十五.夢からの目醒め ~past fantasy~
それは急に見えた。
「おはよー母さ…」
「おはよう賢樹。あら、おばあちゃんの仏壇がどうかしたの?」
「いや…何でも」
祖母の形見の護り石が、光り輝いているのを。
陽光を受けてではない。石自身の内から、鳥が翼を広げたような不思議な光を発していたのだ。
(これってまさか…)
賢樹は石を手に取り、見つめる。
(『玉』、なのか?)
壁に留まるカレンダーを見た。一月の十一日、平日である。
そして偶然にも部活が無い日であった。
(授業が終わった放課後に聞きに行ける。よし)
すぐに仏壇の前に座り込み、日課をいつもより早く行う。
「…ばあちゃん、今日も借りてくな」
祖母が頷いたかのように、手向けた線香の煙が揺らいだ。
○ ● ○ ●
冬の陽の沈みは早い。四時を過ぎた辺りで空は既に蜜柑の色となっていた。
それでも仕事を休める手は主南 黄穂には無かった。
落ち葉はないが、積もる参道の塵を今日も黙々と払う彼女の耳に、自分を呼ぶ声。
「おーい、黄穂!」
「…『止まり木』か。どうした、血相を変えて」
巫女の前で止まった賢樹は、息を整えて問いを発した。
「…これ、『玉』なのか?」
「何だと?」
石を受け取った黄穂は目を瞑り、両手に持ったそれに意識を集中させる。
しばらくして黄穂は目を開けて尋ねた。
「見えたのか、羽を広げたような光は?」
「ああ。今だって見えてる」
「なら間違いない。此れは御前の『瑤』で、御前は白の『禽』だ」
白い石―『瑤』を返し、黄穂は力強く笑う。
「美しい力だ。最初に初の手に渡った時の『珠』より、ずっと綺麗で良い力を宿している。守っていた者は余程それを大事にしていたと見える」
「そうか…」
彼は『瑤』の前の持ち主を考える。それはつまり、賢樹の祖母。
いつも大事に小さな巾着の中に入れていたそれと祖母を思い出し、賢樹は祖母をより誇らしく思った。
「…あいつみたいに、今飛んでみて良いか?」
「我は構わん。青の『禽』達に見つかっても良いならな」
頷き、賢樹は『瑤』に意識を集中する。
数秒。
数分。十数分。
賢樹の姿は、どこも変化しなかった。
「…あれ?」
「しっかり集中しているか?雑念があっては力を得難いぞ」
「ああ…もう一度」
結果は同じ。
名残惜しそうな夕日と、星や月が空に光る。
「…ダメだ、何も起きねえ」
「そうか。だったら初に聞いてみたらどうだ?我より多く『禽』の力を使っているし、今丁度帰って来た」
「え」
振り向くと確かに、見慣れた黒のセーラー服。
彼女が鳥居をくぐってこちらにやって来た。
「ただいま紫穂。…久々ね、鳥居くん」
「あ、ああ。…久しぶり、主南」
恋人同士となり、十日。
会うのもまた、十日ぶりであった。
○ ● ○ ●
「鳥居くんが『禽』…見つかって良かった。これで後は『玖』だけね」
「『玖』も『碧』同様、浄化の必要な『玉』だ。青の『禽』より早く見付けねばな」
「それにしても、力を使えないってどういう事なの?」
主南家、初の部屋。
三人は『瑤』を囲んで話し合う。
窓からの光はもう大分少ない。
「それが分かったら苦労しねえよ。…なあ主南、お前はどうやって力を使ってるんだ?」
「特に何もしてないわ。…そうね、力を貸して下さい、みたいな願いはかけてるかも」
「願いか…」
賢樹は初の言うように、手の中に『瑤』を握り込んで念じる。
(『瑤』、お願いだ。力を貸してくれ)
そうして数秒。
そしてまた、数分、十数分。
「…またダメか」
「変ね。後はもう気持ちの問題かしら」
気持ち、と呟く賢樹に初は頷く。
「覚えてるかしら、あなたが『止まり木』だって分かった時。現実に起こってる事をあなたは否定しようとしたわ」
「まあな、現実であんな事されてもまず信じられなかったし。さすがにもう認めざるを得ないがな」
「それかもしれないわね」
つ、と目を細めた赤い『禽』は説いた。
「昔の人は天災とかを『神の仕業』として全てを受け入れて来た。大昔からある『玉』なんだからそういうものを『受け入れる事』が必要なのかも知れない」
「……」
その日はそれで、話は終わった。
暗い帰路、目立つ白い星を仰ぎ見ながら賢樹は考える。
(受け入れる、ね…)
そういえば、と思考の奥深くに小さな光を見る。
(ガキの頃は何でもかんでも信じてたな…)
そして閃く記憶。
(…そうだ。あの頃は魔法とか幽霊とか、いつも信じてた)
そんな話はいつも祖母がしてくれていた、と記憶の鎖が連なっていく。
(いつからだ、いつから俺はそういうの、信じなくなった…?)
