静かに
「ぐすっ。ぐすっ。ごめんねサーシャ、情けない姿見せて……」
「よしよし。私が付いてるよ」
色々あって、俺達はサーシャちゃんの家に戻ってきた。
居間に置かれた大きなクッションの上で、サーシャちゃんが猫耳トリック少女をなぐさめている。
抱きしめ+頭なでなで。俺の事もなぐさめてくれ。サーシャちゃん。
(もうわけわからんね)
あの草むらでの出来事を思い返してみよう。
月夜の中でいきなりトリック少女の襲撃を受けたマサル君は、あまりの理不尽さに大人気なくキレたのであった。
(ちょっと精神的にまいってたしなぁ……)
怒りを右足に乗せ、思いきり地にぶつけた結果。
どうしてか地面が割れたのであったとさ。
(われやすくなっていたのだろう)
そういうことにしておこう。
そうでなければ……。
これ以上、頭をパンクさせないでくれ。
(……しかしこっちはっ)
それはそうと、俺は感じ取る。
いつの間にか出現していた【ボタン】を。
(目には見えないが、それがボタンであると分かるんだ)
それを意識して押すことで、ある画面が見えるようになる。
ゲームに出てくるステータス画面のようだな。
(俺の顔が、ドット絵で左上の四角い枠に表示されている。なつかしい感じ)
更にその下には、攻撃力・防御力・速力・魔導力などなど、能力の種類が書かれている大きな枠。
右横の数字は能力の程度だろう。
(攻撃力:150、防御力:200、速力:500、魔導力:0)
と書かれているが、これを見る限り俺は魔導の素質がゼロのようで。
平均が分からないので、他の高低判断も出来やしない。もしかしたら、他にも隠された能力値があったりして。
(……俺は何を冷静にっ)
こんなもんが確認できるようになるなんて、いよいよ異世界の極みだ。
この村に来てからファンタジー体験ばかりだな。
(……疲れすぎた)
もう寝た方が良いのかもしれない。
こういう時はそれが一番だ。
「――サーシャちゃん、俺もう寝るよ」
「えっ? ああ! はい! もうこんな時間ですからねっ。お部屋に案内します!」
「……たのむ」
「あっ、お風呂はっ」
「ふらふらなんだ……ごめん」
この体調で風呂に入ったら、最悪死にかねない。
俺の脳はスリープを求めているZE。
「そうですか……ほらジャスミン、救世主様にあやまろう?」
「うう……っ!」
クッションから立ち上がったサーシャちゃんが、同じく立ち上がったジャスミンに促す。
ジャスミンは非常に不服そうな顔で俺を見て。
「……ごめんなさい」
消え入りそうな小さな声で、ジャスミンは謝罪した。
瞳に映る警戒心は消えていない。困ったな。
「ジャスミン……ちゃん。俺は怪しい者じゃなくて」
「知ってるわよ。クライスって言うんでしょう。海外から来た……。ふーん……」
じろじろとこっちを観察する彼女は、やがて納得がいったかのように頷いた。
それ設定なんだけど。
まあいいか。訂正するのもめんどうだし。
「あたしはケモミミ族のジャスミン! あんたのこと、完全に信用したわけじゃないんだからー! サーシャは大事な友達! もし泣かしたりしたらゆるさないわよ!!」
ツンデレ風に言ってるが、本当に信用していないんだろうなぁ。
まあ何か事情がありそうだし。
「はは、よろしくっ」
握手のために右手を差し出す。
「ひィッ!?」
「……」
めっちゃ嫌がられたっ。
飛び退いて、サーシャちゃんより後ろに。そこで怯えた目を向ける。
「……」
「きゅ、救世主様っ! ご案内しますねっ」
「あ、うん」
ショックを受けながら、サーシャちゃんの後を付いていく。
ふりふり尻尾に癒されるんじゃ~。凝視してしまう。
もう本当。彼女こそが俺のオアシスだ。絶対聖域っ。
「うん?」
「な、なによっ。こっち見て!」
「君も二階に用があるのか?」
居間を出て二階に繋がる階段前へ。
そこまで来て、彼女が同行しようとしてる事に気付く。
「当たり前でしょうっ! あんたみたいな怪しいヤツと、サーシャを二人きりにさせるわけないでしょうがっ! あたしはサーシャの部屋に泊まるのよ!」
「警戒しすぎじゃ」
「さっきサーシャの尻尾をいやらしい目で見てた! 何をする気よこの変態っ!?」
「ぶほォッ。ご、ごかいだー」
変な言い方するんじゃないっ。サーシャちゃんに勘違いされたらどうする!
