セクトリット
……いきなり睨みつけられて、どうしたらいいんだろう。
曖昧な笑みを浮かべていると、さほど年が変わらないように見えるローリッシュがやれやれと首をふった。「ホント、勘弁してよね」おれを見てあごを上げた。「一族の恥晒しに」キリーヌに目を向け、「落ちこぼれ」ホワイトレースを鼻で笑って「反逆者の一族。……わたしの美しい瞳にふさわしくないわ」
……なんだこいつ。
ローリッシュの側近は暴言を吐く主を止めるどころか、くすくすと笑っている。
眉がピクッとした。こいつとは仲良くならなくていい。「素晴らしい挨拶をありがとうございます、姉上。美しい瞳に見合う淑女らしい言葉遣いは、国王の一族としてよりよい自分でいるために、ぜひとも参考にさせていただきます」
愛想のいい笑顔でいい終わるや否や、ローリッシュが嫌な顔を隠す気もなくさらけ出し、その側近たちが敵対心バリバリの視線を向けてきた。
ピンと張り詰めた空気に思わず「うっ……」と小さく漏らしてしまうが、その声はあごを手のひらに乗せたキリーヌの声によってかき消された。
「なんのマネですか? ローリッシュ様。まさかとは思いますが、神聖なる神々の御前で事を荒立てるおつもりですか?」
「荒立てるつもりなのはクライブでしょう? 処分が間近な自らの分をわきまえず、年長者に対する態度を取らず、あなたのような親に見捨てられた子供の無礼を詫びようともしないのだから」
……やばい、話についていけない。
新情報が多すぎる。恥さらしに落ちこぼれに反逆者? それにおれの処分が近い? キリーヌのようなしっかりした子が親に見捨てられた?
とりあえず自分に関することを聞いてみよう。「姉上、処分が近いというのはどういうことでしょう」
ローリッシュがクッと笑った。「あらまあかわいそうに。そんな重要なことを教えられていないなんて、側近の質が悪いのではなくて?」
ローリッシュの側近の一人が「お忘れですか? 彼女たちは粗悪品ですよ」と肩を竦めると、「そうでしたわ、おほほほほ」とローリッシュがバカにするように笑った。周囲の側近たちも侮蔑の意をはっきりと示すように顔を歪ませる。
おれの背後からホワイトレースのため息が聞こえた。「ローリッシュ様、どうして王子が処分されてしまうのでしょう? わたくしにはわかりませんけれど……」
「……はあッ!?」嫌な女が声のトーンを上げた。「そんなの決まってるじゃない! クライブがなあんにもできない不良品だからよ。なんでも、記憶を失くしたせいで文字すら読めなくなったんですって?」
「はあ。さようでございますか」ホワイトレースが相手をバカにし返すようにいった。
キリーヌが腕を組んだ。「たしかに王子は記憶を失ってしまい、いまは文字を読めません。ですが、どうしてそのことが処分に繋がるのでしょう?」
キリーヌが嘲笑を顔に刻んだのかもしれない。向こう側の全員が目を吊り上げた。
「舐めてんの? あんたら」
ローリッシュの言葉を口火にして、彼女の側近たちが好き放題喋り出した。
「この程度も理解できないほど無能共だったとは」
「まさに恥さらし」
「全員の処分を進言いたしましょう」
「それはいい! 牢に入れてしまえ」
やいのやいの出てくるわ出てくるわ。大量発生したバッタかよ。
口を横一本にして息を吐いた後、小声で二人に声をかける。「おいキリーヌ、ホワイトレース、よくわからんけど、大丈夫なのか?」
ホワイトレースが即答する。「大丈夫ですよ。王子は神託を授かっているのですから」
キリーヌがニッと笑った。思っていたより表情が豊かな子だ。「それをいまから証明してあげましょう。そうすれば、ローリッシュ様は王子にあのような態度を取ることはできなくなります」
それは助かるけど、神託ってそんなに効果があるものなんだろうか? 理解が追い付かないけど二人に従っておこう。「……どうすればいいんだ?」
「簡単です」キリーヌが銅像を手で示す。「お祈りをすればいいのです。そうすれば神託を授かっている者の証である『セクトリット』が銅像から現れます。そうしたら降りてきますから、両手でしっかり受け止めてください」
ホワイトレースがまだ口々うるさい向こう側を見た。「やはりローリッシュ様はセクトリットを持ってないみたいですね」
「当然でしょう。性格に難があり、勉学に勤しむわけでもなく、やっていることといえば他人をバカにすることぐらいです。なんの益にもならない人間に、神託が下ってたまるものですか」
……君、本当に幼女?
