ってどこかのサイトにでも投稿すれば神業として崇められるのだろう。
「アナタもそんなモンスター銃を片手で撃つなんて、しかも連続で。やりますわね」
レベッカは撃ち尽くすまで連続で続け様に発砲した。土御門は今度は弾を斬ることをせず、蜘蛛が逃げる時のように凄まじい速さで地面を這うように避けながら接近すると、弾切れを起こしたレベッカに刀を振り下ろした。
「危ない!」
思わず目を瞑るが、ぎゃりりり、という金属と金属の擦れ合う嫌な音がオレの耳を刺激した。
「な、なんですの!?」
「ふぃー、危ねぇ危ねぇ」
レベッカは屈み、腰から引き抜いた刃渡り20センチほどのナイフで刀を受け止めていた。そのまま刀を押し返し土御門を蹴り飛ばすと、オレの方へ駆け寄りそのまま手を掴み走り出した。
「とりあえずここは狭いし分が悪い、外に出るぞ!」
レベッカをそう叫びながら、足元から天井まで掛かる大きなガラス窓に向かって数発撃つと、オレを小脇に抱えそのままの勢いで窓に体当たりする。――って、ここ三階……。血の気が引くのが自分でも分かった。口が勝手に開き、腹に力を込める。ふと視界に入ったレベッカはオレとは正反対に嬉々として自ら口を開いた。
「うわああああああ!」
「ヒャッホー!」
阿吽の呼吸で大声をあげ、真下に停めてあった車のボンネットに飛び降りた。車が見るも無残な可哀想な姿になる。フロントガラスを粉砕しつつレベッカはのしのしと車から降り、それから更にオレを地面に降ろした。もういつ失禁してもおかしくないレベルだ。
「あのメス豚……マジかよ……」
レベッカは今しがた飛び降りた窓を見上げて、額に一筋の汗を垂らしながら半笑いしていた。オレも今度は何事かと同様に見上げるが、さすがに目を疑ったね。なぜならコンクリートの塊がオレ達の真上に降り注いでいるのだから。幸い先ほどの可哀想な車に人は乗っていなかったが、もっと残念なことになった。土御門はどうやらコンクリートの外壁を斬ったらしい。どうみても人外だ。
ギリギリのところでかわし、レベッカに手を引かれながらデパートの敷地内から逃げ出した。丁度その時土御門が地面にふわりと降り立ち、「よくも私の善治くんに触れましたわね。手なんて繋いじゃ子供ができてしまいます、早く〝斬り〟離さねば」とか物騒なことを呟いている。
逃げるように走ること数分、近くの人気のない広い公園でレベッカは足を止めた。
「ゼンジ、ここでカタを付ける。少し待ってな」
「いや、だから戦っちゃダメだって……」
そんなオレの言葉を無視し、砂を巻き上げながらレベッカは走り出した。銃声とそれを弾く音が公園内にこだまする。お互いの攻防は凄まじく、人知を超えた戦いは火花と咆哮と衝撃によってオレに現実だと教えていた。
土御門は何を思ったか、公園の横に隣接している竹林に向かって「うふふふ」と笑い、こちらを見据えながら後方に跳んだ。竹林の闇に紛れるようにして姿が見えなくなる。
「誘ってやがるのか。……しかし竹林か」
「ど、どうしたんだ?」
「竹林で銃は撃てない、竹は弾丸の威力を一切吸収しないし、兆弾率がハンパないから最悪自分に戻ってきちまう。きっと奴もそれを計算して竹林に入ったんだろうな。ゼンジもいるし危険は冒せない」
レベッカはそう呟きながら、ナイフを再度腰から引き抜いた。先程は一瞬のことで見ている余裕などなかったが、刀身は黒く、艶消しが施されたそれは、嫌でも人殺しの道具だと分かる。
「あ、危ないよレベッカ」
「あ? こんなの屁でもねーよ。それよりこれであのメス豚を三枚に下ろすんだ」
レベッカは体を丸め、凄まじい跳躍を見せながら竹林へと跳んだ。――って、オレ置いてけぼり? とてつもなく楽しそうなレベッカは『危険を冒せない』なんて言いながらも、最早オレなんて眼中にないようにも見えたが……。
そのまま帰るわけにもいかず、薄暗い竹林の中を進んで行くと遠くの方から金属がぶつかり合う音が聞こえた。そして……二人の笑い声も「ぎゃははははははァ!」「ウフフフフ、アッハハハハハ」ととてつもなく楽しそうな声が響いている。本当に近付きたくない。しかしそうも言ってられず、仕方なしに二人の見える場所まで近付いた。
近接戦ではやはり刀を持つ土御門が優勢なのか、徐々にレベッカの顔に余裕がなくなってきた。火花を散らしながら攻防を繰り広げる二人に、剣筋に巻き込まれた周囲の木や草が宙を舞う。
――その、全てをなぎ払うような刃物同士のぶつかり合いに、オレも思わず息を飲んだ。
間髪入れず間合いを詰めてくる土御門の太刀筋を嫌がったのか、レベッカは後方に跳躍し距離を取ったが――。
「これで終わりですわ!」
土御門はそれを予感していたように、レベッカの後退に合わせて片足を踏み込んだ。
レベッカを追うように大きく跳び上がった土御門は、空中を滑空しながら姿勢を屈め、横なぎに首を払い落そうと構える刀には間違いなく殺意が籠っていた。
しかしレベッカは、後退の姿勢から仰け反り、迫る刀を少し頬に掠る程度に避けるととても嬉しそうに叫んだ。
「馬鹿が、跳びやがったな! 空中で避けられるもんなら避けてみやがれ!」
土御門もその攻撃が避けられるとは予期していなかったのか、目を一瞬見開いた。
着地を狙ったレベッカのナイフが、土御門の真っ芯目掛けて突き進んだ。土御門は宙から避けることもできず、真っ逆さまに地上に落ちて行く。
このまま行けばナイフの餌食になるのは明白だった。――が、なんと土御門は腰に差していた鞘を引き抜くと、地面に突き刺しその上に乗ったのだ。
「な、にぃ!?」
レベッカのナイフが虚しく鞘の脇を通り過ぎ、勝利を確信した顔の土御門を見上げることとなった。
「あらぁー、あんなのブラフに決まってるじゃありませんの、掛かったのはアナタでしてよ。ワンチャン並みの脳みそさん、ワンワン」
土御門は上段構えでレベッカの頭の中心へ振り下ろし――。
直後、土御門の持つ刀が蒼い火花を散らしながら反り返り、同時に土御門の体も吹っ飛んだ。一筋の閃光が土御門の刀を弾いたようにも見えた。
「な、なんですの!? 今のは……狙撃?」
「シキか!」
オレは辺りを見回してみるが、人影はおろか竹以外何も見えない。
「この竹林の間を縫って狙撃を!? まったく、化け物揃いですこと」と土御門も驚いているようで、ジリジリと後退している。
「邪魔すんじゃねーよシキ!」
『……今のは少し危なかった……でしょ?』
レベッカの耳元の機械からシキの声が少し漏れている。……あんなに小さくて大人しそうで、可愛らしい女の子なのにやはり戦うのか……。
「ぐッ……。まぁいい、とにかく今はコイツを狩るぜ。コイツがゼンジの何か知らねーが危険過ぎる」
『……ゼンジの……友達?』
「知るか。とにかくアタシを殺そうとしたんだ、どの道生かしちゃおけねぇ」
再びレベッカが臨戦態勢に入ろうとした時、土御門は構えていた刀を降ろした。
「さすがに二対一は少々骨が折れますわ、今日のところはここでお暇
おいとま
させて頂きます。善治くん、明日学校でゆっくりとお喋りしましょうね」
「ぁ……! ああ」
オレが返事をするや否や、レベッカが「逃がすわきゃねーだろ!」と叫びながらナイフを再び振りかざし突っ込んだ。――が、笹の葉が土御門を覆ったかと思うと、もう既にその場にいなかった。そしてどこからか微かな声で「善治くんは必ず私が奪い返します。そこのメス犬さんも、またいずれ決着を付けましょう」と竹林の中に深く響いた。
** *
「だからアタシは反対だったんだ! やっぱりコイツはタダ者
モン
じゃねぇ、殺しちまうか、今ここで!」
家に到着した途端、レベッカは大声でそう叫ぶとオレに銃口を突き付けた。その騒ぎを聞きつけたマイがリビングから飛び出してくる。
「どうしたの?」
「どうしたもこうしたもねーよ! 襲われたんだ、クソッタレにコケにされたんだよ!」
マイは大きく目を見開いた。
「詳しく聞かせて」
――全ての経緯を事細かに報告する。途中シキが「……かなりの手練
てだれ
だった」と一言呟いたのが印象的だった。
「……そう、そんなことが」
マイは顎に手を添え、ソファーに深くもたれた。レベッカは相変わらずイライラしているようで「次会ったら殺す」と何度も何度も呟いている。
「やはり、しばらく様子を見ましょう」
「ああ!? 何ヌルいこと言ってんだ、ゼンジを今すぐブっ殺して帰ろうぜ。アイツと戦えないのは名残惜しいが今度プライベートで日本に来てやるぜ」
レベッカは再度オレに向けて拳銃を突きつける。――ところが、なんとシキがオレと拳銃の間に立ちはだかった。
「な!? シキ、どけよ!」
「……だめ……この事件は、探るべき……」
「……アタシは知らねーぞ! 勝手にしやがれ。おいゼンジ、お前はシキのお陰で命拾いしたんだ、感謝しときな! それと、マイもシキももう一度考え直すべきだ。アタシ達は既にマスターに『ゼンジは逃亡』という嘘を吐いている、この行為は既に裏切りなんだぞ」
レベッカはシキに拳銃を向けるのが余程嫌だったらしく、即刻腰にしまい舌打ちを一つするとリビングから出て行ってしまった。
「……あんなこと言ってるけど……撃つ気はなかった……」
シキがオレを振り返り、淡々とレベッカをフォローした。あの剣幕は果たしてそうなのだろうか? と些か疑問に思ってしまう。……それよりも……なんかオレ銃口向けられるの馴れた気がする……。
「そうね、それはそうと敵のことは少し調べる必要はあるかも……。ゼンジ、その子の名前は?」
「え、ああ。土御門小夜子だよ。ただのクラスメイトだ」
マイはノートパソコンを取り出すと、カタカタとキーボードに打ち込む。あまり時間がかかることもなく、段々とマイの顔は険しくなってゆく。
「……土御門小夜子、その子の家、神社じゃない?」
「そうそう! かなり大きな神社だよ」
「そのサヨコとかいう女の子の祖父、とんでもない大物よ」
マイがパソコンをこちらにクルリと向ける。シキと一緒に眺めた。が、そこは何もハッキングとか、秘密のサイトとかでもなく普通の有名な人物などもヒットする辞典のようなサイトだった。
『土御門
つちみかど
鬼蔵
おにぞう
皇宮護衛官にして唯一の側近。幼少の頃から陰陽道の才は一切ないに等しかったが、居合の道を極め今に至る。渾名は、実力や尊敬の念も込めて周囲からも『日本最強の男』と呼ばれている』
ざっと流し読みしただけだが、かなりの有名人らしい。その記事の端に小さな写真が添えられていたが、なるほど、確かに土御門小夜子とどことなく似ている。オールバックの白髪は透き通るように美しく、顔は多少皺が目立つが、鋭い鷹のような目は老いを感じさせない。軍刀の上に手を置き、威厳を放ったままこちらを見詰めていた。
「この人はそんなに凄いのか……」
オレはいまいちよく分らなかったので、そうボソリと呟くとシキとマイに仰天された。
「アンタ日本に住んでてこんなことも知らないの!? 日本の皇帝の直属護衛、ボディーガードよ!」
「……ん? ――ん、どええええええ!」
日本皇帝――日本国民で知らない人はいない。とても偉い人だと授業で習った記憶がある。その皇帝の側近が土御門小夜子のお爺ちゃんだと?
