ラッキースケベにおはよう
「う、うーん……」
目を固く閉じたままむくりと上体を起こす。体をぐっと伸ばすと声が漏れた。
……眠い。
目をこすってから閉じたがるまぶたをなんとか開ける。視界がぼやけてよく見えないけど、見覚えのある場所だとわかった。レンガのような壁に白いベッド。クライブ王子の部屋だ。
……まだ王子様なのか。
空を飛んで季節を進めて。そんなあり得ない演奏をやりきったから、そろそろ夢から覚めるかなって思ったんだけど。
大あくびをすると目が潤った。ごしごしこする。
部屋を見渡そうとして左手をベッドについて、まだ半分寝ている頭を重みを感じながら動かす。一つ扉が開いていた。
……だれかいるのか?
たしかあの扉はキリーヌがリーテンライアーを取ってきた部屋のものだ。おれも魔力を使えば開けれるらしい。
部屋の主が寝ているときに部屋のなかに入れるのは、普通に考えて近しい人物しかあり得ない。家族か側近のはず。キリーヌの反応から察するに家族とは仲が悪いみたいだから、隠し部屋――物置なのかもしれない――にいるのはキリーヌかホワイトレースだろう。
ベッドから体を離そうとするも、それを拒否するかのように体が重い。息をゆっくり吸って、一気に出しながら立ち上がる。前髪をかき上げて目をしょぼしょぼさせながら扉の前まで来た。
「おはよ……、う?」
異様な光景だった。キリーヌがここにいることは別に問題ないと思う。だけれども、宙に浮いているのはどうしてなんでしょう?
「あ、あ、ああ……」
キリーヌが耳まで真っ赤に染め上げていく。無理もない。床に描かれた謎の模様から上に向かって音もなく強風が吹いていて、その風に乗ってキリーヌは宙に浮いている。キリーヌがはいてるのはスカートだ。はしたなくめくれ上がって、白い下着が丸見えになっている。
「ごめん」
おれはすぐさま後ろを向いた。あれほど閉じたがっていたまぶたが抵抗もしない。
「……王子」
少しして、キリーヌがおれの背中に呼びかけた。
そーっとふり返る。キリーヌがまだ顔を赤くしたまま見上げるような体制を取り、体をぷるぷるさせながら濡れた瞳で視線を送っていた。
思わず後ずさりしてしまう。「うっ……、その、わざとじゃないんだ」
キリーヌは小さく唸ってから、「わ、わかってます。悪いのはわたしですから……」と顔をぷいっとそらした。
どうすればいいのかわからないけど、もう一度謝った方がいい気がして「えっと……」と切り出したが、「待ってください!」と背中を向けられた。
「あの……、少しだけ、少しだけ一人にしてください。すぐ戻りますから」
キリーヌがタタタと走ってきて扉を閉めた。
……おれは悪くないよなあ……。
だけどパンツを見られたキリーヌの行動もわかる。もっとこう、口が達者ならうまくフォローできたかもしれないけど、こうなってしまった以上は仕方ない、キリーヌが落ち着くまで待とう。
カーテンを開けると、空には灰色の薄い雲が広がっていた。
「……あの」
なにもすることがないので、なんとなく柔軟体操をしているとキリーヌがおずおずと隠し部屋から出てきた。
おれが「ん?」と見ると、キリーヌは後ろめたそうにそっと視線をそらした。
それでもキリーヌは黙ってしまうことなく指をこすりながら、「お、おはようございます……。その、挨拶、してなかったと思いまして……」
ちょっと無理をしているような、それでいていじらしい態度に微笑みが漏れた。「ああ、おはよう」
「それで、その、さきほどのことは忘れていただけないかと……」
おれは背中を丸めるキリーヌにニッと笑った。「もう忘れたよ。女の子にしてはちょっとはしたなかったあれは」
「全然忘れてないじゃないですか!」
「ははは」キッと睨んでくるキリーヌに肩を竦める。「さすがにあれを忘れるのは無理があるよ。だってすごかったもの」
下から強風を受けると、スカートの裾は胸に張り付く。シルエットが一直線になる。役に立たない知識が増えてしまった。
「意地悪なところは記憶を失くされても変わりませんね!」キリーヌは怒って、それからなにかに気がついたように息を飲み、唇を噛んだ。「……申し訳ありません。記憶を失くされたことで一番苦しんでいるのは王子なのに……」
おれは首をふった。「気にするな。からかわれたところに勢いでいっちゃっただけだろ?」
「ですが……」
「なんかいろいろ考えすぎだって。おれ、そんなことじゃ怒らないから」
……本物のクライブ王子は怒ったんだろうけどね。
そうじゃなかったら上下関係にあるとはいえ、もう少し気さくに接してくれるだろうから。
「そう、ですか」
「そうなんだよ」おれはアピールするように腹をさすった。「それより腹が減ったんだけど、なにか食べれるものはないか?」
キリーヌが穏やかに笑った。「はい。では料理人に用意させましょう」
キリーヌが部屋を出ていく。おれは隠し部屋に入ろうと壁に手をついて魔力を流してみた。魔力を流すことをマスターしたのか、簡単に扉が出現した。
なかは少しものが多いけど整頓されていた。よくわからない物置のような道具のようなものがあったり、絵のついた本についてない分厚い本。魔石であろう石。そしてリーテンライアー。
……目当てのものはっけーん!
