訳あり男爵令嬢は今日も元気でごはんがおいしい
「よろしいかしら?」
判断をゆだねながらも、否定を許さない口調で問いかけられたマリエルは、手に握ったスプーンを離さずに答えた。
「なんでしょうか」
「お話ししておきたいことがございますの」
「わかりました、どうぞ」
「ここではちょっと」
微笑を浮かべたご令嬢は、ちらりと周囲に視線をやり、いかにも「言わなくてもわかるでしょう?」といったふうな雰囲気で言葉を返したが、マリエルは首をかしげる。
「なにか問題でも? 食堂での私語は禁じられてはおりませんよね」
現に今も、生徒たちがそれぞれ友人たちと会話をしながら昼食をとっている。マリエルや彼女たちが席を外す必要性は感じない。
「ですが、ここでお話しをすれば、たくさんの方に聞かれてしまいますわよ?」
よろしいのかしら。
またも微笑を湛えたご令嬢にマリエルは答えた。
「べつにかまいませんが」
「――え?」
「どうぞ、おっしゃってください、オフェリーさま」
「ですが、あなた」
「ひとに聞かせられないような内容の話を、ひとの目がないところに呼び出して実施するなんて、むしろそちらのほうが問題では? しかもこっちは一人ですが、そちらは四人いるじゃないですか。どう考えてもわたしのほうが不利です。それともあなたとわたし、ふたりでの話し合いでしょうか」
問い返すと、取り巻きらしき三人をうしろに並ばせているオフェリーが、声を荒らげた。
「歴史ある名門伯爵令嬢たるこの私に、ぽっと出の新興男爵令嬢のあなたと同列に立てと!?」
「貴族学院では貴賤なく平等に接することを謳っているはずですが、それを堂々と否定なさる。そのような考えを持っている方に呼び出されるのは、ますますわたしの身が危険です。重ねてお断り申し上げますので、お話があるのならばここでどうぞ」
平坦に返したマリエルは、湯気を立てる皿にスプーンをつける。さっきからずっといい匂いがしているのだ。いい加減、我慢の限界だった。
限定三十食の日替わりランチ。
かつて宮廷料理人を務めた男が腕を揮う、食堂における人気メニュー。入学以降、ずっと食べてみたかったそれにようやくありつけたというのに、これを諦めるなんてとんでもないことである。
マリエルの目的は、この『八種の野菜が溶け込んだ濃厚ポタージュ』だ。
小さじ一杯ほどの生クリームを液面に垂らし、乾燥パセリが散っている。色のコントラストも素晴らしい。
スープをすくったスプーンをぱくりと咥える。どろりとした濃厚なスープが舌をくすぐり、喉を通っていく。美味しい。
「はああ、この一杯のために生きてるぅ」
仕事明けに酒場へ入ったおっさんのような感想をくちにするマリエル。
未だ立ち尽くすオフェリーは、そのようすにカチンときたようで、フンと鼻で嗤って声をあげた。
「まあ、品のないこと。育ちが知れますわね」
「それはすみません」
「いいでしょう。あなたが望んだことです。ここでお話しいたしますわ。あなたの正体をね」
「はあ」
スープを何口か味わったあと、小ぶりなパンに手を伸ばしたマリエルは、気のない返事をする。
「あなた、男爵令嬢といえど、ご当主の血は引いていないのですってね」
「養女であることはたしかですね。母を亡くした際、わたしを憐れんでくださったのか、手続きをしてくださいました」
「あなたは七歳のころに、どこからともなくやってきて、母親とともにその男爵家に身を寄せている。そのうえ、父親もわからないとか。どこの血筋とも知れぬ身の上でありながらセビアン殿下に近づくだなんて、恥を知りなさい!」
言ってやったわ、とばかりに胸を張ったオフェリー。
マリエルはパンをもぐもぐ咀嚼しながら考えた。
「なるほど、つまり未だ婚約者のいないセビアン殿下の寵愛を得ていることが気に食わないと」
「殿下をどうやってたぶらかしたのか知りませんが、身の程をわきまえなさい」
「セビアン殿下は特定の誰かを定めてはいらっしゃらないですよね」
「ロクサーヌ様がいらっしゃいます」
公爵令嬢の名を出しての反論。
たしかにロクサーヌは、セビアンの婚約者候補の筆頭として知られている。
