疲労の果てに
【無職の名を背負いし者】
【誰にも触れられない閃光となりて、戦場を駆け抜ける】
「ブロックしろ! 敵を通すな!!」
「いやしかし、この男……速すぎる!!」
大勢の鎧姿の【選手】たちが、夕焼けに染まる試合場で一人のランナーを止めようと躍起になっている。
彼等の中には武器を扱う者の他、手から炎や雷を放出するという攻撃を行う者も複数名いた。
それは魔導と呼ばれる超常現象を起こす力で、【この世界】ではさほど珍しいものでもないようだ。
他にも、何もないところから武器を取り出したり等の現象が起きている。
「……」
そんな様々な超常を前にしても、閃光のような走りを見せるランナーはまるで怯む様子がない。
あらゆる攻撃を超スピードと技巧によって躱し、この試合の趨勢を決めるためにゴールへと向かう。
周囲の仲間達のブロックによる援護もあり、その走りは一度も止まることなく目的地へと。
「ゼ——ク——!! ゴ——! オレは——!!」
ランナーの耳に味方の指示が聞こえてくる。【彼】はそれを面倒くさがりながらも実行し、的確に敵チームの隙を突いて走り抜けていく。
敵の一人が、魔導と同じく超常の【スキル】を用いて閃光の如きランナーを止めようとするが、まるでその動きを止めることができない。
「くそ、なんて速力だ!!」
「これが……最強のランナー!!」
何者にも止めることが出来ない走り。
それこそが、この【異世界競技】において最強の証明となる。
フィールドで輝く閃光は、全てを置き去りにしてゴール地点へと到達した——―。
【その閃光の走り・彼こそが無職の勇士】
【平穏と安寧を欲する者なり】
「試合終了ゥウウッ!! 最後はやはり彼が決めたー!! この度も数多のブロックを突破し、すべての選手を置き去りにしましたー!!」
■試合終了と共に実況の絶叫が響き渡る■
「【魔導】と【肉体】が交差する、誇り高き伝統的な異世界競技!! 【儀攻戦】!! 果たして、その頂点に在る【銀】の栄光を手にするのは誰だーッ!!?」
■会場の熱狂は留まることなく■
■無職はただ静かに佇む――■
●■▲
■しかし、純粋に技と力を競い合う【異世界競技】に不穏な影が忍びよる■
■平穏を壊そうとする【乱れ】がこの世界に在り■
【汝、無職の果てを目指すのならば――】
【他の勇士を押し退け、迫りくる壁を乗り越え、儀式場に辿り着け】
「ああ――ッ。早く、やばいしないとやばいッ」
【さすれば「勇士」から「大勇士」へと進化し】
「どうしてだッ、どうしてこの【世界】は!」
【その力は――】
(マサル――)
「せっかく、美少女ハーレムっぽくなったのにっ」
(――好き)
「あ――あああああああアッッ」
【数多の悲鳴を飲み込む、力になるであろう】
「――働きたくない」
【そうでなければ・全てが――】
●■▲
疲れてしまった。色々なことに。
俺は何を求めて頑張って来たのだろうか。
「はぁ……」
溜め息を吐きながら、海の上を漂っている。此処はどこだろうか。俺はこのまま死ぬのだろうか。太陽ちょっと眩しいよ。海水は割と温かいような。
(それも良いかもな。俺の人生なんてどうせ)
俺は、もうすぐ三十代のしがないサラリーマン。趣味はゲーム・漫画・アニメ等など、インドア系ばかりだ。オタク系とも言う。唯一のアウトドアな趣味は、あれぐらいだな。
将来何になりたいとか、何をやり遂げたいとか、そんな情熱とは無縁の人生を送ってきた。
夢とか大したもんなんてない。目的なんて特にはない。
(そんな風に流されて生きてきた。――果ての社会デビュー)
まったくもって疲れるだけのもんだった。上司からのパワハラ、人間関係の拗れ、どろどろとした派閥争い。社会の歪みのオールスターの如し。
16連勤なんていうのも辛かったが、なにより会社の雰囲気があまりに悪く、みんなが他人の隙や粗を常に狙う肉食獣のようなムーヴを見せつけまくるもんだから、本当に正気を失いそうな気がした。そんなオールスターは誰も望んでいないんだよ、くそ。
お前等は良いかもしれないけど。
【あれが悪い。これが悪い】
【なにをミスった。ふざけるな】
(もう勝手にやっててくれよ)
思い出すだけで気力が削がれる。もうウンザリしてしまうんだ。神経張り過ぎだろ皆。
(それでも頑張って仕事を続けて来たけど)
とうとうストレスの限界に陥り、心が折れてしまった。あの職場には戻りたくない。
俺は鬱病寸前まで追い詰められた。
(それから放心状態で色々な所を彷徨い、気付いたら海に浮かんでいた!)
