十四.神前にて ~We,swear~
「ごめんなさい」
最初の言葉は、それだった。
「…え」
「あ…違うの。すぐには答えられないって意味。それに対する『ごめんなさい』よ。…少し、時間をちょうだい」
張り詰めた心が弛緩する。
脱力と共に、安堵の溜め息が賢樹の口から漏れた。
「よかった…ダメかと思った」
「…まだ分からないわよ?」
「う…」
口ごもる賢樹を初は笑う。
「とにかく、今日は帰りましょう。ありがとう。素敵なイヴを過ごせた」
「…どう致しまして」
また、駅に向かって歩き出す。
はぐれないように、手首を掴んで。
○ ● ○ ●
それから八日後。
「…お、来た来た」
一月一日、午後。
賢樹はポストに入っていた年賀状を手に取った。
「毎年律儀だな、坂口は。あ、今年は隼も書いたか」
友からの祝いの葉書に、顔を綻ばせる。
しかし、届いた全てに目を通した後の彼は、無表情だった。
(…当然か。主南には住所教えてなかったし…)
真姫辺りの計らいを期待していた賢樹は、複雑な思いを胸に抱く。
(…もし教えてたら、今この場で分かったのかな…返事)
恐怖と希望とを抱きながら、彼は葉書に書かれた自分の名を見る。
それでも教えれば良かった、賢樹はそう悔やんだ。
その時、腹辺りに違和を覚えた。
パーカーの腹ポケットから違和の正体―震える携帯電話を取り出す。
開く。目に飛び込む文字は、『佐久間 隼』。
「隼?」
軽く首を傾げながら通話を開始する。
「もしもし。何だ?」
〈おーあけおめ賢樹。今から初詣行かねーか?〉
そういえば、と賢樹は頭から抜けていたそのイベントを思い出した。
「行く行く。予定もないし」
〈そーか!じゃあ俺は坂口連れて一緒に行く。場所はお前が決めろよな!〉
「了解。あ、年賀状ありがとな」
〈おう!〉
楽しそうだな、心中で呟きながら、隼からの『課題』をすぐうに済ます。
(初詣って聞いて今の俺が行くのは…あの場所しかねえしな)
○ ● ○ ●
「主南神社って…初ちゃんの神社だよね!?」
「ああ。良いだろ?」
「うんうん!久々だなあ、初ちゃん!」
山吹色の振袖を身に纏った真姫は、偽りない笑顔でそう言った。
石段を上っていくと見えてくる境内。
やはり正月の昼だけあり、社の前には多くの人が立つ。
「どんだけ並ぶんだろうなあ。かなり長そうだぜ?」
「来たからには並ぶぞ。…よし」
気合いを入れ、参道に並ぶ。
そこに声が飛んだ。
「すいません、参道に並ぶ前にはまず手水場へ…って」
「お、黄穂。明けましておめでとう」
「とま…御前、初詣に来るような奴じゃったのか」
「これでもな」
いつも通り、巫女服を着る少女がそこにいた。
隼と真姫は二人を見て言った。
「…賢樹。お前まさか中学生にまで手を…」
「…こんな事なら遅くに生まれておくべきだったかも…」
「おいちょっと待てお前ら。こいつは主南の妹だぞ。それだけだからな!?」
怪しい、そんな目で睨まれながら賢樹は黄穂に尋ねた。
「あいつは?主南…初は?」
「初なら向こうで御神籤やら破魔矢を売っておる。参拝した後で行けよ。挨拶は何事においても基本じゃからな」
言うと『禽』の巫女はすぐに境内を周りに戻った。
「そっけない感じは初ちゃんに似てるね」
「いや、姉より素直で良い子だぞ。ちょっと…ああいう喋りをするだけだ」
「へえ、姉より素直、ねえ…」
その後賢樹はまたしばらく、隼達に白い目で見られていた。
○ ● ○ ●
長い黄土の髪は一つに束ねられ。
初めて会った時の姿によく似た初は、賢樹達の姿を見ると少し、柔らかい表情になった。
「よう主南、暇してんな」
「…今日は鳥居君。そう思うなら何か買って頂戴」
白い小袖から覗く細い手で、お守りや札を示す。
それらを見て、三人は口々に。
「私ピンクのお守り!それとおみくじ!」
「じゃあ俺はそのブルーので。それとおみくじ」
「俺おみくじだけで」
「…お守り三百円、おみくじ百円です。…鳥居君が一番ケチね」
何でそうなるんだという言葉は飲み込み、賢樹達は金を出して品物を受け取る。
「初ちゃん!私三十五番!」
「俺は二十二番だった。よろしく」
「…七十五番」
黙々と初は作業をこなす。箱から出た棒を三人から受け取り、言われた番号と該当するおみくじをそれぞれに手渡す。
早速開けば、三様の感想が飛び出る。
「えっと…あ、私大吉!北の方角って隼のお家の方かな?」
「合ってると思う。俺凶だったよ…学業に専念しろって」
「そうだよ、これから受験始まるし。あ、サッキーは?」
聞くが、返事は無い。
彼はくじではなく、何故か初を見ていた。
