一.夕陽の中の出会い 〜Hello, Redbird, My girl〜
その事件から三年後。
「…来た。あいつの気配だ。行ってくるね、…黄穂」
「行って来い。そろそろ『碧』を鎮めて欲しいのだが」
「…分かってるわよ」
家である主南神社を出、初は外に出た。
「…ここからなら、近道した方が早いか。…飛ぶのは誰かに見られたらまずいし」
黒いセーラー服を翻し、少女は走った。
その胸元に、紅い珠を覗かせて。
○ ● ○ ●
その時、彼は歩いていた。
白いワイシャツ、灰と青が斜めに入ったネクタイ。
群青のズボンは夕日により黒く染められている。
鳶色の目と髪の少年は、いつもの日常に住んでいた。
「ふぁー、何だあの先公、人の髪にいちゃもんつけやがって」
欠伸をし、鞄を肩にかけながら、気だるそうに歩く。
風で彼の髪が少し靡いた。
左寄りのつむじ周辺の髪がそれによってふわふわと揺らいだ。所謂アホ毛、がそよ風に踊っていた。
(今の俺なんか見たら、ばあちゃん怒るだろうな。「こら、賢樹!」って)
思い、苦笑しながら少年、鳥居 賢樹は歩く。
(ま、ばあちゃんはもういないけど。どこにも)
真っ赤な太陽が辺りを朱に染めている。
綺麗な夕焼け空が、宵の闇に呑まれようとしていた。
(人間は死んだらいなくなる。天使とか、そんなのにはならない。…けど)
現実を見る彼が夢を見たのは、
(人に羽が生えたら、俺はばあちゃんに会いに行こうとするんだろうか…)
その時だった。
ざあっ、と風が吹いた。
木々を揺らしたそれは、彼からは見えない筈の敷地を分けるフェンスを見せた。
そこに、金網の上を飛ぶ人がいた。
部活動のボールが飛んでいかないように、フェンスは高く作られている。
それを飛んでいるのだ。人が。
逆光の中、賢樹はその人を認める。
黒いセーラー服は間違いなく彼の学校の人間ではなかった。
白いハイソックスがこちら側に入り、もっとこちら側に入ろうと革靴が網の最上部のフレームを蹴った。
宙に浮かぶ女は、その下方で結ばれた髪のせいで翼を生やした人に見えた。
賢樹は目を奪われた。
女の顔が光る。眼鏡のせいだろうか。
それは女と賢樹の目が合った事を意味し、
女は落ちた。
「!!」
賢樹は走り寄り、女の前に立つ。女は涼しい顔をしてそこにいた。
だがその目は賢樹を睨んでいた。
「大丈夫か?てか、あんな高い所にどうやって登ったんだよ?」
「………」
女は押し黙っている。
賢樹はそれが気に食わず、思わず怒鳴る。
「無視かよ。何だよお前、他校生なのに人の学校に勝手に入って。なんとか言えよ」
「…ここに来たのは、私だけじゃない」
「え?」
小さく口を開いた少女は、強い光を宿した目を向けた。
「あなたが余計な事をしたせいよ。…撒いたのに、追いつかれたじゃない」
『飛羽乱撃!!』
眼鏡の女ではない、甲高い声。
共に降ったのは、真っ青な鳥の羽根。
「!!」
賢樹と女の間に刺さったのを見て、女は眉を寄せた。
突然の事態に声も出ない賢樹に、女は言う。
「あなた、目を瞑りなさい」
「は?」
「良いから、早く!」
目を半分瞑った途端、女が彼に突進した。
そして、ひょいと足を払われバランスを崩される。
その勢いで女は肩に賢樹を抱き抱えた。
「えっ!?」
「黙りなさい、舌噛むわよ」
女の命令を忘れた賢樹は、彼女の肩からその顔を見る。
少しふて腐れたような顔を目を閉じる事で消し、異様な程に真剣な顔つきになる。
瞬間、彼女を真っ赤な光が包んだ。
「…!?」
光は彼女の体にまとわりつき、余ったものは背中に向かった。
顔にさえ渡ったそれは、穢れを祓うように、飾り立てるように揺らめいた。
眩しく感じ目を閉じたその隙に、女は、主南 初は紅い装束を纏い夕空を飛んでいた。
「………!!」
賢樹は初の変わりようとあまりの空の高さに声も出なかった。
袴は勿論、小袖も紅い巫女服の初は、やはり真っ赤な翼をはためかせる。
黄土色の髪は紅く細い縄紐で一つに結ばれ、軽く風に踊る。
