九十九折町山神祭事事件:ええ日じゃあ 其の拾壱
眼前の空気が爆ぜる。
獣の形をした暴風を紙一重で捌きながら、佐々木は冷や汗まじりに思考を巡らせる。
確かに、鋭く、速く、重い。まともに受ければ拳は身体にめり込み、骨は軋み悲鳴を上げるだろう。
だが、無駄が多すぎる。
型もへったくれもない大振り、とどのつまりはただのテレフォンパンチ。
(....山神とやらは、カレンの体を乗っ取りきれてはいないのか?)
いつぞやの、比叡山の僧兵達と一悶着を起こした時の暴れっぷりを考えれば、今の動きは素人丸出し。最悪の予想が外れた事に幾ばくかの余裕が生まれる。
しかし、それでも相対するのは猪熊カレン。技など要らぬと言わんばかりの、圧倒的な質量の暴力。ずらし、逸らし、絡め取り、何とか凌いでいるが、ジリ貧だ。何処かで流れを変えなくてはならない。佐々木が舌打ちし、覚悟を決める。
暴風の切れ目。ほんの一瞬の呼吸の隙間。水のように力を抜き、全体重を乗せた刺突。狙うは鳩尾。
ドォン!!
完璧なタイミングだった。
だが、返ってきた手応えは岩盤。
棍の方がミシミシと悲鳴を上げ、佐々木の手首に電流のような痺れが走る。
「.....マジかよ!?」
人間の肉体を打ったとは思えない程の硬度。粘土のような密度。佐々木の心臓が一際大きく跳ね上がり、額にぶわっと玉のような汗が噴き出した。
鼓動が収まる暇すら与えずに、死が迫る。膝を抜き地面を転げ回るようにして避ける。迫りくる拳から距離を取ろうと飛び退いたその時、未だ鳴り響く爆音のEDMに混じって、嫌な音がした。
バキン!!
トラス(骨組み)が断末魔の叫びを上げるとともに、極彩色の光とぶつ切れになった音楽が、滝となって地上に落ちた。
これが、分水嶺だった。
不意の轟音。駆け巡る情報。佐々木の意識を引き裂くには十分だった。
音、舞手、そして拳。
高すぎる能力が生んだ隙。警察官としての本能。倒れる少女達の安否から視線を戻すより早く、腹にめり込んだ衝撃が、佐々木の思考を砕いた。肺の中の空気が根こそぎ引きずり出され、ガラ空きになった食道を胃酸が濁流となって駆け上がる。意識が千切れ飛び、体がゴム毬のようにステージを転げ回った。
佐々木がうめき声を飲み込み顔を上げると、獲物を見下ろす猛獣がいた。勝ち誇るでもなく、舌舐めずりをするでもなく、ただただ見下ろしていた。
崩落したトラスに巻き込まれたスピーカーは沈黙し、あるべき静寂を取り戻した社には、荒い呼吸と、山の動物の鳴き声が微かに響いていた。
ゆっくりと、拳が振り上げられた。死の予感がした。脳からの指令に逆らい、遅々として動かない体を無理矢理操る。うめき声と共に吐き出された酸素と入れ替わるように、生温い空気が肺に滑り込んだ。拳が眼前まで迫り、時間が永遠のように引き伸ばされる。そして、膝立ちで棍を構える佐々木の顔面が揺れた。
コツン。




