十八.彼女の「青い鳥」~I'm searching for my happiness~
「失礼します…社長」
「何だみちる。簡潔に言え」
関東都心、とあるビル。
それは央真 みちるの父が経営する、会社の中枢。
「簡潔も何も、お父様が呼んだのでしょう?仕事を手伝えって」
「そう言えばそうだったな。そこに積んである書類全てに判を押せ。それだけだ」
「…分かりました」
指差された書類の前に座り、側に置かれていた判を手に取る。
単純な作業を続けながら、みちるは柔らかな黒革の椅子に座る父を見る。
オールバックにして油で撫で付けた黒髪には白髪が目立ち始めていた。
(…お父様、あんなに老けてたかしら)
思い返すは遠い昔。
物心付いた時からの、寒い思い出。
○ ● ○ ●
掠れた記憶を思い返すと、すぐに現れるのは母の死に顔。
「おかーさま!おかあさま!!」
「止めろみちる、みっともない。母さんは死んだ」
「いやあ!かあさまぁ!!」
央真 みちる、五才。
この時から始まった、冷えた家庭。
「おとうさま…今日はいつ帰るの?」
「今日も遅い。寝ていなさい」
「…はい」
常に親の愛に飢えていた。
それでも得られなかった、少女時代。
「お嬢様、昼食の用意が出来ました」
「…まだいい。後で食べる」
「かしこまりました…」
学べなかった、「与える事」。
歪み捻くれ、「奪う事」だけが上手くなった。
「さとみちゃん、あの子…きらいなんだけど」
「え、あ…うん。そうだね」
そうして得てきた地位は、「一番」。
誰からも構われる、彼女の求めた場所。
「すごい、みちるちゃん!」
「皆さん、央真さんを見習いましょう!」
しかし、それは偽りの「求めるもの」。
本当に欲しいものは、いつも得られない。
「お父様。今回のテストも満点でした」
「そんなもの出来て当然だ。次の勉強に取り組め」
「…はい」
彼女の抱えた冷たいものは、誰にも見られず、見せられず。
彼女は思っていた。
自分に友は、いないと。
有り余る金と力につられてやって来た、下劣な輩だ、と。
そうしてみちるは、孤独に慣れていった。
同時、叶わない願いはより強く心に浮き出た。
どこにでもある、両親と自分、三人で仲良く過ごしたい。
母がいない彼女には、もう絶対に叶えられない望み。
いつからか、彼女は願うようになっていた。
思い通りにならない現実の、崩壊を。
○ ● ○ ●
「…!」
手が止まっている事に気付く。
ちらと隣の父を盗み見ると、彼はパソコンを見ていて、みちるには気が付いていなかった。
密かに安堵し仕事を再開する。
(…三年前、だったわね)
それは会話の形をしていた。
応じるものが彼女の心だけにいるからだ。
それはみちるの問いに答えを出した。
感謝の意を述べた後、彼女は改めて仕事に意識を向けた。
(こうして『碧』と…リンクと話すのも慣れてしまったわね)
思い返すは三年前。
楽しみとの、出逢い。
○ ● ○ ●
学校の「友」の話で気になり、みちるは父に承諾を得て南方の島へ向かった。
翡翠色の海、広がる白砂。少女は感動を覚えた。
その底で見付けた石。
それが『碧』であった。
不思議な光は、みちるに聞いた。
〈女。御前は何か満たされぬ思いがあるな〉
「え…」
妖しく光った蒼い玉は提案した。
自分の願いを叶えてくれたら、みちるの願いを叶えると。
何でも一つだけ、絶対に叶う。
そう言われたみちるは、契約を交わした。
その後出逢った敵、赤い『禽』。
『碧』の人格―みちるはリンクと名付けた―は、彼女の存在を危険と見た。
そこから始まった戦い。それは少女の心を満たした。
自分をしっかりと見据え、力をぶつけ合う。
そういった経験が今までなかったみちるは、決定打を与えられなかった三年間を、戦いにおけるやり取りをとても大事に思っていた。
今もどこかでみちるは、この戦いがずっと続いて欲しい、そう願っていた。
○ ● ○ ●
(そう、あの三年間、あたしはとても充実してた)
戦いの為に生きる日々だった。
大学入学まであと一年近い今も、彼女と純粋に交流を持とうとする者はいない。
(…それでもいいの。邪魔が無ければ)
紙束を睨み付ける目の裏に浮かぶは、鳶色の髪の少年。
主南 初の『止まり木』、鳥居 賢樹。
○ ● ○ ●
突然現れた、「ライバル」の協力者。
戦いにおいても、それ以外でも、みちるは彼の存在を疎ましく思っていた。
段々彼ばかりを気にしていった敵の目に、仲間以上の感情が見えてきた時、少女は悲しみさえ覚えた。
玩具を取られたと言うよりは、友が構ってくれない、そういった思い。
独りを、また実感してしまったのだ。
このままでは負けてしまう。またつまらなくなってしまう。
思い始めた頃、みちるは玄と出逢った。
学校からの帰りだった。
やはり一人で帰路を辿る少女は、上からの声に驚く。
見上げると、街路樹の上、黒い少年。
新たな敵、思い身構えるが、彼は言葉を並べた。
自分は味方、共に闘えると。
言うと玄は、真っ黒い『玉』を見せた。
手に持つ『碧』がそれを認めた。
そこから始まった関係だった。
ただの『禽』と『止まり木』の関係の筈だった。
しかし、芽生えた想い。
「独り」でない事から始まった、安心感から生まれた恋だった。
○ ● ○ ●
(報われるかなんて、そんなの考えてないけど)
判を所定の位置に戻し、軽く書類を整え、みちるは告げた。
「お父様、終わりましたわ」
「分かった。下がれ」
「…失礼します」
ローヒールのパンプスを履いた足は、社長室の前へと主を動かした。
重い扉を開け、廊下を歩いた先には窓。
「………」
広がる空に、体が疼いた。
〈行けば良いのではないのか?主〉
(ありがと。じゃあ、行きましょう)
力を込めて窓を開け放ち、空に身を躍らせた。
落下と共に、舞い踊る蒼の羽根。
社会のようなグレーのスーツから、自由な空のブルーへ。
「今」という幸せの為に、蒼い『禽』は大気の海に飛び込んだ。
今回はみちるの過去話でした。
実は最後は結構なお気に入りだったりします。
閲覧、ありがとうございました。