冗談みたいだが、冗談じゃないんだな。俺は広大な海に取り残された若人の如く。
(着ていた会社のスーツは、いつの間にか脱いでいた。俺は現在、海水パンツのみ!)
誰かに見られたらおしまいだ。
いや、海で海水パンツはおかしくないだろ。
おかしいのは、この状況に至るまでの過程だ。記憶になさすぎる!
(狂って海水浴に来るとは、俺は海が好きだったのか?)
そんなことはない。むしろ嫌いなんだな。航海するやつの気が知れんぜ!
なのに何故、海に。
(不思議だ)
でも、どうでも良いや。もうこのまま大きな海と一体になって、魚達の糧になるのもありだな。
(俺はただ――平穏なぐうたら暮らしが欲しかった。なのにな。酷い人生だった)
とか思っていたら、昔見たパニック映画を連想してしまい。
「――誰か!ヘルプ!」
思い切り叫んだ!やっぱり何だかんだ言って、死ぬのは怖いィ!!悟った風になってたけど、そんな簡単に覚悟完了できないぜ!人間だもの!
へたれっぽいが、許してくれ!(誰に謝罪してんだ?)
「このまま――うおっ!?」
なんとか泳いで浜まで戻ろうとした俺だったが、体が動かないっ。
なんだこの重圧と言うか脱力と言うか、とにかく動かないんですけどォッ!?やばいっ!やばいっ!ホントに死ぬっ!?
しかもっ。心なしか、眠くなってきた、ような。
(意識が、とおのいて――)
いや、だ、しにたくない。まだ、可愛い嫁さんも、もらってないのにっ。ちなみに好みのタイプはっ!あっ、やべっ、これまじでやば――。
――んっ?
(じゃりじゃりしたこれは)
右手で掴んでみる。子供の頃から慣れ親しんだ感覚。砂だ。
つまり砂浜だ、今の場所は。俺は砂浜に仰向けで寝ているのか。
流れ着いたのか、どっかの大陸とかに。そんな奇跡が?
「――君!大丈夫!?」
混乱気味の頭に声が入り込んだ。しかも、ただの声じゃない。
とても綺麗で優しい、聞く人の心を浄化するような響き。俺の疲れた心を溶かしてくれるような――女性の声。
(もしも運命があるのなら)
この瞬間がそうなのかもしれない。心臓がどきどきして止まらない。一体、この声の持ち主は。
俺は頭を少し上げ、足が向いている方向・声が聞こえてきた場所を見た。
「――なんてこったい。鮫じゃないか」
ギラリと光る歯が、とても恐ろしく。こちらを見る眼光が鋭く刺さる。大きな第一背ビレを持った二足歩行の……って、なんで鮫ェェェェェェェェェェェェッ――!??
「がくっ」
「おおう?気を失ったか?」
そこはこの世の何処かにあるという、不思議な島。
超常現象・奇怪生物・秘宝……それ等に事欠かない、びっくり箱。
「のんびりしてないでっ、早くこの人を助けなきゃ!ど、どうしたらっ!?人工呼吸しなきゃいけない!?」
「まてまて。とにかくこういう時はぁ、【N・E】を使ってみんなの意見を聞こうかぁ」
「前にそれで嘘情報つかまされてたよね!? 最新端末に惑わされないで!」
どこかおかしく、どこかのんびりした場所。
時間の流れが遅くなるほど、平穏(?)な地だ。
「……いんや大丈夫そうだぁ。まー、とりあえず。村まで運ぼうさ」
島には村があり、個性的な者達が住んでいるという。
優しい目を持つ鮫男と、もふもふ尻尾を生やした長髪女性に出会い、彼は村に導かれる。
「? なんだぁ? このスコップ」
鮫男は、漂着者が右手に握ったスコップに注目する。何の変哲もない、ちょっとボロいスコップだ。
気絶したらしき男は、それをしっかりと持っていた。
見ているのは男だけではない。
「――まさか、この人【無職の勇士】」
橙色の髪を震わせながら、尻尾を持った女が呟く。感嘆により目を輝かせて。慎重に近付いていく。
揺れる唇から出る言葉は、この世界の命運を左右する者。
「伝説の救世主――【悪辣王】を打倒する、違う世界から来た人っ!?」
【それは天下無敵の救世主。あらゆる救世主の頂点に存在する者】
いつの間にか救世主扱いされてしまった、スコップ系サラリーマン【マサル】の運命は如何に――。
「もふ」
「え?」
マサルの手が動き、尻尾を持った女性の方に伸び。
「ひゃあ!?」
がっしりと尻尾を掴んだ。
「もふもふもふッ!!」
気を失っている筈の少年は、彼女の尻尾を凄まじい勢いでモフモフする!
