不死者は突然死の夢を見るか?
『死にたくない』
そう願って実際に死ななくなるのだとすれば、それはとても素晴らしい事だろう。
死なない事は、無限の時間を持っている事に等しい。
それはつまり、全能である事にほぼ等しい。
時間さえあれば、できない事はない。
魔力が足りないなら時間をかけて鍛錬すればいい。
自分の願いを叶える魔法が無いなら、時間をかけて創り出せばいい。
そうしたら後は、時間をかけて緻密な魔法陣を描くだけで全てが叶う。
――『他者を不死にする』という願い以外は。
不死になってから数百年。叶えられるだけの願いを叶えた僕は、何をするにも気力が湧かなかった。
心から欲しいと思ったものでも、数年もすれば色褪せてしまう。
大切な人は、愛した人は、いつか必ず死んでしまう。
魂を引き止める事はできたけど、そんな冒涜するような行為はできなかった。
だから僕は、記憶を消した。
それは間違いなく素晴らしいアイデアで、何もかもが新鮮で、薄れていた気力がもう一度溢れていた――と思う。
だけど、それも長くは持たない。
繰り返しているうちに、何もかもに既視感を持つようになった。
記憶を消してから数日で、自分で記憶を消した事を自覚する。
既視感を覚えるたびに記憶を消して――最後には、何も覚えられなくなる魔法を使った。それでようやく、人並みになった。
――それも一月ほどで効果が無くなる。
これ以上記憶を消しても、耐性がつくだけだ。そう思って、今度は転生をした。
記憶が積み重なるのは仕方がない。
それなら、今までにない経験を積めば良い。それも、この時代、この世界ではなく。
何十もの世界を渡った。何百もの時代を生きた。何千もの人生を体験した。
世界が違えば、何もかもが変わる。世界に満ちる法則すら、全くの別物。
そしてある時、また新しい世界に渡った時に既視感を覚えた。
同じ世界に戻ってきたしまったのかと思った僕は、しばらく考えてから呆然とした。
来たことがない。来たことがないはずなのだ。間違いなく。
僕の記憶違い? だったら良い。記憶に綻びが出たのなら、それは良い事だ。
でも、そうじゃないとしたら。
怖くなった僕は、その世界から逃げるように転生した。
次の世界は、既視感など一切無かった。
それから数十の世界を渡って、また既視感を覚えた。
世界を渡っていると、来たことがないはずなのに既視感を覚えることがあった。
それは数十に一つから、十数に一つ、そして四、五個に一つ――やがて、全ての世界に既視感を覚えるようになった。
僕は逃げた。逃げて逃げて、戻ってきた。最初、僕がいた世界に。
見覚えのある建物。見覚えのある戦争。見覚えのある人々。
――見覚えしかない世界。積み重なった記憶はあまりにも鮮明で、忘却する事など到底できない。
見覚えのある雪原、一面純白の世界で、嗚咽が漏れた。倒れ込み、雪に身体を埋める。
目を閉じようとして、必死にこらえる。目を閉じれば、今までの記憶が果てしなく湧き上がってくる。残酷なまでに鮮明に。
雪の降りしきる空を見上げて、そしていつしか雪に埋もれて、それでも身体は一切の冷たさを訴えてくれない。
次の瞬間、僕は自らの心臓に魔法陣を描いた。
描いた対象を、確実に殺す魔法。
それは一瞬で僕の意識を奪い去り――そしてまた戻ってくる。
それでも、狂ったように魔法陣を描く。魔力が尽きれば死ぬのではないかと淡い思いを抱いて。
不死というのは、いわば魔力による現象のはず。ならば、魔力さえ無くなれば。
そう思い至った僕は数千の魔法陣を雪原に描く。
その全てを、自分に向けて。
数時間しても、魔力は尽きない。
どころか、増えている気がした。
身体には一切の傷がつかない。
世界を軽く滅ぼすほどの雷撃も、星を飲み込むほどの炎も。
一度魔法陣を描くのを止め、新しい魔法陣を創造する。
魔法『相殺消失』――対象の魔力を操り、体内で相殺させる魔法。
相殺時に漏れ出たエネルギーは、僕の体内で小爆発を引き起こす。
途端、猛烈な勢いで減り始めた魔力に、数万年ぶりの目眩を覚える。
咳き込めば、雪原に赤い染みが垂れる。痙攣する心臓のように、爆発音が絶えず体内から響く。
『相殺消失』の魔法陣をさらに描き、自らの全身に刻み込む。
ボロボロと血肉が崩れ始め、骨が塵となって吹雪にさらわれていく。
死ね――そう、自分の魂に向けて訴える。もう、不死なんて必要ない。
やがて心臓が粉々に砕け散ったのを、僕ははっきりと認識していた。
五感が消え、記憶も流れない。痛覚も無いのに、自分の身体が崩れ去っているのだけは感じ取れた。
そして、得体のしれない何かに引き寄せられるように、塵となった僕の身体が集まり始まる。
やめろ、と、叫び続けた。
それがやっと音となったのは、完全に身体が再生した後だった。
壊れた機械のように叫び続け、喉が裂け、肺が潰れる。
自らの手で全身を引き裂いて、それでも瞬く間に傷は癒やされる。
呪いだ。純粋に、そう思った。
何も映らないようにと眼を抉り取る。途端、自分の手にある二つと、それを眺めている二つの目が合う。
吐き気がこみ上げて、それでも何も出てこなかった。
何も食べていないから当然だった。何も食べていなくても、空腹を全く感じていなかった。
もう、僕は生きてないのだ。死んでもいない。中途半端な、得体の知れない何かだ。
勝手に回り始める思考に、脳を掴んで引きずり出した。
飛び散った脳漿は雪に混じり、握りつぶした脳は灰のように白く色褪せて崩れ去る。
手に魔法陣を浮かべれば、そこに半透明の小さな光の玉が現れる。
これが、僕の魂だ。
これを壊したら? ――もうやった。何事も無いように、再生した。魂が壊れたままなのは、不死に反するから。
だったら。
だったら、死なない程度に壊せばいい。
魔法陣をもう片方の手に浮かべ、それを魂に叩きつけた。
魔法『精神遺失』。
それは心と意識だけを破壊する魔法。
叩きつける間際、なぜ僕が今までこれを使ってこなかったのかを思い出す。
もし、もしも意識が再生したら。
“不死”が、無意識――植物のような状態であることを認めなかったら。
心だけが壊れ、僕はもう二度と人らしい感情を浮かべることができなくなる。
それで、それで?
