第2話 家族
あれから1週間が過ぎた。
今は、ベビーベッドのような所で手と足を一生懸命に動かしている。
最初の頃は、赤ちゃん生活が恥ずかしく知り合いにバレた時のことを考えるといっそのこと殺してくれと思ったが、ここは別の世界なんだと分かった。
ここが別の世界だと分かった理由は両親の会話だ。
帝国との緊張関係がどうのとか、最近魔物が騒がしくなってきたとか。
俺の知識が正しければ前世で帝国のような国は無かったと思う。
そして魔物だ。
最初聞いた時、民族的な呼び方だと思った。
だがどうやら違うらしいことが分かった。
それが分かったのは俺が生まれて6日目、つまり昨日のことだ。
バブバブと赤ちゃん生活に慣れるために奮闘していた時、父親が俺を邸の裏にある大きな掘っ立て小屋に連れて行った。
そこで行われていたのは、3mぐらいはある巨大な熊とそれを解体する男たちだった。
いわゆる解体場というやつだろう。
俺の父親はどうやら倫理的におかしいことがわかったのは別の話。
時間が経つにつれ血の匂いが部屋に充満し俺は、耐えきれなくなり泣いてしまったが、そんな俺を見ても父親は微動だにしなかった。
解体する男たちが熊の心臓辺りをえぐるとそこから青紫のような色をした石のような物が出てきた。
父親は、禍々しい石のような物を男から受け取ると俺に近付けた。
だが、勿論俺には何も反応しない。
それを見て父親はがっかりしたような表情を見せながら呟いた。
「魔石が一切反応しない。魔力無し、か。スペアだな」
熊から取り出した物は、魔石と言うらしくそれを使って俺に魔力があるかどうか調べたらしい。
調べた結果、俺に魔力が無いことが分かると父親は残念な目をこちらへと向け一緒についてきたメイドのような恰好をした女に俺を渡しその場を後にした。
それ以降、俺は父親にも母親にも会っていない。
お世話係の若い乳母だけだ。
スペアという言葉から俺には兄弟がいるらしいが、一度も会ったことが無い。
どうやら俺は家族に見放されたようだ。
★★★
3歳になった。
ハイハイ自体は1歳頃からできるようになったが、ドアノブに手を掛けることができずに部屋を歩き回るだけだった。
部屋にはベビーベッドと俺の服や泣き止ませるためのおもちゃが置いている。
それぐらいしか言うことのできない部屋で3年過ごしてきた。
だが、俺も3歳となり身長が伸びたことでドアノブに手をかけることができるようになった。
背伸びしてドアノブを捻るとギシッという音と共にドアが開く。
廊下から風が入ってきて体が震える。
まだ明かりが出ていないため朝であるにもかかわらず廊下は暗い。
1歩1歩確実に歩いて行き屋敷を探索する。
部屋を出て左側に歩いて行くと下に続く階段があった。
部屋の右側は壁しかなく階段の近くにもう一部屋あるぐらいだ。
開けようとしたが、どうやら鍵がかかっているらしく開けることができなかった。
必然的に階段を降りるしかない。
床に手をつけ後ろ向きに階段を降りて行く。
途中、手がかじかんでつまずきそうになったが、気合で耐えて何とか無事に一階まで降りることができた。
階段を降りると目の前に見るからに作りこまれた両扉があり、そこの周りには傘や綺麗な靴などが並べられている。
どうやら玄関みたいだ。
来賓用の上履きだろうか、繊細な装飾が施されており数万円で売ってそうである。
俺は今裸足だが、床に敷かれているレッドカーペットのおかげで冷たくない。
玄関の観察を終えた俺は、そのまま左伝いに廊下を歩くと壁にドアがあることが分かった。
どうやらその部屋は空いていたらしくドアノブをひねると呼応するようにドアが開いた。
「うわぁ……」
部屋の様子を見て思わず声を上げてしまった。
どうやらここは書庫のようらしく、壁一面に本がぎっしりと詰まっている。
壁だけでなくコンビニの商品棚のように本棚が並びそこにも本がある。
俺は背が豪華な本を開き目次を見る。
一度も俺はこの世界の文字を見たことが無かったが、何故か文字が頭にすっと入って来た。
というよりもこれは―――
「日本語じゃないか」
「ニホンゴって?」
「うわぁ!」
俺は突然、後ろから声を掛けられたことに驚き声を上げる。
振り向くとそこには、俺と同い年ぐらいの女の子が居た。
黒髪で将来美人になりそうな顔つきをしている。
どこかで見た事のある顔つきだ。
「もしかして、リールさんの子ども?」
「そうだよ。それよりも何をしていたの?さっきのニホンゴって何?」
「えぇっと」
言葉に詰まる俺と対照的に詰め寄る女の子。
どうやら俺が発した言葉が気になるらしい。
この年頃の子は、何にでも疑問を感じるのだろう。
とても可愛らしい。
「かわいい……」
「え!?」
「あ、え、いや何でもない!」
「そ、そう……」
女の子は恥かしそうに顔を赤くした。
自信過剰じゃなければ、今の一言で惚れたのだろうか。
いくらなんでもチョロすぎやしないか?
