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第32話『Smile again』後編

軽快なイントロが庭園へ響く。


リリアーナ様は目を見開いたまま動かない。


当然だ。


目の前には氷で出来た小さなステージ。


その上では。


さっきまで礼服を着ていた俺が、キラキラとしたステージ衣装に身を包み、氷のマイクを握っているのだから。


(届け。)


(今度こそ。)


(この笑顔だけは。)


(本物だ。)


「♪――」


歌い始める。


同時に体が動き出す。


ステップ。


ターン。


手を伸ばす。


笑う。


自然と。


体が覚えている。



何百回。


何千回。


前世でミリリンのライブ映像を見返した。


振り付けも。


表情も。


観客との目線の合わせ方も。


全部焼き付いている。


だから。


今の俺は迷わない。


「♪Smile again――」


アップテンポなリズム。


思わず体が揺れるようなメロディー。


落ち込んだ心を前へ押してくれる歌詞。


この曲は。


前世でも特別だった。


辛い時。


仕事で心が折れそうになった時。


何度もこの曲に救われた。


だから今。


この歌を届けたい相手は一人しかいない。


リリアーナ様。


あなたへ。


「♪大丈夫――」


「♪きっとまた笑えるから――」


歌う。


踊る。


笑う。


ただ。


一人の少女を笑顔にしたい。


その想いだけを胸に。


一切の迷いなく。


全力で。



リリアーナは動けなかった。


(……なに、これ。)


目の前で踊るアルト。


いや。


本当にアルト様なの?


煌びやかな衣装。


舞うような踊り。


澄み切った歌声。


そして。


その笑顔。


(違う。)


夜会で見た笑顔とは。


まるで違う。


誰かへ媚びる笑顔じゃない。


誰かに気に入られるための笑顔でもない。


楽しそうで。


嬉しそうで。


見ているこちらまで、つられて笑ってしまいそうになる笑顔。


(この人……。)


(こんな顔で笑える人だったの?)


歌は続く。


踊りも止まらない。


一曲丸々。


アルトは全力だった。



やがて。


最後の音が鳴り終わる。


「ありがとうございました!」


ぺこり。


深く頭を下げる。


肩で息をする。


「はぁ……はぁ……。」


全力だった。


一切手を抜かなかった。


汗が額を伝う。


それでも。


俺は笑った。


「これが……。」


息を整えながら顔を上げる。


「これが僕の笑顔です!」


庭園が静まり返る。


「…………」


リリアーナ様は動かない。


瞬きすらしない。


(あれ。)


(失敗した?)


(もしかして全然駄目だった?)


少しずつ不安になってきた、その時だった。


「…………ぷっ。」


え?


「ふふっ……。」


あれ?


「…………あっ。」


「あっははははははは!!」


大爆笑だった。


「えっ!?」


今度は俺が固まる。


リリアーナ様はお腹を押さえ。


涙まで浮かべながら笑っている。


「あっははは!」


「な、何ですのそれ!」


「えっ?」


「アルト様!」


「その格好!」


「あっははは!」


「な、なぜ女装してるんですの!?」


「えぇぇ!?」


思っていた反応と違う!


全然違う!


「そ、それは!」


「これは、アイドルという、人を笑顔にする職業の正装で……!」


「アイドル?」


「はい!」


「皆に笑顔と元気を届ける職業です!」


「だから!」


「これがその正装で――」


「あっはははは!」


「そんな職業聞いたことありませんわ!」


「ですよね」


「それに!その衣装!」


「可愛いらしくて、本当に女の子にしか見えないけど、アルト様ですし!」


「そう思うと、余計に面白くて!」


「あっはははは!」


笑いが止まらない。


ベンチへ座り込み。


肩を震わせ。


涙を流しながら笑っている。


「お、お腹……。」


「お腹痛い……。」


「笑い過ぎです!」


思わず少しだけムッとする。


「僕は真剣なんですよ!」


「ご、ごめんなさい!」


「でも!」


「ふふっ……。」


「何を始めるのかと思ったら……。」


「急に女の子みたいな格好で歌い始めるんですもの!」


「あははは!」


また笑い出した。


俺は頬を膨らませる。


「もう!」


「笑い過ぎです!」


「……ふふ。」


ようやく。


ようやく笑いが落ち着いてきた。


リリアーナ様は目元の涙を拭きながら。


ゆっくりと俺を見る。


その表情は。


夜会の日とはまるで違っていた。


柔らかい。


本当に嬉しそうな笑顔だった。


そして。


静かに頭を下げる。


「……謝らせてください。」


俺は目を丸くした。


「え?」


「先日のことです。」


「私は。」


「あなたのことを何も知らないまま。」


「酷いことを言いました。」


俺は何も言えなかった。


リリアーナ様は俺をまっすぐ見つめる。


「あなたの笑顔は。」


「貼り付けた作り物なんかじゃありませんでした。」


「今日見せてくれた笑顔は。」


「今まで私が見てきた、どんな人とも違う。」


「……とびきり素敵な笑顔でした。」


そう言って。


涙で少し潤んだ瞳のまま。


にこりと笑った。


その笑顔が。


あまりにも綺麗で。


思わず。


胸がドキリと鳴った。


(綺麗だ……。)