だがあくまでも候補であり、内定しているわけではなかった。他にも候補者はおり、そのなかでもっとも身分が高いのが公爵令嬢というだけの話。
「そういえばオフェリーさまの家も候補に挙がっておりましたっけ。なるほど、ロクサーヌさまにかこつけて牽制しつつ、そのじつ自分にとっても敵になりうる存在を排除しようとなさったわけですね。それでいてロクサーヌさまの味方であることをアピールして自身の立場を確保するというのは常套手段ではありますが、諸刃の剣でしょう」
味方面をして近くにいる者が寝返って敵になるのは、よくあることだ。公爵家ぐらいになれば、そういった駆け引きにも慣れているだろうし、可能性も考慮してあるはず。媚びて近づくより、平時は距離を保った関係でいたほうが、いざというときに味方になってくれる率は高い。
「やり方を変えたほうがいいと思います。最終的な目標がセビアン殿下の婚約者の座を射止めることであるのなら、ロクサーヌさまに対して、味方アピールは悪手でしょう。堂々と『私はあなたの好敵手である』宣言をなされたほうが、潔く、印象もよいかと思います」
「な、なにを言うの。私がロクサーヌ様とセビアン殿下を争うだなんて、そんなこと」
「いえべつにロクサーヌさまのライバルがあなた一人とは言ってませんよ。国内貴族いくつかの名が挙がっているのでは? あなたのうしろに控えていらっしゃる方も、たしかその一員であったかと思いますが」
オフェリーの斜め後ろに立っていた令嬢が目を見開く。
マリエルの視線を受け、おずおずと頷いた。
「……たしかに、お声がけはいただいておりますが、多くの貴族令嬢を差し置いて、私自身が立つのはいささか自信がなく――」
「残りのお二方も同様ですか?」
マリエルのさらなる追求に、あとの二人も頷いた。
「ロクサーヌ様を応援したいと思っております」
「ええ、私も」
「なるほど。つまり『ロクサーヌ様のために新参者の男爵令嬢を牽制しましょう』という誘いを受けて、いまここにいらっしゃるのですね。ですが、いまお聞きいただいたとおり、オフェリーさまは『我こそがセビアン殿下の隣に立つ唯一の女になりたい』というお考えのようですが」
「な、そんな、こと、私はひとことも言っておりませんでしょう!」
「全然まったくそんな気持ちはないとおっしゃいますか? では、セビアン殿下の婚約者候補から辞退すると宣言なさいますか? ほら、ここはたくさんのひとがおりますし、皆さんが証人になってくださいますよ」
ねえ、そうでしょう?
マリエルはぐるりと周囲を見渡した。
一年生の女子生徒に、最上級生の四人が相対している状況は人目を引き、いつのまにか食堂の多くの生徒がこのやり取りを見守っていた。
マリエルの突然の問いかけにざわめきが起こる。そんななか、一人の男子生徒が声をあげた。
「俺は証人になるよ。殿下の婚約者争いなんておもしろ――、いや楽しそ、いや、興味深いこと、王国民のひとりとして無視はできないね」
「本音がダダ漏れしてますトレイルさま」
「おっと失敬」
男子生徒は歩を進め、そうしてマリエルの隣の席に腰かけた。
持参してきたトレーに載っているのは、定番のランチセット。限定メニューではないが、これもまた人気のものだ。男性向けにボリュームアップされており、山盛りパスタにかかったミートソースの匂いが鼻腔をくすぐる。とても美味しそうでマリエルの目は釘付けになる。
不躾な闖入者に眉をひそめるかと思えば、オフェリーはトレイルに対して反論の声はあげなかった。
その理由は、彼が『東の辺境伯家次男』という高位貴族令息であることに加え、十八歳という年齢でありながら婚約者がいないからだろう。
二十歳のセビアン殿下に次いで、トレイルもまた貴族男子界における好物件というわけだ。印象を良くしておいて損はない相手である。
「話は聞かせてもらったが、こちらのご令嬢を槍玉に挙げるのは俺も悪手だと思うよ。少なくともセビアン殿下は喜ばない。彼はことさらに彼女を気にかけているからね。自分はもう学生ではないのに、その寵愛ぶりが生徒たちに知れ渡っているぐらいだ」
