十一.今更の自覚 ~Possibly…~
「ワイシャツ、びしょびしょね。乾かさなきゃ」
「大丈夫だし、そんな事で力使うなよ。家に帰れなくなるぞ?」
「その時は送ってもらうわ」
「おい…」
蒼雲高校、陸上部の部室。
閉め切られた空間の中で、二人はようやく立ち上がる。
最終下校時刻など、とっくに過ぎていた。
「…真っ暗ね。大丈夫かしら」
「あ、『禽』の時は夜目あまり利かないんだっけ。平気なのか?」
「多分。空高くを飛ぶから、何かにぶつかる事は無いわね」
目元を真っ赤にした初は、『珠』の力を使って翼を広げる。
夜でもその身に纏った緋色の衣は、鮮やかに目に入り込む。
「…やっぱり、変わらないわね」
「力か?そうだな。目に見える変化はないな。…嘘かよ?」
「さあ」
(…けど、力の質が少し変わったかしら。今までより、そう…少しだけ長く使えそう)
自分の手を少し見つめた後、窓の鍵を開けてその枠に足を掛ける。
「それじゃ、私は行くわ。…今日は…あれだけの為に来たから」
「…気を、付けろよ」
「…うん」
急に気まずくなった二人は、そうして別れる。
すぐに赤い影は小さくなり、闇に消える。
「…って、俺」
(…あれ、初めてだったんだけど)
複雑な気持ちを抱えながら、賢樹は手の甲で口を押さえた。
落ちていた部室の鍵が、表の光で鈍く輝く。
○ ● ○ ●
一週間後。
「じゃあな、隼、坂口!」
「おう、またな!」
「バイバーイ!」
放課後、賢樹は早足で学校を出る。
数秒の後、昇降口を離れていく彼を見ながら、教室にて親友達は喋る。
「今までの二週間、何だったんだろうな?」
「うん。すっごい考え事してたよね。まあ元気になって良かったね!」
「そうだな。じゃあ」
窓辺から廊下近くの自分の席に戻った隼は、鞄を持ち上げ一言。
「俺達も帰ろうぜ…真姫」
「…うんっ」
手を繋ぎ、二人は教室を出る。
そんな事など全く知らない賢樹は、その足で主南神社へ向かう。
石段を上り、見えてくる朱色の鳥居。
それをくぐると見慣れた境内。
堂へと伸びる参道の途中で、私服の初が黄穂と共に掃除を行っていた。
真っ赤なパーカーに白い薄手のタートルニット、スキニージーンズを履く普段着の彼女。
駆ける足音ですぐに彼女は石段の方へ目を遣る。
「…鳥居君」
「…よう」
どこかよそよそしい挨拶を一つ。
巫女服を着る黄穂は、掃除の場所を変えるように静かに場を離れた。
箒で落葉を集める音さえ聞こえない、静かな夕方。
会話を始めたのは初だった。
「どうしたの?何か用があるから来たんでしょう?」
「まあ。…その、この前はごめんな。…負けて悔しくて…当たっちまった」
「私だって同じだったから、良いわ。それよりも」
言うと、箒を地面に置いて初は頭を下げた。
「…ごめんなさい。…あんな事して」
「強くなりたくて仕方なく、だろ?お前の方が嫌だった筈だ」
「それでも…」
「だから良いって。そんなに気に病むなよ」
顔を上げる初だが、納得いかないといった表情で、箒を両手で拾う。
(全く責任感の強い奴だな…まあ、主南らしいかな)
そう、思った時。
「大体三週間ぶりだね、お二人さん」
「「!?」」
突然の来訪者。
鳥居の上の中央に彼はいた。
要片 玄。彼は笑って告げた。
「戦いに来たよ。けどここは駄目らしいから呼びにだけ僕が。涙跡川の上空で待ってるって」
涙跡川は、二人の住む市、星灯市を流れる川の名前だ。
「わざわざ有難う御座います」
「固いよ喋り。もっとフランクにいこうよ初ちゃん。…じゃ、また後で」
言うだけ言うと、玄はみちるの『哥』で作られた水色の羽で空を飛んで行った。
「…馴れ馴れしい奴」
「じゃあ勝って、正してやろうぜ?」
「良い考えね」
小さく笑うと、初は『禽』の姿に変わる。
「飛ばすわよ。掴まりなさい!」
「おう!」
飛び立てば、風が起きた。
赤い羽根が、紅葉と共に踊る。
○ ● ○ ●
「お久しぶり、初ちゃん」
「久しぶり、みちる。あなたの『止まり木』、馴れ馴れし過ぎるわ。少しその態度を直させてくれないかしら」
「あなたが勝ったらね。けど…あなたはあたしに勝てない」
星灯市、涙跡川上空。
そこに翼を持った者が三人。
初、みちる、玄である。
同じ場に紅い円座に座る者が一人。
賢樹である。