手に取って弦を弾く。耳に届く音がおれの心を癒してくれる。ほっと息を出して、本棚を見上げた。
文字は読めない。落書きにしか見えない。でも絵なら理解できるはず。頼むからここに『リーテンライアーの弾き方』みたいな教習本があってくれ!
ぱらぱらと本をめくっていく。一番下の棚に入っている本は、絵がついてるけどリーテンライアーは載ってないから違う。二段目は文字ばっかりだった。三段目に差し掛かろうとしたとき、キリーヌの声が聞こえてきた。
「王子、なにをしているんですか?」
「リーテンライアーのことが書いてある本を探してるんだけど……」
「それでしたら一番上の棚ですよ」
キリーヌを見やると上を指差していた。上の棚を見る。どう考えても手の届かない高さだ。
「なんでそんなところに……」
顔をしかめると、キリーヌが説明してくれた。「記憶がなくなる前の王子は、リーテンライアーに見向きもしませんでしたから……」
……なんてもったいない! 音は心を豊かにしてくれるというのに!
「どうやって取ればいいんだ?」
おれはキリーヌみたいに宙に浮けない、とは口にしないでおく。
キリーヌが魔石であろう石を一つ取ってきた。たちまちそれは脚立に変化した。「これを使えば取れますよ」
「よし、じゃあ早速」
唇を舐めて脚立に足を掛ける。キリーヌに止められた。「お待ちください。わたしが取りますから」
「……なんで? 自分で取るよ」
キリーヌがかぶりをふる。「物置からものをとってくるのは下の者の役目です。王子はただ命じるだけでいいのですよ」
「え、ええぇ……。別に命じる必要なんかなくない? 自分が欲しくて、しかも簡単に取れるんだし」
キリーヌは口元に手を当てて少し考えたあと、そのままの体制でいった。「本来は『いけません』というべきでしょうけど、王子はそれを望んではいないのですよね?」
「ああ」うなずいた。「いちいちだれかに頼まなきゃいけないなんて面倒すぎるし、頼まれる方も嫌だろ?」
キリーヌは「仕事なのでそうは思いませんけど……」とわずかに否定して、「王子が望むのでしたら公の場でなければよしとしましょう」と意を汲み取ってくれた。
でも疑問が残る。「……ホワイトレースはそれで納得してくれるのか?」
キリーヌのいい方からして、王子というのは些細なことでも従者に頼むのが普通なんだろう。主従関係に重きを置いてるホワイトレースが「わかりました」といってくれるとは思えない。
キリーヌがはあっとため息をついた。「……してくれないでしょうね」
「だよなあ」
「ですが」キリーヌが少し声を張った。「ホワイトレースがいないときならいいでしょう」
「……そうだよな。ばれなきゃいいよな」
「その通りです」
おれは脚立を駆け上がり、一番上の棚の右端の本に手を伸ばす。
「王子、それではなくて一番左端の本です」
教えてもらった通りに左端の本を取る。表紙にリーテンライアーが描かれていた。自然と笑みがこぼれる。
「おお……、あった」
「では朝食ができるまで練習しましょうか」
「そうしよう」
…………遅くなってしまいました。ごめんなさい。筆が遅いというのは嫌なものですね……。
次の話は今日の日付が変わったぐらいです。