祈られたフェンス 其ノ拾弐
スッとした、社のような祠のような、柑橘のような香りが立ち上った。甘ったるい、善意の臭いを押しのけて、そこは貴様の場所ではない。そう、決めつけるかのように。
心なしか、一つ膜が剥がれたような、そもそも最初からそんなものはなかったかのような。そう、ここにあるのは、祭壇でも、慰霊碑でも儀式の場もなく、ただの不法投棄のゴミの山。そんな心持ちになる。
「....もしかしたら、僕たちも気づかないうちに、この“祀り”に取り込まれていたのかもしれません」
答えは最初からすぐ目の前にあったのに、「何も無い」と答えに辿り着いていたのに、「何かが在る筈」といつのまにやらそう思い込んでいた。知識がある故の、経験がある故の、ある意味で盲点とでも言えるような、当たり前のことの見落とし。
「ホンマやなぁ。うちも“ここには何かあったかも”って前提でしか見とらんかったわ。なんもないはずの場所に、“なにか”を見とった」
あ〜あ〜、アホらしい、と大袈裟に肩をすくめ、積み上げられたアルバムやら、十字架の掛けられた三輪車やらをぞんざいに扱うようにゲシゲシと足蹴にする。
その度に、ぶるる、と空気が揺れるような、揺らぐような、そんな気配がした。
「もし月島さんの調査がなければ、僕たちが“祈り”を根拠に、“怪異”を確定させてしまっていたかもしれませんね」
「うちら霊能者が“人の思い込み”に呪われるとか、皮肉ききすぎやろ....」
やれやれといった空気の中に「おーい!」と一陣の清涼感をまとったような猪熊カレンの声が、ガラガラと大きなリヤカーと共に現れた。
「持ってきたぞー!で、これどうすんだよ?」
まるで、マジックの種明かしでも待っている子供のようにワクワクとした顔つきで、次に何をするのかを今か今かと待っている。
怪異と戦う時はまるで巨大な虎だとかライオンだとかの肉食獣のようなのに、ゴールデンレトリバーだとか、バーニーズマウンテンドッグだとか、大型犬のような純粋さを振りまいているので、思わず柔らかい顔になる。
「全部、運びます。まとめて“現実”に戻します」
◇◇◇
夕方、というには遅く、夜というには中途半端な薄暗がりの中、線路沿いのフェンスに響くのは、
「ドクターペッパーに缶コーヒーて、しかも無糖て、子どもの霊が好きや思てんの?んなわけあるかいな……」
「しかもなんで缶チューハイやねん!ええ大人やったんか!?何歳設定なん!?曖昧すぎやろ!」
「ちゅーかこのアルバムなんやねん。大家族か?誰の子の設定やねん?」
ボヤく、ボヤく、ボヤく。
ここぞとばかりにボヤく。
溜まっていた鬱憤を晴らすかのように、一つ手に取るたびにボヤく、一つリヤカーに放り投げる毎にボヤく。
「なんやこれ....ほんまに誰も死んでへんのに、勝手に誰か殺しとるやないの....」
「こういうのが一番たち悪いわ....ええことしてるフリして何より無責任なんやから」
供物を、いや、フェンスに積み上げられたゴミを撤去する度に、祝部綾音がボヤく。その度に場の空気が、甘ったるかった臭いが遠ざかり、カレーやら醤油やら味噌やらの、どこにでもある住宅街の匂いが漂っていく。
「これで“現場の空気”もだいぶマシになったな~」
「姉御お疲れさん」と、ぬるくなったラムネを手渡す。
「ホンマ疲れたわ」
とボヤきながらポンと開けたラムネを飲み干す。
「“祈られた場所”を、“祈りから引き離す”。これが、今できる最善の鎮魂です」
商店街のほど近く、住宅街が後ろに広がる、線路沿いのフェンス。
何も無い。
そう、ここには全く何も無い。
どこにでもある、通学路だったり、通勤路だったり、商店街への通り道だったり。
そんなただの道、ただのフェンスがあるだけだった。