俺たちは、見つめ合うだけでどちらも声を出さない。
気まずい雰囲気が流れる中、それを断ち切るようにドアが開く。
そこから出てきたのは、記憶の片隅にある父親と似ている顔をした俺よりも少し年上のような男の子だった。
「騒がしいと思って来てみれば。これはこれはカーヴェル家の落ちこぼれであるラウルじゃないか。目障りだ。俺の前からさっさと消えろ」
「うっ……」
突然、俺のことを落ちこぼれと言った後、フワッとした不思議な風を感じ後ろの本棚にぶつかった。
幸いなことに当たり所は良かったため腫れては無さそうだ。
「お前もだ。貧乏くさい」
「キャッ!」
どうやら俺だけに飽き足らずリールの娘にも手を上げたらしい。
「落ちこぼれと貧乏人。何とも良い組み合わせじゃないか」
そう言うとクソガキは部屋を後にした。
部屋に残ったのは、クソガキが来る前にあった気まずい雰囲気以上の沈黙だ。
「大丈夫?お姉ちゃん」
「お、お姉ちゃん!?」
「え、嫌だった?」
「そんなことないよ!私がお姉ちゃんだよ!」
俺がお姉ちゃん呼びしたことに驚いた様子を見せた。
嫌じゃなくて良かった。
これからもお姉ちゃん呼びしようと思う。
その後、俺はトリップした様子の女の子を置いて本を漁った。
『レイヴァンハート王国・カーヴェル家』と書かれたタイトルを見つけた。
本を読んでいく。
レイヴァンハート王国は大陸中央に位置しており、500年の歴史がある。
大陸北東部には、魔物が大量に生息していることから魔物領と呼ばれる地域があるらしい。
王国に隣接するように南には帝国がある。
俺の記憶にある帝国とはこのことを言っているのだろう。
そしてカーヴェル家。
どうやらカーヴェル家は、辺境伯の爵位にあるらしく王国にとって帝国との最前線を務めているらしい。
地理的に重要な立ち位置から王国においての発言権は強く貴族派の筆頭とのことだ。
だが何世代かに1度、生贄のような感じで王族から王女を与える。
王族との仲は健全だと示すことで貴族派の他の貴族や王族派でも当代の王に満足できない貴族連中の反乱の御輿にさせないことを目的としているらしい。
そういった経緯から王族との関りが他の貴族よりも深く交流が盛んに行われているため貴族派閥の筆頭であるにも関わらず王族に味方することもあるらしい。
陰ではどっちつかずの辺境伯様と馬鹿にされていそうだ。
さっきのクソガキ曰くそんな辺境伯様の子息として俺は生まれたらしい。
その後も本は続いて行った。
俺は没頭して本を読み漁った。
この3年間娯楽など無いに等しい環境だったため活字でも読める。
日本語に違和感を感じたが、よくよく考えれば俺は転生した身。
俺は会ったこと無いが、女神様が多言語理解とかそういった感じの異世界ファンタジーによくある能力を授けてくれたのだろうと納得した。
★★★
「ねぇ」
『レイヴァンハート王国・カーヴェル家』を読み終わった俺は、次の本に手を伸ばす。
次の本は、『魔物の生態』であり今一番興味があるものだ。
「ねぇ」
俺がこの世界に来て最も古い記憶にある熊について載っている。
記憶を探って特徴を思い出し本と照らし合わせるとあの熊は、ジャイアント・ベアーだということが分かった。
ネーミングそのままということには突っ込んではいけない。
「ねぇってば」
どうやら魔物は、魔法を使う個体もいるらしく魔物のランクが上がるごとに魔法を使う個体が増えるとのことだ。
当然、魔法を使う個体を討伐するのは大変らしくそれらを狩る専門の冒険者なる職業があるとのことだ。
「ねぇ!聞こえる!?」
「うわぁ!」
俺は意識を本から後ろの女の子に移した。
いつの間にかトリップ状態から帰って来たらしい。
「どうしたの?」
「まだお名前を言ってなかったから」
「そういえばそうだったね」
そういえば、乳母兼俺の世話役のリールさんの子どもということしかしらない。
一緒にクソガキに吹き飛ばされた仲だ。
仲良くしておこう。
本音は今のうちに唾を付けておく算段だが。
「おれ……僕はラウル。お姉ちゃんの名前を聞かせてくれないかな?」