「皇帝のボディーガードだもん。そしてその孫のサヨコ……どうりで強いはずだわ」
日本最強の男の孫……。土御門がそんな人物だったなんて知りもしなかった。
なんだか自分の周りの現実がぐにゃりと曲がってしまったかのような感覚だ。アメリカよりも凄い組織とか、目の前で起こった銃撃戦やら斬り合いやら、オレは今確実に濃密な時間を過ごしている。今までの日常が一瞬で過ぎ去ってしまうかのように。――マイ達の組織とかについては明日白石に色々聞いてみるとしよう。あの勉強するベクトルを間違えた雑学博士ならそういう類のものも詳しいかもしれない。
こうも非現実的なことが次々と振り掛かれば、当然オレも溜め息しか出て来なくなる。ソファにもたれ、夜になるまであれこれ考え事をしていると、不意にマイが隣に腰掛けた。
すとん、とソファに体を落とし、その風に乗っていい匂いが漂ってくる。
「なに? アンタ落ち込んでるの?」
「そりゃそうだろ。成績も普通、性格も普通、何もかも普通な男子高校生の前に突然皇帝がどうとか……、殺し屋とか、よく分からないよ」
マイはオレの言葉を聞きながら、恥ずかしげもなく瞳をこちらに真っ直ぐ向けたのでオレの鼓動を幾分か早めた。
「ふぅん、でも普通の人間ならここまで順応できてないと思うわよ」
――これはマイなりのフォローだろうか? こんな状況下では何の慰めにもなっていなが……。
「お褒めの言葉として受け取っておくよ。プロの殺し屋にそんなことを言われるなんて光栄だ」
「ま、まあゼンジはちょっと馬鹿っぽいところもあるし、神経が図太いだけかもね!」
マイは合わせていた目線を外し、細腕を組みそっぽを向いた。
改めてマイの組まれた腕を見るととても華奢で、レベッカも同様だがとてもあの怪力を生み出す力など想像もできない。
「あのさ、マイも強いの?」
「なによいきなり。……そうね、私達には師匠、というか先生がいるんだけど、私は一番弟子らしいわよ。チームマギとして、一応レベッカとシキのリーダーだし」
なるほど、最初に会った時、初めて突入して来たのはマイだった。それもリーダーとして先陣を切った、ということなのだろう。
オレがそんなことに関心していると、不意にオレの服の袖を細指が引っ張った。視線を移すと、何やらシキが眠そうな目を擦りながら、片手にどこから引っ張り出してきたのか絵本を持っていた。タイトルは『かぐや姫』で、日本好きなシキとしては納得だ。
「どうしたの?」
「……眠いから……絵本読んで」
そういえば夜も更けてきた。オレは溜め息をつきながらソファから立ち上がろうとすると、何故かマイもオレの服を掴み、顔を背けたまましっかりと離さなかった。
「あの……オレの部屋に行けないんですけど」
「シキとふ、二人で寝るの?」
「いや、絵本を読んであげたら、レベッカの部屋まで送るよ」
「そ、そう」
マイは少しほっとしたように顔を緩めると、それと同時に掴んでいた手を離した。
「……何だったんだ?」
シキが嬉しそうに手を繋ぎ、オレの部屋にまで引っ張られる最中、リビングで一人拳銃を磨くマイを掠め見ると、少し頬が赤かった。
*
やはり朝起きてみると隣にはシキが眠っていた。おかしいな……レベッカの部屋まで送り帰したというのに。
昨日の今日で多少は馴れたがいかんせん心臓に悪い。それに……学校でどんな顔して土御門と会えばいいのか……。他にも問題が山積みで朝から頭が痛い。
「おーいシキ、起きろー。朝だぞ」
「うー」
これまた昨日と同じで、パチリと目を開くとすぐさま上半身だけ起こし、挨拶も繰り返した。これだけ寝起きがいいということは寝付きも相当いいのだろう。
しかし……まぁオレも少しは紳士的になれたってもんだ。隣で美少女が寝てようと落ち着き払い『おはよう』と返す。とても爽やかでグッドな朝だな。頭痛を除けば。やったよ母さん! ――が、シキの視線がオレの下に集中している……あ、その視線はオレのピサの斜塔的な、オレの棒的な何かを見詰めていた。心に多少の余裕ができていたからか。そんな余裕はいらないというのに。
「ゼンジも銃を持ってるの?」とシキが不思議そうに首を傾げた。
「オッ!? おお! マグナムよ!」この小さなプライド、男の性ってやつだ。
「……デリンジャーサイズだけど。とにかく銃を持つことは自己防衛に繋がる、使い勝手を間違えなければいいこと。でもゼンジは、今は私達の人質……だから没収。マイ達には内緒にしておくから安心して」
良い感じにそのプライドをへし折られたところに、シキの小さな細い手がオレの股間に伸びてきた。
「だ、ダメだー!」
オレは慌ててシキを押し退け廊下へ飛び出した。そしてまた爆発と共にオレと壁に穴が増えた。
*
「悪かったって言ってるじゃない!」
「毎朝こんなんじゃ身が持たない! それに壁ヤバイ! もう少しで通気性完璧になっちゃう」
オレは早速マイに文句を言いに行った。――もちろん生理現象は克服したぞ――。しかしオレの怒りを余所に寝起きのレベッカが不機嫌そうな顔で茶々を入れた。
「新しいリフォームだと思え、空気の入れ替えは大事だぜ。きっと神様も出入りしやすくなってこの家ももっと祝福されるだろうよ」
どう見ても今悪魔に侵入されている。――またレベッカに睨まれたがオレは目線を外すタイミングのコツを掴んだ。
「それにどうしてこんな家中配線だらけなんだ、家の物も迂闊に触れないよ」
「ぜっっったい触っちゃダメよ、配線もセンサーも全て起動状態だから。アンタを外敵から守るために設置してるの! それくらい勉強しなさい」
「そんな勉強できるか!」
しかしオレを守ってくれる、という言葉が少し嬉しかった。オレのその感情をマイは悟ったのか「ア、アンタのためにやったんじゃないんだから! マスターのためだし私達の自己防衛のついでよ、ついで!」と頬を赤らめた。普段冷静そうだが、こういう状況は案外苦手なのかもしれない。人から感謝されることに馴れてないのだろうか?
