第129話 若き天才
表向きはカーラン王国の所有する鉱山だが、
実体はゲライス家が支配するヘチーマ鉱。
本拠地にして最大の鉱山だ。
主な産出物はルビーだが、近くにサファイヤの
鉱脈が在り、坑道で繋がっている。
もはや都市と呼べるほどに広大な地下世界が
構築されている。
居住区はもちろん、商業区、学術区、行政区、
裁判所まで備えている。
自治領さながらである。
イレーヌは16歳になり、大学院の研究員と
なっていた。
核物理学を専攻している。
この時代、物質は凝固した力原である事が
理解されていた。
その力原こそが魔法の正体だと考えられていた。
ゲライス家はそれを「マジの素」と仮称した。
(本当は違うのに・・・)
そう、魔法はエネルギーでは無い。
「手続き」なのだ。
我々が触れる事の適わない次元の・・・
その空しさを噯気にも出さず、イレーヌは
熱心に研究者を演じた。
周りの期待を裏切らぬ様に。
そして誰よりも彼を失望させない様に。
「おはようイレーヌ」
「おはようございます!教授!」
ヘチーマ科学大学院 理論物理学科教授
ピエール・キュウリ24歳。
幼少の頃より神童と謳われ、数々の画期的な
理論を発表し異例の出世で教授に抜擢された、
若き天才である。
イレーヌの家庭教師でもあった。
「やめてくれよ教授だなんて」
「だって教授じゃないですか」
「他の者から言われるのは仕方が無いけど
君にそう呼ばれるとねぇ」
「ふふ、照れますか?」
「あぁ、大いに照れるね」
二人は師弟であり、共同研究者であり、そして
恋人同士であった。
ピエールの論文の殆どはイレーヌとの合作だ。
仮説を理論として体系化し、数式を組み立て、
実験に明け暮れる日々は充実していた。
「そろそろ結婚しても良いんじゃないの?」
「きゅ!急に何を言うのよマリー!」
「別に急ってわけでもないでしょう?」
教授と言う肩書と共に男爵位を得た今なら
身分違いの婚姻も許されるだろう。
ゲライス家のお嬢様であり、聖女のイレーヌ。
平民出身のピエール。
互いの気持ちを確かめ合って2年が過ぎた。
「その事なんだけどね。勿論ちゃんと考えて
いるよ」
「ピエール・・・」
「でも、もう少しだけ待って欲しいんだ。
実験が成功すれば私達の理論が実証される。
そうすれば誰からも非難されない」
彼らが取り組んでいるのは、物質から
マジの素を取り出す事。
つまり、核反応によってエネルギーを
放出させようとしているのだ。
成功すれば、間違いなく最高栄誉である
ゲライス科学勲章が授与されるだろう。
やはり出自に劣等感を持っているのだろう。
イレーヌとの結婚を意識し始めてから、
ピエールは名誉を求める様になった。
だが、それは禁忌の技だ。
どんなに理論が正しくても。
どれ程正確に実験しようとも。
決して成功はしないだろう。
システムによって自動的に抑制が働き、人が
核エネルギーを手にしない様に操作されて
しまうからだ。
それこそ魔法によって。
***
「どうにか出来ないかしら?マリー」
「無理ねぇ、こればっかりはねぇ」
この3年間、何の進展もしなかった。
何度繰り返しても実験は失敗に終わった。
装置に不備は無い筈だ。
理論も見直したが、完璧としか思えない。
なんだ?
何所がおかしい?
何故だ!
何故反応が起こらないのだ!
何所も間違ってはいない。
反応は起こっている。
ただし、発生したエネルギーは魔法によって
宇宙空間に放出させられているのだ。
観測データは有り得ない結論を示す。
エネルギー保存則が成立しないのだ。
「孤立系のエネルギーの総量は変化しない」
いや、実際には成立している。
ただ一瞬だけ孤立系では無くなるのだ。
理解不能の現象にピエールは悩み苦しんだ。
失敗の原因を知っているイレーヌもまた、
辛い日々を過ごしていた。
(言えない・・・これだけは・・・)
度重なる失敗に世間の風当たりも悪くなり、
理論そのものを疑問視する声も出て来た。
ピエールの出世を妬む者達は、彼を詐欺師だ
などと公然と罵った。
科学院の重鎮からは会うたびに嫌味を言われ、
研究費は大幅に減額される事になった。
そんな折、イレーヌの転属が決定された。
他の有力な研究チームをアシストする様にと
指令が下されたのだ。
ピエールは遂に見放された。
イレーヌは断固として抗議したが、決定が
覆る事は無かった。
どす黒く変色し、苦悶の表情で固まっている
ピエールの遺体が発見されたのは、
イレーヌの転属が発表された翌日の朝だった。
命令を無視し、いつも通りに研究室のドアを
開けたイレーヌが第一発見者だ。
彼は毒を飲んで、自ら命を絶ったのだ。
亡骸を抱きしめて半狂乱になった彼女を
電撃ショックで眠らせたのはマリーだ。
そうするしか無かった・・・
葬儀に参列するのも許されなかった。
ゲライス家はピエールとイレーヌの関係を
無かった事にした。
彼女は生きる気力を失った。
「お願いよイレーヌ、何か食べて頂戴」
「マリー・・・御免なさい・・・」
もう数か月もの間、食物を口にしていない。
病院のベッドで寝た切りになっている。
首の静脈から点滴で栄養補給をしているが、
痩せ細り生きているのが不思議なくらいだ。
そして更に数か月、もはや意識も無くなった。
イレーヌの心臓が鼓動を止めたのは、奇しくも
ピエールの命日だった。
「イレーヌ、貴女とピエールの願いは私が
いつかきっと叶えてあげる」
契約者と深い絆で結ばれる精霊。
イレーヌに抱いた愛情を、ピエールにも
同様に感じていた。
学術に熱心に取り組む二人を愛していた。
精霊は契約者が死んだ時、片方の目から
一筋の涙を流す。
マリーは今、両方の目から悲しみの粒を
零れさせていた。
そして時は過ぎ、全ての人類は精霊との絆を
失った。
祭壇は機能を停止し、再生の機会を待った。
復活の日を。