眼鏡の無い朱の瞳を真っ直ぐ前に向けながら、初は賢樹に声を飛ばした。
「降りるわよ。歯食いしばってなさい!」
「え、…って、うおっ!」
初は急降下を始める。
言われた通り賢樹は歯を食いしばり、目を固く閉じる。
彼女が飛んだ先は都会の数少ない木の中。
林より少なく、木の群れと言うには多いそこは森林公園。
木洩れ日の落ちる芝生の上に、紅い鳥はその細い足を着けた。
背負った賢樹を降ろし、脱力する。
同時に、初の紅い巫女服は深紅の羽根となり、風に吹かれていった。
「…お前」
「…何。早く失せなさい」
「やだな。お前、足怪我してるみたいだし」
眉間に皺を作った初は芝生に腰を降ろし、白い足を外気に晒す。
賢樹は彼女の前にしゃがみ、赤くなっていた初の足首を軽く触る。
「…っ」
少し眉間の皺を深くした彼女を見て、賢樹はその手を放し、鞄を漁った。
取り出されたのは湿布。
慣れた手付きで手当てをしていった。
「…よし。大丈夫か?」
「…ありがとう」
「どう致しまして」
靴下とローファーを履き直し立ち上がった初は、
突然賢樹を突き飛ばした。
「な、何だよ!?」
「しっ…、上にいる」
初に押し倒された形の彼は、彼女の髪の匂い等にどぎまぎしながら空を見る。
藍色の中に、彼は人影の黒を見た。
「…一回ぐらいかな」
「え?」
初はまたあの紅い装束を纏った。
今度は飛ばず、口の中で呟く。
『我、珠の力を使役する者也。汝は哥。我が力を我の目に映す物也。我が願いを形にせよ、其は我の望む物。其は焔。我が身に色付く紅く猛る光!』
初の周囲に紅い焔のような光が立ち昇った。
揺らめくそれは横に伸ばされた彼女の右手に集まっていく。
『其が我の焔ならば、滅せ、我に仇なす者を!』
集約されたそれは火球。
膝立ちになった初はそれを人影に向けて投げた。
『炎球・狂咲!!』
飛んでいった火球は一直線に向かい、人影に当たった。
当たり、爆発したそれは花火のように夜空を照らした。
「…今回は良いか。力無かったし」
「…あの、そろそろ離れてくれないか?」
初は賢樹の声で我に帰り、少し頬を赤くしながら膝を浮かした。
「いなくなったか?」
「ええ。後は、あなた」
「俺?」
頷いた初は説明をした。
「あなたは今さっきまで見てはいけないものを見た。だから忘れてもらう。…あなたが『止まり木』なら別なんだけどね」
「『止まり木』…?」
「…とにかく」
言って、少女はまた呟き始めた。
『哥よ、我の願い、聞きたまえ。我が求むるは人の記しの末路。泡沫と消えるもの。其の名は忘却。我が瞳に宿りし者へ、汝の名を轟かせん』
初は呟く間、自らの翼から羽根を一枚抜いていた。
その言葉が終わった時、羽根がぼんやりと光る。
それを賢樹の額に貼りつけ、初は最後に一言言った。
『遺忘・散羽』
羽根は額に溶けるように消えた。
それと同時、賢樹の目が閉じられる。
前にくずおれるように倒れた彼を、初は抱き抱えた。
「ここはさっきの学校より遠いから…そこまで戻さなきゃ」
そして少女は地を蹴り、闇に支配され始めた空に飛び立った。
その時、彼女は見た。
彼の額から、先程の羽根が零れ落ちるのを。
驚きを覚えながら初は飛んだ。
出始めた月だけが、彼女を見ていた。
○ ● ○ ●
家に帰った初は、学校以外では常に巫女服を着るようになった妹へ今日の事を伝えた。
「黄穂、今日変な奴に会った」
「変な、と言うと?」
「私の『哥』が、聞かなかった。あの姿を見られたりしたから、忘れるようにしたのに」
ふむ、と黄穂は唸って俯いた。
数秒して、彼女は姉に言う。
「『瑤』か『玖』、何方かを持つ者なのかも知れぬ。少し、その者の素性を探ってみよう」
「分かった」
「其奴が同時に『止まり木』なら、素晴らしいがの…」
頷いた初は黄穂の元から去り、表へ出た。
夜空には多くの星々が煌めいている。
初はそれを見詰めながら、謎の少年を思い出す。
(…あいつ、一体何なの…?)
無意識に、初は胸元の珠を握り締めていた。
閲覧、ありがとうございました。