……しかし、ずっと気になっていたのだがいくらテレビを見ていても一向に昨日のニュースがやっていない。レベッカが街中で銃をぶっ放したのだからもう早朝の今やっていても全くおかしくないのに、一向に始まる気配もなくお天気予報へと移行してしまった。
「うわっ! もうこんな時間じゃん、早く学校行かないと」
急いで支度を済ませ、マイ達には食パンを与え、家を飛び出した。背後から朝食に対する文句の一声と「後で行くからなー」というレベッカの声が浴びせられたが遅刻するわけにはいかない。
この時は『後で行くからな』という言葉を聞いても、特に何も思いはしなかった。
** *
神城善治が学校の支度をしているほぼ同刻、とある日本の港に見慣れぬ豪華客船が来航した。周囲の人々もあまりの美しさに足を止めしばらく眺めては写真を撮ったり、その美しい装飾と自分を見比べてその差に思いを馳せては肩を落とす人など様々な反応である。しかしそこで足を止めた人達はほぼ全員同じことを考えていたに違いない。『あのような美しい船から降りてくる人は、一体どんな人なのだろうか?』と。
しかし、到着してから誰一人として姿を現していないのである。無人と言われれば納得してしまいそうほど静かだ。
しかしその静寂は一人の声で打ち消された。正しく嵐の前の静けさというものだったのだろう、甲板から聞こえるその大きな声の人物は小柄な体を背伸びするかのように反らし、地上から見上げる人々を大いに見下ろした。
「控えろ控えろ愚民共、道を開けろ烏合の衆め、我こそはヴァンハイム・ノギ・シムドである!」
言うことに対し、その風貌は中性的な顔立ちも相まってまだまだ幼かった。流れるような短めの金髪はそこにいる皆の目を引き付け、更に独特なオッドアイも目立っていた。右目は暗く黒く、左目は美しい銀色だ。動くにはとにかく邪魔そうなヒラヒラした服は言葉と同じく威厳ある風格を醸し出そうとしているのかもしれないが、それにしては少年の頬に付いたお菓子の欠片が全てぶち壊しにしている。
「坊ちゃま、おやめ下さい。あのような下々の民に口を開いてはなりません」
いつの間にか、シムドの隣には燕尾服に身を包んだ長身の男が寄りそうように、シムド同様下から眺める人々を見下ろしていた。表情は硬いが口から覗く八重歯がそれを和らげ、今時珍しい片眼鏡を掛けていた。
「レイセン、早く行こうよ!」
そのレイセンと呼ばれた男はシムドの執事だろうか、成人を迎えたばかりのように若々しさが漲り、憎いくらいに爽やかな二枚目顔を崩すことなく、正に従者のように恭しくお辞儀をした。
「はい坊ちゃま、我が主、我が道、我が光、私の……王。このザークロイツェフ・レイセン、どこまでもお供いたします」
「シムド様~、レイセン~、私を忘れないで下さいよ~」
その間の抜けた声が聞こえた瞬間、明らかにレイセンが舌打ちをした。とても眠そうな顔をした幼女がふらふらと甲板を行ったり来たりしている。くすんだ金色のツインテール、常に笑っているかのようなタレ目が眠そうに見える原因だろうか、黒いエプロンドレスに身を包み、つぎはぎだらけの人形が不気味に彼女の腕の中に収まっていた。その人形を大事そうに撫で、時折叩いたり揺さぶってみたりと、何かの反応を待っているかのようにも見える。
「エンリコ・ファニー・ロー、あなたはもう少し節度ある行動をなさい。……幼きは全て許すと思っていては大間違いですよ」
――この三人はシムドを中心に、傍らにレイセン、ファニー・ローが従者らしく寄り添い、自分達の向かう先を見据えた。そこにあるものは、神城善治の住まう街。
「シムド様、レイセン、ファニー・ロー。皆揃っているな?」
その声が聞こえたと同時に、一際大きな男が甲板に現れそこに並ぶ三人を見回した。逆立つ短い白髪は所々灰色が混ざり、縁なしの眼鏡の奥からまるで狼のように鋭い輝きを周囲に放っていた。現にレイセン、ファニー・ローは完全に委縮しているようで、〝様〟と呼ばれるシムドでさえ先ほどの威勢はどこへやら、まるで小動物のように縮こまってしまった。
「ん? シムド様、外を歩く時はネクタイをちゃんと結べといつも言っているのですが?」
とてもにこやかにヒッチコックはシムドを見下ろした。その際首筋にタトゥーがチラリと見える。首に巻き付き肋骨あたりからこちらを伺う蛇と、その蛇の上に圧し掛かるように『spirit』『正義』と彫り込まれてた。
「う……はい、ヒッチコック先生」
シムドは慌てた様子でネクタイを締め直した。それを見たレイセンは委縮しつつも胸を張り、取り繕うかのようにヒッチコックに物申した。
「サー・ヒッチコック! あなたは本来〝旦那様〟の従者のはず、それなのに急遽今作戦に付いてきたかと思えば私の主に対して意見するというのですか? 身のほどを弁えていないと見える!」
「ほう、ならばシムド様のネクタイを直さない執事は一体どのような身のほどを弁えているというのだね? それに私のマスターのご子息の初作戦だ、我がマスターも多少気がかりなのだろう、さすれば私が同行するのもお目付け役という役目では至極道理ではないか? 青二才」
視線をレイセンだけではなく、シムドにも向けていたのは気のせいだろうか。
ヒッチコックは苦虫を噛み潰したような顔をしたレイセンを後目に、続け様に話し始めた。
「確かに、私の隊『チームマギ』が神城善治を取り逃がしたのは由々しき事態であるが、もし何者かが干渉して神城善治を取り逃がした、というのであれば『閃光
せんこう
のマリア』の介入も視野に入れねばならぬ。我々はなんとしても神城善治を葬り去らねばならん、私も全身全霊を掛けて奴を殺す」
「『閃光のマリア』……いれば戦争だね~」
甲板に並んだ四人は不敵に笑った。そしてシムドが一歩前に出ると、精一杯の低い声で呟いてみせた。
「そうだね、僕達は選ばれた人間……いや、それ以上の存在になる。僕は自分の野心のために神城善治を……〝兄さん〟を殺す」
彼らは神城善治のいる街へと、刻々と近付いている。
** *
なんとか朝礼には間に合い、クラスメイト達が揃う中呼吸を整えつつ自分の席に向かう。
「お早うございます、善治くん!」
背後からあの無邪気で通りのいい声がオレの肩をビクリと震わせた。
「つ、土御門さん」
振り向くと、後ろで手を組み頬を少し赤く染めた土御門がそこにいた。いくらなんでも昨日の今日で早すぎる干渉じゃないだろうか。お互いもう少し様子を伺ったり、状況を分析したりする時間があってもいいような……。自分なら絶対そうする。
「嫌ですわ善治くん、私のことは小夜子とお呼び下さいまし。やっとやっとお話できたのですもの、私の我慢の日々を取り戻すほどに早急に仲を縮めましょうね」
土御門の胸が当たりそうな距離でオレの目を下から舐めるように見上げてくる。まるで谷間を見せつけているような気が……。
「い、いや、でもイキナリ呼び捨てなん――」
「善治くんは私のことを〝小夜子〟とお呼び下さるんですのよねー」
「オ、オレ恥ずかし――」
「あらー? もしかしてもしかして嫌……なんてこと、あり得るはずありませんものね!」
……あ、あれ? いつもの土御門さんじゃないぞ。それに若干目が虚ろに見えなくもない。
「じゃぁ……さ、小夜子」
「ふあぁ……善治クンの生声……」
なんか恍惚とした表情で天井を見上げているので申し訳ないがスルーさせてもらった。オレの追い求めていた土御門さんのイメージ像が音を立てて崩れ去った瞬間だった。ただでさえ家に三人の怪物がいるというのに、これ以上癖のある知人が増えてなるものか。……しかし運の悪いことに、今一番出会いたくない二人に捕まってしまった。
「お、お前……この二日間の間に何があったんや……」
今の一部始終を見ていた白石とアーサーが、目をまん丸く見開いたままこちらに視線を向けていた。オレは黙ったまま机に鞄を置き盛大に溜め息を吐く。どうせ言ったって信じないだろう、とりあえず一言だけ。
「世界って理不尽だよな……」
――とりあえず白石達には土御門とは何も起こってない、と釈明し、昨日の夜頭をどこかでぶつけたらしい、とだけ言っておいた。……巨乳同士が刃物で殺し合っていたなんて言っても誰も信じないだろうし。
レインボー先生の授業がいつものように始まる。今まで授業なんて苦痛でしかなかったけど、今の状況を考えるとこの静かな教室は心休まる唯一の空間だった。……この二日間の疲れがどっと出てきたのか、すぐにオレの瞼が重く圧し掛かってくる。そんな時だった。
「神城くん、お手紙よ」
隣の席に座っていたクラスメイトから丁寧に折り畳まれた紙を受け取る。一体どこから回ってきたのだろうと周囲に視線を巡らすと、土御門が軽くウインクしてきた。本来女の子から授業中手紙だなんて誰もが喜ぶシチュエーションなんだが、今は開けるのが堪らなく怖い。
〝善治くんは必ず私が護ります、だから安心して〟
えらく達筆な字に見惚れた後、オレはもう一度土御門の方を見ると少し照れくさそうににこっと笑っていた。――そうだ、オレは本来マイ達に殺される立場な訳だ、それを護ってくれるということはオレを助けてくれるということだ。……しかし、この二日間マイ達と一緒に生活していて、本当にオレは殺されるのだろうか、と疑問に思うこともしばしばあった。最初は確実に殺されるという確信があったが今はどうだ? マイ達はどう思っているのか分からないが、オレは少なくとも友情のようなものを感じている。……それにマイに対しては、少し心がザワつく感覚もある。
そう考えていると、再度手紙が土御門から回ってきた。きっとオレの思考を読みとったのだろう、まるで頭の中で会話していたかのように的確な答えがそこに書いてあった。
〝あの女の子達は殺し屋、絶対に私達とは相容れない存在。私が善治くん救出に間に合わなかったあの日から、何があったかは私もある程度把握したつもりです。でも彼女達に感情移入してはいけない、いくら善治くんが彼女達に近付こうとも所詮相手は飼い犬の殺し屋、いつか善治くんの喉元を掻き切るでしょう。あの子達を人間と思ってはいけない〟
土御門はまるでマイ達を殺人マシーンのように書いているが……果たして本当にそうなのだろうか? あんなに可愛らしい女の子達が……。
オレは新しい紙に〝小夜子は、きみ達は一体何者なんだ?〟という疑問文を乗せて土御門へと回してもらった。一人一人リレーし、紙が土御門に渡るまで目で追った。土御門はしばらくその紙を見詰めていたが、すぐさま新しい紙を取り出しかなり時間を掛けて書き込んでいた。一体何を書いているのだろうか……? オレは逸る気持ちを押さえて、頭に入ってこない黒板を見続けた。
ついに書き上げた土御門が紙を回そうと腕を伸ばした瞬間だった。突如硬いものを弾いたかのような音が一瞬微かに聞こえた。何事かと教室内を見回す。クラスメイト達は「何か聞こえた?」「私何も聞こえなかったよ?」と少しザワついただけですぐに授業は再開したが、オレは土御門に視線を戻し、驚愕した。手に持っていたはずの紙が、指で挟んでいた部分を残して粉々に散っていた。――一体何が……ん、あれは!?