この世界の幼女はこれが普通なんだろうか。いや、さすがにないだろう。そう思いたい。
「そろそろ退いてもらいましょうか」ホワイトレースが特大のため息をついた。「ローリッシュ様、そろそろわたしたちにもお祈りをさせていただきたいのですが」
ローリッシュが鋭く声を上げた。「嫌よ」
「……姉上、嫌、とは?」
「ああ、いい方を間違えたわ」ローリッシュが肩を竦める。「あんたたちには祈りを捧げさせるわけにはいかない、といいたかったのよ」
「バカなんですか姉上」
口が滑った、と脳が信号を送ったときにはもう遅かった。神殿内に音がない。
ローリッシュの側近が全員おれを射抜くように目を向けていて、わずかな間ぽかんとしていたローリッシュはだんだん顔を赤くしていく。
一方おれの側近はというと、隣にいるホワイトレースは口を半開きにしていて、キリーヌは「そのままいってやってください」というように、肩越しに微笑んでいた。
このままいうしかない。覚悟を決めて息を吸ったところで、ローリッシュがわなわなと身を震わせながら、割れるような音量を口から出した。「このわたしに向かってバカですって!? あまりにも勉強ができなくて一生を魔力を捧げるだけに終始する処罰を受ける寸前のくせに!!」
……マジで。クライブ王子ってそんな状況だったの?
まあ、あれが嘘をついていたり勘違いをしている可能性はあるだろうけど、真実として話をつづけようか。その方が都合いいし。
「……私の置かれた状況を教えてくださり、ありがとうございます。しかしそのような状況であるからこそ神々に祈りを捧げたいのであり、神々は私のような罪深き者の声を聞き、救いの手を差し伸べるものではありませんか。神々の務めを妨げるような真似はしない方がよろしいかと思います」
神々の邪魔をするな、といったからだろう。ローリッシュたちはしばらくおれたちを睨んでいたが、渋々と移動し始めた。ゆっくりと優雅な足取りで近づいてくる。
すれ違いざま、強い感情を肌で感じた。ぞくっとして体が震えた刹那、キインッ! となにか音がして、周りの様子を理解したときには、たくさんの剣がキリーヌとホワイトレースに向けられていて、二人も剣をローリッシュに向けていた。
「な……、な……、な……」
その場にへたり込みそうになるのをなんとか堪える。筋肉がこわばっているはずなのに足ががくがくする。呼吸が浅くて心臓の鼓動音が耳の奥で鳴っているみたいだ。
いったいなにがあったんだ!? いつの間にかホワイトレースとキリーヌがおれを守るような位置取りをしていて、刺されそうになってるなんて!
無数の剣先が向けられているのに、ホワイトレースが落ち着いた声でいう。「ローリッシュ様、王子に殺気を放つとは、どういうことでしょうか?」
……そうか、あれは殺気だったのか。
「……なにをいってるの? あんたたちの勘違いでしょ?」
「側仕えのわたしですらはっきり読み取れるほどの強い殺気でしたが」
「気のせいよ。わたしはなにもしていないもの」
そんなはずはない。たしかに感じるものがあった。「お、おれもたしかに感じたぞ」
ローリッシュが冷ややかに笑った。「なぜ声が震えてるのかしら? ありもしない殺気におびえてしまうなんて、臆病にもほどがあるわね」
雰囲気にそぐわない愉快な、それでいて静かな笑い声をローリッシュが漏らす。
示し合わせていたかのように、ローリッシュの側近たちが剣を鞘に納めた。キリーヌとホワイトレースもほっと息を吐いて鞘に納める。
「ではごきげんよう」
ローリッシュたちが扉に向けて歩き出した。
このまま帰していいのかな、と思っていると、ホワイトレースが肩越しに「王子」と微笑し、キリーヌもホワイトレースに同意したように頭を縦にふった。
……行かせるな、セクトリットを見せてやれ、ってことか。
ローリッシュの前を歩く側近が扉に手を当てたところで呼び止める。「お待ちください、姉上」ローリッシュはふり向かない。扉が重々しく開き始めて、冷たい風が入ってきた。声を張っていった。「神託を授かった者の証であるセクトリットを見てみたいと思いませんか」