「うん!私はリーヤ!よろしくねラウル!」
「こちらこそよろしくね、リーヤ」
これが俺とリーヤとの初めての出会いだった。
★★★
挨拶を交わした俺たちは、リールさんが書庫にやってくるまで話を続けた。
リーヤの話によると先程俺たちを突き飛ばしたクソガキは、ランブルという名前らしくカーヴェル辺境伯の長男で現在5歳だ。
つまり俺のお兄ちゃんということになる。
そして目の前に居るリーヤも同い年の5歳でいつも暴言を吐かれたり暴力を振るわれたりしているらしい。
暴力を振るわれたにしては、傷や痣が見当たらないので質問してみるとどうやらリーヤは回復魔法が使えるらしくリールを心配させないように怪我をするたびに回復魔法で傷を治しているとのこと。
「酷いね。僕が注意しておくよ」
「止めて!しなくていいよ!ラウルが怪我するだけだから!」
俺がランブルに暴力を止めるように言おうとしたが、リーヤに強く止められた。
そんなに俺は頼り無いのだろうか。
いや、俺が傷つくのが嫌なのだろう。
リーヤの止めを好意的に捉えた俺は、読んでいた本に視線を落とした。
そんな俺に不満を感じたのか、リーヤは口を尖らせて俺を咎めるように呟いた。
「ラウルは私よりも本が好きなんだね……」
「そんなことないよ。ただ、今まで本を読んだこと無いから興味深くて」
「そうなんだー。じゃあ私のことも好き?」
「勿論、好きだよ。お姉ちゃん」
「うん!」
どうやら機嫌を取り戻してくれたらしく、手を頬に添えてうっとりとしている。
5歳とのことだからそろそろ恋愛に興味を持ち始める頃だろうか。
歳の近い異性が暴力ばかり振るランブルしか居なければ俺が優しくするだけでコロっといっちゃいそうなのは自然の摂理なのかもしれない。
太陽が東から昇って西に沈むかのように。
ほんわかとした空気は再び書庫の扉が開くことで終わってしまう。
部屋に入って来たのは、リーヤを大人にしたような容姿をした女性―――リールだった。
リールは、俺を見ると大切な探し物が見つかったかのような表情をしながら口を開いた。
「ラウル様。こんなところにいらしたのですね」
「ごめんねリール。本が気になって」
「いくつか本を見繕いますのでお部屋へお戻りくださいませ」
「分かった。またね、リーヤ」
「うん!バイバイ、ラウル!」
本が気になっていた俺にリールは、いくつか本を見繕ってくれると言ってくれた。
恐らくリールが持ってくる本は童話や子どもが文字を覚える用の本だろうと思い、俺は手に持っていた『魔物の生態』を服の中に入れてこっそり持って帰ろうとした。
そして別れをリーヤに伝えると元気よく返事を返してくれた。
こんなことは、前世で高校の頃に仲が良かった友達以来だったから何だか心が温かく感じた。
だが、俺の心の状態とは裏腹にリールは、リーヤの言動を咎めるように言った。
「リーヤ!ラウル様に敬称を。それと馴れ馴れしくしてはいけません」
「うっ。ご、ごめんなさい。お母様」
どうやら辺境伯の子息である俺と馴れ馴れしく喋っていたことが駄目だったらしい。
リーヤは落ち込んで顔を俯かせている。
可哀想だ。
「リール、許してやって欲しい。僕が敬称を付けないように命令したからリーヤは悪くないんだ。怒るなら僕にしてくれないか?」
「ですが……」
「リール……駄目かな…?」
俺がお願いしても困った様子を見せたリールだったが、俺が年相応な感じを出しながら言うと参ったような表情をしながら話し出した。
「……かしこまりました。ですが、私もしくはリーヤの前のみでお願いいたします」
「分かってるよ。ありがとう、リール。それとこれからもよろしくね。リーヤ」
「うん!またね、ラウル!」
まるで今生の別れのように全力で別れを告げるリーヤに吹きそうになった。
リールもやれやれといった感じで肩をすくめたが、リーヤを見る目には親が子に向ける無償の愛情が宿っていた。
この世界に転生してから親の愛情を受けなかったが、精神が既に成熟していたため別に辛くは無かった。
だが、寂しさは在った。
俺はどこかポッカリと空いた穴を紛らわすように書庫を出て部屋に戻った。