「あ、あのアホ共……!」
開け放たれた窓の外に視線を移すと、なんとシキが隣校舎の屋上からライフル銃で狙っていた、その隣にはマイが。更によく目を凝らすと校庭の木陰の隅の方に、レベッカらしき女の子が緑の保護色の迷彩服に身を包み、こちらを望遠鏡で眺めていた。――ん? マイがごそごそと屈んで何かを探している、そしてフリップを持ち上げて何やらアピールしていた。文字が小さすぎて見えにくかったが〝鞄の中!〟と書かれていた。慌てて自分の鞄を開けてみると、小さな紙包みと手紙が入っていた。手紙の内容は『これ着けといてね』とだけ書いてあり、紙包みを開くとイヤホンとマイクが同化した機械が入っていた、これは確かマイ達の着けていたものと同じ?
簡単な操作説明が紙に書いてあったのでそれに従い耳に装着する。かなり小型なので髪で隠し通せるだろう。そしてスイッチを入れた瞬間――怒涛の如く耳に三人の声が流れ込んできた。
『ちょっとゼンジ! 何敵と情報交換してんのよ!』
『会話傍受不可能、よって意思疎通媒体であるサヨコ文書破壊完了』
『おうコラゼンジ、ちょっとその女にツラ貸せって言え』
三人同時に喋られても、理解できるわけがない。うるさいなんてもんじゃない、サバンナの動物だってもう少し静かだろう。
「ちょっと皆落ち着いてよ、とにかくシキはもう銃撃っちゃダメだ」
口元を手で隠し、限りなく小さな声で呟く。
『……これは銃だけど銃じゃない、少し改造して弾を鉄製に変えただけ。そこまで威力はない。消音器も付けてるし問題ない』
いやそういう問題じゃなく……。
『ちょっとゼンジ、聞いて! アンタは今私達の人質なの! 敵と情報交換したらダメ! 日常会話も全て盗聴してるから気を付けなさい、とにかく今日一日ずっと見張ってるからね!』
と、盗聴だと? オレは自分の体のあちこちを探るが何も見付からない。
「神城、おい神城」
全く、こんな緊急事態に誰だ! 人生で一番焦っているというのに。
「随分と楽しそうだな神城、生徒が楽しいと先生は嬉しいものだ。しかし今は授業中だからこの上なくお前の楽しみが憎たらしい。先生はその楽しさをヘシ折ってやらねばならん」
はっとして見上げると、相変わらず表情の色の少ないレインボー先生が、肉眼でゾウリムシを見ようとするけど小さすぎて半ば諦めたかのような表情でオレを見下ろしていた。
「れ、レインボー先生じゃないですか。こんなお時間にどうしたんです……?」
「私はレインボーではない。これは授業の〝お時間〟な訳だが、そうだな……『素数』を体で表現しろ」
――授業終了のチャイムが鳴るまで、オレはずっとマイ達の『うわぁ……ゼンジ何してんの?』『……体、痛そう』『グッヒャッヒャッヒャ、マジ傑作!』という嘲笑に耐えなければならなかった。……一体誰のせいだと思ってるんだ。
それからというもの、なぜか土御門は積極的にオレに紙を渡そうとする。その度にシキが撃ち抜くものだから、ビシビシとうるさくて敵わない。
「はい、善治くん!」
「ま、また……」
昼休みになる頃には、もう差し出された手紙に手を伸ばす気力もなくなり、口頭で言ってくれと頼んでも無言で虚ろな笑顔で返されるだけだった。土御門がこの上なく楽しそうにしているのは気のせいと信じたい。
「神城ー、お前今日ずっと様子おかしないか?」
「僕もそう思ってたんだ。やけにキョロキョロしてるし、それに今ものすごく顔色悪いよ」
白石の机を取り囲んでの昼食、目の前に置かれた焼きそばパンは喉を通りそうにない。苺牛乳を少しずつ啜るだけで満足してしまいそうだ。
「ちょっと体調悪いだけだよ」
目の前に座り、ご飯にがっつく白石とアーサーにマイ達のことがバレたら一体どんな顔するのだろうか。先ほどからイヤホンからマイ達の声は聞こえないし、小さく呼び掛けてみても雑音が流れているだけだった。
そういえば忘れていたが、昨夜から白石に聞きたいことがあったのだ。この無駄知識を持つ男なら何か知っているかもしれない。
「あー、なあ白石」
「なんや神城、金なら貸さんで。貸す金があらへん」
白石は自分の弁当を隠すように、いぶかしげな表情でオレの顔を見詰める。……誰も金を貸せなんて言ってないし、ましてや弁当など取るものか。
「違うよ、少し聞きたいことがあるんだ」
折り入ってオレがこんなことを聞くもんだから白石は首を傾げた。アーサーも箸の動きを止め、ちゃんと耳を傾けたいのか座り直した。
「急にこんなこと聞くのもなんだけどさ、アメリカって今世界で一番すごい組織だよな?」
「どうしたんや急に……まあええわ。まぁな、それはニュースとか教科書通り間違いないで。経済面、軍事面見ても組織として見るなら最強やろな。間違いなく世界を牽引しとる存在やろ」
「そうだよな……。因みにその最強と言われているアメリカよりも、更に強い組織って存在するのか?」
あの縁側でマイが語った言葉がずっと気にかかっていたのだ。彼女は自分の組織がアメリカよりも上である、と言っていた。そんなものオレのように一般的な生活レベルでは考えもしないことだ。
「あるで」
白石の一言は大いに驚いた。本当にそんなものが存在していたのか?
「え!? 本当に?」
「言いようによっちゃ、やけどな。しかもあくまでオカルト、陰謀論の域を出ん噂程度の胡散臭い与太話や、あんまり本気にせん方がエエで」
白石はこう見えても軍事やらオカルトやら、高校の授業では教えてもらわないことに興味を示す傾向が強いらしい。最初からおかしな奴だとは思っていたけれど未だに白石の個性の強さには気押されるばかりだ。本人曰く勉強するベクトルを間違えたらしいが。
「どんな話でもいいんだ、教えてくれよ」
「エライ今日は喰い付きがエエんやな、いつもなら俺の話なんか一ミリも聞かんのに。……まあエエよ、耳かっぽじってよく聞きや」
アーサーも多少は興味があるのか、耳をひょこひょこさせながら白石の顔を見詰めた。白石はオレとアーサーが興味津々なのを満足げに見渡すと、声を落として話し始めた。自然とオレ達は顔を近付け、さながら悪い取引でも始めるかのようだ。
「俺が親父の部屋に忍び込んだ時や。その部屋は書庫みたいになっててな、幻獣とか魔術書とかそういった類のものがワンサカあったんや。これが俺がオカルトにハマるきっかけになったんやが……まぁそれはエエ。そんでな、その中にえらく大事そうに保管されてた一冊の古い本を見付けたんや、もちろん俺は開いてみた。……けどな、日本語でもない、英語でもない、わけわからん見たこともないような言語で書かれとった」
意外と白石の話も面白いかもしれない、その謎に満ちた話に引き込まれるように耳を傾けた。
「でも中には挿絵もあってな。円卓を囲んだ中世の騎士とか、空中に浮いたお城とか、悪魔みたいな化け物とかが不気味に描かれとったんや。それだけ見ても意味不明やろ? でもな、この中にある共通のものを俺は見付けた。決まってある紋章みたいなものがその挿絵のどこかに紛れとったんや。中世の騎士の甲冑、お城の旗、化け物に刻まれた烙印、その全てが共通の紋章やった」
「なんか今背筋がゾクッとしたよぉ、かなり不気味な本なんだね」
アーサーが自分の肩を手で抱くように摩り、小さな体を更に縮こませて教室内をキョロキョロと見回した。オレも白石の話に余程聞き入っていたのか、昼休みの喧騒の声も気にならない。
「でもこれはあんまり関係ない、今から話すことの前座や。その本にはそれ以上何もなかった、だからその紋章だけ紙に書き写して自分で調べたんや。めちゃくちゃ苦労したで。でもその甲斐あって、ある情報を見付けたんや。どうやらその紋章は数百年前から存在してたみたいやねんけど、それを現代でも使用してる組織が実際にあるみたいやねん。表向きはどうやら慈善事業やらチャリティ、ボランティアを主にやってる財団みたいやな。……でも……ここからは俺の憶測やで? 他のオカルト仲間から聞いた話も合わせたんやけど……、少し黒い噂が昔からあったみたいなんや。孤児や貧困層の子供を保護する名目で、よからぬ実験に使ってるってな。国籍もないような、親もいない子供ならどこに行っても誰も何も言わんからな」
オレは背筋にミミズが這うような、ゾワリとした感覚に体中から汗が噴き出した。マイやレベッカ、シキの顔が浮かぶ。
「その人体実験もそうやし、他にも様々な噂がある。暗殺から果ては世界征服まで様々な噂や。そんなの誰も信用しないし俺もあり得へんと思てる。……でも、世界的大企業、王族達がその組織に関わってるのも事実や、やから権力がないとは言い切れへん。そやからアメリカよりも権力が上、と位置付けることも可能や。なんたってアメリカ大統領もその組織メンバーの一人に過ぎないっちゅー噂まであるくらいやからな」
「そ、それでその組織の名前は?」
「その財団だけやったらしょうもない普通の名前やで? でもそれを含め、様々な権力の集まった組織を統括した名前は沢山あるみたいや。誰が名付けたのか知らんけど、〝三十三人委員会〟〝新世界執行人〟一番有名かつ幅広く使われてるのは〝ネオ・ワールド・オーダー〟っつー呼ばれ方やな。その世界の頂点に立つ人物達を〝マスター〟って呼ぶらしいわ」
なんとなく辻褄が合ってしまった。きっとマイ達はネオ・ワールド・オーダーの一員に違いない。白石が横で「俺はそんなもんあり得へん思てるけどなー」といつものように笑っていた。――だが存在するのだ、現にマイはアメリカよりも上だと言った。そしてマスターという名は記憶に新しい。
しかしオレは余計に頭が混乱した。一体どうしてオレがそんな組織に狙われるんだ? ――それに、人体実験って、一体何なんだ?