心の中で、そう呟いていた。


リリアーナ様の笑顔に。


俺は思わず見惚れてしまっていた。


先日の夜会で見た、王女としての作られた微笑みではない。


今、目の前にあるのは。


年相応の少女らしい。


心の底から笑った笑顔だった。


「……あ。」


リリアーナ様は俺が見つめていることに気付いたらしい。


少しだけ視線を逸らす。


「な、何ですの?」


「いえ。」


俺は慌てて首を振る。


「その……。」


「笑った顔の方が、ずっと素敵だなって。」


「……っ!」


ぴたり。


リリアーナ様の動きが止まる。


そして。


みるみる耳まで赤く染まっていった。


「な……。」


「ななな、何を突然言うんですの!」


「え?」


「そ、そんなことを平然と言うなんて……。」


「あっ。」


しまった。


前世の営業経験で、思ったことをそのまま口にしてしまった。


「す、すみません!」


「違うんです!」


「いや、違わないですけど!」


「……。」


「……。」


一瞬、気まずい沈黙が流れる。


その沈黙を破ったのは、リリアーナ様だった。


「……ふふ。」


「本当に変わった人ですわね。」


「皆、私には気を遣って褒めるのに。」


「あなたは思ったことを、そのまま口にするのですね。」


「そう……なんでしょうか。」


「ええ。」


少し照れ臭そうに笑う。


その笑顔は、さっきまでよりさらに柔らかかった。


「でも。」


「嫌じゃありませんでした。」


その一言に。


胸が少しだけ軽くなる。


「……良かった。」


「はい。」


リリアーナ様は一歩近付いてきた。


「アルト様。」


「先程の歌。」


「とても素敵でした。」


「ありがとうございます。」


「それに。」


「アイドル……でしたか?」


「はい!」


俺は思わず身を乗り出した。


「人を笑顔にする職業なんです!」


「歌って。」


「踊って。」


「皆に元気を届けるんです!」


熱く語る俺を見て。


リリアーナ様はまた小さく笑う。


「やっぱり変わっていますわ。」


「そうですか?」


「ええ。」


「でも。」


「その変わっているところが。」


「あなたらしいのでしょうね。」


俺は照れ臭そうに頭を掻いた。


「あ。」


「そうだ。」


「少し待っていてください。」


「?」


「着替えます。」


「この格好で戻ったら父様が卒倒します。」


「……それは確かに。」


リリアーナ様がくすっと笑う。


「では。」


「また後ろを向いていていただけますか?」


「はいはい。」


「分かりましたわ。」


少し呆れながらも。


素直に後ろを向いてくれる。


「ちゃんと前だけ向いていますから。」


「覗きませんわ。」


「ありがとうございます!」


俺は慌てて衣装を脱ぎ始めた。


ガサゴソ。


ガサゴソ。


衣擦れの音だけが静かな庭園へ響く。

着替え終わり片付けていると。


「……リリィ。」


「はい?」


突然。


リリアーナ様が小さく呟いた。


「今何か言いましたか?」


俺は思わず聞き返す。


「リリィ。」


「……?」


「私と親しい人は皆、そう呼ぶの。」


ゆっくりと振り返るリリアーナ様。


耳は真っ赤。


視線はどこか落ち着かない。


「だから。」


「あなたも。」


「特別に。」


「リリィと呼ぶことを許可します。」


ぷいっと顔を背ける。


耳だけは、真っ赤なままだった。


俺は少しだけ目を丸くしたあと。


自然と笑みが浮かぶ。


「ありがとうございます。」


「リリィ。」


「……っ!」


肩がぴくっと震える。


「あと。」


「二人きりの時は敬語も要りません。」


「そういうの、疲れるでしょう?」


「……ふふ。」


俺は思わず笑ってしまう。


「じゃあ。」


「リリィも敬語はなし。」


「僕のこともアルトで。」


「……。」


リリアーナ――いや、リリィは少しだけ躊躇ってから。


恥ずかしそうに口を開いた。


「……アルト。」


たった二文字。


なのに。


その一言が、とても嬉しかった。


俺も笑顔で応える。


「ああ。」


「よろしく、リリィ。」


リリィも、小さく微笑んだ。


その笑顔は。


最初に出会った時の王女の微笑みではない。


一人の少女として浮かべた。


とびきり自然な笑顔だった。



しばらくして二人が庭園から戻ると。


待っていたアルフレッドとレオンハルトは、何事もなかったようにお茶を飲んでいた。


しかし。


二人とも内心では驚きを隠せない。


先ほど庭園へ向かった時とは、リリィの雰囲気がまるで違う。


表情が柔らかい。


自然に笑っている。


時折、アルトの方を見ては口元を緩めている。


アルフレッドは紅茶を口に運びながら、小さく微笑んだ。


(……仲直りできたようだな。)


レオンハルトも胸を撫で下ろす。


(良かった。)


(アルトの表情も晴れている。)


二人は顔を見合わせ、小さく笑った。


これが――


アルト・フォン・ルミナスと。


リリアーナ・エル・アストリア。


いや。


リリィとの本当の意味での出会いだった。


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