芝居がかった仕草で肩をすくめるトレイルに、マリエルが同意した。
「自重しろということですよね」
「君が言っても逆効果だろうね。俺が言っても聞き入れてくれないぐらいだし、むしろ君の近くにいる俺も敵認定しかねない勢いだ」
「そうなのですか? トレイルがいるから安心だっておっしゃってましたけど」
「くちで言うほど楽観はしていないだろう。きっといまも、どこかで監視の目が入っているはずさ」
途端、食堂の生徒たちがざわめいた。
王家がかかわる『監視の目』とはつまり、諜報や裏で暗躍する影の存在を意味する。そんな物騒なひとが学院にいるのか。
疑心暗鬼にかられ、皆がチラチラと付近に目をやった。隣にいる生徒は、もしかしたら影の人間かもしれないのだ。
恐れおののく周囲をよそに、トレイルは言葉を続ける。
「皆も知っているだろう、今の王家の危うさを。ついに正妃が幽閉されたが、未だその残党が残っているとも言われている。誰がどの貴族と繋がっているのか、こと中央に居を置く貴族家に至っては、身の潔白を立てることに難儀しているだろう。子息子女の諸君もまた例外ではないぞ」
セビアンを産んだあと、王妃は子を生せなくなった。
後継たる王子を産むという責務は果たしており、彼女を悪しざまに責める者はいなかった。それでも王子になにかがあったときのためにと、側室を置こうとする声は消えず、王はこれに頷いた。
王妃もまた表面上は同意していたものの、その真の心は別であったらしく、側室が子を産んだあと、彼女たちを害そうと企んだらしい。
これらの行為は王宮内でひそかにおこなわれており、主に毒を用いた暗殺であったという。
王妃は巧妙でなかなか証拠をつかませない。
側室とその子を王宮から逃がしたことで一旦は収まったものの、今度はセビアンに対する執着がひどくなった。
王太子であるからには、しかるべき婚約者を立てるものだが、それを確立することができなかったのは、息子の相手をなかなか認めようとしなかったからだというのは、王妃がついに拘束されたあとにわかったことである。
心身衰弱。国王を愛するが故の行動と庇う声も多く挙がったが、彼女は自らが主犯である証拠を残さず、巧みに周囲を操って犯行に及んでいた。また、王自身にも少なからず毒を盛っていたことも判明し、結局はそれが決め手となって拘束に至った。
わたくしは悪くない。
高潔な王妃はそう宣い、己に非があるとは決して認めていない。
長きに渡り、半ば洗脳されるように従っていた侍女や従者は、療養という名目で王宮を離れ、修道院の世話になっている。
少しずつ露になってきた王家の醜聞は、国王ならびに王太子によって開示されているが、まだ学生である者はそこまで詳しくはなかったのだろう。トレイルがそれらを知っているのは、国の東西それぞれに領地を構える二大辺境伯家のひとつに籍を置く者だからこそであった。
思わずしんと静まった食堂。
静寂の中、カチャカチャと響くカトラリーが皿に触れる音。
その発生元にいるのは、限定日替わりメニューの白身魚の香草焼きにナイフを入れるマリエル。
「おいひい」
幸せそうに呟き、パンをひとくち。もぐもぐもぐ。
「セビアン殿下は母親の束縛により女性観が歪んでいるかもしれないが、だからこそ、彼を支える妃の資質は、彼のこころをしっかりと理解し、不要な嫉妬心など持たず、彼がこころを砕く相手を尊重することだろう」
トレイルは生真面目な顔でそう宣言しながら、その手元でミートソースパスタをくるくるとフォークに巻き付け、塊となったそれを隣のマリエルの皿へ移す。当然のようにそれを受け取り、男爵令嬢はパスタを食した。
マリエルのくちびるについたミートソースを、トレイルが指で拭い、それをみずからペロリと舐める。
「ついてるぞ」
「……自分でやります」
「いいんだよ、俺がそうしたいんだから」
周囲が居たたまれなくなるほどの甘やかな空気を発し、一番近くに立っていた女生徒は顔を赤らめた。
一方で当事者のマリエルは「もう、トレイルさまはいつもそうなんだから」と嘆息し、今度はサラダをくちに入れた。