まだまだ聞きたいことは山ほどあったが昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。次の時間は体育なのでオレの気持ちとは反対に皆さっさと着替え始める。
そういえば先ほどから土御門の姿が見えない。昼休みにも見かけなかったし、マイ達の音声も昼前から途絶えたままだ。あいつらを放っておくとロクなことがない、今もマイクに向けて小声で呼び掛けてはいるが相変わらずノイズが響いたままだ。窓越しにシキ達のいたはずの屋上を見ても誰もいない。一体どこに消えてしまったのだろうか。
しかし突如、教室の扉が勢いよくガラリと開いた。教室の男子生徒達が金切り声を上げる。もちろん女子に半裸を見られたからだ。オレも着替えている途中だったものだから同様に叫んでいたかもしれない。
「善治くん無事ですか!? 一緒に体育館に行きましょう!」
「つ、土御門さん!?」
扉の前には、額に汗を浮かべ肩で息をする土御門が立っていた。すると切れていたはずの通信機からレベッカの嬉々とした声が聞こえた。
『ゼンジ! そっち行ったぞ、捕まえろ!』
……大体何があったか想像できてしまう、きっとこの昼休み中鬼ごっこ(殺傷ルールあり)が繰り広げられていたのだろう。
オレが唖然としていると土御門はずかずかと教室に入り、オレの手を引き廊下に引きずり出した……もちろんパンツ一丁のままで。
「あの、つ、土御門さん!?」
「違いますわ善治くん、小夜子って呼ばなきゃダメなんですから!」
土御門は予想以上に力が強いらしい。引きずられたまま土御門が走り出すもんだから肉が擦れて超痛い。
「善治くんは私が護るんだから!」
いや、その前にいろいろ死にそうだ。女子生徒の金切り声が通り過ぎる後から聞こえてくる……。
数分後、騒ぎを聞き付けた生徒会率いる風紀委員が校内を駆け回るオレと土御門に立ち塞がった。よかった、これでこの羞恥プレイから解放される。
「た、助けて!」
そもそも教室から引きずり出されたのはオレだし、完全なる被害者だ。こうやって救いの手に縋るのは決して悪いことじゃない。
そして半裸のオレだけが捕まった……。
*
――パンツ一丁でなぜか理事長室まで連れて来られ、生徒会長から「ここで少し待ってろ」と言われすぐさま扉を閉められた。校内を半裸で走り回ったくらいで理事長から怒られるのはいくらなんでもひどすぎないか!?
そわそわしながら待つこと数分、金色のドアノブがカチャリと回り細身の灰色スーツを身に付けた気弱そうな若い男の人が入ってきた。オレも何度か見たことがあるが、壇上の上でもたどたどしく喋り、いつも恥ずかしそうに俯いて歩いている印象しかない。垂れた優しそうな目、口角の上がった口には愛嬌すら感じる。そんな彼が理事長なのだから驚きだ。
「やあ善治くん」
「す、スイマセンでした! ……ぁれ?」
てっきりパンツ一丁のことで怒られるのかと思いきや、なぜか理事長は気さくに片手を上げ、知っているはずのないオレの名前を口にした。いくら思い返してみても面識はない。
「善治くんのその姿……昔の僕を思い出すよ。まぁ座って」
理事長は遠い目をしながら、半裸のオレをフカフカのソファーへと座るよう手招きした。
「あの……どこかでお会いしましたっけ? そりゃ同じ学校にいるんですから顔見知りくらいにはなってるかとは思うんですけど……」
「ハハハ、そりゃ覚えてないか。僕は子供の頃の善治くんを抱っこしたこともあるんだよ」
この人は何を言っているのだろうか。ならなぜ今までオレに話し掛けてこなかったんだ? それに子供の頃会ったことがある?
「そう、僕はキミのお母さんの同級生さ」
「ええ!?」
確かに母さんはこの学校の卒業生だと言っていた。なるほど、理事長は母さんと年齢的にさほど変わらなさそうだ。しかし本当に母さんの同級生なのか?
「僕も昔はよく今の善治くんのようになっていたよ。きみのお母さんにやられてね……」
ああ、なるほど。それは間違いなく母さんだ。人懐こい笑顔を浮かべながらも理事長の拳はカタカタと震えている……その気持ちはとてもよく分かる。
「昔話に華を咲かせたいところだけれど、善治くん」
理事長は区切りをつけるように座り直し、顔を引き締めオレと向き合った。気のせいかもしれないが、やんわりとした空気ががらりと変わり、気の張る雰囲気がオレと理事長の座る部屋の中心に集まったかのようだ。それを助長するかのように、オレ達の座ったソファーが無音の中できしむ。
「は、はい!」
「この人物は知っているかい?」
理事長は時間が経っていて少し黄ばんだ海外の新聞の小さな切り抜きをオレに見せた。それは二人の男が握手をしている写真で、科学者か何かなのか白衣を着た男と、高級そうな濃い紺色のスーツを着た男が――いや、オレはこのスーツの人を知っている。社会の授業で習ったが、確か前期のアメリカ大統領だったはずだ。名前は確か〝ジャスティン・K・セイバーヘイゲン大統領〟、かなりの若さで大統領になったらしい。確かにその写真に映る元大統領は若々しかった。
「もちろん知ってます、元大統領ですよね」
「ああ、違う違う。その後ろの男だよ」
理事長は写真の端の方に指を移動させる。そこにはSPらしき黒服に混じって、だらしなくスーツを着て大きなサングラスをかけた怪しい男が立っていた。写真に映る影も小さく、サングラスをかけているものだから、いくら知ってても判別できそうになかった。
「……いえ、心当たりがありません」
「そっか」
理事長はまた区切るかのように小さく頷くと、その写真を早々にしまった。そしてもうこの話は終わった、とでも言わんばかりに話題を進める。
「急を要するので手短に話す。今善治くんは何者かに狙われているね?」
――体に衝撃が走る。
「……なぜ、それを……?」
「おっと、その前にまずは耳に着けているものを外してもらおうかな」
理事長はスっとオレの耳に着けているインカムを指差し、人差し指で口元に添えた。つまり会話を聞かれてはならない、ということだろうか。……しかしどうしてこのインカムのことが分かったんだ?
「は、外しました。教えてもらえるんですか? 今何が起こっているかを」
「……すまないが詳しいことは言えないんだ、善治くんがこれを知るべきではない。僕もそう思うし口止めをされている。でも一つだけ知っていてくれ、キミは一人じゃない」
「……あ――」
オレが言葉を迷ってる内に再度理事長の口から言葉が飛び出す。
「女の子が三人、善治くんと干渉してしまっていることは調べがついている。最初に謝らなければいけないけれど、その女の子達に〝人質〟という名目で捕えられてしまったのはこちらの不手際だ、申し訳ない。何分不測の事態でね……しかしそれは敵もまた同じ――いや、こちらの話だ」
「あ、あの! 一体何が何やら……」
「ああ、ゴメンゴメン。僕はつい考え込んじゃう癖があるんだ。――それでね、敵についてだけどこれからこちらで対処させるからもう安心してね」
対処? それは辞書通り状況に合わせて適切に処理する、ということ? もし〝処理〟するのならばマイ達の件を解決してくれる、ということだろうか?
