6年生のとき
***
遅れて来るという広樹を待たずにハンバーガーもポテトもナゲットも食べ終え、なんなのかよくわからない遊具の中を這い回った後、いつものように梨々香が「ゲームしよ!」と宣言した。
この頃には、2年前のマック会での経験に触発され、私も紗菜もDSを買ってもらっていた。ただしそれはDS Liteで、当時の最新機はDSiだった。
梨々香が持ってきたのはその最新機で、それを見た紗菜は羨ましがり、
「いいな、それ。なんかメモ帳が動くやつあるんでしょ。私それ見たい」
と梨々香にねだった。
「オッケー、どれがいい?」
梨々香は「うごメモ」を起動させ、リストを私たちに見せる。どうやら、絵や文字を書いた何枚ものメモ帳のような画面を、パラパラ漫画の要領でちょっとした動画のようにして楽しむ……というのが、「うごメモ」の主な機能らしい。これはDSiで初めて搭載されたものだ。
「えーと……じゃあ、これ」
紗菜が美男美女(多分これを描いたのも小学生くらいだと思うけれど、やたらと上手い)の並んだ画像をタッチすると、「うごメモ」が動き出した。因みにこれは梨々香の自作ではなく、誰か知らない人が作ったものをダウンロードか何かしたものらしい。
それは小学生の男女の恋愛を描いた話で、主人公の女の子が男の子に告白して、付き合うことになった、というところから始まった。
その時点でちょっと小学生っぽくないと今の私は思ってしまうけれど、当時の私たちは誰もそんなことを思わなかった。小6にもなれば、女の子はだいたい皆恋バナが大好きなのだ。
恋人同士となった二人は、穏やかな交際の日々を過ごし……ある日、女の子が相手の男の子の家に遊びに行くことになる。
このシーンに至ると、梨々香は何故かニヤニヤしていた──その理由はすぐにわかった。
男の子が女の子を、ベッドに連れていったのだ。そこからは終わりまで、ずっと濡れ場だった。
「あ……」
紗菜が小さく呟いた。彼女は顔を真っ赤にさせつつも、しっかり画面を見つめている。私も似たようなものだった。
その後も、同じような内容の「うごメモ」をいくつか見せてもらった。紗菜も梨々香も私も12歳になったばかりだったが、異性とのエッチなことへの興味は既に持っていた。
そうはいっても、所詮は小中学生の作った「うごメモ」なので、そこまで強烈なものはなかったけれど……耐性の少ない紗菜と私は、始終赤面していた。
一通り見終えると、梨々香が何故か少し誇らしげな顔で言った。
「どう? 面白いでしょ」
「……うん」
紗菜は照れながら頷いたが、私は恥ずかしくて沈黙する他なかった。
「それでさ、これを──」
と、梨々香が何かを言いかけたところで、
「悪い、遅れたー」
ファストフードを載せたトレイを持って、広樹がプレイランドに入ってきた。その声は、2年前とは違っていた。
「来た! ねぇ広樹、ちょっとこれ見て!」
梨々香はDSiを持って広樹に駆け寄ると、まだ何も食べていない広樹を無理矢理座らせた。
「何、なんか面白いのあんの?」
「そうそう、さっき紗菜と日和には見せたんだけど──」
そして梨々香は、あろうことか先程の「うごメモ」を再生してみせた。
紗菜も驚いたようだけど、あれをもう一度見たかったらしく、二人の傍に座った。でも、私はどうするか迷った。
それもそのはずで、そこにいるのは男子──というより、広樹なのだ。彼とあんなセクシャルなものを見るなんて、恥ずかし過ぎる。
とはいえ、よく考えると私だけその場に突っ立っているのもおかしい。仕方なく私は、紗菜の隣に腰を下ろした。
「何だこれ、動画か……?」
「まあそんな感じ。いいから見てて」
広樹は大人しく画面を見ている。女の子視点の恋愛モノなのに、彼は退屈そうな素振りも見せずにいた。
そして例のシーンになると……私と紗菜が、頬を赤らめた。梨々香も男子と一緒だからか、少しそわそわしている。
しかし……広樹は、眉ひとつ動かさなかった。紗菜と梨々香は、それに気付いていないようだけれど。
ゲーム機を閉じた梨々香は、嬉々として広樹に問うた。
「ねね、どうだった?」
それに対し、広樹は首を傾げる。
「なんか……よく、わかんなかった、な」
「ええ~!?」
梨々香は大袈裟に驚く。
紗菜もノリ始めたようで、
