十七.幸福と共に~It's a smiling day~
二月中旬。細かく言えばその十四日。
「分かってると思うけど。…はい、鳥居くん」
「…ありがと」
恋人達にとっては特別な日、バレンタインデー。
「開けて良いか」
「ええ」
某県星灯市、主南神社。
「お、美味そう」
「味には五月蝿い黄穂が、美味しいって言ってくれた。実際に美味しいのよ」
本殿から数メートル離れた地点、神官である主南の家。
「…!本当に美味い…」
「でしょ?…といってもそんなに加工とかしてないけどね。チョコレートだし」
その縁側、彼等は隣り合って座っていた。
「彼氏」―鳥居 賢樹と、「彼女」―主南 初は、互いに違う学校の制服を着たままでいた。
初から呼び出し、駅で待ち合わせたその足でここに来たのだ。
しかし二人の距離はどこか遠い。
実際、駅から神社へ向かう際も、楽しげに話こそすれ、手も繋がなかった。
今も座る二人の間には、不自然な距離がある。
「主南、お前は食べたのか?」
「私?食べてないわ。作ったら食欲無くしちゃったの」
「じゃあほら、食え」
そう言われ差し出されるチョコレートを、初は一口。
少女の顔に温かい笑みが広がっていく。
「うん。…美味しい」
賢樹はそれを見て、一瞬高鳴った鼓動を自覚すると共に、心からの笑みを浮かべていた。
彼は心のどこかでこう思っていた。
彼女とどうこうなりたいとか、したいだなんて思わない。
ただずっと、こんな風に一緒に居たい、と。
その考えが隅に追いやられたのは直後。
ゆっくり落ちて来たのは、真っ青な鳥の羽根だった。
その色を持つ生き物は、一つだけ。
「…今年も懲りないわね」
「チョコは終わってからのお楽しみか。まあいいか」
賢樹が大儀そうに立ち上がった時には、既に初は黒いセーラー服ではなく、緋色の装束に変わっていた。
賢樹は今までそれを見た時は、純粋に綺麗だとしか、感じていなかった。
今彼は、それを多くの気持ちと共に瞳に映す。
懐かしさと、羨みと、憎悪と。
「…鳥居くん?」
「あ…よし、行くか」
初の言葉で我に返るが、表情は未だ曇る。
少女の腕に包まれながら上空に向かう途中、やはりそれを指摘された。
「大丈夫なの?」
「…ああ。ただ早く、俺も『禽』になりたいなってさ」
「なれるわよ、きっと今だって。あなたの事だからもう鍵は見付けてる筈。…見付けてもいなかったら
、私も一緒に探すわ」
顔を伏せた賢樹は礼を言わなかった。
あまりにも優しい言葉に、口を開いたら泣き声が出そうになっていたからだ。
そうして黙り込んでから数分。
みちると玄の姿を目に捉える。
「…鳥居くん、練習として、翼を生やしてみる?」
「おう、頼む」
頷き、初は哥う。
『迷宮から今出でよ、若者よ老いた者よ。天から与えられし羽を纏え。恐るる事無かれ、陽の下まで行ける。其は汝の思い描いた儘に…創翼・心空』
初は賢樹の体から手を離した。瞬間、火が昇り立つように橙の翼が彼の背から現れた。
「うおっ!」
「羽ばたきなさい!後は移動するイメージを持てば良い。すぐに慣れるわ」
指示するとすぐに初はみちるの元へと飛んだ。
「え、おい!…ったく」
言われたとおりのイメージをすると、翼は賢樹の行きたい所へ連れて行ってくれた。
(…今はイメージで精一杯…昔はどう飛んでたっけ)
失われていた事故の記憶を掘り返す。
そこにはただ自由に空を飛ぶ幼い自分がいた。
(そっか…疑わなかったんだ。飛べないとか、出来ない事は無いって)
ブレザーの上着の胸辺りを強く握る。
そこには賢樹の『瑤』がある。
少々馬鹿らしいと思いつつも、彼は呼びかける。
(なあキー。…早くお前の羽根をまた借りて、あいつと一緒に戦いたいよ)
そうだな、と。そんな言葉を賢樹は聞いた気がした。
○ ● ○ ●
「あら『止まり木』くん。羽なんか生やしちゃってどうしたの?」
「座ってたら良い標的になるからな。あとそろそろで名前で呼んでくれ」
「…じゃあ、鳥居クン。これから先あなたも攻撃するから、よろしく」
「前からだろ」
そうだったわね、とみちるは凭れていた自分の『止まり木』―要片 玄から離れた。
「今日こそあなた達を倒してみせる…『降煌氷涙!!』」
雫の形をとった氷が無数に降り注いだ。
それを見て、初が不敵に笑う。
「同じような技ばかりで学習がないわね。『防護・金城』」
「人の事言えないじゃない。『凍塊一滴!』」
『降煌氷涙』を防ぎながら、初は口を動かす。
そして、『金城』に指を当て一言。
『返仇・張鼓』
波紋が円い、光の盾に広がる。
『金城』はその時から、受けるだけの盾ではなくなった。
「跳ね返し!?」
みちるの言葉通り、先程の『氷涙』が彼女の作りだした巨大な氷にぶつかっていく。
氷塊は煙を巻き上げて砕け散った。
だが煙から垣間見えたみちるの顔には笑みが広がっている。
「ヒント、ありがと初ちゃん。あたし、百聞は一見にしかずってタイプなのよね」
真っ直ぐに指を立て、哥う。
『氷星羽群』、と。
その指先に蒼い力が集まっていく。
「…!鳥居くん!」
「逃がさないわよ」
後退しようと二人が翼を動かした時。
降り注ぐ、様々な氷の欠片達。