「……それは、オレと一緒にいる三人のことですか?」
「んー、彼女達は今のところ様子見……といったところかな。今はこちらも彼女達には関与しない」
「じゃあ一体何を対処するんですか?」
「今朝、本来踏み入るべきではない連中がこの街の付近に降り立った。彼らは間違いなく善治くんを殺しに来るだろう。そして彼らは優しくない。こちらも平和的解決を試みたいのだがそうもいかないだろう」
理事長の最後の重い一言には確かに一切の希望がなさそうだった。それはマイ達のように優しくない、確実にオレを殺す、という意味なのだろう。
「でも安心してね、最初にも言ったけどキミは一人じゃない。――入ってくれるかい?」
理事長は廊下に繋がる扉に向けて声を掛けた。
「失礼いたします」
がちゃりと扉を開けて入ってきたのは、オレの制服を持った土御門だった。ということは土御門は理事長側の人間、ということだろう。――服はとてもありがたい、とりあえず半裸というのもなかなか恥ずかしいのでそそくさと着替えさせてもらった。
「彼女きっての希望で善治くんの護衛を任せている。土御門クンは腕は相当立つ、そこは信頼してくれていい」
「善治くん、私が命に代えましてもお護り致します」
土御門はオレの座るソファーの背後に立ち、そっとオレの肩に手を置いた。
「そして、彼らも――」
理事長が人懐っこい眉をピクリと少し上げてみせると、どこからともなく、いつの間にか理事長の背後に人影があった。
オレは心底驚いた。手品とかそんな生易しいものではなく、本当に地面から湧いて出たように理事長の背後にいつの間にか立っていたのだ。オレはずっと理事長を見詰めていたはずなのに。一体どこに隠れていたんだ? しかも一人じゃない、数えてみると全部で六人もいた。こんな小さな部屋では六人も隠れる場所なんてないのに。
「驚いたかい? 彼らは一応その道のプロなんでね、驚くのも無理はない」
その六人は老若男女全て揃っていた、しかも全員が個性豊かな服を黒で統一しているものだから不気味と感じないわけがない。理事長の背後に並ぶ一番左の爺さんが長なのか、最初に口を開いた。腰も曲がり、和服がとてもよく似合っていたが当然真っ黒だった。しかもその腰でとても武骨で大きな大剣を背負っている。自分の体より大きいのではないだろうか? その剣のせいで腰が曲がったようにしか見えない。
「善治殿、こうして直接の会話を成すのは初めてでございますな。いや、立派になられた」
その爺さんは少し目尻を光らせながら回顧するかのような眼差しでオレを見詰めていた。しかし当のオレとしては会ったこともないし、どう反応したらいいのか困ってしまう。
「彼らは暗殺集団〝六地蔵
ろくじぞう
〟と呼ばれている」
なるほど、暗殺集団と言われるだけの雰囲気を彼らは十分過ぎるほど持ち合せていた。マイや土御門にどこか通ずるような、一般社会とはどこか違う世界にいる存在。そんな気がする。
薄々感じてはいたけれど、こんな爺さんまで戦うのか。それに子供、それも女の子までいる。棒付きのアメを舐めながらどこか上の空な様は、まるでどこにでもいる子供だ。
「本当はもっと全力で戦力を裂きたかったんだけれどね、何分急な話だったし、動かしにくい連中もいてね」
「善治殿、心配なさるな、我々で対処仕る故。では行って参る」
爺さんはくぐもった声で「散開」と告げると、この部屋に湧き出た時ように、音もなく消えた。
「善治くん、きみは何も心配しなくていいんだ。これが終わればきみはいつもの日常に戻れる、何もなかった日常に……ね」
――理事長室を出た後、自分の知らない世界と、のうのうと過ごしていた自分の何の変哲もない日常に、言いようのない矛盾を抱えながら午後の遅れた体育の授業へと向かった。
*
それからも大変で、体育は女子と離れているが時々爆発音が聞こえたり大騒ぎだった。オレもマイ達の攻撃のとばっちりを受けて落とし穴には落ちるし、ナイフが降ってきたりもした。それでも冷静に授業を受け続けなければならないのだから心臓に悪い。……これは、今日は何が何だろうとご飯抜きだ。絶対にだ!
長い死闘の末にようやく本日の授業が終わった、後はもう帰るだけだ。これで悪夢から解放されるかと思うと心が躍る。
「神城ー、今日はどうするんや?」
「帰る!」
もちろん即答だ。しかし――。
「善治くん、今日少し一緒に残りましょう」
土御門がオレの耳に口を寄せ「ここで始末しちゃいますから」と白石達に聞こえないように呟いた。息が当たってくすぐったく、思わず顔が熱くなる……場合じゃない。帰りたい……。それに理事長もマイ達に今は手出ししないと言っていたはずなのに。こ、これはもしかして土御門のただの私怨なんじゃないか!?
「えー、土御門さんと神城残るんかいなー。いいなぁー」
ナイスだ白石。
「じゃ、じゃあ一緒に残ろうぜ!」
「ホンマにエエの!? アーサー、やったな!」
土御門が後ろでどんな表情をしているのか想像したくもない。でも仕方のないことだ、マイ達と土御門が全面的に戦ってしまえば本当に誰か死んでしまうかもしれない。いくらこの戦闘民族達でもさすがに白石やアーサー一般人を巻き込んだりはしないだろう。
とはいえ、当初から目的のなかったオレ達が教室に残ってもすることが見付からない。それにあんなに美人な土御門が目の前に座っているのだから、白石やアーサーも緊張していて会話がなかった。徐々にクラスメイト達も部活やら帰宅やらであっという間に教室内にはオレ達だけになってしまった。
耳に着けているイヤホンからは『その女か男か分からないようなのとバカ面を早く家に帰しなさいよ! 殺せない!』とマイが要望しているが無視という形で却下させて頂く。
「そや! トランプでもやろや!」
この混沌とした空気を変えたのは白石だった。今日の白石はキレキレだ。オレだってどうにかしたかったのだが、先ほどから土御門の方角から殺気しか伝わってこない。恐る恐る顔を見ると笑顔は笑顔なのだが、その笑顔には狂気が混じっているように見えるのは気のせいではないだろう。
無言のババ抜きが今始まる。絵柄的には和気あいあいとカードゲームを楽しんでいるのだが、時折土御門は目にも止まらぬ速さで何かを外に投げていた、その度に外で金属を弾く音がする。
『このままやられっ放しじゃ気が済まねえ! ゼンジ、その一般人共の気を引け!』
え? え? どうしたらいいんだ!? いきなりレベッカに命令され、軽くパニックになったオレは思わず――。
「あー! 空にレインボー先生の満面の笑みが浮かんでる!」
オレはわざとらしく空を指差し声を張り上げた。こんなので引っ掛かる訳――。
「なにィー!?」
「な、なんだってー!?」
オレの予想を大きく反し、アーサーも白石も椅子を蹴飛ばしてまで立ち上がった。……まぁ確かに見たいけど。
同時に壁にナイフが突き刺さる。どうやら土御門は顔を僅かに反らしやり過ごしたらしい。しかもそのナイフは、空を見上げたままの白石の持つジョーカーを掠め取って壁に刺さっていた。……結構レベッカもオシャレである。
『ヒャッハー、見たかゼンジ! 今のは最高だろ。その壁にサヨコの首も一緒についてたらジャックポットだったんだがよ』
直後、ゆらりと土御門は立ち上がった。机の脇に置いていた刀の入っている刀袋を掴むと「ちょっとお手洗いに行って参ります」と教室から出ようとするもんだからオレは慌てて引き止めた。
「だ、ダメだよ小夜子、まだゲームの途中じゃないか」
「もう我慢なりませんもの」
「そんなこと言わずにさ、ほら早く座って!」
「もう限界ですもの!」
何かを勘違いしたのか、アーサーは顔を赤らめた。
「神城くん、女の子にそんなこと言っちゃダメだよ」
違う、違うんだアーサー。
「神城、お前そんな趣味あったんか」
白石にまで……。
オレの中で何かが吹っ切れた。もう知るもんか。
「だー! マイ、シキ、レベッカも出てこい! 小夜子もそこに座れ、今すぐに!」
喉が壊れるんじゃないかと思うほどの大声で叫んだ。比較的近くからと、スピーカー越しから「うひゃぁ」という声が聞こえた。オレはロッカールームに走り込み、耳を押さえる三人を捕まえた。
「まったく、お前らときたら散々危ないことしやがって。二言目には殺す殺すって、どこの殺人鬼だよまったく。小夜子とは今は休戦、分かった?」
「う、ウルセーな、アタシだって命狙われ――」
意外なことにレベッカは少々目が怯えていた。しかし今はオレも大爆発中だ、少々お灸を据えてやらねばならない。
「うるさいのはレベッカだ! 今はとにかく仲良くしなさい! 小夜子も分かった?」
「は、はい。善治くん」
なぜか土御門は頬を綺麗に染め上げていたが、今はそれどころじゃない。
「レベッカ、返事は!?」
「……な、なんだよ急に、ゼンジってこんなに喋ったか?」
「返事!」
「は、ハイハイ、分かったよ」
なんとか沈静化はうまくいったようだ。まったく、こんな可愛い女の子達が争うなんてどうかしてるよ。
「あの~、終わった?」
教室からこちらを伺う白石とアーサーが、驚いた表情でこちらを見詰めていた。
「ど、どうしちまったんや神城、土御門さんもそうやし、このかわいこチャン三人組は」
「でもこの学校の生徒じゃないよね? 制服着てないし……」
不幸中の幸いか、三人共戦闘用の服ではなく比較的一般的な服装だった。きっとそちらの方が紛れやすいとでも思ったのだろう。
「で、神城、このお三方は一体誰や?」
や、ヤバい。どうしよう、脳をフル回転させるんだ――。
「――全員親戚」
「えっ?」
しまった! ついはずみで言ってしまった……。もうこうなったらこのまま乗り切るしかない!