シャクシャクシャク。さっぱりした新鮮野菜がミートソースの濃厚さを消していく。
トレイルはトレイルで、さっきまでの行為はなかったかのように冷静な顔つきに戻り、話題を戻す。
「つまりだ。このマリエルを不当に扱うなど、セビアン殿下がもっとも厭う行動ということだよ」
きっぱりと言い切ったのち、辺境伯令息もミートソースパスタを食べる。
「うまいな」
「はい、おいしいです」
「肉団子も食べるか?」
「食べる!」
「じゃあ、これをやる」
「ありがと、トレイルさま。こっちのサイコロステーキ食べる?」
「ありがとう。ひとつ貰うよ」
そうして互いの皿にあった料理を少量ずつ交換し、おいしいおいしいと言いながら食事を始めた。
取り残された形になるオフェリーは、なんと言い返せばいいのか惑い、パクパクとくちを開け閉め。それを見たマリエルが「お魚みたいね」と言ったものだから、伯爵令嬢は羞恥に顔を赤くした。
「本当に失礼な小娘ね。さっきからなんなの、トレイル様が深刻な話をなさっているというのに呑気に昼食を続けて。品がなくてよ!」
「ごはんはおいしく食べるのが信条なので」
「セビアン殿下のお傍にいるのであれば、それなりの品格というものが必要でしょう。貴族令嬢の一員として、もっとしっかりと学ぶべきではなくって? ねえ、皆さま」
マリエルの、あまりにも淑女らしくない言動は、さすがに同意を得られると思ったか。オフェリーはつんと澄ました顔と声で、彼女の振る舞いを糾弾する。
「いや、マリエルはそれでいい。のびのびと自由に、楽しく食事をする姿を見られるだけで、僕は幸せなのだから」
食堂の入口付近から男の声がして、全員の目がそちらに集中する。
「で、殿下!」
「かまわない、楽にしてくれ」
慌てて礼を執る生徒たちに片手を振って、王太子セビアンはゆっくりと騒動の中心へ歩を進めた。
近づいてきたセビアンの姿に頬を染めたオフェリーは極上の笑みを浮かべて淑女の礼を執る。次に神妙な表情をつくり、哀しげに瞳を伏せた。
「セビアン様にお耳汚しを失礼いたしました。ですが私は我が国の貴族令嬢として、殿下の近くに侍る者の矜持というものを、彼女に持ってもらいたいという、ただそれだけの願いでございましたの」
「えー、でも、最初はどう考えても『どこの誰とも知れない田舎娘を殿下から遠ざけて、その行動を褒められたい』下心が丸出しだったじゃないですか。呼び出してケチョンケチョンにしてやるつもりが、場所移動を拒否されたから、今度は公衆の面前で笑いものにしてやろうという方針に切り替えましたよね」
「なっ、そのような下品なこと」
「自分で下品って言っちゃうことやろうとしてたんですね」
「伯爵令嬢の私を下品呼ばわりしないでちょうだい!」
「見た目の話じゃなくて、中身の話ですよ」
マリエルが言い、その隣に座るトレイルが深く頷く。
「ひとは、怒ると生来の考えがくちを衝いて出てしまうという。心根はそうそう変えられないということだ」
「私とて怒りたくて怒っているわけではございません! この娘がさっきから不用意なことばかり言うからです。人前で言うべきではないことがあるとわからないのですか?」
「人前で言えないようなこと、わたしに言おうとしてたのはオフェリーさまじゃないですか」
マリエルが心外そうに言うと、オフェリーのうしろにいた令嬢のひとりが、ついうっかりといったかんじで笑った。
振り返り、ギロリと睨むオフェリーに、取り巻き三人娘は顔を見合わせて溜息をつく。
「食事の場で、似つかわしくない騒ぎを起こしてしまい、申し訳ございませんでした」
令嬢のひとりが丁寧に謝罪を述べ、残るふたりも追従する。
それを受け、セビアンは鷹揚に頷いた。
「自らの非を認め、大勢の前で謝罪を述べることができる。貴女方の高潔さに敬意を」
「勿体ないお言葉でございます、殿下」
「これらは殿下にも悪いところがありましてよ」
「ロクサーヌ嬢」
食堂の中にいたのか、長身の令嬢が姿を現す。
「巻き込まれるのが嫌で、敢えてくちを挟みませんでしたの。ごめんあそばせ」
「まあ、貴女が出るとたしかに誤解も生じよう。それで、僕に悪いところがあるとは、どういう意味だろう」