「照れてないで、ねぇ、どう思った?」
などと訊いている。
しかし、やはり広樹の反応は鈍かった。
「うーん……まあ、良かったんじゃない?」
広樹の返答に興を削がれたのか、梨々香はそれ以上「うごメモ」を見せることなく、今度は普通にお喋りを始めた。話題は専ら、先月の修学旅行についてだ。広樹は相槌を打ちながら、トレイの上のものをどんどん吸収していく。
「え、じゃあ明子と小澤、両想いなの!?」
「そうみたいなんだよね~」
……修学旅行について、というよりその夜の恋バナについてだった。私たちは違う部屋に割り振られたので、情報共有ができていない。そのため、ここで仕入れたデータを披露するのだ。
何だかんだと女3人で盛り上がってしまい、そろそろ広樹が手持ち無沙汰かもしれない、と思い始めた時──
「ね、そういえば皆の好きな人、訊いてないよね」
と、興奮した様子の紗菜が言った。
「あ~~~、そうだね」
梨々香もその話題を嫌がってはいない。
「ここで暴露してよ!」
……これは、ちょっとまずいことになった。何しろ、私の好きな人は……。
いや、むしろチャンスかもしれない。ここで……。
でもやっぱり、本人に言うならちゃんとした場で……。
私がそんなことをぐるぐる考えている間に、話は進む。
「私、卒業式の日に森山にコクるから」
「あー、梨々香も森山かぁ。人気あるよね」
「紗菜は? どうなの?」
「えー、私は……」
「自分から言っといて教えないってのはないよね~?」
「……伊吹」
キャー! と、梨々香が黄色い声をあげた。
そして紗菜と梨々香は、揃って私に目を向ける。
「ねえねえ日和は?」
「教えて!」
「あ、えっと」
言ってしまおうか、とりあえず隠すか。考えがまとまらずに、気付けば私は誤魔化していた。
「ひ、広樹は!? 広樹が言ったら言う!」
「えー、ずるーい」
梨々香はそう言ってブーイングを始めたが、紗菜は乗ってくれた。
「いいじゃん、広樹が言ったら言うんでしょ? じゃあ広樹さん、どうぞ~!」
「どうぞ~!」
梨々香も紗菜に便乗して、マイクのように軽く握った手を広樹の口元に差し出している。
「あー、俺は……」
声変わりを経た、低い音でそう言った広樹を見て、私は初めて彼の異変に気が付いた。
そういえば彼は恋バナが始まってから、殆ど喋っていない。それに、今も額とこめかみの辺りに汗をかいている。
……どうしたのだろうか。
やっぱり私が先に言うべきだったか……と考えていると、広樹は口を開いた。
「……誰にも、言うなよ?」
やけに真剣な表情で広樹が言うので、私たち3人は頷いた。
そして、広樹はこう言った。
「俺が好きなのは……雨野理玖」
空気が固まった。
……雨野理玖?
同じ学校に通っているから、もちろん知っている。私も何度か同じクラスになったことがある、明るくて少し背の低い……男の子だ。
男の子。
初めは冗談だと思った。でも、広樹の真剣な表情は崩れない。ということは──
「は? もしかして、広樹って……」
混乱から立ち直った梨々香が、手をマイクにしたまま口火を切る。
「広樹って、ホモなの?」
広樹はゆっくりと、頷いた。
「え、ホモってなに?」
紗菜はよく分かっていない様子で、梨々香に訊く。
「……男なのに男が好きな人のこと」
この時の、梨々香の声は……鋭かった。
「なにそれ……」
紗菜も、引いたように……そして実際に、膝で後ずさった。
私も、言葉が出ない。
私たちの反応に不安になったのか、広樹は慌てたように喋り始めた。
「いや、あの、男が好きって言っても、お前らに──」
「キモい」
ピシャリと、梨々香が言い放った。
広樹は一瞬それに怯んだが、それでも何か言おうとする。
「待って、聞いてくれ、」
「行こ、紗菜、日和」
しかし全く聞く耳を持たずに、私と紗菜に声をかけてプレイランドを出て行こうとする梨々香。
「ちょっと待ってくれよ梨々香──」
広樹は梨々香を引き留めるために、その手に触れようとして──
「触んないでよ!」
ぱちん、と、大きな音が響いた。
広樹は弾かれた手を見つめ……俯いた。
「紗菜も日和も、行こうよ」
「……うん」
「……あっ」
梨々香は、紗菜と私の手を引いて、その場を後にした。
梨々香に引かれるまま、私たちは談笑中の母親組のところへ来た。