「この大人しそうで眠そうな子がオレの母さんの弟の双子の兄弟の子供、この目付きの怖いいかにも凶暴そうなのが多分養子、んでこのツンツンしてそうな憎たらしい顔の子はじいちゃんの隠し子」
あまりに適当に言い過ぎたか……。母さんに弟なんていないし……。
「おー、なるほどな。でもどう見ても日本人離れしとる子もいるで」
「そ、それは外国人とのハーフだからだよ」
「へー、スゲーな。神城にこんなにベッピンさんな親戚がおったんやな! お前と仲良くしててよかったわー」
白石もアーサーもかなり馬鹿で助かった。目の前の美人親戚ズにすぐさま目を奪われたようだ。しかしマイとレベッカの視線が突き刺さるように痛い。
「ねえ、立ち話もなんだしさ、皆座らない?」
アーサーが椅子を三個分、更にオレの机の周りに集めた。マイ達にそこに座れということなのだろう。三人は互いに顔を見合わせたが、諦めたように溜め息を吐くと、居心地悪そうに椅子に腰かけた。シキはなぜかオレの隣に、肌と肌が触れ合いそうな距離に椅子を近付け座った。それを見て土御門は、更にオレに椅子を近付けてくる。
「なんや神城、両手に花やな。土御門さんはともかく、その子が親戚やなかったら俺泣いてまうわ」
本来泣いているはずの白石を後目に、マイとレベッカはこの教室に興味津々のようだ。黒板や整頓された机、それをまるで不思議の国に迷い込んでしまった子供のように、不安と興味を併せ持った瞳でありとあらゆるものを見詰めていた。
「僕は浅田、皆からはアーサーって呼ばれてるよ。キミ達の名前も教えてほしいなぁ。あ! でも日本語通じるの?」
「……ああ、通じる。アタシはレベッカだ」
「レベッカさん? ちゃん? かっこいい名前だね」
「レベッカでいい、アタシは気にいってないけどな」
「そんなことないよ! 僕レベッカみたいにかっこいい名前を呼んだことないから、これから沢山呼べるのが楽しみだなぁ」
アーサーはなぜか女性との会話が上手い。しかしそれが恋愛に発展することはないのが本人は気にしているようだ。オレや白石にとっては話せるだけでも至福だというのに。
各々簡単に自己紹介を済ませると、早速白石が質問攻めを始めた。
「皆いつから日本に来てるん? 滞在予定は? もしかしてこの学校に転入とか? それやったら俺が学校案内したるからな。いやーしかしベッピンさんやわ、ってもしかして神城の家に泊まってるんちゃうやろな!? カーうらやまし! 俺も泊めさせてくれ神城!」
マイやレベッカは困惑していたが、こんなに喋る人を見たことがない様子で、子供のように頑張って白石の言葉に耳を傾けているようだった。まるで借りてきた猫のようで笑えてしまう。
それから日が落ちるまでオレ達は馬鹿騒ぎを続けた。主に白石ががむしゃらに喋り続けているだけだったが、オレやアーサーが突っ込み、少しずつ皆の表情が和らいでいった。あれだけ険悪だった土御門とマイ達も、あの血生臭い争いをしていたのが嘘のようだ。――そうだ、本来土御門やマイ、レベッカとシキもオレ達と同じくらいの年齢なのだ。こうして放課後に団欒を楽しむ、こういう〝普通〟の生活が幸せなはずだ。現に皆で仲良く、こんなに楽しい時間が過ごせるんじゃないか。
オレは笑い過ぎて火照った体を冷ますため、笑い声の絶えない教室から出てベランダの手すりに寄り掛かり、窓越しに教室内を見詰める。シキは相変わらず無表情だったが、先ほどまで感じていた学校にいる存在ではない違和感は消え去っていた。むしろこの上なく似合っていた。それはマイやレベッカも同様で、表情を崩した二人はとても可愛らしかった。
オレは満天の星空に視線を移し、このひと時の〝普通〟の心地よさに思わず目を瞑った。確かに女の子に囲まれているから、という嬉しさもあるのかもしれない。しかし、それ以上に勝るものをオレは感じた。あまりにチープ過ぎる答えかもしれない。しかしそれは事実で、現実で、揺るぎない答えだった。
「友達……か」
「何が?」
急に隣から聞こえてきた声にオレは思わずのけぞった。恥ずかしさを取り繕うために「え? あ、星が綺麗だなーと思ってさ!」と誤魔化してしまった。
「そうね、たまには空を見上げるのも悪くないかも」
オレのもたれる手すりの隣に、一人の女の子が同様にもたれ空を見上げた。――いきなりオレの前に現れいきなり泣き出した女の子――マイだ。
しおらしいマイを珍しく感じ、悪態を吐いてやろうかと思ったが、目を輝かせながら星空を眺めるマイの顔を見ると何も言えなくなってしまった。……レベッカやシキにもずっとこんな表情でいてほしいと、もし今流れ星が流れるなら、オレは確実にそうお願いするだろう。
「アンタ達って、毎日こんな生活してるの?」
「ん、まあね」
オレがそう返した瞬間、マイは「そっかぁ」と言い、遠くから遊園地を眺める子供のような表情でオレを見詰めた。
「なあ、マイ」
「なに?」
オレはその哀しげなマイの瞳に、今一度自分の意思を思い起こす。
「オレさ、絶対マイを助けてみせるから。今のオレには自分の置かれた状況すら理解できてないけど、でも絶対にマイを〝助ける〟ってことは、約束する。それにレベッカやシキもだ」
マイは急に顔を真っ赤にし、吠え立てる犬のように喚いた。
「あ、当たり前じゃない! 最初にアンタがそう言ったんだからね! だから助けたんだから! じゃなきゃ今既にゼンジなんて死んでるんだから!」
今にも銃を抜きそうだったが、オレがずっと笑っていると観念したように肩を竦めた。
「もう……、最初に会った時から思ってたけど、ゼンジって変よね。普通命の危険が迫った人間は冷静さを欠いて自ら死にに行くような真似をするけど、アンタはむしろ冷静に見えた。それにすぐ順応してしまうし。……後は、変な感じがした」
変な感じ、それはオレも感じた。どこか放っておけない、放っておいてはならないと思ってしまった。
「あー、実はオレもそう感じたんだ」
「え!? ゼンジも? どんな感じだった?」
それは……心がギュッと締め付けられる感じとでも言えばいいのだろうか? じゃあ……それって恋のようなものになるんだろうか? オレには恋愛経験がなく、それがどういう気持ちなのかいまいち分からない。しかし、よくマイのことを考えているのは事実だし、頭の片隅から消えたことはない。レベッカやシキもそうだが、マイのそれとはまた別のような気がする。
「そ、それは……」
「それは? ここがギュっとする感じ?」
マイは少し苦しそうな表情で、自分の胸辺りの服をぎゅっと掴んだ。その拍子に小さな胸が押されているのが分かる。――オレと一緒なのか!? じゃあこれって……。
「こ、こぃ――」
「神城ー!」
オレが言葉を発しかけた瞬間、突如教室から白石の大絶叫が聞こえた。
「やったで! 土御門さんとシキちゃんとレベッカが今年の夏休み一緒に海行ってくれるて! 幸せはこんなにもいきなり転がりこんでくるんやなー! マイちゃんも行こやー!」
鼻息荒く教室から身を乗り出した白石は、興奮冷めやらぬ様子で騒ぎまくっていた。
「ちょ、アタシは行くなんて言ってないぜ! 勝手に決めんな!」
レベッカが呆れた様子で白石に一喝していた。しかし本人も満更ではなさそうで、白石から海での遊び方を聞いてその楽しい光景を思い浮かべているようだった。スイカ割り、ビーチボール、海の家での食事、楽しくないわけがない。
――オレは今、なんと言いそうになった? いや、言いかけたんだから分かってんだ、『恋』だって。でも、それは本当に言ってしまっていいのだろうか? そう思い再度マイの表情を伺ってみたが、もう教室に戻ろうと踏み出していた。オレは伸ばしかけた手を引っ込める。
「ウルセーぞ白石! 行くか行かないかはアタシが決めんだ! なぁマイ」
戻ってきたマイに早速同調を求めるレベッカは、馴れ馴れしい白石に困惑しているようだった。早速白石のキャラが把握されているのか、皆からの扱いは荒々しい。
「ええやん! 海楽しいで、白い雲、青い海、海辺で眩しい太陽を浴びながら冷たい爽やかなソーダを渇いた喉に流し込む。そこに三百円のソースの効いた具なし焼きそばがまたウマイんや! ほんでな、皆でビーチバレーするんや! 神城、想像してみ、ビーチバレーで揺れるモンって何や?」
白石に脇腹を小突かれ、ここにいる皆でビーチバレーをしている図を想像してみる。太陽に重なる高く高く上げられたビニールボールを、今アタックをしようと膝を曲げるマイ、その横ではレベッカがトスを決めた後で盛大に着地している。――揺れる胸。レベッカの胸のサイズならそこら辺の水着ではこぼれてしまうかもしれない。そして残念な胸の持ち主のマイは置いといて、アタックを決めた後、敵陣に降り注ぐビニールボール、それを受けるのは土御門だ。豊満な胸にビニールボールは吸い込まれるように当たってしまう。弾力があるのか、当たった胸は波打つかのように柔らかく、男性なら誰でもボールと変わってくれと言いたくなるだろう。シキだって背は小さいし胸もほぼまな板状態だが、それはそれで魅力がある。
「いいねぇ」
「せやろぉ」
オレと白石はお互い目を瞑り、その楽園を想像した。口元は自然と緩み、「ムフフ」というおかしな笑い声が教室内に響く。
「あの二人……変」
「ほっといた方がいいよ。あの二人、時々馬鹿に拍車がかかるんだ」
シキとアーサーの一声が胸にグサリと刺さったが、健全な男の子なのだから仕方ない。
「善治くん、私の水着姿見たいですか?」
土御門がすすす、とこちらに寄ってくると、胸の谷間を見せつけながらそう聞いてきた。真っ白のシャツから覗く谷間は破壊力が高い。一瞬で鼻に鉄の匂いが広がった。
「おい神城、鼻からなんか出てるで」
見たいのは当然だが、紳士としてクールに……。
「……見たいです」
それを見ていたマイとレベッカは呆れたように溜め息を吐くと、レベッカが挑発するかのようにこちらに一歩踏み出した。
「男ってのはそういうのに弱いんだな。ホレ、アタシのならいくらでも触っていいぜ、ホレホレ」
レベッカは胸元を指で広げ、オレの肩に手を回した。まるでいたずらっ子のようにニヤニヤ笑っている。しかしオレの頭の中は軽くパニックだった、そんなものを押しつけられて平常心を保てる人を見てみたい。
「ぐっはぁ!」
白石が鮮血を鼻から撒き散らしながら倒れた。
「ちょっと! 何善治くんを誘惑しているのですか!」