「おい、賢樹?」
「あ、ああ。中吉」
「お前もかよ!何で俺だけ…」
落ち込む隼を少し笑った後、賢樹はまた初を見る。
初はただ目を瞑り、口の前に人差し指を立てるのみ。
何の変哲もない中吉のおみくじ。
それと一緒に、賢樹は小さな紙を手渡された。
初の手書きでたった一文、「後で社の前で」。そう書かれていた。
○ ● ○ ●
神社を出た後はいつもとなんら変わらずに遊び呆けた。
夕日が沈もうとする頃、賢樹は用があると言い二人と別れた。
気が付けば彼は走っていた。
三人と喋って歩けば何て事の無い距離は、少し息を切らせた。
石段を一気に駆け抜け、朱色の門をくぐる。
そこに佇む少女は幻のようだった。
紅白の鮮やかな装束は鳥居と同じ色に染まる。
流れる髪は夕陽を浴びて稲穂のように黄金に輝く。
「…主南、悪い。待たせた」
「大丈夫。今日の仕事、今終わったから」
不機嫌という声音ではない。
感情を敢えて言うとするなら、少しの諦めと寂しさを、隠したような。
それの真実を知る手立ても、癒す術も今の賢樹にはない。
だから彼はただ近付いて、もう一度謝った。
「…ごめん、主南」
「だから大丈夫よ。…来てくれたから」
口の端をほんの少し上げた笑み。それで十分だと悟った彼は問う。
「…さっきのって」
「ええ。イヴの答え、言わなきゃと思って」
それはずっと待ち望んだもの。
本当は紙を渡された時からそれを言われるだろう事は分かっていた。
気付かないふりを、賢樹はしていた。
心臓は早鐘を打っていた。
今すぐ踵を返して逃げ出したかった。
「鳥居君…あの日から、私は考えたわ」
しかし、宣告は始まった。
もう逃げられない。
逃げる事は、出来ない。
「あなたと出会ってから、今日までの事全部を」
言葉が上手く、脳の中に染み込んでいかない。
だから彼女の言葉の殆どは、聞き逃していた。
「喧嘩ばっかりだったけれど、それよりあなたと過ごす日々は酷く楽しかった。あなたがいなければ解決出来ない事が沢山あった」
彼女の目は参道の石畳を映す。
窺い知れない彼女の感情と表情にもどかしさを覚えた。
「信頼、そう思ってたわ。そうじゃなきゃ人付き合いの下手な私がこんなに打ち解ける訳が無いってそう考えてたから」
彼女が動いた。
真っ直ぐに見返す、瞳の光が眩しかった。
「それすらも違うと思えたのは、あなたからの告白だったわ、鳥居君」
そこでようやく、理解が追いついた。
はっきりと見えた初の顔には、僅かな朱と、明らかな笑み。
「私も、同じだった。あなたの事が好きだったみたい」
初は手を差し出した。
「…!」
「これからもよろしく。…賢樹くん」
その感情は、「歓喜」は。
握手だけでは到底治まりそうになかった。
手を引っ張り、初を自らの胸に抱いた。
「…ちょっと、鳥居くん!」
「悪い。…嬉し過ぎてさ」
そう言うと初は黙って身を委ねた。
言葉は交わさず、長く動かず。
二人はしばらく、そのまま動かなかった。
○ ● ○ ●
暗い夜。
雲が出て星もまるで見えない。
神社の中心で焚かれる炎が、主な光源。
それに魅かれたように、ふらりと現れる人影。
みちると玄であった。
「…遅かったの」
二人に話しかけるは、『禽』の巫女。
「お出迎え?ありがとう、巫女さま」
「ただの勘だ」
「へえ、女の勘ってこんな時からあるんだな。怖い怖い」
息を一つ大きく吐き、黄穂は普通の神社の娘として聞く。
「…お守り三百円、破魔矢六百円、神籤百円」
「じゃあおみくじ頂こうかしら」
「二つでよろしく」
また一つ、黄穂は荒く息を吐く。
二人をテントへ案内し、箱から棒を引かせる。
ただ一つの電球が点くその中で、少女は二つの紙片を手渡した。
「言っておくが家の神籤は良く当たる。従った方が良いぞ」
「ごめんなさい、あたし占いとか全く信じてないの。あら、中吉だわ、微妙」
「俺は末吉。微妙さ加減じゃ俺が上だな」
言葉を聞いて、黄穂は彼らが来るまで行っていた片付けを再開する。
運ぶのは商品と小さな金庫。黄穂一人で十分運べる量だった。
「…何これ、待ち人来ず、恋愛望み叶わぬ、他を当たれって」
「待ち人は俺も一緒だ。嫌がらせか?」
「其の様な事をする訳無かろうが。其れが御前達の今年の運勢だ」
黄穂は炎を背後にそう告げる。
そして歩き出す。二人を残して。
『禽』の巫女はそれ以上、何も言わなかった。
ようやくです。
といっても大して変わる事は無い二人だったりします。
ここで初から賢樹に対する呼び名が変わります。注意して見ると初のデレ度が分かったりします(笑)
閲覧、ありがとうございました。