不思議そうに、梨々香の母親が私たちに訊く。
「あら、どうしたの3人で」
梨々香は未だに機嫌の悪そうな声で、
「……広樹がホモだった。キモいから、帰りたい」
と訴えた。
これには──広樹の母親も含めて──驚いたようで、プレイランドの方を気にしながら、「本当なの?」と尋ねてくる。
「本当。キモい。帰りたい、帰ろ!」
そして梨々香は数々の文句を繰り出し始めた。
最初は戸惑っていた母親組も、そのまま騒がせていては店の迷惑になると考えてか、「自分たちは差別なんてしないけど、子供がこう言っているから仕方なく帰ります」といったようなことを広樹の母親に言い残して、去って行く。私も、急かすように背中を押されて店を出た。
最後にチラッと向こうを見ると、広樹は俯いたまま、動かずにいた。
それ以来、私たちが4人で集まったことは、一度もない。
***
日曜日を挟んで、あのマック会から最初に学校に行く日。私は、広樹にあの時のことを詫び、そして気持ち悪いだなんて思っていないと伝えようと決心していた。
梨々香は「キモい」と連呼していたし、あの様子だと紗菜も同じように思ったようだけれど、私は「キモい」とは少しも思わなかった。あの時 私が絶句してしまったのは……自分に、チャンスがないと判明してしまったからだ。既に好きな人がいるというだけでハードルは高いのに、彼がゲイなんだとしたら、もう殆ど私に可能性はない。そのことに、落ち込んでしまったのだ。そして、梨々香や母親に導かれるまま、流されてしまった。
しかし、いくら私が彼と一緒になれないとしても、広樹が私たちの反応に傷付いたのだとしたら、それは望むところではない。時間が経ってしまっているから気まずいけれど、勇気を出して謝ろうと、私は決めたのだった。
***
放課後。
私たちの通う学校には「体力づくり」という時間があり、5,6年生は放課後の1時間ほどを使って、毎日何かしらの運動を行う。
その日は六年生の全3クラス対抗でリレーをすることになっていた。これが終われば正真正銘放課となるので、その時に広樹に話をしようと思っていた。
「広樹ー! 頑張れー!」
「2組と差ァつけろよ金崎ー!」
広樹は人気者だ。明るくて素直だから自然と人が寄ってくるし、足も速い。ラインに並んだ広樹は、バトンが回ってくるのを待っていて、それにクラスメイトたちが声援を送っている。
彼らに手を振って答えた広樹は、後ろを振り返り……顔をしかめた。
気になって私も広樹の前の走者を見ると、なんのことはない、広樹と同じクラスの女子、関根さんだった。
彼女が迫ってくると、広樹はテークオーバーゾーンに踏み出して、助走をつける。
「はい!」
関根さんが広樹にバトンを渡す。
広樹は手を出してそれを受け取り──
カラン、と音がした。
広樹が、バトンを思い切り投げ飛ばしたのだ。
「何やってんだ早く拾って走れー!」
クラスから野次が飛ぶ。
顔を青ざめさせていた広樹はその声で我に帰り、バトンを拾ってリレーに戻った。
そのタイムロスにより、トップだった広樹のクラスは最下位に転落した。
***
「広樹」
もう薄暗くなってきた頃、体操着の上に私服を着て下校の準備を済ませた私は、同じように帰ろうとしていた広樹に声をかけた。
「……」
広樹は足を止めたけれど、私の方を向いてくれない。
──まず、私から話さないと。
「あのね、広樹──」
「あの後、母さんに『お前は病気だから病院に行け』って言われた」
広樹は私の言葉を遮って語り出した。
「『頭がおかしい』とか『異常だ』とか、散々……言われた」
私と目を合わせないまま、広樹は続ける。
「俺のこと、全部否定されたみたいで……苦しかった」
そこで彼は、やっとこちらを振り返った。
憎悪と……恐怖を湛えた目だった。
「父さんと兄ちゃんだけ、受け入れてくれた。でも、母さんとお前らは……」
広樹の表情が、一層歪んだ。私はもう見ていられず、彼の涙をハンカチで拭おうとした。
しかし、
「触んな!」
広樹はそれを振り払い、
「もう、近付かないでくれ……」
そう言って、走って帰って行ってしまった。
その場に残された私は、取り出したハンカチで自分の涙を拭いた。
もう広樹と……あんなに楽しかった広樹との会話を、できないのかもしれない。