土御門が金切り声を上げながらこの光景に物申した。
「あぁーん? 胸の大きさならアタシも負けないぜ」
「お、オーホッホッホ、そのような中身スカスカスポンジに私が負けるとでも?」
「なんだと! 勝負するか!」
「ええいいですとも、決着はどちらで? 水着を着ないと判定できませんものね」
「そうだな、その海で白黒付ける、ってのはどうだ?」
二人は張り合うようにお互い胸と胸をくっつけ、火花を散らした。胸の圧で押されたそれは大変刺激が強く、その間にはさまることができるのなら死んだっていい。
「か、神城、これは一体何のご褒美や? しかも大きさは互角と見た」
「わ、分からない。オレが思うにこれは天からの恵み……」
部屋の隅でマイが「か、形はいいモン」とぶつぶつ呟いているのをシキが頭を撫で慰めていた。
笑い声が教室内に響き渡る。土御門とレベッカは相変わらず張り合ってはいたがどこか楽しそうで、二人が友達、と言われても何ら違和感はなかった。何せお互い半笑いで胸を寄せ合っているのだ。オレがその光景に見惚れていると、後ろからマイに耳を引っ張られる。
こんな生活が続けられるかもしれない。皆殺し屋なんて辞めて、オレ達と一緒に海に行ったり――。
「善治くん」
「ゼンジ」
突然マイと土御門が同時にオレに呼び掛けた。二人の今までの瞳が一気に様変わりし、野獣のような目付きに変わっていた。よく状況が理解できないけど、シキやレベッカも同様だった。
「白石くん、浅田くんも、もう遅いしそろそろ帰りましょうか」
「あれ? 皆は帰らないの?」
アーサーが不思議そうな顔でオレ達を見回した。
「私と善治くん、先生に呼び出されてますの。少し遅くなってしまうかもしれませんので」
「そうなんか、こんな遅くまで付き合わせてもうてスマンなぁ。ほな俺ら帰るわ! 皆絶対海の約束忘れたアカンで! ほななー!」
バタバタと教室を出て行く二人を見送ると、レベッカがボソリと呟いた。
「約束……ねぇ。ンなことよりも、ゼンジ……悪いな、タイムリミットだ」
レベッカは顔を俯けたまま銃をオレに向けた。目が合っていないのに、正確に狙っているのを感じる。
心臓が一気に跳ね上がる、どくん、どくんと。――一体どうして? どうしてオレはこんなにも心臓が暴れているんだ? 今までならレベッカは銃を撃たないって分かってたじゃないか。……ああ、分かった、分かってしまった。
レベッカは本気でオレを撃つ気だ。
「ただでさえ組織に嘘ついてるんだ。仲間が到着する前にお前を殺しておかないとアタシらが組織の裏切り者になる。今まで生かしておいただけで十分裏切り行為なのによ。……アタシの家族の頼みで生かしておいたけど、アタシもそこそこ楽しめたよ、自分の知らない世界を見れた、感謝してる。ゼンジもいい奴だし嫌いじゃないぜ。だからこそ……苦しませずに逝かせてやる」
がちゃりと重い撃鉄が引き上げられる。
「そうはさせません。私、命に代えましても善治くんをお守りすると誓った身。この身果てようとも……」
違う。土御門もオレの前に立ちはだかりレベッカと対峙していたが、オレはどうしてもその二人が戦いたがっているようには見えなかった。
「二人共待てよ! お前ら本当は戦いたくないんだろ? こうやって普通の日常が楽しかったからこそ、今の殺し合いの状況が嫌なんだろ!? おい、マイもシキも何か言えよ!」
二人共俯いて何も言わなかった。ただマイは、今にも泣き出しそうな顔で……オレにゆっくりと銃を向けた。
「ゴメンね……ゼンジ」
「ま、マイ!」
オレの声はさぞかし悲痛だったろう。淡い恋の予感、とか馬鹿みたいな妄想にうつつを抜かしている間に、マイ達はその葛藤とずっと戦ってたのだ。オレは……どれだけ馬鹿なんだ。
「マイ、銃を下ろせ。ゼンジはアタシが殺る。これをお前が背負うべきじゃない」
「わ、私が言いだしたことだもん。私が……わがまま言ったんだもん」
マイの持つ銃はカタカタ震えていた。
「やるしか……ありませんのね」
土御門は刀袋をゆっくりとした動作で開け、日本刀を取り出した。そして刀身を抜き放つ。
今までの楽しげな殺し合い……いや、遊びとは違う、個々の感情を押し殺した……どうにもならない殺し合いが始まろうとしていた。
「善治くん、今すぐ逃げて下さい。ここは私にお任せを」
「ダメだ! 皆やめるんだ、こんな無意味なこと!」
「善治くん! ……今しがた連絡がありました。六地蔵が全滅したそうです……それも一瞬で。これはただことではありません。お聞き分けを!」
あの……暗殺集団が? それも一瞬? ――オレは、ようやく自分の身に起きていることの重大さが理解できた。もはや自分の命一つでは言い訳にもならないくらいに。
「お、オレは――」
「おやおや、ここまで追い詰めていてくれましたか」
窓の方から突如、通りの良い男の美声が教室内に響いた。――なんだ!? あの燕尾服に身を包んだ男は?
「レイセン! アンタまで来てたのね」
マイは、その震えを誤魔化すように銃の照準をオレから外した。
「私〝まで〟という言葉の意味、今は触れないでおきましょう。それよりも、マイ、シキ、レベッカに、我がシムド様から伝言があるそうです。至急私についてきて下さい」
「でも、標的が目の前に……」
「その心配なら無用です。サー・ヒッチコックが既に向かっています」
「先生が!? ……分かった、すぐに行くわ」
オレと土御門の目の前を、無表情のままレベッカ、シキが通り過ぎていく。オレは……言葉が出ない、出せない。そしてマイが通り過ぎ様に――。
「逃げて――」
とても小さな声だった。聞き取れるか取れないかくらいの、小さな小さな声だった。そしてオレは確信した、彼女達は本当はこんなこと望んじゃいない。そしてオレは必ず彼女達を助けてみせる。窓から消えて行くマイ達の背中に、そう誓った。
「小夜子」
「……はい」
「小夜子やマイ達のために、皆の幸せのために、協力してくれるか?」
土御門はビクリと体を震わせると、この上ない快感を味わっているかのような顔で、無言で頷いた。
「オレは、無力だ……。小夜子やレベッカみたいに強くないし、今自分がどういう立場にいるのかも分かってない。でも分かってないながらにも一つだけ確信してることがある。それは小夜子も、マイもレベッカもシキもオレの友達だ。オレは自分の置かれた状況が分からない、でも友達を助けることは誰にも邪魔できない。……さっき確信したんだ、マイやレベッカもシキも戦う意思がなかったんだ。それはオレや小夜子や、白石やアーサーを友達と認めてくれたからなんじゃないか? だから、戦いたくないあいつらを助けるために、小夜子、協力してくれ」
土御門はオレの言葉を一通り聞くと、崩れ落ちるかのようにオレの目の前で跪いた。
「あなたは私の選んだ主、生涯を賭けてあなたに使役されると誓った身。今日という日が訪れたことを心の底から誇りに思います。ずっとずっと、あなたに命令される日をお待ちしておりました。……それに、善治くんは無力なんかじゃありません、今こうやって助けようとしている姿勢は、誰にでもできることじゃありませんもの」
土御門の目尻は感極まってか、薄らと光っていた。そして再度口を開く。
「この敵は一筋縄ではいきません、それに助けるとなると相当のリスクが伴います。敵の刃は私を掻い潜り、善治くんの喉元を貫くやもしれません。それでも彼女達を助けますか?」
つまり、死を覚悟しろってことか? ……確かに死は怖い、どこかの主人公みたいにがむしゃらにただ漠然と立ち向かうことができたらどんなに楽だろうか。でもオレはどうしようもなく死が怖い。……でも、マイ達はきっとその境界線の狭間をずっと行き来していたのだ。オレと同年代であるにも関わらずだ。いや、きっと世界中にはもっともっと沢山の子供が苦しんでいる。ならこの一瞬くらい、誰かのために命を賭けることならできるのかもしれない。自分のためではなく、誰かのために。
そう思うと、体の強張りが足から地面に流れ出るように、オレの体は軽くなった。
「ああ、絶対に助ける!」
「すみません……」
土御門は今度は唐突に謝り、大粒の涙を流し始めた。
「ど、どうして急に泣くんだよ」
「善治くんを試すような真似をしてしまい申し訳ございません。処罰はなんなりと。しかし必ず、あなたに刃が届く前に私が盾になります」
「処罰なんてしないよ! それに小夜子だって一つ勘違いしてるよ」
土御門はキョトンとオレを見上げた。
「小夜子だってオレの立派な友達だ。こんな上下関係みたいなのはやめようよ、友達ってのは対等なもんだろ? さあ、立ってあの馬鹿三人を助けに行こうぜ。海、行くんだろ?」
土御門は涙を拭い、オレの差し出した手を掴みよろよろと立ち上がった。そして今度は、とても優しい目付きで、オレの瞳を真っ直ぐ見詰めた。
「ああ、今分かりました。私があなたに惹かれていた魅力を。幼少の頃の、あの優しい一言から。あなたの言葉にはとても力強さがある……」
幼少の頃? オレにはサッパリ記憶がなかったが、その口ぶりからどうやら会ったことがあるらしい。でも今はそれどころではない、きっと今オレ達のすぐ近くまで敵が迫ってきているはずだ。
土御門は携帯電話を開き、画面としばらくにらめっこしていた。が、顔に緊張の色が走る。
「敵はどうやら既にこの学校に侵入しています。職員も帰宅しているでしょうし……この状況は私達にとって極めて危険です」
「あの理事長は? まだ学校にいないの?」
「彼は非戦闘員です。私達の頭脳プラスお財布のようなものですから、こういう状況ではいち早く避難させています。つまり、六地蔵も敗れた今、戦えるのは私のみ、ということになります……。とにかく今の状況を打破すれば『閃光のマリア』がそろそろ到着する頃」
つまり戦えるのは土御門のみで……。いや、オレだって何かできるはずだ。
「小夜子、敵の人数とかは分かる?」
「ええ、どうやら私達はコケにされているようですわね。敵は一人です……しかし、とても強い」と土御門はひくひくと鼻を動かした。以前レベッカが言っていた、同族が感じる何か、だろうか。
敵は余程の自信があるのだろうか? 土御門だって相当強いはずなのに……。いや、あのいかにも強そうな雰囲気を放っていた六地蔵ですら負けたのだ。一切の油断は許されない。
「なら……こうしよう」