不思議そうに首を傾げる王子に、その彼の婚約者候補筆頭と称される公爵令嬢は、呆れたように言う。
「殿下がマリエルを可愛がるさまに問題があるということです」
「な、んだ、と……」
よろりと体をふらつかせたセビアンは、すがるようにマリエルに目を向ける。話題の主の男爵令嬢は、トレイルにゆずられたミートソースパスタをたいらげて、次は切り分けられたステーキ肉に挑んでいた。王子の視線を受けて顔をあげ、小首を傾げる。
「なんと可愛らしい、もっとお食べ、お姫様」
「はい、食べます」
マリエルを愛でるセビアン。
そのさまを横目に、ロクサーヌはオフェリーへ言った。
「オフェリー様も、殿下のこの行動をご覧になって、それでもまだマリエルが殿下の恋のお相手だなんて誤解をなさいますの?」
「誤解もなにも、この寵愛ぶりは看過できないものではないでしょうか」
厨房エリアに消え、なにやらおかわりらしき皿を持ってきてマリエルの前に置くセビアンを見て、周囲は「寵愛とは」といった気持ちになった。
目の当たりにしたこれは『恋情』というよりは、むしろ餌付け。ペットを可愛がっているようなそれに似ているのではなかろうか。
愛の種類が違う気がした一同をよそに、オフェリーはなおも言い募る。
「目をお覚ましください、殿下。その娘は殿下の妻には相応しくありません」
「相応しくない、だと?」
セビアンがオフェリーを見やり、オフェリーは震えながらも対峙する。
「王太子妃には相応しくないと存じます!」
「なにを言っているのか」
セビアンは嘆息して首を振った。
「当然じゃないか。マリエルは僕の妃にはならない。なんとも悔しく認めがたいことではあるが、渋々と致し方なく、何億歩も下がって譲歩してやらなくもないところで、トレイルの花嫁に――くっ、やっぱり嫌だ。マリエルはまだまだお兄ちゃんと一緒に居たいだろう?」
「そうでもないです」
「ぐふう……」
追加料理のポーチドエッグをスプーンですくって食べながらマリエルが断じると、セビアンが胸を押さえて項垂れた。
お兄ちゃん?
誰かがポツリと呟き、セビアンはのろのろと顔をあげて頷いた。
「マリエルは僕の可愛い可愛い妹だ。愚かな王妃が毒殺を企んだおかげで一緒に暮らせなくなってしまった、僕の可愛い妹姫に決まっているだろう」
唖然とする食堂内。
公爵令嬢ロクサーヌが大きく溜息をついた。
「ですから、殿下のなさりようが悪いと言いましたでしょう。はじめから、マリエルは王妃によって殺されかけた王女だと言っておけば、このような誤解は生まれなかったのです」
「だが、学院内にも王妃派が潜んでいるかもしれんのだ。王女と判明すれば、マリエルの身に危険が迫るかもしれないだろう!」
王妃が執拗に命を狙っていた側室の子である。彼女を殺せば国の重鎮として重用される可能性が高まるとあって、王宮に居たころは多くの者に暗殺されかけた。王妃が幽閉されたあとであっても、安泰とはいいがたい情勢は続いている。
だからこそマリエルは王都へ戻っても王宮に居は構えず、本当の身分を隠して学院寮で暮らしているのだ。
「身内ではない令嬢にそこまで近距離で接すれば、別の誤解を生みます。殿下の妃候補と誤解されるほうが、かえってマリエルが危険なのでは?」
「そんな誤解を生むとは思わなかった。だって妹だぞ。恋人と妹は違うだろう――たぶん」
「恋人がいたことがないひとに『違う』と言われても説得力がございませんね」
「うぐ」
ロクサーヌがばっさりと言い切り、セビアンは膝をついた。
「あ、あの、ロクサーヌ様は、その、セビアン殿下のことを――」
取り巻きのご令嬢がおそるおそる問いかけると、ロクサーヌは柳眉をひそめて不快感をあらわにする。
「とんでもない誤解です。わたくし、お慕いする殿方がおりますの。それは殿下ではございません。こんなシスコン、御免こうむります」
シスコン。
あまりにも不敬な物言いではあったが、目の前で繰り広げられている王太子の言動を見た今となっては、ロクサーヌの言葉に誰も異を唱えることはなかったのであった。
