九折町山神祭事事件:ええ日じゃあ 其ノ弐
こじんまりと、後付けで区切られた喫煙ブース。
元々は無垢な純白だったろう壁の面影もそこそこに、今ではヤニが染み付き、すっかりやさぐれてしまっているようだ。
そこに一人、吐き出す煙と共に魂まで抜けているのではないかというような顔をした、三十路半ばの男がいた。
役人特有の堅物そうな、それでいてどこか苦労人のような疲れた雰囲気を湛えた男。ここ数日、数週間の疲れと頭の中の考え事を追い出すように、ぼんやりと煙を吐いている。
「あら、名倉くん?....珍しいわね」
ガラリと開いたドアから、細身で四十前後の、墨やら煤やら画材のようなもので汚れたツナギに、頭にはバンダナを巻いて前髪を上げた、気の強そうな雰囲気のする女性。
霊保課の霊的文化財修復技官。郡司雅子が声を掛けた。
「あぁ....お疲れ様です」
口は悪いが面倒見のいい彼女に心配はかけまいと、最大限にこやかに挨拶をしたつもりだが、出てきたのは自分でも想像以上にしょぼくれた、シケモク寸前のタバコのような挨拶だった。
「随分やられてるわね~、もしかして、この前言ってた杜撰な祭事のやつ?」
「はは、まぁ、そんなところです」
郡司が、くしゃくしゃになったアメリカンスピリットの箱からタバコを一本取り出し、火をつける。
それに倣って名倉もまた、右手に持っていたシケモクに別れを告げ、新品のメビウスの包装を面倒くさそうに開けて、新たな相棒に火をつけた。
「八重樫先生には聞いた?」
「えぇ、それとなく」
「なんて?」
「即刻中止させよ、とのことです」
「まぁ、そうよね」
途切れた会話の代わりに、ふぅふぅと呼吸を続ける換気扇の音が、こじんまりとしたブースを埋めた。
「....名倉くんも、言う時はちゃんとガツンと言わなきゃ駄目よ? 祭事や神事なんて、下手をしたら死人が出ることだってあるんだから
確か、昔どっかの山岳神事で核になった祭具がレプリカにすり替えられてて、最終的には土砂災害にまでなったりとか、他にも──」
メラメラと燃えるタバコの先端のように、文化財語りに火がつき始めた彼女の言うことはもっとも過ぎる意見だが、町おこしの祭事に対する監査という都合上、強制力を持たない立場の中で精一杯、危険性の提示やら勧告やら、やれる範囲のことはやってきたつもりだ。
後は引き継いだ陰陽課が、上手くやってくれるのを祈ることしか出来ない。もしも自分に、陰陽課に入れるような才覚があれば....強制力を持たずとも何か違ったのだろうか。
郡司の説教ともアドバイスとも取れる文化財語りを聞きながら、天井に向かっては途中で千切れていく煙の行く末を、ぼんやりと見守っていた。
◇◇◇
自然豊かで開放的な、心落ち着けることの出来る、コンクリートと電波の海を忘れられる陸のオアシス。
そのように言えば聞こえは良いが、要するにド田舎。
大した建物も名産も名所もない、強いていうならば、いつだったかの女子高生がキャンプをするマンガがきっかけで起きたキャンプブームにあやかって開設した、そこそこのキャンプ場があるくらいである。
そのキャンプ場も、素人が思いつきで開設したようなものだから、キャンパー達を惹きつける魅力も乏しく、夏場にアルファードやらハイエースやらで乗り付けてくるバーベキュー客が使うくらいか。
茨城県奥常陸市九折町。
切迫していた。
住民は高齢化が進み、若い世代はより便利な市の中心部に流れて行く。そうして、何かを新しく始めるような体力がジワジワと減っていき、気が付いたら最後は寝た切りのようになってしまう。
起き上がれなくなる前に、体の動く内に、何とかしなければいけない。何でもいいから、何とかなってくれと、藁にも縋らなければいけない。
この町は、そういう町だった。
◇◇◇
衰退の坂を緩々と下っている町には不釣り合いにも思える小綺麗な町役場。補助金だの公共事業だとかの言い分で、10年ほど前に建て替えられた町役場。
そんなガランとした中にある一室で、男が二人、問答をしていた。
「保坂さん、やっぱり延期なりなんなりした方が良かったんじゃないですかね?」
色の白い、役人風の男に保坂と呼ばれた、如何にも地元の土建屋の社長というような風体の男が、威勢よく答えた。
「ビビってんですか? 文化庁の人があれこれ言ってたけど、まぁ要するに気を付けて執り行ってくださいってことでしょう?」
机に置かれた、文化庁からの勧告書をつまみ上げて一瞥すると、ふんと鼻を鳴らし、ペシッと軽く叩いた。
「それに、やりますって派手にブチ上げちゃった手前、今更やっぱりやめますなんて言えないでしょうよ?」
この、死に体の町を何とか蘇らせなければいけない。例え昔のようにとまではいかなくとも、輸血なり応急処置なりの延命はさせなければならない。
十代だとか二十代だとかの、時間にも体力にも余裕があって、誰かを養わないといけないという責任のない若造ならば、この町を出ていくという選択も簡単だろう。
いざとなれば国が何とかしてくれる、逃げ場のある目の前の公務員と違って、地元の土建屋、企業の人間はここで生きていくしかない。
ここで産まれて、ここで死んでいくしかない。やるしかない。それしか、道が無い。
会議室の壁に張られた、角が剥がれて伏し目がちになった祭りのポスターが、物言いたげに、じっと保坂を見つめていた。




