ある日の貴族学園生徒会役員達の、朝起きてから夜眠るまで(1)
朝、自然と目が覚める。
ミネットは少しまぶしそうにまぶたを上げて、上体を起こした。
室内は薄暗く、狭い。
「……おはようございます」
寝ぼけ眼で、自分自身に朝の挨拶をする。挨拶は大事だ。
養父にそう躾けられている。
ベッドからもそもそと抜け出してカーテンを開け、陽の光を部屋に招く。
部屋は小さなワンルーム。
学園都市にあるベーカリーの、二階に下宿している。
あまり物を持たない主義……、というか、単に貧乏というか。
ベッドの他には、小さな椅子と机とキャビネットが一つずつ。壁のフックに制服をかけてある。それ以外は、何も置いていない。
椅子に座り、長い髪をブラシでとかす。
上質な猪毛のブラシが、なめらかに髪を整えてくれる。
「む……」
と、ミネットは少し不満そうに、ブラシを眺めた。
いいものだ。使い心地が素晴らしい。
だが……、オディロンに「使わないから」と押し付けられた品なのである。
背面に施された細工や、柄にはめ込まれた象牙などから見るに、相当な高級品。
好奇心に負けて、一度使ってみたのがまずかった。もう、他のブラシだと満足できないかもしれない。
あまり高価なものを持ちたくないというのに。
壁にかけた制服に着替え、生徒会役員の証であるマントを羽織り、廊下に出る。
このベーカリーに下宿している貴族学園の生徒は、ほかにもうひとりいる。だが、対面の部屋は静かなものである。まだ寝ているのだろう。
ミネットは半目で部屋の前を通り過ぎつつ、また寝坊しないとよいのですが、と内心で思う。
地方の豪農の娘だ。早朝に起きて田畑に出る生活から一転、先進都市である学園都市での生活を始めてから、朝、起きられなくなったらしい。
階下に降りると、カウンターで番をしているベーカリーの夫人が「おはよう」と微笑み、壁掛けの時計を見上げた。
「今日も時間ぴったり。ミネットちゃんは時計いらずねぇ」
と、快活に笑う。
壁掛けの振り子時計は、朝七時を指している。
ミネットは首を横に振った。
「いえ、時計いらずというほどでは。懐中時計があれば、いろいろと便利だろうと思っておりますが……」
「懐中時計! とんでもなく高価だものねぇ、うちの壁掛けも高かったけれど、その百倍くらいするんじゃないの?」
そう。時計類は、とにかく高いのだ。
特に職人が手作りする懐中時計は、ミネットに手が出せる代物ではない。
「でも、ミネットちゃんみたいに可愛い子なら、お貴族の坊ちゃんから贈られたりするんじゃないの?」
「高価なものをおいそれと受け取るわけには参りません。なんせ――」
ミネットは羽織ったマントの胸元を示す。
学園の校章を模した精巧なブローチがあしらわれている。
「――生徒会役員の立場で受け取れば、賄賂と思われかねませんので」
「真面目ねぇ。あたしだったら、なんでもかんでも貰っちゃうけど」
そのとき、カウンターの奥、キッチンのほうから、のっそりと髭面の中年男性が現れた。このベーカリーの店主である。
「お前の頭じゃ、そもそも生徒会どころか貴族学園にも入れやしねえよ。……嬢ちゃん、これ」
と、ぶっきらぼうに、布の包みをカウンターの上に置く。
布の中身は、小さな木製の籠だ。
いつも通りなら、ライムギのパンでキュウリとトマトとチーズとハムを包んだサンドイッチが入っているはずである。
ミネットは包みをカバンの中にしまい込み、丁寧に頭を下げた。
「いつもありがとうございます。では、行ってまいります」
「はい、いってらっしゃい」
「気ぃつけてな」
木製のドアを押し開け、ベルをからんからんと鳴らして、ミネットは出て行った。
ベーカリーの夫人は、頬に手を当てた。
「朝くらい、ゆっくり食べればいいのに」
「忙しいんだろ、俺達と違って」
「私達は毎日暇だものねぇ。大丈夫かしら、この店。やっぱり、店主が髭もじゃなのが悪いのかしら。あなたそれ、そろそろ剃りなさいよ」
「いやぁ、カウンターに小うるさいのがいるからじゃねぇかなぁ」
夫人は店主の尻に平手を放った。
●
ミネットは街を歩く。
学園都市は、貴族学園を中心として放射状に道が伸びる都市である。
学園の敷地内を通るように人工河川が引かれ、そこかしこに橋が通されている。当然、水路も非常に多い。だが、高低差はほとんどなく、歩きやすい街だ。
元々、このあたりはぬかるみの強い盆地だったそうだ。
それを、何代か前の西方王国の国王が、貴族学園を作るためにわざわざ治水し、巨大な街を作り上げた。
最初は貴族学園だけが目立つ街だったそうだが、各地から研究者が集まり、次第に周囲に商店や宿場が出来て……、いま、こうして放射状の都市となっている。
ミネットは歩くのが好きだ。
思索にふけるも良し、景色を眺めるも良し。
てくてくと歩くミネットを見つけて、働き出した街の住人達が、帽子を取って挨拶をする。
「生徒会さん、おはよう!」
「おはようございます」
と、ミネットも会釈して返す。
このマントは、いわば権力者の証でもある。貴族学園生徒会は、学園都市全体の運営にも関わるからだ。
地方の政治家といっても良いくらいの立場であり、それ故に、住人達から厳しい目で見られる立場でもあるが、ミネットへの評価は悪いものではなかった。
おおよそ、「遊び人の第三王子を支える苦労人」とか「平民上がりのくせに賄賂のひとつも受け取らない堅物」とか、そういう評価が多い。
「ミネットさーん、おはようございます!」
上からも挨拶が振ってきた。
見上げると、道沿いのアパルトマンの二階の窓から、金髪のメイドが顔を覗かせていた。
アリスだ。ヴィクトル・ド・ヴァシュランのお付きのメイドの。
「おはようございます」
アリスは、何が楽しいのか、ぶんぶんと手を振っている。
この街の、貴族学園にほど近い通りには、三、四階建ての石造りのアパルトマンが立ち並んでいる。
学園都市、ひいては貴族学園で働く労働者と、その家族が大半だ。
「今から、お仕事ですか? お疲れ様です!」
非ミステリの日常回です。
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