『哥』によって形と指示を与えられた小さな氷塊が二人を取り囲む。
「さぶっ…!」
「だったら融かした方が良いかしら。『蒸雪・鳳着』」
三枚程羽根を抜き、散らす。
数秒し、二人が氷の群れで身動き出来なくなる寸前。
群れの中心から、炎が広がった。
炎は氷を喰い潰し、後には二人以外残っていなかった。
「…何だ今の、戦略級爆弾みたいな『哥』」
「……ちょっと、休ませて。イメージより強過ぎた。地上でやったら…騒がれてたかも」
「おいおい、やり過ぎだろ…」
みちる達を見据えながら、初は考える。
(…また力の質が変わってる気がする。この前までは今ので丁度良かった筈…)
勝てる、今度こそ。初はわざと賢樹の肩を掴む。
飛翔し、『哥』を織る。
『其は我が心の防壁。何者をも阻む我が忠実なる盾…盲壁・気阻』
更に続ける。
「『煉剣・朱片』、『炎嵐・紅風』…絡まれ『紅風』、『朱片』へ!」
(…すごい。ここまで哥ってもまだ余力がある)
口の端で笑い、みちるへ突進する。
「『氷縄永牢』、やらせない!」
「それで自分を守ってるつもり?」
炎を纏った赤い刀は、楽に鎖を断っていく。
「…!!『凍塊一滴!!』」
「甘いって言ってるのよ」
更に作り出した巨氷を一閃、みちるの元へ到達する。
「くそぉっ…!」
「今日こそ頂くわ、あなたの『碧』を!」
首元を切る。
空に、『碧』が踊った。
「!!」
みちるの変身が、青い羽根となって解けていく。
「やった…!」
落下してくる青い『玉』を、手を開いて待つ。
しかし。
「みちる!」
「玄!」
落ちるように玄は、初より先に『碧』を掴んでみちるへ投げる。
玄が背負っていた水色の羽は、力の供給が途絶えたまま飛んだせいでバラバラになっていた。
受け取ったみちるはすぐに翼を纏うと哥った。
『仮小羽矮!!』
すぐに水色の翼が玄の背に出来上がった。
「助かったよ、みちる」
「当然よ。あなたはあたしの『止まり木』だもの…」
その態度に、『禽』と『止まり木』以上の何かを初は感じた。
(もしかして、みちる…)
「初ちゃん、鳥居クン」
呼びかけるみちるは、いつもの態度に戻っていた。
「今日は引き分けって事にしとくわ。なんだか今日はもう、戦う気が失せちゃった」
言うと、みちるは高速で街に降りていった。
ハッピーバレンタイン、と残して。
○ ● ○ ●
「俺達との戦いは、何かのゲームって訳じゃないのにな…ふざけてんのかな、あいつ」
「彼女の考えは分からない。気まぐれだし、他人の私達が分かれる筈もない」
主南家に降り立った初は、赤い羽根を散らして変身を解除する。
同時、賢樹の背の翼も橙の羽根を散らしていく。
「ふーん、なんだかんだで長い付き合いだしな、お前ら」
「…それより」
縁側に腰を下ろす二人。
先程より距離は近い。
それにほんの少し驚く賢樹に、初は微笑む。
「…鳥居くんのお陰ね。三年間こうして頑張って来たけど、あんなに追い詰められたのは今日が初めて」
「そうなのか?それは…どーも」
初の笑顔に、自身の顔が少し熱くなるのを彼は自覚する。
更に初は、そんな彼に追い打ちをかけた。
「…お礼」
顔を背けていた賢樹が、え、と振り向いたのは初にとっては大きな誤算だった。
頬にする筈のキスは、唇へ。
二人は固まった。
「「………」」
同時、離した口は互いに謝罪の言葉を生む。
「ごめんなさい、そんなつもりじゃ…」
「悪い、俺も急に振り向いて…」
盗み見する為の視線は合わさり。
それがおかしくて、二人はそのまま笑った。
「ふふっ、おかしい」
「まったくだ、はははっ」
一頻り笑った後、二人は再度目を合わす。
「…お礼とかは、俺がするべきなんだからな。…お前に会えて良かったのは、俺の方なんだ」
「私もよ。初めは何か嫌だったけど」
「嫌だって何だよ」
「だって、ふふ、ごめんなさい」
賢樹の手が伸びる。初の頬へと。
「初。…これからも、頑張ろうな」
「うん。…賢樹くん」
近付く二人の顔。
そして、距離はゼロへ。
事故でもなく、同意のある、初めてのちゃんとした、キス。
昼下がりの陽光が、二人を見守っていた。
○ ● ○ ●
「嘘でしょ…このあたしがボロ負けだなんて…」
「みちる。それが真実。受け入れな」
「嫌よ!!」
要片家。玄の部屋。
黒いガラスのローテーブルを強く叩き、みちるは悔しさを滲ませていた。
「…今日は最悪よ。バレンタインなのに、あなたは甘いもの嫌いだし」
「好きだよー?チョコレートが嫌いなだけ」
対し、玄は笑う。内心で舌を出しながら。
(…バレンタイン、限定でね)
みちるは机の前から動き、玄の寝転がるベッドに顎を乗せる。
先程見せていた敗北の苦さは、既に無い。
「ねえ玄。じゃあ強くなる為に…」
「ごめん、却下。そんな気分じゃない」
「~~…」
むくれるみちるに彼は言う。
「仕方ないな。それじゃ次ヤバくなったら手伝うから」
「本当!?やっと見れるのね!?」
「ああ。だから次は絶対勝てる」
やった、と跳ね上がるみちるを尻目に、玄は黒い石に呼びかけた。
(僕達の力を見せてやろうよ。次は暴れるよ…サヨ)
『玖』は彼の気持ちを受け取ったかのように、妖しく輝いた。