神託を授かることは『非常に栄誉あること』だとキリーヌが興奮していたことから考えても、神託を授かる人間はそれほどいないはずだ。ローリッシュは授かってないみたいだし、もしかしたらセクトリットを見たことがないかもしれない。栄誉の証であるらしい道具、かはわからないけど、そういうものを見てみたいと思ってるなら足を止めるはずだ。
想像が当たっていたのか、短いオレンジの髪をばっとふって、ローリッシュがおれを見た。目が見開かれていた。「……あんたが、神託を?」
ローリッシュの部下の一人がいった。「ローリッシュ様、そのようなことがあるはずありません。あのクライブ王子ですよ?」
もう一人便乗するやつがいた。「その通りです。ローリッシュ様ほどのお方でも授かっていない神託を、よりにもよってクラ」
「黙りなさい」ローリッシュが側近の言葉をぴしゃりと拒むように止めた。「……ねえクライブ、見せてもらえるかしら。……セクトリットを」
急に聞き分けがよくなった姉に、その側近たちですら戸惑っている。戸惑っているのはおれたちもそうで、三人で顔を見合わせた。
おれが無言でうなずくと二人もうなずいた。ローリッシュ視線を移す。まっすぐおれを見つめて反応を待っていた。「では、見ていてください」
青い絨毯の上を歩いて銅像の目の前までくる。やや後ろをついてきた二人が両脇に立った。銅像を見上げて嘆息する。
……ぶっちゃけ気持ち悪い。
だってさ、こういうところに祭られている神様の像って大きいのが数個あるぐらいじゃないの? 普通は。青い壁一面にきれいに磨かれてる白い顔がずらっと並んでるのは不気味だといわざるを得ない。
「緊張しなくても大丈夫ですよ」
あごを上げて顔をしかめていたからだろうか、キリーヌが気遣ってくれた。緊張しているように見えたらしい。
「始めましょう」
ホワイトレースが左膝を地面につけて跪き、立てた右足に両肘を乗せて指と指を絡め、そこに額を乗せた。一連の動きは上品さを感じさせるほど洗練されていた。
キリーヌもすぐさま同じポーズを取った。
これがこの世界のお祈りの体勢だと理解したおれは、少し慌てて地面に膝をついた。目を閉じろといわれてないのに、体勢が体制なだけに閉じずにはいられなかった。
「手に魔力を集中させてください」とキリーヌが小声でつぶやいた。
「わかった」
指示通りにすると、ほわっと体温が上がったかと思うと、その熱が一瞬にしてなくなって体が冷えた。
急な体感温度の変化に首をすぼめると、上空から柔らかい光を感じた。この世界のお祈りはこれが普通なのかそうじゃないのかわからなくて、とりあえずそのままの体制をキープする。
「王子、目を開けてください」
ホワイトレースに促され、跪いたまま目を開ける。額を離して視線を上げた。空中に金色の光に包まれた白い棒がある。
「あれが……?」ホワイトレースに確認を取る。
「はい。あれがセクトリットです」
登場の仕方は神秘的だけど、細くて鋭い真っ白の指揮棒にしか見えない。これがこの世界で見る初めての不思議現象だったなら神聖さを感じたかもしれないが、これよりももっと素晴らしいものを前に体験しているから、ちょっと拍子抜けだ。
内心がっかりしている間に、セクトリットがゆっくりとおれに向かって降りてきた。手のひらを上に向ける。セクトリットが手まで到達し、輝きを失った。
……やっぱりただの棒だな。
クライブ王子の肩幅程度の長さのセクトリットを眺めながら、持って帰るのは地味に荷物になるなあ、などと考えていると、背後がざわつき始めた。立ち上がってふり返る。
「そ、そんなっ! ありえない! なぜクライブ王子が……」
ローリッシュの側近たちだった。現実を受け入れたくないらしい。ただ、主であるローリッシュは口を動かさずに目を伏せていた。
「王子、やりましたね!」キリーヌが笑顔を見せる。
「これで王子のことを悪くいう人も減るでしょう」
満足そうにしている二人には悪いけど、セクトリットの重要性がわからないから正直ついていけない。それに『悪くいう人が減る』って聞かされても、自分の評判が悪いと知ったのはついさっきなんだよなあ。
「……うまくいったならよかった」
雰囲気を壊さないように笑みを作ると、「祈りが足りぬ」と後ろから声がした。反射的にふり返ると、見覚えのある神様が宙に浮かんでいた。
……どのようなご用件でしょうか? ……サウンソニード様。
嫌な姉登場。活躍する機会あるかなあ?
次回は明後日になります。