「ひゃあああああああ!?」
少女の声と・少年の手の動きが連鎖した。
●■▲
「と、とにかく診療所にっ」
「そうだべなー」
気を失ったマサルを見て、慌てふためく少女・サーシャ。
その隣、恐ろしき牙を持つ凄まじく強そうなサメのような人物、サメ男は非常にゆったりとした様子だ。
「おお?アレは……」
「え?」
その時、サーシャたちの視界に映ったもの。
少し離れた場所にある大きな岩礁から、現れる影。
海から接近してくる、ずんぐりとした中型の帆船。五枚の帆を広げたそれは、髑髏のマークを掲げながら、砂浜へと到着した。
そして、船上から降ろされた繩はしごを用いて次々に上陸してくる者達。
「くくく……」
「へっへへ……」
■不穏な者達の気配に■
■MASARUは覚醒する■
(なにが)
薄目を開け、状況確認を行うマサル。
ぼんやりとした視界の中で見えたものは。
■サーベルなどの武器を構えた■
■サメ×10■
(増えとる――)
■マサルは任意で意識を空想に飛ばした■
「へへへ、久しぶりだな!! サメ男!!」
「元気してたかよ!?」
どうやらサメの海賊団と知り合いらしいサメ男。
少し困った風に頭を掻いて、彼は返答を行った。
「もう、足を洗ったんだがなー。しつこいぞ?」
「つれないこと言うじゃねぇか! ああ!?」
「まあ、俺らも別に、いまさらお前を引き戻しに来たわけじゃないんだが……」
海賊たちの視線が、サメ男の後ろに隠れたサーシャに集まる。
サーシャはびくりと震え、完全に姿を隠す。
「くそが!!」
「彼女連れとはなめやがってっ!!」
「は? いや違」
「うるせぇ!! 言い訳は結構!! いまのでかなりメンタルにダメージ負ったぜ……!!」
武器を構える海賊たち。
その目には確かな敵意が込められていて(どう見てもアベックに対する嫉妬)、今にも襲い掛からんばかりである。
■一方、マサルは■
(廃部危機の部活に所属する俺、美少女部員たちからモテモテ)
頭の中で妄想を繰り広げ、現実の出来事をシャットダウンしていた。
妄想内容は、彼が読みかけのラノベに影響を受けまくった(というか主人公の部分を自身に変換した)、王道ラブコメ青春日常ストーリーで、とても甘い甘美な夢に嵌まって抜け出せなくなっていた。
(やっぱ日常モノだよなぁ、ヒロインたちの性格を少し俺好みに修正)
■もう彼は戻ってこれない■
「きゃああああっ」
■筈だった■
(――乱れが)
マサルの世界に罅が入り、急速に形が崩れ、崩壊していく。
その片隅でマサルは、膝を抱えて、ただ恨めしそうに壊れる世界を眺めていた。
(ちくしょう)
彼の心に広がっていくドス黒い感情が、内に確かな原動力をもたらしていく。
そうして、妄想の世界から帰還したマサルは立ち上がった。
「なっに!?」
「なんだぁ!?てめぇは!!」
マサルはそのまま動き出し、サーシャたちと海賊団の間に割って入る。
その行動に不気味さを感じた海賊の一人が、右掌をマサルに向け、言葉を発した。
「水流◆射出ッ!!」
起こる不思議な現象。
海賊の後方にある海からコップ一杯分ほどの水が浮き上がり、剣のような形になって、ものすごい勢いでマサルに向かっていく。
「あぶなッ」
サーシャたちが助けに入る暇もなく、それはマサルに直撃した。
「あ?」
しかし驚愕する、攻撃を行った張本人。
それもそのはず、己が放った水の剣はなんの結果も残さないで砕け散った。
「なんだ!?こいつ!?」
「防御系の【魔導】でも使ったのか!?」
■驚きながらも、隙なく斬りかかる海賊二人■
「アイテムスキル!!【重なる斬撃】発動!!」
「アイテムスキル!!【初手の斬撃】!!」
■とても素早い動きで、マサルを切り裂かんと振るわれる異質な武器■
「は?」
「ほ?」
■しかしマサルはそれを■
「ゆ、指一本で止めただとおおおおおお!?」
■左右の人差し指で難なく防いだ■
(――俺は日常を)
