ある日の貴族学園生徒会役員達の、朝起きてから夜眠るまで(2)
「はい。アリス様、そのように身を乗り出されると危ないと思いますが」
「大丈夫ですよ、このくらいの高さなら簡単に着地できますし」
にこにこ笑って、そんなことを言う。……仮面の騎士様なら、本当に容易く着地しそうではあるが。
貴族学園に通う貴族の子女の中でも、あまり裕福でない者は、こうしたアパルトマンに住むことが多い。
ヴァシュラン家のような、西方王国内の貧乏貴族とか。
「お二人は、こちらにお住まいだったのでございますね」
「はい! よかったら、今度寄ってください。お料理、頑張って練習したので」
「それは素晴らしい。機会があれば、是非。――それでは」
手を振るアリスに一礼して、再び足を動かす。
……あと、脳内の予定一覧に「アリス様の料理の腕前をヴィクトル様に確認する」を追加しておく。
アパルトマンからも、喧噪が聞こえてくる。皆、生活を始めたようだ。
西方王国以外からも、多くの貴族が国交のために――友好のためか、あるいは一種の人質としてかは国によるが――この学園都市に留学している。
貴族もいろいろでございますね、と、ミネットは思う。
平民から見れば、貴族はみな貴族。だが、貴族の中にも上下、貧富があり……、世知辛い話もよく聞く。その辺りは、平民とさして変わらないとも思う。
立ち並ぶ石造りのアパルトマンには、そういう“いろいろ”が詰まっているのだ。
なお、石造りの家が多いのは、火事の延焼対策である。学園都市が出来てから数十年、何度か大火があったらしい。
てくてくと、小さな歩幅で――背が小さいので歩幅も小さい――ミネットは学園都市の中央へと辿り着いた。
つまり、貴族学園の敷地へと。ベーカリーを出てから、およそ十分かかった。
貴族学園の正門脇には、守衛が立っている。
「おはようございます、ミネット書記」
「おはようございます」
また会釈して、守衛に挨拶を返す。
正門からまっすぐ進むと本校舎だが、まず広い前庭を抜ける必要がある。左右対称に整えられた、美しい庭だ。
煉瓦造りの道を歩く。
本校舎は全三階建て。中央にそびえたつ時計塔のせいか、とてつもなく大きく見える。……ミネットが小さいのも、ある。
小生にも、もう少し背丈があればよかったのですが……、と、脳内で呟く。
誰にも言ったことはないが、ミネットは小さくて細い己の体躯が、少しだけ不満である。
まだ朝早いのに、前庭を抜けるだけで、多くの人とすれ違う。
貴族学園の生徒総数は約五千。とはいえ、今の時間は……、朝から訓練をたしなむ騎士家系の男子生徒くらいしか、生徒はいない。
この時間帯に多いのは、教師や用務員、学園付きのメイド、出入りの業者だ。往々にして、貴族という生き物は、世話をされる人間よりも、世話をする人間のほうが多くなりがちで、その分だけ、学園の運営費が膨らんでいく。
……まずは、ここから是正すればいいのではございませんか、と思う。
自分の世話は自分ですればいいのに、と。
書記であるにもかかわらず、何故か会計にも携わっている――オディロンが会計を任命していないので――ミネットにとっては、大きな無駄に見える。
ただ、無駄に見えるものでも、削れば大きな問題を起こしかねないのが、人間社会というものである、と教わっている。
構造の中で無駄に見えるものは、衝撃に備え、不満を吸い込むクッションとして機能していることがある、と。
試しに、貴族を世話する費用を削ればどうなるか、考えてみる。
まず令嬢令息の生徒たちが不満を表明し、その対応に追われることにもなる。仕事が増えるわけだ。己のことは己でなんとかせよ、なんて言ったら、規則を無視して随従のメイドや執事を増やすだろう。
己でなんとかしたぞ、と言わんばかりに、だ。そしてまた問題が増える。
何よりも……。
「……は」
小さく息を吐く。周囲では、庭師が庭園の花を手入れし、出入りの業者が野菜の積まれた荷台を運んでいる。
これらの人々は、ミネット同様、学園都市で暮らす人々だ。そうした人々から雇用を奪うことにもなるだろう。
まだまだ思索が足りませんね、と自嘲する。もっと学ばなければ。
……なんにせよ、早く会計を任命してほしいものである。
投げかけられる挨拶に会釈を返しつつ、ミネットは本校舎に辿り着いた。
本校舎の後ろにはこれまた広大な中庭と、時代と共に増築されてきた校舎や施設が点在しているが……、そちらは今日、行く必要がない。
本校舎に入り、朝の清掃を行うなじみのメイドたちに挨拶しながら、本校舎の三階中央にある生徒会室へ。
懐から重厚な雰囲気の鍵を取り出して、真鍮の鍵穴に差し込み、回す。これまた重厚な木製のドアを開けて、生徒会室に入った。
ソファ、テーブル、棚の調度品に至るまで、全てが最高級品。バルコニーからは前庭を望める。この学園で、もっとも贅沢な場所の一つと言えるだろうが……景色を楽しむ気は毛頭ない。街中の景色の方が、よほど面白い。
壁掛けの立派な時計を眺めると、正門をくぐってから、およそ二十分が経過していた。
ベーカリーから学園まで、よりも、正門から生徒会室まで、のほうが遠いのだ。
庭の広さと、声をかけられる数の多さゆえに、だ。生徒会書記でありながら平民だというのが、どうやら、職員にとって気安く思えるらしい。……愛想のいいほうではないので、少し申し訳ないが。
ミネットは生徒会室の端っこにある、書類が山積みになった書記のテーブルにカバンを置く……スペースもなかったので、椅子の上に置く。
すぐに、生徒会室の扉がノックされた。
「はい、どうぞお入りくださいませ」
「おはようございます、ミネット書記。いつもの紅茶です」
と、すまし顔のメイドがカートを押して入ってくる。温かい紅茶のポットとカップ。ほかには何も載せられていない。
「ありがとうございます。生徒会室に給湯設備があれば、自分で淹れられるのですが……」
「書類が燃えたら大変ですし、わたくしどもの仕事がなくなってしまいますので。……ミネット書記は、もう少し、我々にわがままを申されても良いと思います。朝食も、水菓子も、良いものをご用意いたしますのに」
「いえ、書記とは言え、小生はあくまで平民。特待生として通うだけの身分でございます。そこまでして頂くのは分不相応でございますし、それに……」
ミネットはカバンから包みを取り出す。
「……ライ麦のサンドイッチが、好きなのでございます」
「御意に。……実は私もです。故郷を思い出すので。では、何かあればお呼びくださいませ」
メイドが退室していった。
ミネットはサンドイッチと紅茶をお供に、少しでも積みあがった書類を減らすべく、授業開始前の労働に取り掛かるのであった。
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