第128話 聖女イレーヌと精霊マリー
科学こそが人類を救う道だと固く信じる一族。
ゲライス家。
前世のサーシアにバルドー帝国を滅ぼされ、
本家は消滅したが、各地に散らばった分家の
末裔たちが、その技術を温存していた。
精霊教会の監視によって科学技術には
厳しい制限が設けられて来た。
人の意思のみで強大な力を行使できる科学は
人類を破滅へと幾度も導いてしまったからだ。
彼らは言う。
世界を滅ぼすのは愚かな為政者であると。
科学は道具に過ぎない、賢き者が使えば
人類に繁栄をもたらすと。
しかし精霊は語る。
人は常に愚かな存在であると。
大災厄から三十数年後、いよいよ気候変動が
激しくなって地上での生活に支障が出る様に
なって来た。
それに伴って精霊契約が不安定になり、
人々はパニック状態に陥ってしまった。
治安は乱れ、国家は統率力を失った。
タエタト大陸は宝石の産地として知られる。
巨大な鉱山では深さ5千メートルに達する所も
ある。
幾つもの地下都市が建設されていて、数世代に
渡って暮らし、地上を知らない者も多い。
ゲライス家は早くから地下に拠点を移し、
地下世界を牛耳る存在になっていた。
それは教会の目を誤魔化すのに適していた。
魔法によって行った実験から得たデータを
科学に還元した。
地熱を利用した発電に始まり、千年を超える
積み重ねの末に人工知能を開発するまでに
至った。
地上では未曽有の大混乱の最中だが、
地下世界は、まだ安定していた。
暴風雨も強烈な紫外線からも分厚い地層が
護って呉れたからだ。
とは言え、それも時間の問題だ。
増大した宇宙線の一部は地中深くまで到達し、
自然鉱物由来の放射線と相まってじわじわと
人体に影響を及ぼし、やがては地上同様に
精霊との絆は失われるだろう。
そうなると快適な地下生活も終焉を迎えざるを
得ない。
高度な技術を持っているとは言え、全ての
インフラを稼働し続けるだけのエネルギーが
足り無い。
地熱発電では到底賄えない分を魔法で補って
いるのが実際の所なのだ。
そんな状況の中、イレーヌは生まれた。
ゲライス家に初めて誕生した聖女だ。
近年はめっきり少なくなっていた聖女の出現。
ゲライス家はこれを秘匿した。
聖女の法力を使って、これまで以上に高度で
且つ、大規模な実験が計画された。
彼らの最終目標は科学による魔法の実現だ。
即ち、情報構造体に直接アクセスしてデータを
書き換える事を夢見ているのだ。
それは科学の枠を超えるものとなる。
錬金術の完成だ。
***
「それは本当なの?マリー」
「本当よ。物理法則で情報構造体に
アクセスする事は出来ないの」
「それじゃぁ・・・」
「科学から魔法は生れないのよ」
イレーヌの契約精霊マリー。
ポーランド人の物理学者で放射能を発見した
マリー・キュリーをモデルにした精霊だ。
物質を介して観測可能な現象を司る法則。
それが物理法則だ。
ところが情報構造体は観測不能である。
実体を持たないからだ。
それを保持している物質の変化を、間接的に
観測しているに過ぎない。
物理法則で情報構造体を書き換えるのは、
原理的に不可能なのだ。
科学の力で実現可能であるのは、あくまでも
物理法則の範囲内に限られる。
「じゃぁ私達の夢は叶わないの?」
「えぇ」
「みんなは・・・みんなは知っているの?」
「いいえ、ゲライス家ではイレーヌが初めての
聖女でしょう?
教える事が出来る精霊も私が初めてだから」
「そんな・・・」
もちろん世界中の誰もその事は知らない。
そんな問題を考えるのはゲライス家くらいだ。
地上人は問いかけすらしない。
「お願いよマリー、この事は誰にも言わないで」
「分かったわイレーヌ、誰にも言わない」
一族の夢が。
数千年に渡って受け継いできた悲願が幻で
ある事をイレーヌは知った。
10歳の誕生日に精霊と契約を行う降霊の儀。
生涯のパートナーと絆を結んだ夜に。




