第三部 前世の記憶
柚子の家から50メートル先に東華の家はあった。鮮やかな赤い煉瓦で作られた家は柚子の家とは対象的で小さく可愛らしい作りをしていた。
家に着くと、東華は着替えもせずに自分の部屋に駆け込むとベッドのうつ伏せに倒れこんだ。よほど疲れていたのか、五秒としないうちに東華は眠っていた。
六畳間ほどの部屋には規則正しい東華の寝息だけが響いていた。
気が付くと、東華は月がこうこうと輝く夜の森の中にいた。
辺り一面、茨が生茂りそこがどこなのか全く分からなかった。記憶を探るように目を閉じた。すると茨は嘘の様に姿を消し、見渡す限りの草原へと移り変わった。
東華は呟いた。
「ここは…。」
東華はそこがどこなのか分かった。
だが、なぜ今自分がここに居るのかは分からなかった。
もうあの人はいないのに。
自分がこの手で殺した愛おしいあの人との密会場所。
いつの間にか唯一の灯りだった月は陰り、辺りは闇に閉ざされた。不意に東華は押さえき
れない程の悲しみに襲われた。両腕で自分自身と包むように抱え、膝を折ってその場に蹲
った。
「多樹……。」
そして一人の男の名前を呟いた。
忘れるはずの無い懐かしい、私が愛した男の名前。
「歌恋?」
蹲った東華の後ろで歌恋と言う少女を呼ぶ懐かしい男の声が聞こえた。
東華はゆっくりと顔をあげ立ち上がった。そこにいたのは記憶の中で…前世で東華が殺めた男。男は東華に向かってもう一度「歌恋」と言った。
「多樹…。」
東華は自分でも気付かないうちに涙を流していた。多樹は心配そうに歌恋を見た。
「わっ私……は歌恋じゃない。歌恋はもういないの。でも…ごめんなさい。何も出来ない。」
必死に何かを伝えようとする東華を多樹は何も言わずただ見つめていた。
伝わったのかそうでないのか東華には分からなかった。多樹が何か言おうと口を開きかけた瞬間、東華は夢から覚め現実世界へと引き戻されてしまったからだ。
「夢…だったのね。」
目が覚めるともう朝だった。
東華はベッドから半身を起こして呟いた。
今思うと、500年というのはとても長い時間なのかもしれない。そう考えながら東華は曖昧である前世の記憶を鮮明に思い返した。