……見てたのは事実だけどね。
「そうよジャスミン。救世主様がそんなことするわけないじゃない!」
「どうだか。そもそも本当に救世主なのかしら?」
「おいおいっ。それ以上の偏見は看過できないなっ」
流石に酷い言われようなので、少し声に力を込めて言った。
一歩近づいたそれだけで。
「ひえっ!?」
一気に壁際に後退し、そのまま蹲るジャスミン。
彼女は、がたがたと震えて言葉を呟く。
「ファイトよあたし……サーシャを守るのよあたしがっ。絶対に負けたりしないっ。勇気を出してジャスミンっ。変態鬼畜野獣男なんかにっ」
なんか悪いことした気分だ。本当に酷い偏見だがっ。
しかし、ジャスミンの異常な怖がりようは……?
「ジャスミン。救世主様はそんな人じゃないよ。本当に」
「そんなのっ。分からないじゃないっ」
「……」
サーシャちゃんが、彼女の背中をさすって落ち着かせる。
とにかく今は下手に刺激しない様にしよう。きっとその内分かってくれる筈。
「……それじゃあ改めて案内しますね!」
二階に上がって、一本の中廊下に出る。
天井の明かりが、左右に見える複数のドアを照らす。
「左がサーシャちゃんの部屋」
「! よく分かりましたね! 凄いっ! 魔導ですか!」
「いや書いてあるじゃないか」
部屋のドアノブに掛かった、花柄のドアプレート。
そこにしっかりと彼女の名前が書かれている。
「あっ」
「誰だって分かるさ」
「――本当にそうかしら? 実は魔導の力で……あらかじめサーシャのことを調べていてっ。ストーカーっ!? 一体何の目的でっ。やっぱり油断ならないわっ。油断しちゃ駄目よっ。あたしがっ。サーシャをっ!」
もうなんなのこの娘オォッ。俺が何かする度に疑いを強めてきそうな勢いだなっ。
呟きが聞こえてることに気付いてないのかっ。
ちくしょう。なんでこんな緊張するはめに。
(すごい足が震えている……この娘)
下手すると、俺がこの娘に何かしたと思われかねない。
早くなんとかしないと不味いかもな……。めんどうだけど。
「……じゃ、こっちが俺の部屋だよな。休むことにするよ」
「はい。どうかゆっくりと体を休めてください。今日はほんとうにすみません……」
サーシャちゃんの部屋の対面に位置するドア、そこが俺の部屋らしかった。
サーシャちゃん達は一足先に部屋に消えた。
「俺も」
レバー型のドアノブに触れ、安息の扉を開ける。
左壁にある電気のスイッチを入れ、広がる光景は……。
(何もない)
聞いたとおりだ。
ぽつんとベッドが置いてあるだけの、がらんとした空間。
寂しい感もあるが、落ち着く気持ちもあった。
(早くベッドにっ)
「あの救世主様っ」
「うわっ!?」
背後からサーシャちゃんの声。
好きな声でもいきなりは驚く。
「す、すいませんっ」
「別にかまわないよ。なんだい?」
「えーっと、ジャスミンのことで」
俺は振り向き、彼女の青い瞳をまっすぐ見る。
ジャスミンのこと?
「悪い娘じゃないんですっ。彼女はっ。ただちょっと色々あって……」
「……」
「不快に思われたかもしれませんが、どうかジャスミンを許してあげてください……」
頭を下げるサーシャちゃん。そんなに気にしないでも良いのにな。
なにか事情があるのはわかっているし。まあ、今後もあんな感じだとつかれそうなので勘弁だが。
「……怪しいのは本当だし、彼女に事情があるのは分かるさ。あんなに必死になって……」
サーシャちゃんを想うからこそ。ってやつだな。
そういう類のトラブル……乱れは、そんなに嫌いじゃない。
「……助かります。救世主様は器が広いんですね」
「ちがうな。ただ単に」
「?」
俺はただ、そういった種類の乱れが嫌いで。
「――また明日」
どこまでも綺麗で静かな。
その笑顔を乱したくなかっただけだ。
「……また明日」
誰もいなくなった廊下で言って。
俺は部屋に入り、ドアを閉めた。
(――意識がもう)
柔らかな感触に包まれ、俺の意識は暗闇に沈んでいく。
部屋の窓から月明かりが漏れ、それを視界に収めながら。
(いろ、いろ。あったなぁ)
疲れた一日だったが、もう休息の時間だ。
抱えた重さを手放して、今は休もう。
静かに静かに、心休まる時に流され――。