それの何が悪い?
魔法陣が魂に干渉し、意識と心を引き剥がす。
一瞬、意識が暗くなり、そして何事も無かったかのように戻る。
視界には変わらず雪が舞い、吹雪の音が耳を埋め尽くす。
……こんなものか。
思考が妙に冷めきっていた。
――これで良かったのだ。
人の心を持っていたら思い浮かばなかった解決策が浮かんでくる。
「そうか……」
単純な話だ。
不死という現象が消えないのであれば、誰かに移してしまえば良い。
不死はこの世から消えない。それは僕の魂に刻みつけられた呪いだ。
だったら、魂を切り取って、誰かの魂の一部と交換すれば良い。
交換だから、魂は欠けない。故に再生もしない。不死という現象は他の誰かに移され、僕は簡単に死ぬ事ができる。
すぐさま転移魔法を発動し――魔王の住まうと言われる城へやってきた。
ある程度魂が強くなければ、魂を切り取った時に即座に崩壊してしまう。だからこそ、僕が知る中で最も強い者を選んだ。
時間を進めれば、陽が沈み深夜となる。
魔王が眠りについたのと同時に空間魔法を阻害する結界を無効化し、寝室へと転移した。
眠っていると言えど、完全に意識が無いわけではない。魔王ともなれば、五感が一切の反応をせずとも本能で他者を感知できる。
だからこそ、正面からそれを突破する。
飛び起きた魔王と目が合う。美しい銀髪が一瞬だけそれを遮り、そしてその眼が血のように赤く染まった。
鮮血の魔眼――見たものの生命を奪い取るその眼は、しかし何の効果も及ぼさない。
一足で接近し、その心臓へ向けて手のひらを突き出す。身を捻ってそれを躱した魔王が再度眼を光らせれば、僕の全身に無数の魔法陣が浮かんだ。
「何者だ? 答えなければ死ぬぞ」
威厳のある声が耳に届くと同時に、僕の手は彼女の首を掴んでいた。
「不死になりたくはない? いや、なりたいでしょ? 死という運命から容易く逃れられて、滅びる事なく悠久の時を生きる事ができる。好きな事を、好きなようにできるんだ。どれだけの力だって手に入れる事ができるし、思うがままに世界を支配する事もできる。別の世界にだって行けたんだよ。思い描いている夢が、現実になるんだ。それも、一つや二つじゃない。夢が叶ったら、また別の夢を叶えることもできる。時間は無限なんだ。だから僕は何でもできた。何でも出来て、それで、それで――」
脳裏を、無数の記憶が埋め尽くす。
僕の手がわずかに緩んだ瞬間、魔王は力ずくでそれを引き剥がした。
「『烙印解放』」
全身の魔法陣が熱を持ったかのように発光し、膨大な魔力を僕の身体に刻み込んでくる。
――が、それだけだった。
「馬鹿な――」
今度は、逃さない。
両手に描いた魔法陣から、数十の鎖を放つ。
即座に迎撃しようとした魔王へ向けて、人差し指を向ける。
「<幻想虚化>」
フッと、魔王が崩れ落ちる。その四肢に、漆黒の鎖が巻き付いた。
「なん……だ……これ……は……」
<幻想虚化>――あらゆる魔力を消去する魔法。
魔法陣に込められた魔力のみならず、無意識に身に纏い、身体能力を補助している魔力すらも消去する。
故に、まともに行動する事すら困難。
抵抗もできない魔王へ近付き、その魂を引っ張り出す。
死を覚悟したのか、魔王は身体に力を込める事を止め、眼を閉じた。
死のうと思っても死ねなくなるというのに。
作業は一瞬だった。
僕の魂の核を抜き取り、そこから不死の原因となっている部分を取り出す。
核を抜かれた魂が再生する前に、魔王の核の一部も抜き取り、それを代わりに隙間へ詰めた。
そして崩壊しようとする魔王の魂に、不死を埋め込む。
「……?」
ボトッと、右腕が肘から千切れて床に落ちる。
不死が消えた影響? いや、不死が消えたところで、変わるのは「僕が不死であるか否か」でしかない。今までの数万年の時の流れが一気に押し寄せるなどという現象は起きないのだ。
ならばこれは……魂の拒絶反応か。
本来の器とは違うものに入れられ、反発し合った結果、肉体が崩壊する。
ふと魔王を見れば、こちらを唖然とした表情で眺めていた。よく見れば、その腕や脚に赤い線が入っては消えている。
本人は気づいていないようだが、魔王もまた、拒絶反応を起こしている。が、崩壊する側から不死によって接合されているのだ。