さらにマサルは、左右の腕をすさまじい速さで動かし、サーベルをへし折った。
あまりの事態に混乱する海賊二人は、マサルの次の動きに対応できず、顔面に謎の衝撃を受けて吹き飛ばされる。
「な、なんだこいつ!?」
「しかもッ」
(イチャイチャ、ぐうたら、何の苦労もせず、ただのほほんと、静かに、平穏に過ごしたいんだよ)
■マサルは意識がない■
■なのに■
「ぐー、ぐー」
「ね、寝てやがるのかッ!?」
■寝ながらマサルは戦っていた■
(――スキル、【スリープモード・戦闘式】)
「くそ!! 全員でかかれ!!」
「おうよ!!」
「やっちまえー!!」
一斉に突進してくる海賊たち。
それに対してマサルは、右腕を思い切り後ろに引き。
(スキル、【■■■■■■■■】)
■怠惰の奥義を発動した■
(俺の平穏を乱すモノは)
「うおおおおお!!」
「くたばりやがれぇえええ!!」
(――消え失せろ)
■マサルはただ、目前のゴールへと走り出す■
「なああああ!?」
「なんだこれえええッ!?」
「うぎゃああああ!?」
海賊たちを襲う嵐の弾丸。
先程、海賊が使用した水の剣など子供遊びに感じてしまうほどの規格外・超常の威力。
それは海賊団を飲み込み、砂浜を抉り、空間を歪ませ。
「ばかなッ!? これは【虹】の魔導――ッ!?」
後方の中型船ごと、海賊たちを完膚なきまでに圧倒的に打ち砕いた——―。
■しかしこれは■
■ただの人間砲弾・突進攻撃である■
■すさまじいスピードが、ただの殴る・蹴る・走るを嵐へと変貌させる■
「ぐこー」
衝撃波によって吹き飛ばされた海賊たち。
それらに向けて、マサルは勢いよく走りだした。
超速で敵に迫る弾丸となった彼は、体勢を崩した海賊たちを各個撃破していく。
「うぎゃあ!?」
「ごふぅ!?」
よどみのない動きで砂浜を縦横無尽に走る。それは明らかに洗練されたもので、【競技者】の如き無駄のないランナースタイル。
敵を倒すというより、相手選手を制圧するという感じの動きで、数秒かけてフィールド上の海賊たちを殲滅した。
「……ぐ、ぐぐぐ。なんというスピード……!!」
「しゃ、シャレにならん……!」
■恐るべき災害をサーシャたちに見せつけたマサルは■
■再び、砂浜に寝転がった■
(やっぱハーレムだよなー。ラノベの世界は……)
×××
■某日、薄暗く血生臭い室内にて■
「は……は……」
渇いた笑い声が、静かな部屋の中で反響した。
その声に反応する者は誰もおらず、ただただ悲嘆に沈んだ声は、闇に溶け・沈んでいく。
いや、正確には一人だけ存在するのだが。
部屋のテーブル上に腰かける異物が、【一】。
「――」
その人物はひたすら無言で、何かを思案しているようにも見えるし。
何も考えていないようにも見える。
その両腕には、包帯と鎖が対照的に巻き付けられていた。
「ふ……が……ッ」
黒いフードで隠された視線の先は、声を発するモノへと。
そのモノは、おどろおどろしい何かを纏っている。
否、その何かが支えているという方が正しいか。
「あ……ア……ッ」
モノからは苦痛の呻きが漏れ出て、その場の雰囲気を暗く染めていく。
黒く、重く、沈んで、壊れて、もう元には戻らないモノ。それを眺める人物は、ただ口が裂けたような笑みを見せるのみ。
「ころ……シテ……グレッ」
「――」
そんな言葉が聞こえ、フードの男は顎に手を遣り、思考を始める。
救いを与えるか否か、じっくりと考えて、吟味して。
■一週間経過■
■一か月経過■
■一年経過■
「――」
■フードの男【?】は頷きを返し■
■とうに壊れたそれは、飲み込まれ・消滅した■
「いらっしゃいますか?」
コンコンコンと小気味良いリズムで、部屋のドアをたたく音。
もう彼しかいないその場に、来訪者が来たようだ。
「【悪辣王】様。いらっしゃいますか?」
■その呼びかけに立ち上がり■
■包帯を纏った腕が、外へと伸びた——■
■これは、ある海賊団の最後の記録■