祈られたフェンス 其ノ玖
───甘ったるい臭いが立ち込めていた。
花のような、蜜のような、砂糖のような、優しく包み込むような、善意の臭い。
意気軒昂に、我が物顔で闊歩していた太陽がソロソロと帰り支度を始めた夕方。線路沿いの祭壇の前で、三人は案山子のように立っていた。
お菓子、ぬいぐるみ、ジュース、酒。
千羽鶴、手紙、寄せ書き、アルバム。
聖書にコーラン、数珠に十字架。
三輪車、子供用の靴、体操服。
まるで、増殖していく細胞のようにフェンスを覆い隠し、這い出るように、道路にも溢れていた。
「....なんやのこれ、完全に“場”になってるやないの」
顔を顰め、ワンピースの袖で鼻を覆う。捧げられた供物が腐っていたりとか、悪臭を放っていたりとか、そういうことではない。
ここに漂う、花のような、蜜のような、甘ったるい善意の臭いに、気持ちの悪さを感じたのかもしれない。無垢な祈りの暴力に、薄ら寒さを感じたのかもしれない。
「....前回とは、霊的な密度が段違いです。“虚構の記憶”が、ここに根を下ろしかけています」
きゅっと眉間に皺を寄せながら、事件ファイルが頭の中を駆け巡る。甲府の道祖神隠し事件、群馬の神降ろし失敗事件。....どれも空いた空白に怪異が滑り込んできたような、類似性を見つけられるかもしれない事件。
だが、違う。あれらは結局のところ、悪意や欲望を持って始めた人為的な事件だったからだ。どちらも、最終的には黛班の儀式法祓い(ぎしきほうはらい)や、地元の登録退魔師が祈祷だの浄化だのをして対処した。厄介だが、定石の通じる、マニュアルの通じる事件だった。
兆候が出始めた段階で、監察課が調査した段階で、事件性ありと判断されたものだ。この祭壇とは、根本が違う。
それに、場所もそう。儀式の為、効果を上げる為、呼び込む為。過去の類似事件にはそういった、何らかの目的をもって場所が選ばれていた。誰かが何かの目的で儀式や呪詛を組むのならば、どれだけ巧妙に隠しても、必ずどこかに術者の意図や意志が紛れ込む。
これはそうじゃない。
何の変哲もない住宅街、どこにでもある住宅街で、自殺スポットだとか、曰くつきの線路だとか、そういったこともない。どこにでもあるただの線路沿いのフェンス。
「ふ~ん、マジで誰かが死んだことになってんじゃん」
バカみてぇ、とボヤきながら、手前にあったアルバムをチョンチョンとつつき、パラパラとめくり始めた。
「でも死んでへん。誰も。せやのに、ここには“祈り”と“死”がある....ほんまアホみたいな構図やわ」
「....しかしこのままでは、“本当に誰かが死ぬ”未来が収束してきます」
三者三様、日の傾きかけたフェンスの前で、あーでもない、こーでもないと頭をひねってみるものの、ただただ、遠くで犬の鳴く声だとか、どこかの学校のチャイムが聞こえる。
「なんだこれ?こっちのアルバムとあっちのアルバム、全然違う奴らのじゃん」
と、猪熊カレンがパラパラとめくっていたアルバムを見てボヤいたのが聞こえたくらいか。
「まぁ、このままボケっとしてても埒が明かんし、とりあえず何かしてみなな~」
鈴やら糸やらをポーチから取り出し、何でもいいから反応しろよと、調査を始めた。
◇◇◇
積み上がった供物が不気味な“祠”のように場を支配している。祭壇めいた中心には、手製の十字架。プリクラ、そして、その中に、まるで全てを見透かすような眼差しの、一枚の『笑顔のステッカー』が貼られていた。どこかの芸能人だろうか、無邪気で、どこか空虚な笑顔だ。
周囲は不自然に静まり返っており、
タタンタタン....タタンタタン....
遠くで金属音だけが響く。
呼んでいる。
誰かを呼んでいる。
ここに来るように呼んでいる。
ここに収まるように言っている。