時節は晩秋、冷たい風が吹く空のただ中で、彼等は今日も力を巡る戦いを始める。
「勝てる。今回は不意打ちじゃないもの。御親切にどうもありがとう」
「分かってないわね。今のあなたとあたしの間には、埋められない差ってものがあるの。ハンデをあげたって事、理解してちょうだい!」
蒼い鳥が『哥』を口に乗せた。
紅い鳥もそれに続く。
『飛羽乱撃!!』
『鳳の通いし後、残るは金色の軌跡。我が前に集え、其は全ての牙を砕く盾…防護・金城!』
幾度となく初を襲う羽根が飛来する。
金の光を生み出した彼女はそれから身を守るが、
(…全力でいかないとやっぱりまずい…まだ油断してる、私)
固く閉じた口の奥で、歯が圧力に悲鳴を上げた。
不意に攻撃が止む。攻撃による煙で前が見えていないようだった。
その隙に初はそこから離れ、座る『止まり木』の元へ向かった。
「大丈夫か?」
「…きついわ。毎回全力で行かないと、また…」
「ならそうしろ。俺が気絶するぐらい、力持っていけ」
「…気絶するの?」
「しねえ。だから思う存分やれ」
いつも通りの会話をし、彼から離れる。
自信を取り戻した『禽』は、先程貰った力を全て使う。
『雅なり、此の背の翼の主。血片飛び交う戦場でさえ、花弁の散る舞台に変える…拳舞・花踊』
静かに哥うそれは身体強化の『哥』。
見た目に変化はないが、それは確かに初の肉体に活力を与える。
「…『夜空白花』…」
訝しげに眉を寄せつつ、星型の氷を多く、大きく生み出すみちる。
それの向かうスピードもまた速い。
初は動かない。
氷は全て初に当たり、白い煙となって砕け散る。
「意味無かったわね、何なのかと思ったけど。これであなたの『珠』はあたしの「五月蝿い」
ほくそ笑むみちるの、すぐ後ろ。
初は、いた。
「…え?いつの間に…」
「要片君、でしたっけ。…ついさっき、ここに」
神速の蹴撃。
脇腹を蹴られたみちるは、真横に吹っ飛ぶ。
「…っ、やって、くれるじゃない…!」
彼女の闘争心に火が付いた。
その身に制動をかけ、羽撃いては初との距離を詰める。
「あたしがそう簡単にやられと思って!?『氷拳炎破!!』」
『哥』の力でみちるの右手に氷が纏わり付く。
青く輝く手甲が、白い冷気を尾に引きながら初の体に吸い込まれる。
初はそれを回り込むように避け、その背に肘を一発。
「ぐっ…!」
(よし…)
その思いこそが、油断だった。
「…『巨氷砕指』」
ぼそりと呟くそれは、みちるの身体強化の『哥』。
反撃の狼煙は小さく紡がれ、紅い鳥はそれに気付けなかった。
次の瞬間、初はみちるを見失う。
「!?…!!」
その目に彼女を映した時には全てが遅く。
氷に覆われた華奢な腕が、初の腹に深く刺さっていた。
「…言ったでしょ、なめないでって」
静かにそう言うと、腕を引き、振る。
氷が割れると同時、新たに哥った。
『水月刺刀』、と。
胃から内容物を吐き出し、苦しそうに喘ぐ初は強くみちるを睨んだ。
「……みち、る」
「何、今更命乞い?だったら『珠』を渡した方が早いわよ」
『氷拳炎破』で生まれた氷を使って作られたサーベルが、青ざめた『禽』の顔を映す。
「今ここで頂戴な。…あ、そんな事したら」
一歩分、詰め寄り。
「死んじゃうわね、あっはははは!!!」
ざっくり、と。横一閃。
その腹が、切られた。
「!!!!」
その苦痛に遂に耐え切れず、初の変身は解けてしまう。
少女は落ちる。
腹はやはり赫い。
夢でないと、色彩は賢樹に伝えた。
「主南!!!」
叫ぶと同時、円座が消失する。
賢樹も落ちるが、むしろ好都合と彼は考える。
「主南!!しっかりしろ!!!」
声を飛ばすが、返事はない。
まずい、胸中で彼はそう感じた。
「あーあ。殺しちゃって良いの、みちる?」
「良いのよ。あの巫女に何言われるか分かんないけど、『珠』が手に入ればどうだって」
「ふーん…」
玄は、眼下の二人を見、口元を歪める。
「ま、そうだね」
笑みの形に。
○ ● ○ ●
「主南、起きろよおい!!」
先に落ちる少女は未だ意識が戻らない。
(俺にもあいつらみたいな力があれば…!)
歯噛みして自分の非力を呪う。
「くそっ…主南!!!」
少女はただ、大地へ向かう。
その時、無意識に賢樹は思った。
(嫌だ…)
その思考にはっとして、その訳を自らに問う。
(何で、「嫌」なんだ?)
