表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/3

第三場面:庭園・午後の光と“嘘の終わり”


邸宅の裏手には、小さな日本庭園が広がっていた。

竹の柵で囲まれたその一角には、古い石灯籠と、今はもう枯れてしまった池の跡があった。水の流れは止まり、かわりに風の通り道がその痕跡をたどるように、そよそよと草を揺らしていた。

「……こっちは、あまり誰も来ないの」


西園はサンダルのまま縁側を歩き、そのまま庭の石畳に降りた。佐々木もつられるようにあとを追った。

彼女が立ち止まったのは、丸く苔むした飛び石の脇だった。そこからは応接間の窓も、道路も、塀越しの隣家すら見えない。

完全な、視界の外。

「こっちに来るの、今日が久しぶり」

彼女は、そう呟いた。


「東京って、ずっと見られてる場所じゃない?  ガラスみたいに透明で、でも曇らされてて、誰が本当に見てるのか分からない」

彼女の視線はまっすぐ池の跡に向けられていた。

佐々木は答えず、しゃがみこんで飛び石を一つ撫でた。

「ここは……見られてないって感じがする」


「うん。ここだけが、誰からも観察されていない」

そう言ったあと、彼女は不意に振り返り、彼を見た。

「さっき、言ってたよね。“賭けだった”って」

佐々木は顔を上げる。彼女は、まっすぐに立っていた。

「でも、本当は知ってた。わたしの名前も、所属も、全部」

「……」


「でもそれを、“知らなかった”ことにした。なぜか?」

彼は答えなかった。

「それが、優しさだったのか。それとも、自分を守りたかったのか。どっち?」

沈黙の時間が、石の間の風に流れた。


「たぶん……どっちも、なんだろうな」

佐々木は立ち上がった。視線は彼女の額と目のあいだあたりにあって、言葉が届くぎりぎりの距離にいた。


「最初から君のことを知ってて、“それでも選んだ”って言えば、きっと……怖かった」

「何が?」

「……その言葉の重さが」

「なるほど」


西園は笑わなかった。代わりに、一歩近づいてこう言った。

「でも、わたしはあなたを選んだの。その事実は、どんな嘘でも覆せない」

彼女の声は穏やかで、しかし鋭かった。


「あなたが嘘をついた理由も、わかる気がする。でもそれを、もう一度繰り返すなら、きっとわたしは選ばない」

佐々木は小さくうなずいた。そして、言った。

「もう、嘘はつかない」


庭の隅で、木の葉が揺れた。どこか遠くで車のクラクションが聞こえた。

だが、それらは二人のあいだには届かなかった。

「ありがとう」

西園の声は、それだけだった。

午後の光が斜めに傾いて、二人の影が庭の飛び石に重なった。その形がゆっくりと伸びていく。

佐々木は、彼女の手に触れた。彼女はそのまま、まばたきを一つしただけで、拒まなかった。

そのまま顔を近づけていくと、彼女はゆっくりと目を閉じた。


唇が触れたのは、わずかな時間だったが、それ以上に確かな質量を持っていた。

それは、言葉よりも先に、約束よりも深く、合意としての“行為”だった。

キスの後、彼女は一歩引いて、小さく笑った。


「これで、合意ね」

彼はうなずく。やっと理解した。“私が選ばれる”のではなく、“彼女が私を選んだ”のだと。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