だが、あそこまで再生が早かっただろうか。腕を糸で切断された経験はあるが、その時は完全に断裂され、傷口から新しい腕が再生したはず。
素質の差、か。
思えば、僕はそもそも魔法が得意ではなかった気がする。
不死が、魂の力に比例した再生能力を齎すのならば、辻褄が合う。
……となると、僕の身体の崩壊は、強すぎる魔王の魂に肉体が耐えられないだけなのかもしれない。
そう考えていると、視界ががくんと下がった。
バランスを取る暇もなく地面に叩きつけられ、ぐしゃっと筋肉が潰れ、骨の折れる音が濁って響く。
脚が、崩れたか。もはや感覚はない。
そして何より、再生の感覚もない。
自分の身体が、刻一刻と崩れていく。
頬に、全身から染み出した血がつく。気づけば、僕を中心に血溜まりが出来上がっていた。
走馬灯のような記憶の波が押し寄せてくるが、それはすぐに薄れて消えていく。
視界はいつの間にか暗くなり、身体を動かそうとしても何の感覚も帰ってこない。
ただただ、虚しかった。
やっと死ぬことが出来て嬉しい?
それとも、こんな死に方しか出来なくて悔しい?
いや、そもそも不死に対して怒っている?
不死を僕に授けたあいつを、どうしようもなく恨んでいる?
――その“不死”を埋め込んだ魔王に、申し訳なく思っている?
冷え切った思考が、そんな事を思い浮かべる。
感情ではない。思考だ。もう、僕の心はどこかに――あの雪原に、捨ててしまったのだから。
視界は目を閉じたように黒一色。ただ、いつものように記憶が襲いかかってくることはない。
不死を得てから数万年、僕が最後に叶えた願いは、あれほど忌み嫌った「死」。
その事が、とても、愉快だと思った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『魔王は不死である』
それは誰もが知っていることで、もはやそれに疑問を抱く者すらいない。
しかし、魔王は代替わりする。魔王は元魔王と呼ばれる事になり、そしていつか死ぬ。
不死のはずの魔王はなぜ死ぬのか?
それは簡単な話であり、“不死”という特性を次の魔王に移しているからだ。
魂の強さは、不死による再生能力の高さに直結する。故に、魔王よりもさらに魂の力が強い者が、次代の魔王となる。
不死による再生能力は、代が変わるごとに高まり続け、もはや殺すどころかわずかな傷を残す事すら不可能になっていた。
そして、代替わりの間隔は長くなっていく。
強い魔王になればなるほど、それを上回る魂を持つ者は滅多に生まれない。
数年だった交代の間隔は、十年、百年と伸びていき。
当代の魔王は、優に五千年という歳月を生きていた。
魔王達は知っている。誰が最初の不死者だったのか。
そして、その男がどのような末路を辿ったのか。
魔王はなぜ代替わりという事をしているのか?
それはより強い魔王を君臨させるためなどではない。
数万年という、果てしない歳月を生きていたくないから。
何もかもが色褪せた世界にいたくないから。
それらしき理由をつけてその未来を回避するがために、次の魔王へと不死を押し付ける。
そうやって、かつての魔王達は死を自ら迎えてきた。
だが、遅かったのだ。
最初の不死者が、魔王と魂を入れ替えた時から、魔王は呪われた。
不死が存在する前から、魔王は魔王として存在していた。
魔王と呼ばれた理由は、その力ではなく、魂。
世界に渦巻く災厄、その大半を封じ込めていたのが魔王の魂なのだ。
その魂は、魔王の血を受け継がないものからすれば滅びそのものであり、仮に魔王の血を受け継いでいたとしても、純粋に魂の力が弱ければ肉体が耐えられない。故に、別の肉体に魂を入れてもその肉体が朽ち果てるだけで、結局は元の身体に戻ってくる。
魔王の血を受け継がない者は、不死を受け継ぐ事ができない。
そして、当代の魔王はあまりにも魂の力が強すぎた。
さて。
絶望しかない未来が訪れるとわかっている。
それを回避できるはずの手段は、もはや使えない。
そんな状況で、一体何を望み、夢に見るのだろうか?
※評価良ければこれを元にして長編を書く予定です。
※評価悪くてもやる気が出たら長編にする予定です。