そうして思い出されたのは、自身の考えを覆された戦い。
〈「見て、これが現実。…綺麗ね」〉
次に、一週間前の泣き顔。
〈「…ねえ、だったら、どうすれば良いの……」〉
次に、文化祭のお化け屋敷。
〈「ひっっ………!!」〉
次に、次に、次に。
走馬灯のように思い出される、主南 初。
(…俺、こんなに?)
その思いを、想いを、伝えるように。
海抜数百メートル地点。
鳥居 賢樹は、叫ぶ。
「目ぇ覚ませ、主南あああ!!!!」
「………っ」
目を、勢い良く開けた。
苦痛ばかりの現実に戻って来た初は、緋の衣で腹の血を隠す。
羽撃き、落下する賢樹を助けに飛んだ。
「鳥居君!!」
「主南!!!」
呼び合う二人の手は、確かに繋がれた。
互いの無事に、二人は笑い合う。
その時、聞こえないぐらい小さな声で、賢樹は呟く。
良かった、と。
「…?」
何か言ったか、問おうとした時見た彼は、本当に嬉しそうで。
無意識に、無自覚に、唐突に。
鼓動は確かに打った。
(…!)
押さえた胸の奥で、その後もそれは止まず。
戸惑いと憶測が、初を乱した。
(嘘でしょ、まさか…)
それでも消えない予感。
振り払うように、彼に呼びかけた。
「鳥居君、あなたの力、全部使うかもしれないけど大丈夫?」
「今更聞くなよ。…ぶちかませ」
「…ありがとう」
少ない力で、また円座を作って座らせる。
賢樹が伸ばした腕にもたれ、遥か遠くの敵を見遣る。
(『拳舞・華踊』で敵わなかった。もっと速く、もっと強くならなきゃ)
『舞い狂え、紅き禽よ。花弁より美しく散るは其の麗しき風切羽根…拳嵐・踊羽』
唱え、新たに力を宿す。
続けて賢樹から力を吸い、また『哥』を紡ぐ。
『吹き荒れる風、自由なる其は何時迄も尽きぬ。永遠に燃ゆる焔を纏え』
だがそこで初は言葉を切った。
「…行ってくるわ」
「ああ」
少なく交わす言葉だけで、充分。
音さえ超えそうな勢いで、初は翔けた。
その間、数秒となく。
みちるの元へ躍り出た彼女は、拳を彼女に飛ばした。
「!!…生きてたのね。随分と速いじゃない」
それでも、みちるは紙一重で避けた。
「けどまだよ!」
「……」
回避に使った体の動きを攻撃に回す。
打ち出される蹴りをやはり危うく避ける初。
しばらく拳打の応酬が続く。
決定打は無く、掠り傷だけが二人に増えていく。
「…うざったいわ、『氷拳炎破!!』」
「………」
「さっきから何ブツブツ言ってんのよ!!」
凍った拳が初を貫こうとする。
逃げるように退き距離を取り、みちるに話しかけた。
「…教えてあげましょうか、何て言ったか」
「どうでも良いわ。『氷羽嵐「『彼の力を受け、其は今嵐にならん』、って言ったの」
真っ直ぐに目線を、声を飛ばす。
全ての詠唱は終わり、引き金を声に。
『炎嵐・紅風』
翼で起こした風は、吐息から生まれた炎と共にみちるへと疾る。
風を起こせば起こす程、強まり、渦巻く炎。
そしてみちる達を取り囲む、炎の渦が出来上がる。
「うわ、どうすんだよこれ」
「『舞踊霜子!!』…ダメ、勢いが止まらない…!」
「マジかよ…」
やがて、炎は消えた。
そこにみちる達はいなかった。代わりに下方に小さな影が二つ、街の方に行くのを初は見た。
「主南ー!」
呼ぶ『止まり木』の元へ向かうと、小さな空間に立つ彼は手を振っていた。
「お疲れ。勝ったんだな」
「ええ、どうにか。…これからはきつい戦いになりそうね」
頷くと、賢樹はとりあえず、と始める。
「帰ろうぜ。お前、まだ腹治してないし」
「あ…忘れてたわ。…痛…」
「ほら、早く。それとも治してからにするか?」
「…ええ」
痛みを思い出し、急に顔色を変えた彼女はぐったりとする。
賢樹の肩にもたれると、苦しそうな息遣いと呻きが彼の耳に入った。
「…大丈夫かよ…」
「治療できるぐらい力が貯まれば…すぐだから……」
「そうか」
空は橙の色が広がりかけていた。
周りを見渡せば、その色に染まった雲だけが浮かぶ。
オレンジ色の中、偶然にも二人は同時に口を開けた。
「「もしかしたら」」
「…何だよ。先に言えよ」
「…鳥居君からで、良いわ」
その後に続く言葉は無かった。
((…そんな、まさか))
好きになってしまったかもしれない、同じ事を思う二人に、それを問う勇気はまだ無い。
沈み行く夕陽が、二人には揺れて見えた。
ようやく互いが意識をし始めました。遅い(笑)
展開も段々早くなります。ご注意を。
閲覧、ありがとうございました。