足は既に止まっていた。
ただ白い星を仰視する。
そこに答えがあるかのように。
(魔法とかマンガや本を見なくなったのは…小三の頃だ。その前、もっと奥…!)
しかし。
そこから前の記憶は無かった。
急に、求める記憶よりもっと先の、小さな頃の記憶に飛ぶ。
(…分からない)
そこに鍵がある筈なんだ、ただ口だけが言葉の形を作る。
街頭に照らされる彼に、光は見えない。
○ ● ○ ●
ずっとずっと、考えていたからか。
〈漸くだな、我が主。漸く主は我と共に戦える〉
「…お前」
白い鳥との三度目の出会いを、彼は果たした。
「そう言うなら俺に力を貸してくれよ」
〈何を言っている主。我は既にずっと前から主に手を伸ばしていた。その手を取らないのは主の方〉
「え?俺の方?」
鳥は頷く。
〈みき様が亡くなられてから、主はおかしくなられた〉
「ばあちゃん…?」
鳥はまた頷いた。
〈我を見なくなった。話し掛けもしなくなった。そして我の存在も忘れていた。あの時迄〉
賢樹は真姫と隼が操られた文化祭を思い出す。
確かに夢の中、この光の鳥は賢樹を知っていた。
〈まあ無理も無い、仕方の無い事。あんな事があってはな〉
「あんな事?」
鳥は独り言を口の中で言っていた。
それでも頭に直接響く声はそのまま届く。
〈あんな事が遭っては我を、此の力を厭うのも道理に適う〉
(厭うって…)
〈主〉
鳥は今度ははっきりと、賢樹に向かって言った。
〈我をもう嫌わないで欲しい。恐れないで欲しい。誰も悪くないのだ、主も悪くない〉
「は?」
伝えるとすぐ、鳥は闇の彼方へと消えていく。
「ちょっと待てよ!なあ、おい!」
叫びは鳥を留める事は出来なかった。
○ ● ○ ●
「…はぁっ!!」
長く水の中にいたような、そんな疲労感。
周囲は大気に満ちた、自分の場所、自室。
汗で背が濡れた寝間着が気持ち悪い。
「何だ、何なんだよ一体…」
枕元に置いていた『瑤』はあの日から変わらず羽を広げる。
それを見て脳に過ぎる、禽の最後の言葉。
誰も悪くない。
(俺も悪くない?…俺は何か、悪い事を?)
そう考えた瞬間、
金属を打ったような高い響きが、賢樹を呼び醒ます。
「…っ!!」
思い出していく何もかもに、賢樹は知らず、涙する。
空が高かった日。
少年は大好きな祖母と『キー』と一緒に、公園に出かけ。
『キー』の羽を借りて、空を舞った。
遠くへ行こうとする少年を祖母は追いかけ。
いつしか広い道路に出てしまった老婆は。
車に気付かず、振り返った少年の、目の前で。
「うわああああ!!」
それが、消えていた、求めていた記憶であった。
その日から、少年―賢樹は力を恨み、忘れ、有り得ない事象を信じなくなった。
祖母、みきと共に付けた『キー』という鳥の名さえも、この世に初めから無かったようにその頭から消して。
賢樹は、幻想を否定して生き続けてきたのだ。
「…キー」
小さく呟く、懐かしさを覚える名に応じる者はいない。
「そうか…そうだよな。否定してて当然だ」
『瑤』を砕く勢いで握り締め、賢樹は俯く。
「俺がキーの羽を借りなければ、ばあちゃんは、死なずに済んだから…!!」
その日、鳥居 賢樹は学校を休んだ。
ずっと部屋に閉じこもり、声を殺して泣いていたという。
ここで一旦本編の流れが切れます。
16話は物語全体の補完といった所となります。
これで多少の疑問は解決されればいいな…(笑)
閲覧、ありがとうございました。