こうして明らかになった事実は、学院の話題をさらった。
王太子の寵愛を受けているとされた男爵令嬢マリエルは、八年ほど前に王宮から離れた側室の子。
東の辺境伯家が管理する領地の一角に身を潜めて暮らしており、辺境伯子息のトレイルとはそこで知り合い、ともに過ごした。
親しい友人もなく、腹違いの兄との交流も、王妃に知られぬようにひっそりと隠れるようにして短時間のみ。他者との会話に難のあったマリエルに根気強く付き合ってくれたトレイルに、マリエルは懐いた。
辺境伯は難民や孤児を受け入れる度量の持ち主であることは広く知られており、だからこそ、王女の避難先として選ばれたわけだが、年齢の近い子息がいることもまた、理由のひとつだったのかもしれない。
マリエルが今後王宮に戻れる可能性は低く、ならばこのまま平穏に暮らせばよいだろうと水面下で話がまとまり、ふたりの婚約が内定。
とはいえ、出自は詳しく明かせないため、なにかしら説得力のある設定なり立場なりを与えられるまで、トレイルの婚約者として届け出ることはしていなかったという。
七歳まで王宮で過ごしたが、そのあいだ、常に毒の混入と隣り合わせの食生活。王妃の手がどこまで伸びているかわからないため、マリエルは満足な食事を取れない子ども時代を過ごしていた。
その反動もあるのか、王宮を出たあとの地方生活では「ごはんがおいしいってしあわせね」と言ってよく食べ、よく笑い。これまでの生活を知っていた少数の関係者は滂沱の涙を流し、「さあお食べ」とばかりに惜しみなく食べさせたという。
そんなマリエル姫の思い出の味が、王宮の料理人が野菜の切れ端を搔き集めて作ったポタージュスープだ。
王族に提供されるものではない材料を使っていることもあり、毒物が混入される可能性も低い。
安心安全、いろんな栄養が溶け込んだ、やせ細った体と弱った胃に優しい、滋養たっぷりの優しいスープ。
現在、学院の食堂で腕を揮うかつての王宮料理人が作る『八種の野菜が溶け込んだ濃厚ポタージュ』は、当時のマリエル姫にとっては、命を繋いだスープといえるだろう。
食堂で姫と再会した料理人の男は元気な姿に涙し、マリエルが食堂に姿を見せると、彼女にだけ特別サービスをし、姫自身に諫められている。
公衆の面前で恥をかかせようとして、逆に自分が恥をかいてしまった形になるオフェリー嬢だが、食堂が鬼門となったのか、あの事件以来、姿を見かけない。
気位の高い彼女は、もともと多くの生徒が食事をする場所を好んでいなかったこともあり、これまでどおり、自身の料理人がつくったランチボックスを持ち込んで食する姿が目撃されている。なお、他の生徒の姿はなく、メイドを傍に配しての昼食であるらしい。
彼女の取り巻きをしていた三人娘はマリエルに丁寧に謝罪をし、彼女は笑ってこれを許した。王女など名ばかりで、今の自分は『寮暮らしの男爵令嬢』なのだからと言って。
そんなことより一緒にごはんを食べましょうと誘い、時折、食事の席を共にするようになっている。
幼少期に毒をくちにした影響なのか、マリエルは十五歳の今でも小柄で細身。弱々しそうでありつつ、しかし言うべきことははっきりと言う。
主張しなければ生きていられない世界に身を置いていたマリエルは、遠回しな物言いや遠慮、忖度などをしない、さっぱりとした気性の少女だ。
持ってまわった言い回し、嫌みに辟易していた貴族令嬢たちは、王族らしからぬ彼女を好ましく感じたらしく、交友範囲も広がった。
これまでいろいろと大変ではあったけれど、こうしてなんとかなっているのだから上々だと、マリエルは考える。
訳あり男爵令嬢は、今日も元気でごはんがおいしい、幸せな生活を送っている。
ただし、兄はちょっとうざい。
呼び出されて応じる必要なくない?
自分に正義があると思うなら、むしろ堂々とみんなの前でやればいいじゃん
って思ったので、そんな話を書いてみました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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