第二場面:青山の邸宅・祖母宅の応接間
古い門扉をくぐった先にあったのは、思ったよりも広い中庭だった。都会の喧騒が塀で完全に断ち切られ、空気の密度が一段階変わる。石畳を数歩歩くごとに足元の音が反響し、静寂に吸い込まれていった。
玄関の扉が重たい音を立てて開いた。中は驚くほど静かだった。
「祖母はね、ずっと前に老人ホームに移って、それ以来ここは空き家みたいになってたの」
西園の声が木製の廊下に広がった。空き家とは思えないほど手入れはされていて、床には埃一つ落ちていない。磨かれた床の艶に、彼女の白い靴がくっきりと映った。
応接間に通された。壁一面に古い書棚。左手には大きな欅のテーブルと、その脇に並んだ紅茶のセット。部屋の一角には、昭和の匂いがする冷蔵庫と、小さなガス台。
「ここでお茶、淹れるね」
彼女はエプロンを腰に巻いた。
その姿に、佐々木はふと異物感を覚えた。駅の構内で会ったとき、カフェの片隅で並んでいたとき、そして車内で……彼女は決して“家庭的”な仕草を見せたことがなかった。
「コーヒーでいい?」
「うん、ありがとう」
台所の奥で、水の音がした。彼は窓辺に近づき、障子越しに庭を見た。陽の光は柔らかく、蝉の鳴き声が、都市の中心にあるとは思えないほどの遠さで響いていた。
「ケーキ、あるの」
声がして振り返ると、彼女は小さな銀皿を両手で持っていた。ショートケーキだった。苺がひとつ、てっぺんに乗っていた。
「……わざわざ?」
「冷蔵庫の奥にあったの。祖母の知り合いが、たまに届けてくれるみたい」
彼女は言いながら、ケーキをテーブルに置いた。そしてナイフとフォークを彼の前に差し出す。
佐々木は少し逡巡したあと、ナイフを手に取った。だが、苺に刃を立てるその直前、彼の動きが止まった。
「ねえ、覚えてる?」
「何を?」
「昨日、ケーキの話したの」
「したかな」
「“甘いものは、誤魔化しに使われる”って。あなたが言った」
彼はフォークを手にしたまま、軽く笑った。
「皮肉で言ったんだ」
「でも、それが嘘だったら?」
「嘘?」
「あなた、本当は甘いものが好きなんじゃないかって。誤魔化されるってわかってても、選んでしまう人なんじゃないかって」
彼女の目は、彼を見ていなかった。ケーキの苺を、じっと見ていた。
「……たぶん、そうだと思う」
彼の声が落ち着いていたのは、諦めが混ざっていたからだ。
「選んだのは、私だから」
彼女はそう言って、彼のカップに紅茶を注いだ。
「この家、子供の頃から来てるの。叔父や叔母が、よく“連れてくる男の子はちゃんと見極めなさい”って言ってた」
彼は一瞬、居心地の悪さを感じた。まるで、誰かに監視されているような気配がした。
「今日ここに来てもらったのは、つまり……面接、だったのかもしれないね」
「それ、冗談だよね?」
「うん、冗談」
彼女はそう言って、ケーキを口に運んだ。そして、そのまま咳き込んだ。
「だ、大丈夫?」
「ごめん、喉に……」
彼女はむせながら水を飲み、顔を赤くしながらも、どこか恥ずかしそうに笑った。
「ふふ……こういうとき、フォローしてくれると嬉しいんだけど」
「……ケーキの苺って、時々、攻撃的だよね」
そう言って彼が笑ったとき、彼女も再び笑った。
その笑いは、どこか救いのような響きを持っていた。
まるで、長い選考の末にやっと“可”の印を押されたような、そんな一瞬だった。